『斬(ざん)』

移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/

不公平感のモヤモヤはどうにもならないのだろうな

2007å¹´01月19æ—¥ | Weblog
■CONCORDE: my turn, your turn - 不平等でミスマッチで運任せの世界で
 
 『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれないにトラックバック頂いた記事についてお返事をかねて思ったことなどを書いてみる。

ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。


(中略)

 本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?
『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない

この弱肉強食の世界でそのやさしさは、自殺行為に等しいかもしれなかったり……
CONCORDE: my turn, your turn - 不平等でミスマッチで運任せの世界で
※引用内の引用文には、分かりやすいよう引用者がリンク先を加えています。


 Web(ネット)のフラット性というのを、幻想で信じている部分があるからなのでしょうね。同じ立ち位置で、「よーい、ドン」が本来はいいんだけどなぁーって思いがあるのです。しかし現実は無理な話ではあるんでしょうね。オレはバーチャルの良い面を考えたいのでそう思ってしまうのです。

やはりリアルで活躍されている方ってのは、スタート地点で既にひな壇がありますからね。

 個人的には、前に前にってのは好きではない部類なので、そうしなくてもシステムでどうにかならないかなぁーってことを思うんですけどね。人が造るシステムである限り無理なことなのかもしれませんね。
同じ時期に(またはちょっと前に)こっちも似たようなこと書いてるやん、なのにあっちだけ注目されてなんでやねん、という方向の、自己評価と結果のミスマッチ。
 これは経験がある(思い込みが強いこともあるとは思いますが)のですが、やはり、ひな壇があるような目立ってるブロガー(サイト主)のほうが、取り上げられやすいですね。これもオレの嫌ってるフラット性の不公平性でもあり、しがらみやより有名なトコから話題にするほうが、自分にとっても有利だと感じる(または単にオレが嫌いなだけかもしれないが)ので、取り上げたいんでしょうね。

 オレの考えだと、それよりも記事の良さ、はじめに話題を作った貢献度を重視して、たとえ無名でも、そちらを取り上げるのが筋だと考えるんですけどね。ただ、有名なトコを取り上げたほうが、話題がより発展する可能性があるのは否定できない面でもありますね。でもそれは最初に話題を提供したモノにとっては、オイシイところを持っていかれた感があって、非常にむなしく感じますね。
 
 また、裏返して考えればオレ自身が逆の立場になることもありうるわけで、それはやはりちょっと申し訳ないですね。だから、公平であって欲しいわけですが・・・・・・ って、これだと話がループしちゃいますね。
souryuusei0401さん(えっと、数字つけた方がいいのでしたっけ)は運ではないと仰いますが、自分の番が来るかどうかというのは運でしかないと思います。
 運も実力のうちというのは、あるとは思いますが、そーゆーことが Web (ネット)では、関係ない世界であって欲しいのですよ。現実では、経験し得ないことが、バーチャルの最大の良さだと思っていますのでね。段々、リアルに侵食されてつまらなくなってきてるように感じますね。
その巡回先に入るか否かイコール(入る時点での)運、ではないでしょうか。
 これは、ちょっと違うかな。個人ニュースサイターやアルファクリッパには、自分から近づいていけば、巡回先に入る可能性は高いと思われます。もちろん、ある程度話題になるかもしれないような予感のする記事を書いていることが前提でしょうけど。そーゆー意味では、運より実行力ではないかと思います。
「自分の番」が来る前に寿命が尽きてしまうブログのほうがきっと多い
 以前確率の問題の話(マーフィーだったか?)で、全ての人は、幸不幸が平等ではなく、偏っているというのを聞いたことがありますね。運のいい人は、やっぱり運がいい。運の悪い人はとことん悪い。1万年でみれば、平等かもしれないだろうけど、人生で考えれば偏るだろうってのと同じ考えですね。ここらの話は、深すぎて「自分の番」をどう手繰り寄せるかは何ともいえないですね。
瞬間風速の後で何をしてあげることができるのでしょう?
 何もすることは出来ないでしょうね。
「自分の番が来た」ことを素直に喜べばいいのではないですか、
ほかにできることなどないのだから。
 さっき書いたようにそれが公平ならば「自分の番」を素直に喜べるのですが、どうも色々と運にしろスタートライン(ひな壇)にしろ、いやーな要因があるので、素直に喜べないんですよね。かといって、それがどうなる訳でもないのですが。このモヤモヤ感は、どうにもならないのだろうな。

 はてな匿名ダイアリーが、盛り上がっていて需要があるのも、そういったこともあるのではないかと思いますね。


[関連]
・『斬(ざん)』:ズルイや!
・おれはおまえのパパじゃない - 仰げば尊し


[TB:CONCORDE: my turn, your turn - 不平等でミスマッチで運任せの世界で]

本音かどうかは藪の中だけどね

2007å¹´01月09æ—¥ | Weblog
■歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい

 オレは、傲慢でもいいから「負けた」と思えないなら、そのほうがいいですよ。でもね、これは仕方ないんだ。思ってしまうんだもの。制御したり訓練したりして変えることができることじゃないと思うんですよ。仰るとおり性格の問題。
氏にとっては羞恥プレイをする事で己を客観視して記事に活かしていくタイプなのだろう。だが、私は羞恥プレイではなく、どちらかというと、俺様主義で傲慢な見方で記事を書いていく事によって、人々の本音を引き出していきたいと思っているようだ。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい
 この部分を読んでいて、ふと思い出したのが、梅田さんの記事、『My Life Between Silicon Valley and Japan - Blog論2005年バージョン(2)』の中にある
モノを書くことは恥をかくことである。恥をかきたくなければ何も発表せず、読むだけ読んで人のことを「バカだなぁ」とうそぶいていればいい。
My Life Between Silicon Valley and Japan - Blog論2005年バージョン(2)
でした。そうなんだよね。だって、Web で文章を書くって事は、自分よりも専門知識やより深い考察を出来る数多の人々にも読まれる可能性があるということだからね。そして、現実にそういった方々にも読まれているんじゃないかと思います。自分なんか足元にも及ばないような人にもね。そーゆー人が読むだけで書き込んだりしなかったとしても、バカにしてたり、まだまだだな、って思われたりしてるのは、容易に想像できることですよね。でも、それが分かってても書くってことは、やはり恥をかくことなんですよね。でも、その恥をかくことよりも、そこから得られることのほうが自分にとって価値があるから、続けられるんだと思います。

 そして、その恥を少しだけ和らげるために、本音とうそを上手く織り交ぜて、時に記事に脚色して、ちょっとデフォルメさせて作るようにしていますよ。だから、どこまでが本音で、どこまでが脚色かは、書いた俺にしかわからないから読んだ人の判断に任せるところです。そういった仕掛けを作ることが出来るのも、書き手としてのささやかな楽しみの1つですね。


[関連]
・『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない
・『斬(ざん)』 羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね


[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい]

羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね

2007å¹´01月01æ—¥ | Weblog
■歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い

 『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれないに言及いただいたのですが、言及返しというか、想った事をあれこれと。

運が良い事も込みでその記事は注目されるに値するものなのだという考え方が私は好きだ。もっと自分の書いた物に対して堂々として欲しいものだな。自分が書いた物には恥ずかしい物は無いと言い切る誇りを私は持ちたい。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い
 うーん、オレはそれを運とは思えないんだよね。確かに運が作用する場合も否定はしないけどさ。どちらかというと、ポジションとか立ち居地みたいなものが左右されるでしょ。大手(中堅)個人ニュースサイターやアルファクリッパーなんて呼ばれてる人達の巡回先に居るか居ないかでも変わってくるわけで…… で、そういったところから普段注目されないところでも、淡々と良質な記事を書き上げていて、それにふと何かの偶然で巡り合ってしまった時ってのを想像したわけですよ、あの記事は。

 その時に、自分の書いた記事に自信と誇りを持っていたとしても、出会った記事には、直感で「負けた」って感じてしまった場合ってのを想定したわけですよ。

 自分の書いたモノに堂々としたいってのはあるんだけど、毎回毎回、そんな記事は書けないですよ。精々2、3ヶ月に1つだな、オレの場合は。それは目次で、自己評価つけてるところからも分かるように、自分が本当に満足する五つ星なんて、年に何回も無いんですよね。また、それが、世間での評価とは必ずしも一致しないし。それと「自分が書いた物には恥ずかしい物は無いと言い切る誇りを私は持ちたい。」ってのは、賛成。誇りとまではいかなくても、そういった気持ちではいたいですね。

 で、話が前後するんだけど、自信を持った記事が、Web でも受け入れられて注目されたときに、もし上記で書いたような「負けた」と感じる記事に出会ってしまったらってのを考えたんですよ。これは、他者評価ではなくって自己評価での視点。つまり、自分が閲覧者視点で観て、自分の記事と読み比べた場合にという意味においてです。

 閲覧者視点では、こっちの記事のがもっと取り上げられて注目されてしかるべきでは無いだろうか?って思ってしまう場合もあるんじゃないかと。そうすると、記事にも書いたように、恥ずかしいと感じないだろうかって話なんです。自負があるからこそ、そこに生まれる羞恥。

性格だから仕方ない、か。それは言い訳でしかないよな。出来ればそういった恥ずかしく思う気持ちを何とか無くしたいと思わないものなのだろうか。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い
 ただ、オレはこの羞恥の感覚っては、変えたいとは思わないんですよね。むしろ個性であり、いい面もある(総合的には悪い面のほうが多いんだけどね)。言及された記事がこうして言及されるのも、それゆえの理由な訳でして。つまり、ブログにおいては、オレにとって必要な感性なんですよね。そして、あの記事では嫌だとは書いて無いわけで、オレの記事を読んでみてそう思う人は居ないのかな?って問いなんですよね。

 だから、この性格を直すよりも、この性格を言葉は悪いけど利用するというか、上手に付き合っていく方法を会得すべく努力するって方向に行きたいですね。それには、ブログでこうして書くってのもその一部なんですよね。


[参考]
・デジモノに埋もれる日々: 情報をめぐるポジティブ・ループ - 関係と信頼という名の財産

[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い]

議論は、ゆるく、まったり、ぬるぬるといきまひょう

2006å¹´12月29æ—¥ | Weblog
■TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな

 やっぱりスルー力足らないかも。言及されてたので、思ったことを書いてみる。
彼が「貴重な時間」を費やして書いた文章を要約するとこうなる。

 ・コメントスパムは迷惑です。

ビックリするほど全く内容が無い。いわゆる「正論」で終了。ワシが予めすべて言ってあることだ。それでもやるから「確信犯的」なわけで、全くワシを動かすことは出来ない。そしてそのこともワシも彼もわかっている。何もかも全てが無駄ってこったな。
TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな

 ・『「正論」で終了。』で終わっちゃったんで、反論無し(出来ない)って事ですね。
 ・「全くワシを動かすことは出来ない。」って、言及記事書いてる時点で動いてるじゃん!
 ・「そしてそのこともワシも彼もわかっている。何もかも全てが無駄ってこったな。」勝手に一緒にしないでください。オレは無駄なんて思っていませんからね。
 結局、人は「好きなもんは好き」「嫌なもんは嫌」って動いてんのよ。今回の[足あと]スパムも、「TERRAZIだったから許されるけど、他ならダメかなぁ」ってなもんで、ルールなんざ、相当いい加減なもんなのよ。その程度のことを5年も10年も「論争」しているのよ。バカバカしいと思わんか?
 ココで書かれてることから無駄だって結論なんだと思うけど、オレは以前から書いてるように、「ループする論争」をバカバカしいとは思っていないです。
参照:『むだづかいにっき』のリピートネタに思う。
  
 「ルールなんざ、相当いい加減なもんなのよ。」は、そうなんだけど、そのルールを作る前提ってのがあるわけで、「ルール」ってのは、つまり「規則」ってことで、何で規則があるかって言ったら「秩序」を守るためなんですよね。で、コメントスパムってのは、秩序を乱し、ただのコメントは乱さないと思うのです。それで、どこまでがスパムでどこまでがスパムじゃないかを考えると、今回の場合、それが「お互い相手を知っていてネタだと分かってる場合」辺りがラインだと思うんですよ。だから
もしくは、少なくとも相手を選ぶべきです(そーゆーのは内輪で楽しくやってくださいな)。
『斬(ざん)』:悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ
と書いたんですが、それを「相当いい加減なもの」で片付けちゃいけないんじゃないかと。

 スパムかそうでないかというのを、オレの記事から考えるきっかけを与えることには、なっていないだろうか?そのことは、はてブ一覧からも、「相手による」とコメントがあったことからも、わかるんじゃないかと。ちなみに、コメントスパムの「定義」をいくつかご紹介。
多数のブログ等のコメント欄に、本文の内容とは関係のないサイトへの誘導や宣伝を行う行為で、スパムの一種。
コメントスパムとは - はてなダイアリー

コメントスパムとは、関係のないコメントとリンクを書き込むことをいいます。
コメントスパム とは | Weblog用語集 | ミツエーリンクス

ウェブログ(ブログ)のコメント欄に、本文の内容と班関係ない広告を無差別に大量に投稿すること。スパムメールのウェブログ版。
コメントスパムとは 【comment spam】 - 意味・解説 : IT用語辞典 e-Words

 つまりオレの記事は、その「気付き」を起こさせて、各自が、コメントスパムについて考えてもらうきっかけを与える目的も含めて公開して書いたわけであり、たんなる「苦情」なら、メールでもいいんですよね(まぁ、公開苦情ではあるんだけどさ)。だから、オレにとっては、全然無駄なことじゃない。そこから、新たな意見が生まれ、現時点でのコメントスパムのガイドラインの一部ができたとすれば意義があるでしょ?

 ルールってのは、いつまでも同じじゃないし、場所や時間でも、変わってきます。だから、その時に一番合うルールを模索し続けるための論争をバカバカしいとは思いません。その論争結果の移り変わりが、Web によって長期的に見て可視化されるというのは、歴史の変換点を知る意味においても大事なことだと思います。

なんでこう何度も何度も無限ループのように繰り返されるのかというと、論をぶつ前に学ばないからだよな。
TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな
 違うと思う。学者達だって勉強してても、繰り返し議論してるでしょ?って、まぁこれは詭弁だけど、現状を見る限り、学ぶのはごく一部だし、学ばないことが前提ということではない。それは理想論であり現実的じゃない。そして、結論は、はっきりとは出ないと思います。Web 上の議論というモノの多くは、考えるきっかけを与えることと、複数の意見を出し合うことで、自分なりの答えを見出すヒントを与えるものだと思います。そして、ループするたびに、再確認して現状に合わせて補正するもの。

 それから、ネットバトルのような勝ち負け議論は、オレは好きじゃないので、ぬるいというなら、それでいいです。議論ってのは結論が1つにまとまらないことのほうが多いし、それを求めて疲弊したり、サイト閉鎖するなんてのは、ナンセンスなんでね。これは、価値観の違いなので仕方ないです。だから TERRAZI さんとは、議論にならないだろうし、そーゆータイプの人との勝ち負けを争う議論をするきもありません。オレは『議論の種類』にある、「対話」型の議論を望むタイプですから。なので、前の記事で「これ以上関わりあいたくない」って書いたのは、直感でそれが分かったからなんだろうね。

 ただ、今回の言及元の記事は、オレにとって非常に有意義なモノでした。この記事を考えたり書いたりした時間は無駄じゃなかったので、我ながらいい記事できたと思います。ありがとうございます。


[関連]
・『斬(ざん)』:悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ

[参考]
・ぽんすブログ: 3つの議論
・ぽんすブログ: 議論のアンチ・パターン
・こどものもうそうblog | 議論は勝ち負けじゃない
・ブログの賢い歩き方-日々是自己主張
・如星的茶葉暮らし [神慮の機械]:【論点の共有】
・ただウェブに駄文を綴るのみ スタンスの違いを認識し合わねば,不毛なだけの議論になる
・鴎庵 : 議論のループには意味がある
・他人の不幸は蜜の味: ブログ上の議論が不毛な結果に終わりがちな理由
 (全て:編集用ブログ「議論」ブログ内検索)

[TB:TERRAZINE - ぬるいバトル、ぬるいブログに満足するな]

悪ふざけの実験台にされるのは御免ですよ

2006å¹´12月23æ—¥ | Weblog
■TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!

 非常に不快だったので記事にする。

 『斬(ざん)』:Web 上でのプライベートモードは危険なモードですよのコメントに、コピペ文([足あと]と書かれただけのもの)によるコメントスパムが入った(現在は証拠確保のため保留中にして非公開にしています)。リンク先の記事を読んでみると、それがネタ記事による実験であることがわかったのですが、やはり、悪ふざけだとしても頂けない。
【実験くん】mixiの「足あと」をはてなで疑似体験してみよう!
とまぁ、グダグダと説明してみたが、ワシを含めmixiを使ってない人にはさっぱりわからんと思う。そんなわけで、はてなで「足あと」をやってみることにした。

ルール

 ・見たページ全部に「足あと」とだけコメントする。
 ・特にいつもはROMだけのページに積極的に行う。
 ・「足あと」を付け返してもらったら勝ち(何?
 ・怒られても泣かない。
TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!
 とある。まず、このルールが頂けない。
 ・特にいつもはROMだけのページに積極的に行う。
 交流先でもない相手に対して初対面で、コメントスパムを送るとは無礼である。まだ交流していての遊び感覚なら受け入れられなくも無いが、ページを読んだというだけで、自分のネタ記事のためにコメントスパムを送られては、たまったものではない。
 ・「足あと」を付け返してもらったら勝ち(何?
 相手を誘導したら勝ちという考え方が、そもそも失礼である。
 ・怒られても泣かない。
 泣く泣かないなど関係ない。どうせなら、怒られても何言われても、歯向かわない。逆らわない。くらいの覚悟を持ってすべき行為ではないだろうか?怒られることがあろうことを想定できていて、相手に迷惑をかける可能性があることを知ってやっているのですからね。

最後におわび
 ・ということで、このような理由での実験と言うか悪ふざけでした。ごめんなさい。
 ・「足あと」は削除しようが、煮るなり焼くなり好きにしてください。
 ・コメントスパムリスト入りは悲しいので勘弁してください。
 ・後でリファラ統計を公開します(つーか誰でもいつでも見れますが)
TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!
 ・悪ふざけの実験とはじめから分かっていて、確信犯的に記事で先に謝るくらいなら最初からやるべきではありません。もしくは、少なくとも相手を選ぶべきです(そーゆーのは内輪で楽しくやってくださいな)。TERRAZI さんが見たページは、TERRAZI さん以外には分からないのですから、スパムを嫌っているところへは、見たとしても、コメントしないくらいの配慮があってしかるべきではないでしょうか?

 ・また「削除しようが、煮るなり焼くなり~」ですが、スパムを送りつけておいて、相手の手を煩わせ、あなたの悪ふざけの実験のために削除するなどの貴重な時間を割かなければならないというのに、それを謝ったその後に言って(書いて)のけるとは、信じられませんね。謝罪する意思があるようにはまったく感じられません。ただ「ごめんなさい」と書いただけのように思えます。

 ・一度でもコメントスパムを送れば、スパマーですよ。どんな理由があろうが、それはあなたの勝手な都合での話でしかありません。今回だけだからは許されません。

 以上、この記事を書くはめになった貴重な時間を返していただきたいくらいです。

 なお、謝罪もいらないですし、これ以上この件で関わりあいたくもありません。コメントスパムのことで、貴重な時間をこれ以上割きたくはないですからね。ただ、言わずにはおられなかっただけですので。まだまだスルー力が足らないようです。

 まだ『斬(ざん)』:~総合案内~に書込まれたなら、不快感も少なかったかもしれませんけど。今となっては既に後の祭りですがね。


[関連]
・『斬(ざん)』:議論は、ゆるく、まったり、ぬるぬるといきまひょう

[TB:TERRAZINE - 【特別企画】mixiの「足あと」をはてなで体験してみよう!]

追記(2006.12.29)
・関連にリンクを1つ追加。

結局トラックバックは相手へのラブレターでFA(ファイナルアンサー)

2006å¹´12月19æ—¥ | Weblog
■CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて

 『斬(ざん)』:トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁにトラックバックをいただいた記事です。コメントにしようかと思いましたが、長くなりそうなので記事にします。
結構な知名度のブログにものすごい逡巡した挙句勇気を振り絞ってトラックバックを打ち込んだ、そのドキドキのわりにはそこ経由のアクセスがゼロ、という経験が数度あったりしますが・・・
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 うーん、オレの場合、すごい逡巡(こんな単語見たことあったけど使ったこと無いや)するとしたら、知名度というより、その相手次第でしょうね。知名度もその中に含まれることもありますが、それよりもなんか持ってるオーラというか、凄さみたいなモノのほうが大きいですね。

 それで、そこからのアクセスってのは、ほとんど期待していないというか、それよりトラックバックする相手に自分の言及記事を読ませるってことの方が大きいですからね。ただ、何にしろオレの場合は goo ブログの無料版でアクセス解析機能が無いため、リファラが分からないのですけどね。でも、それが自分には合っているようです。なまじリファラが分かると、余計なことを考えてしまうかもしれません。
(どこかのハイパーリンクをたどって、)どこかのブログの記事を読む。
その記事の言及先である他のブログへの、あるいはそこに飛んできたトラックバックの、リンクをクリックすることの何と少ないことか。
……自分の巡回スタイルを振り返っても。
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 閲覧したときに、興味のある記事ならトラックバック先を読む場合もあります。しかし、後日に入ったトラックバック記事に目が行くというよりも、その存在に気が付かないほうが多いように思いますね。確かに仰るとおり、自分の巡回スタイルでも、トラックバックのリンクをクリックすることは、毎回ではないです。そして、一度読んだ記事(新着の最新)の場合、まだトラックバックが入っていない場合も多いので、見かけないというのもあります。ただ、はてなブックマークのブクマ一覧画面から、リンクされてる記事なんかは、最近よく飛びますね。
そこのリンクのいくつかをクリックしてリンク先に飛ぶのだけれども、さらにそこから先に飛ぶことなく、ベースに還ってくる。
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 これは、たしかにそうですね。同じです。
かなりの"アルファ"な方が「文中リンクのクリック率など良くて1%かそこら」と書いていたのを読んだ記憶があって
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 うーん、アルファな方の記事は知りませんが、以前オレの記事の中でのやりとりでも、そんなのがありましたよ。
参考:『斬(ざん)』 引用は誤解を招きやすい?(特にコメント欄)
トラックバックというのはたいてい記事の最後のまだ下に位置するものですから、そこまでクリックしてくれる人がどれだけの割合かというと・・
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 うーん、一概には言えないのですが、オレの場合、どちらかというとトラックバック記事のほうが、記事中のリンクよりもクリックしますね。もちろん、記事中リンクが言及スタイルで引用されているような場合は、そちらもクリックします。やはり気になった記事に入っているトラックバックというのは気になります。

 結局のところ、読んだときにトラックバックが入っているかが重要なんだと思います。しかし、記事について考えをまとめて、新たに記事を書いていれば、当然数日後になって記事が仕上がる場合も多いでしょうし、そういったトラックバック記事のほうが、じっくり考察されていてイイ記事も多いんじゃないかと思うと、それを読む機会が少ないってのはジレンマですね。
実際にはリンクした/された当事者同士のつながりができれば御の字、くらいのものなのかもしれません。
CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて
 結局は、相手に読んでもらうことなんだと思いますね。トラックバックというのは。あとリンクで繋がっているのは、おまけと考えるほうが気楽でしょうね。オレは、もともとそーゆー気持ちで送ってますけどね。話題性だとか、ページランクがどうとか、そこからのアクセスがどうとかってのは、あまり考えたくはないですね。ただ、盛り上がってくれるのなら、自分も温度差の無い(つまり記事を上げてあまり時間が経っていない)時がいいのになぁー とは思います。自分だけその記事に対する熱が、既に低くなっているのでは、ちとむなしい。まぁ、それでもありがたい贅沢なことではあるんですけどね。

 やはり、トラックバックは公開ラブレターなんだと思います。


[TB:CONCORDE: いったりきたりで日が暮れて]

初見の人にとっては記事の賞味期限は切れてない

2006å¹´09月24æ—¥ | Weblog
■F's Garage:消費されないブログ記事を書こう

 『消費されるブログ記事』を取り上げていただいた記事からの触発です。関連が深いので言及を含みます。

TVで漫才が消費されるのは情報の再利用性が低いからだ。blogは、パーマリンクでそこに蓄積され続ける。googleなどの検索エンジンを経由して、いつ誰が必要としてくれるかわからない。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 オレは、ネットでの再利用性も低いと感じています。詳しくは後述しますが、漫才の消費について考えれば、TV で観ていなければ、ビデオや DVD で観るという再利用はあります。なので、いつ誰が必要とするかについてはどちらも同じであると考えます。
しかし、SBMを使わない人もたくさんいるだろうし、あらゆる話題がSBMのユーザーに精査されてるわけでも、フォローされてるわけでもない。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 オレの記事は、SBM だけではなく個人ニュースサイトも含んでの記事の話題性における旬の短さについて述べてます。

・自分が有用と思われる情報を書いておけば、ひょっとしたら数ヶ月後、半年後にgoogle経由でその情報を必要とする人が出てくるかもしれない。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 それは既に経験済みでして、自分が有用と思われる情報を書くことは、非常に大切だと思います。同意します。
・多くの人に消費されるよりも、本当に必要とするその一人のための情報を書いておこう。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 これにも同意。過去に分家で同様なことを書いてます。転載します。
・過去記事は長い長い未完成の文章の一部:ひとりごと

 ・オレは、別に多くの人に過去記事を読んでもらいたいとは考えない。オレの過去記事を面白いと思ってくれる人。読んでよかったと思う人。その人には、届けたい、読んでもらいたいと思うのです。その為には、今のところは、少し目立つ場所にいないとダメなようなのです。別に目立ちたいわけではない。埋れたくないだけです。

 Google にしても、はてなにしても、検索という機能をネットにおいて重要視しているのは、つまり、欲しいと思った情報により正確により早く辿り着くことを考えてるからですよね。それが便利であり、その仕組みが、最も利益を生むと思うからサービスとして試行錯誤してやってるわけでしょ?つまり同じ事なんですよね。

 オレの記事を欲する人の所に簡単に辿り着ける手段、方法があり、その仕組みが出来上がっているなら、オレは何も目立たなくてもいいのですよ。オレの記事を読んで良かったと思う人が、たとえ100万人に一人だけだったとしても、その一人に届けば満足ですよ。それでいいよ。それ以上は望まないよ。でも、現実そんな事はありえない。だから何とか工夫して、一人でも多くの人に読んでもらう事で、その中から読んでよかったと思う人を増やしたいんです。それには、過去も今も無い。必要な時に必要な人のところへ必要なものが届けばいいのです。だから、過去記事だって大切なのです。
かめのこだまし…? - ■weblog 2006/07/31


逆に言うと、はてブされることだけを狙って書いたキャッチーなだけの文章というのは、結局、むなしく消費されて終わるような気がする。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 この文以下の内容については、
・『斬(ざん)』:定番記事を書くことのススメ
・『斬(ざん)』:もちろんブログの話題は自由なんだけど

あたりで
その点をよーく考えて、過去になっても輝くことのできる定番記事を書くことに注意してみるといいと思います。
『斬(ざん)』:定番記事を書くことのススメ
 は、まさに“消費されないブログ記事を書こう”なのです。そして 
あからさまに狙っている記事というのは、ある程度狙ってることが読まれてしまうものですからね。そういう記事を否定するつもりはありませんが、オレは「定番記事」により近づけるような記事を意識しながら書いていこうと思うのです。
『斬(ざん)』:もちろんブログの話題は自由なんだけど
 は、
はてブではマイナーかもしれないが、自分が有用だと思う情報をしっかりblogに書いていくことで、ブックマークで数字があがることとは違うニーズがインターネットに存在することを意識できると思うのだが、どうだろうか。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
 というのと、マイナーでも役立つ記事をと言うのは、新しい視点で素晴らしいと思います。でもそれ以外、言わんとすることはほぼ同じことです。

 つまり、思うに過去記事で既にある程度同様な内容については書いているのに、そこに視点は当たらず、同様な新しい記事に注目が当たるという点が、まさに「消費されるブログ記事」ということを実感する部分なのです。その部分で、ネットでの再利用性は、まだまだ低いと思うのです。

 はてなブックマークに関していえば、結局スポット的に Permalink の記事のみに注目が集まる。そのブロガーの今まで書いてきた事や、関連性、経緯などは無視される傾向が強いです。それが数によって評価される点で、薄っぺらく感じるのです。もちろん Permalink のみでの視点というのも貴重ではあるんですが、過去記事(上記で上げた2つの記事)まで把握した上で、今回のオレの記事を読んだ場合とでは、また違った感想や深みといったものが出るんじゃないかと感じるのです。

 あと、「消費されるブログ記事」の補足になります。google などの検索エンジンを経由して訪れる、ピンポイントのロングテールのアクセスにもっと関連付けをして、他の記事を埋れさせないようには出来ないだろうか?そういった仕組みが作られたらいいなぁーという思いがあります。Permalink だけではなく、関連性のある記事が、簡単にピックアップされて紹介されるような仕組みが出来上がれば、消費されるスピードも緩くなると考えます。じっくり書いた役立つ記事が、もっと簡単に役立つ相手に届く仕組み。それを望んでいるのであって、そうすることで、短期間で消費されない賞味期限の長い記事になることを望んでいるのです。現状では、それが叶わない事に憂いを感じるのです。

 初めて読む人にとっては、記事の賞味期限が切れていない場合も多いはずです。その記事に消費された時の盛り上がりの名残が、関連記事となってデコレーションされていれば、より楽しめるでしょうし、さらにそこから、関連記事を書いて加わっていただければ、なお更面白いじゃないないですか。

「消費されるブログ記事」への反応集

2006å¹´09月17æ—¥ | Weblog
■消費されるブログ記事

には、数多くのリアクションを頂きました。その中の一つ、
『はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:消費されるブログ記事』
から、恒例になりました、気になったコメントへの勝手にコメントレスです。

◆moto_hiのブックマーク
コミュニケーションの要素が抜け落ちてるのが気になる・・・。
・その辺りは、抜け落ちていました。というか、昨今の薄いコミュニケーションが蔓延してる辺りにも、つまらなさを感じていたんでしょうね。

â—†BOOKMARK STATION
雑誌感覚で書く/読むならば、消費されても構わないと思う。
・雑誌感覚では、書けないんですよね。イメージでは、雑誌の連載記事ならいいかなと。後でそれ専門で書籍などにまとめられることを考えて書きたい感じです。

◆最終防衛ブックマーク
僕は、同じネタを何度でも書けばいいと思っている。
・うーん、それもモチベーションがなかなか続かないと感じます。同じネタを繰り返し書くにもエネルギーが要りますからね。新しい話題の方が書きやすい。でもそれが結局、短期間で消費されるサイクルを作ってしまうのですが。

◆むぎブクマ
書いていれば何かが起きる
・それは分りますが、書いている間も消費(消耗)していくんじゃないかと……

◆ゆみぞう+ブックマーク
消費された後、残るものもあるんじゃないか。
・それはあると思います。でも、消費される速さが問題でして、あまりにも効率が悪いんですよ。過去に埋れた記事のロングテールをどうやって掘り起こすかが肝であり、そこが問題だと思ってます。

◆好きな記事
斬の人の印象も、初めに見た頃とは随分様変わりしたなあ
・初めの印象がどうで、今の印象がどうで、どう変わったのか知りたい気もしますが、知るのも恐い気もします。

◆ラージアイ・イレブンのブックマーク
ブログは何十年も残し続ける上では効率が悪い、というのはある意味で真実。
・同感。ブログって意外とログを残せないんじゃないかと思うんですよ。というか、残ってたとしても、深く埋れていくだけだと。
ダウンタウンのようにその瞬間に影響力を行使するならブログよりもブックマークが効率的。
・オレには、その才能も順応性も無いし、性格的に難しいのですよ。そういったルサンチマン的なネガティブな劣等感が、記事には含まれていますからね。でも、その辺りを結構多くの人が、同様に感じる部分でもあるんじゃないか思います。

◆OHHHH!MY LIFE OF THE BOOKMARK (BY嗚呼女子大生活)
そもそも他者に消費される、と考えなければいいのに。
・今回、「消費」をどう定義するかを決めなかったことが結果として様々な捉え方が出来て感じ方も広がったように感じます。「消費される」というのは、少しオーバーな表現ではあると思います。オレの定義では、「話題にされている期間」=「消費される」ですね。

◆umetenのブックマーク
漫才と司会はいうなれば定型詩(例:俳句)と即興詩(例:連歌)のようなもの。どちらが上というのではなく、形式の違い。
・上じゃなくて、その時の流行というか、大衆が求めているモノと適合するということです。ダウンタウンは、その時代にマッチする「笑い」の方法を突き詰めて、自分達の出来る「笑い」と時代が求める「笑い」とをシンクロさせ、その中で最高のパフォーマンスができることを考えて、研究し実践したのだと思います。

â—†nigel's bookmarks for bookshelves
ストック志向の私には向かないメディア形式かも。
・それは、オレも感じますね。でも、考え方次第だとも思える部分があるんですよね。
「コメントやTB」が諸刃の剣なんだろうなぁ…反応がすぐ可視化されない状態に耐えられるか。
・この辺りも鋭いなぁーと感じます。そうですね。即時性が強い傾向がありますから、直ぐに反応を求めてしまいがちになり、じっくりと取り組む環境を作り出しにくい部分がありますね。それが「消費」と深く関係してる部分もあると思います。

◆はてなブックマーク - 囚人の共有知 ? / 2006年09月12日
ローカルに徹して、地方巡業の長い旅の尻尾に出かければよいのです
・八十八箇所地方ブログ巡礼でもしないと浄化されませんかね(笑)?


その他クリップ頂いた方も含めて、ありがとうございました。ブログに対するモチベーションが落ちていましたが、トラックバックやこーゆーリアクションが頂ける事で少し持ち直しました。まさに一番の特効薬ですね。

調べてビックリ!!「半熟卵」の定義は結構曖昧だった

2006å¹´08月20æ—¥ | Weblog
■他人の不幸は蜜の味: ファミリーマートで売られている「半熟ゆで卵」は半熟ではないので、十分に注意してください。

 消費者はブログでクレーム記事を書き、メーカーはコメントで謝罪し、今後検討するという姿勢を見せた。その行動に対し、記事を書いたものは、間違いを認め、改善内容に期待するコメントを添えた。

 この何処に問題があるのだろうか?たとえ、それが社交辞令的だったとしても……

 当事者間でのやり取りが成立し、記事を書いた本人も間違い(勘違い)を認めているし、既にそれを半年近く隠すことなく晒している。

 今回意表をついたのは、記事が公開されてから半年近く経った今頃になって、ブログ記事にメーカー側担当者が直にコメントしたこと。ログの残るブログコメントでのこういったメーカー側からの行動は、今までに無い斬新なもの。クローズなメールなどによる個人とメーカー間とのやりとりは一般的だが、公開されてる場にメーカー側が自ら書き込む姿勢はみられなかったから珍しい。

 で、話題となった結果、コメント欄では「題名を変えろ」だの「謝罪しろ」などと匿名で隠れたところから書き込んでる卑怯な輩がいるが、当事者間同士で既に終わってることを、関係のない第三者の野次馬が何を言ってるんだろうか?と思う。しかも、他人のブログのコメント欄を使って。やるなら堂々と自分でブログ作ってそこで意見しろ!議論する勇気も無い臆病者にしか見えないぞ。

 題名を変えるにしても、記事に訂正をいれるにしても、ブログの記事をどこまでと考えるかのスタンスにもよるわけで、コメント欄、トラックバック欄まで含めて一つの記事なんだとしてしまえば、それで分るのですから、メーカー側が認めてるのに、関係ない人が何の権限で変えろだのと言っているのか訳が分りません。もし自分が LSTY さんと同じ立場なら、謝罪も訂正もするでしょうが、それを関係ない人が命令口調で押し付けるのはおかしいというか、筋が違いますわな。

 ただ LSTY さんも、今回の騒動の当事者として、謝罪した方が本人にとってもいいのでは?とは思いますけどね。結果的に伊藤忠飼料㈱の飯塚さんに間接的とはいえ、ご迷惑をおかけした点についてね。相手が実名で立場のある場合は、それなりの配慮がいるんじゃないかと。記事内容云々は、タイトルにあるように当事者間で解決してるのだから、謝るかどうかは本人次第でいいと思います。ま、これもいらんお世話ではあるけどね。

 事実、飯塚さんにも軽率な行為があったように思います。ブロゴスフィアにおいて、今注目されてる Web2.0 の代表格である、はてなブックマーク。その中でブックマーカーをしている彼の被お気に入り登録者数は100を超える。つまりそれは Web の話題性について、少なからず影響力があるってことなんですよね。Web で話題を作る(盛り上げる)側に彼がいることを知らなかったのは、ちと調査不足。その流れの詳細については後述するが、今回の一件は LSTY さん自らが、この話題の火付け役なのだから。

 んー、それにしても残念なのは、結果的に飯塚さんが、LSTY さんのバカ晒しをしてしまったということになる点だよなぁー、たとえ LSTY さんのセルフブクマが騒ぎの発端だったとしてもね。こーゆー言い方は適切じゃないだろうけど、ある種の自作自演になってるんだよな。

LSTY さんのはてなブックマーカーとしての影響力+ネタの話題性でセルクマ
 ↓
メーカ側担当者が消費者個人のブログにコメントを書き込むという珍しく面白い話題で、はてブで注目される
 ↓
瞬く間に広がりホッテントリ入り
 ↓
2ちゃんねるにスレが立ち飛び火
 ↓
2ちゃんまとめサイト系ブログが取り上げる
 ↓
結果、自身のブログが2ちゃんねらーなどにより炎上

 そう考えると、2ちゃんねらー及びまとめサイト読者らの釣られ具合が何ともおかしい。自作自演の罠に自ら飛び込んで書き込んでるんだもん。自作自演乙の書き込みはほとんど無いからな。話題の出所が LSTY さんのセルフブクマだったってことが分ってないんだろうね。手のひらの上で遊ばされてるとも知らずに…… まさに乙だね。

 まぁ、同じ注目記事でも、どういったフィルターを通るかで、その後の反響が大きく変わるというのがよく分った事例として、当事者の LSTY さんには申し訳ないが、とても面白かった。

 やはり、脊髄反射的に一部のみを捉えて全てを分ったように、よく考えもしないで感情に任せてしまう事がいかにおろかで尚且つ恐ろしいかよく分った。それと同時に Permalink の持つ、一見での判断ってのの恐さもね。

 YouTube でyoutubeで「JAP言うな!」と怒る善良なアメリカ人に、勘違いした"一部の"にちゃんねらーが攻撃を仕掛けた事件 ってのがあったけど、これもやっぱり夏だからなのかなぁー


 ちなみに
・Yahoo!辞書 - はんじゅく‐たまご【半熟卵・半熟玉子】
では
白身も黄身も完全に固まらない程度に煮るかゆでるかした卵。
 とあり
・半熟卵 - Wikipedia
では
半熟卵(はんじゅくたまご)は、卵白部分は凝固状態、卵黄部分は半凝固状態に茹でた卵。
 とあり、半熟の定義にも解釈が分かれるところ。ゆで卵と目玉焼きでそれぞれ半熟卵があるので、件の商品が「半熟ゆで卵」と表記していると考えれば、あながち Wikipedia が本当に正しいとも言いがたい。

 個人的には、Wikipedia の考え方をイメージしますが、それは個々で違ったとしても不思議ではない。吉野家の半熟卵は、まさにYahoo!辞書のそれであるのだから、それを調べもせずに、常識知らずだの定義を知らないなどとのたまい誹謗中傷コメントを書きつづり、無知だの謝罪しろなど書き込むのは、ちゃんちゃらおかしいのだ。

 ま、でも辞書の定義を過信するのも危険ではあるけどね。


[TB:他人の不幸は蜜の味: ファミリーマートで売られている「半熟ゆで卵」は半熟ではないので、十分に注意してください。]

だめもとでやきなおす勇気も必要なのかも

2006å¹´06月05æ—¥ | Weblog
■あれとかこれとか (Lefty):やきなおせないもの

で、Lefty さんに
でも、これって「意見を述べる」以外のタイプの記事では有効ではないかも…。
あれとかこれとか (Lefty):やきなおせないもの
と『教師は毎年、同じ授業をしているよね』に突っ込まれた。そやから、
新規読者も、リピート読者も両者新鮮な気持ちで記事を読めるんじゃないだろうか。もちろん覚えている読者はいるだろうけど、その読者には、新たな記事を織り交ぜて楽しませればいいのではないだろうか。
『斬(ざん)』:教師は毎年、同じ授業をしているよね
 って書いてるのにー

 つまりは、リピートできるネタとそうじゃないネタを織り交ぜて、リピートネタの間に挟めばいいんでないかい?ってことです。

 たしかに、リピートできるネタとできないネタってのはあると思います。それは古典落語や吉本新喜劇みたいに、お約束が通じるネタ。やる事や展開が分っているのに面白い、完成された芸の域ってのです。こーゆーのが、リピートネタに向いている。もう少し別表現でいうと、芸人さんの TV 向けネタと営業用のネタの違い。消費される使い捨てのネタ(リピートできないネタ)と練り上げていく事で、さらに面白さが増し、客にライブで見せてお金を貰える(払える)ネタ(リピートできるネタ)の違いかな。この辺りを意識して記事のなかに織り交ぜたらいいんじゃないかって思ったんですよ。って、これと同じような事どっかで書いたような気がするなぁ。ま、いっか。

 ただ、ギャグって、しょーもないことを、何度も何度も諦めずに繰り返し使った結果、日の目を見ることも多いですよね。だから、これは個人の粘りと信念にもよるかもしれませんね。だから、やきなおしも、羞恥心を捨てて、粘りと根性でやきなおし続けてみるのもアリかもしれない。もちろんそれを信じて失敗しても、責任は取れないけどね。

[TB:あれとかこれとか (Lefty):やきなおせないもの]


追記(2006.06.07)
・「やきまわし」及び「やきまわす」が「焼き増し」の誤字または、方言(茨城弁)ということで、表現を「やきなおし」「やきなおす」に訂正。

別に Web じゃなくてもいいんだけどさ。

2006å¹´05月07æ—¥ | Weblog
■あんたジャージでどこ行くの: 情報化は理想郷を築くのか。

へのお返事というかなんちゅーか。

 凄く面白いコミュニティ(以下:コミュ)に出会える時というのが、人生には何度かあると思うんですよ。まぁ、無い人もいるかもしれませんが。それがサークルだったり、地域組織だったり、職場だったり、と様々なわけですが、そこにはブログのコミュも入ったりするわけで。

 で、この手の魅力的なコミュってのに共通してる事は、初期の頃の創設時の面白さではないかと。そしてそれは異様なほどアツイ。まぁ、有志が集まって、同じ方向向いてあーだこーだと模索しながら、一歩一歩一緒に成長していくから、濃い関係が出来上がるし、お互いが分かり合えてる。時に衝突しても、お互い未熟で未開であるから間違っても許されるし、譲歩もできるのでとんでもないことでも起きない限りは決裂せずに、コミュが盛り上がっていく。しかし、あるときから崩れる。それが数なのか、時間なのか、人間関係なのかは、様々だけど…

 で、別にオレはコミュが大きくなることがいいとは思わないんだけど、それが面白い場合には、ある一定数を超えると勝手に増えてくるんだよね。で、秩序を保つために、リーダーが出来る(まぁ、内輪内でリーダー的存在はいるわけだけど、初期の場合は同志な立場のが強いだろうからなぁ)。そこから、だんだん派閥が出来て、統制が取れなくなり、コミュ崩壊または分裂という方向になる。で、

「最初の頃は、あんなに楽しかったのに、どこでどう間違っちゃったんだろう?」
「なんで、こんなふうになっちゃうの?目指してたものは、こんなこととは違うはずだったのに」

って結果になるのですが。

 まぁ、最初は勢いがよくて、そのうちピークを向かえ、後は腐っていくってのは、よくよく考えてみれば自然の摂理に従ってるのかもしれないけれどね。

 だから、結局は、そういった初期の面白さみたいな時ってのは、いつまでも続かないでいつか崩壊するしかないのかな?って思うとちと切ないですわな。そして別に大きくならなくてもいいし、それ程発展もしなくてもいいから、いつまでも良好な面白いコミュであり続けることって出来ないのかなぁ?ってね。でも、結局そーなってもマンネリ化して、やっぱり腐っていくのかなぁ。

 あ、やっぱり返事になってないや。

[TB:あんたジャージでどこ行くの: 情報化は理想郷を築くのか。]

一行でもコメントのレス強要はよくないと思います

2006å¹´05月04æ—¥ | Weblog
■heartbreaking.:一行でもイイからコメントレスしろと言っているではないか。
「コメントしたら、レスが付くだろう」という一般的共通認識の方を重視するのが正しい選択ではないでしょうか。
 それが一般共通認識であるとは思いませんし、正しいか正しくないかは、読者及び第三者がそのブログを見て判断すればいいのではないでしょうか?だからオレは、そもそもコメントのレスを貰える前提でコメントを書き込むべきではないと考えてるし、レスはご褒美程度に考える方がいいと書いたのですが。むしろ、レスをするのが一般共通認識となってしまうことのほうが、危険だと思います。
レスする・しない、の判断基準も実にあやふやですから、的確な反論コメントがスルーされてしまう可能性が高いです。
 的確な反論コメントがスルーされて困るのは誰ですか?その反論にレスが無ければ、不利なのはブログ主ですよね。つまり、ブログ主がその自己責任を負ってコメントにレスをしていないだけでは?
嫌いなら嫌いと言えばイイ。それを言わないのは何故でしょうか。
 「読者への感謝の念」があれば、「嫌い」とは言いにくいと思いますが。
気軽にブログをやりたいってのも我がままな考えですよね。
 コメントには、レスして欲しいってのも我がままな考えだと思いますよ。

 一呼吸置きたいというのは、脊髄反射的なレスをして、自分の本意ではない表現で書いてしまったと後で気が付いた場合に、相手に誤解を与えてしまうといけないという配慮が前提だと思います。
コメントする側が付けたクレームを踏み潰すカタチで、新たにUPされたululunさんの完璧なる反撃記事を、コメントした側は、モロに食らうハメになるのですよ。また新たな記事にコメント入れたら、また新しい記事で反撃される。イタチゴッコですね。
 クレームに対して真摯に時間を掛けて考察し、自分の意見を述べる方が、安易に「売り言葉に買い言葉」的なコメントレスをするよりは、よほど相手のことを考えていると思いますが。それを反撃記事と考えてしまうあたりが、違うんじゃないかと。もしそうだったとしても、それだったら、最初から反撃されないような完璧なクレームコメントを入れればいいのですし。時間はたっぷりあるんじゃないですか?記事を消されてないで、そこにある限りは。
起点となる記事のコメント内で決着付けとけば話は早いのに、ソレをしないのは何故でしょうか。
 長文コメントになった場合は、嫌われる傾向にあり、度が過ぎればマナー違反だと言われる場合もあります。他のコメンテーターにも、その記事に対するコメントの場を与え、より多くの人の参加ができるようにと言う配慮から、長文で自分の論をするなら、記事にしてトラックバックする方が、スマートなやり方というのがブログでは見受けられます。
[参考]・ARTIFACT@ハテナ系 - タチが悪い長文コメント常連

 参考の記事の例は、記事とは関係のない、もしくは関連性の薄い、嫌がらせに近い長文コメントでの事例ですが、オレも長文なら記事にしてトラックバック(あればですが)したほうが、いいという考えです。
「レスは相手に対してと、読者に対しての両面を考慮して書く」についても、気にする必要は無いのですよ。貴方がおっしゃる通り、一対一の交流の場を素直に楽しめば良いのです。変に気負う必要は有りません。
 コメントのレスと言えども、記事同等の配慮が必要と思いますので、相手がある場合は、より慎重に対応したいと考えるのではないでしょうか。そうなると、記事コメントが多数入った場合や、レスに窮するコメントの場合は、時間が掛かってしまい、自分の返したいレスを思いつかない。または返せないというのは、仕方ないと思います。これはゆがんだはしごさんとの、考え方の違いですから、どうしようも無いと思います。

 読む立場と書く立場は一対一ですが、記事コメントの場合、書く立場と書き込む立場は一対多になります。全ての人に一対一で接するのが理想ですが、多数から質問攻めにあったり多くのコメントが入れば、全てに対応するのは書く側の負担が大きくなります。その事は、多数側が配慮すべきではないでしょうか?ゆえにコメントのレスを強要すべきではないのです。
コメントするのは、レスが欲しいからですよ。
 欲しいからと言って、欲しがるのもどうかと思うし、もらえて当然という考えもいかがかと思います。少なくとも、オレは欲しいけど、してもらえなくても仕方ないし、削除されることもあることを前提でコメントしますけどね。実際、時間を掛けて文章を練ったコメントでも削除された事もあります。しかし、それは残念ですが仕方のないことだと思っていますけど。
いただいたコメントにレスもせずに、一方通行のラブレター状態にして、サイドメニューに晒し首状態にしたままで、何も感じないのは、己のブログを読んでいただいている読者に対する感謝の気持ちが余りにも欠けている行為であると言えますね。
 ゆがんだはしごさんが仰ってる「嫌いだ」と言うコメントをして、それを晒し続ける方が厳しいと思います。それなら放置する方が、配慮してると思いますよ。それに、そのコメンテーターが嫌いなのではなく、そのコメント自体が、レスに窮するものだけかもしれませんし。
貴方達は
 これはオレの見解なので、達は不適切だと思います。だれもオレのこの見解に明確に全て同意を示したブロガーはいないですから、今のところ。
読んで欲しいと自分の主張は垂れ流すが、それを読んで下さる読者の意見は切り捨てても良心は痛まない。何故ならば、俺様の限られた時間を、読者の為に裂く時間など無駄であるからだ。という意思の表明ですよね。
 いや、苦渋の選択をしなければいけない書き手の気持ちをおもんばかる事が、コメンテーター、及び読者には大切ではないでしょうかと、言ってるのであって、決して読者の為に割く時間が無駄であるとは考えていませんよ。
そんな綺麗事で、自分の存在を認められない虚しさに蓋をしたまま、管理人の事を愛し続ける事が出来るでしょうか?
 別に無理して愛し続ける事も無いんじゃないですか?恋人同士と言うわけでもないでしょうし、「愛してる」といったら「愛してる」と返さないといけない濃い関係ではないでしょう。自分の存在が認められないなら認められるよう努力されてはいかかでしょうか?
一人のコメンテーターも大事に出来ないような管理人が、どうして、大勢の読者の心を掴む事が出来るのでしょうか?
 現実、それでも大勢の読者の心を掴む事が出来ているブロガーは多数いますよ。それは、もしかすると多数側として配慮できる読者が多いからかもしれませんね。
虫一匹くらい殺しても構わないと
 コメントレスをしてもらえなかったらからといって死んでしまうような事では、世間を生きてはいけませんよ。それこそ恋人であったなら別かもしれませんが。むしろ、コメンテーターを虫と喩えてしまうあたりが、コメンテーターを低く見ているように感じます。
まさに -「斬(ざん)」ですね。
 ありがとうございます。最大の褒め言葉と解釈します。そうです、このブログのコンセプトは「斬る」事ですから、斬りますよ。斬り方は都度違いますけどね。

 後、考えなくてはならないのは、コメントが多数入って、レスをしなければいけないと思うが為に、そのプレッシャーでブログ閉鎖という最悪の事態に向かう原因にもなる可能性がありえるという事。もしそうなったとしたら、レスを望む事が果たして良い事か悪い事か。そーゆー事も考慮しないといけないのではないでしょうか?熱心な読者であるコメンテーターが、ブログを閉鎖に追い込んだとしたらそれは本末転倒でしょう。他の ROM してる熱心な読者にどう言い訳するの?

 最後に、誤解の無いよう書きますが、オレは別にコメントにレスをしないのが良いといってるのでは、決してありません。レスは極力したいし、出来れば全てにレスを付けたいと考える方です。でも、それを強要するのは、間違ってると思うし、レス出来ないことで受けるブログ主のイメージダウンはブログ主本人に返ってくるのだから、それでいいのではないかという事です。


[関連]
・『斬(ざん)』:コメントレスを強要するのはやめようよ
・ekken♂:一行コメントレスならば、むしろいらない
・明日は明日の風が吹く - コメントレスを強要するのはやめようよ(from 『斬(ざん)』)
・はてなブックマーク - heartbreaking.:一行でもイイからコメントレスしろと言っているではないか。
・はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:コメントレスを強要するのはやめようよ
・はてなブックマーク - ekken♂:一行コメントレスならば、むしろいらない


[TB:heartbreaking.:一行でもイイからコメントレスしろと言っているではないか。]

コメントレスを強要するのはやめようよ

2006å¹´05月03æ—¥ | Weblog
■heartbreaking.:コメントに返事を書かない理由

 あのさー、要するに、コメントレスに対する義務感が生じると、ブログ運営自体が面白くなくなる場合もあるってことじゃないかな?
 コメントは確かにありがたいし極力レスをしたい気持ちってのはあると思う。でもさー、コメント欄の脊髄反射って諸刃の剣の部分もあって、結構レスをどう書いたほうがいいかってことで時間をとってしまう場合も多いんじゃないかな。

 コメント欄もパブリックなのだから
自分は割と何も考えないでエントリーを書く人間なので、余計にそうなのですが「一呼吸置く」事をしないでコメント欄で論議を展開するのが良い事だとは思っていません。
煩悩是道場 - 私がコメントに返事を書かない理由
と述べられているように慎重に時間をかけたいという気持ちも分ります。

 あと、「レスをしなくちゃ」とか「新記事上げる前にはレスつけないと」みたいな妙なプレッシャーってのもあると思うし、そこから解放されたいってのは、あるんじゃないか?もっと気楽にブログをやりたいってことで考えると、全てにレスしようって決めるのは、ストイックな義務感を生むだけだと思うけどな。レスって、“相手に対して”と“読者に対して”の両面を考慮して書くわけですから、より難しいんですよ。
コメントレスしない有名ブロガーは、レスの内容に、完璧さを求めすぎているのだと思います。自分の醜態を見せたくないだけです。

醜態を見せないで、記事の優秀さのまま、完璧な自分を維持出来るだけのレスをするには、かなりの時間を要するのかもしれません。完璧主義者という事になります。
heartbreaking.:コメントに返事を書かない理由
ってのも、無いとは言えないかもしれないけど、レスを強要するコメンテーターってのも、完璧主義者なんじゃない?それと全レスしようってのも、ある意味完璧主義者。じゃー、どの完璧主義者が一番いいかって話だと、どれでも一緒なんじゃない?そんなのはブログ主のスタンスの範疇って思うけどな。だから、結局、自分のやりやすい方法を取るだけでしょ?限られた時間の中で、何を選択して何を切り捨てるか。

「一人のコメンテーターへのレスと多くの読者」

どちらを取るかってのとは、ちと違うかもだけど、その一人のコメンテーターだって、次の記事を待ってる場合もある。オレがコメンテーターの立場なら、オレ一人のコメントレスのために、読者を待たせているとしたら、そんなの考えなくていいから、新記事上げる作業の方に集中して欲しいって思うけどな。

 スタンスの違いかもしれないけど、記事コメントって、そのブログ記事の一部分であって、やっぱそれはブログ主の管理下にあるんだから、コメント書く人は、基本的に消されてもいいという気持ちで書き込むのが必要だと思うけどな。それと、レスを求めない姿勢ってのも要るんじゃないか?心情としてレスしてるコメントとしないコメントがある場合に、レスしてもらえなければ凹む気持ちは分るけど。それは自分のコメントが相手に響かなかった駄コメントだったということで、今度はレスをもらえるコメントを書こうってポジティブに考えればいい。それでもレスしてもらえなければ、ホントに嫌われてるかもしれないから、迷惑になっているのだからコメントしない方向で。粘着しても酷くなるだけだし。

 根本的に、記事が無ければコメントは出来ない。コメントできるのは記事があるからってことを考えれば、もっと謙虚に

「この記事に自分がコメントできるうれしさ」

を意識しませんか?そうすれば、レスは記事書いた人からのご褒美でしょ。

「僕にもご褒美頂戴!頂戴!」

って、だだをこねるのはやめようよ。


[参考]
・ekken♂:コメント欄だけがコミュニケーション手段じゃないんです
・+LOVE IS DESIGN+: 返事がないのもひとつの返事

※馴れ馴れしい文体はお許しください。長文のため読みやすさを考慮致しました。

[TB:heartbreaking.:コメントに返事を書かない理由]

追記
・参考に一記事追加

カテゴリ別のソーシャルブックマークは成り立つのか

2005å¹´09月07æ—¥ | Weblog
カテゴリ別のソーシャルブックマークは成り立つのか

以前、『記事が取り上げられやすい3つの要素』の中で
もっと読ませる記事に注目を集めるツールやサービスができないか。
と書いたのですが、そのヒントになりそうな面白い記事を見つけたのでご紹介。
uji-oniさんの『-ふーさまの個室2-:もうすぐ始動』の記事の中では
ワタシが発展をみせてもらいたいと思っているのが例えばFPNのような、あるカテゴリについての積極思考層の人々のエントリで成り立つブログコミュニティなんです。ここで無印吉澤さんの言葉を引用すると、SBMは、「Folksonomy(みんなで分類)」と「Search(検索)」という二つの機能に分類できるわけですが、ワタシの勧めているのはまさにこの機能の分離です。
Folksonomyをコミュニティで記事を投下する側、Searchはみんなが使える機能、として。
(中略)
コミュニティに属するブロガーにランキング制を設ける。
トラバやコメント数など何らかの形でそのブログへの支持率やどれだけ注目を集めたかなどを指標にして、そのコミュニティ内でSBMのFolksonomy側にまわるブロガーを決めて差別化するんです。質を評価された人間のモノがどんどん参考にされてゆく。

とあり、オレはそこのコメントにも書きましたが、
カテゴリ別のSBMをすれば、各カテゴリでの質の高い記事の集積が出来、それを検索する。そして、質の高い記事を書く(コメント、TBも参考にして)ブロガーをランク付けすることにより、より質の高い検索が出来る
というシステムだと理解しました。
この発想はとても面白く各カテゴリでそれぞれ質の高いブロガーとクリッパーがいれば必然的に効率よくそのカテゴリの有益情報を入手(検索)できる。

これは、はてなブックマークに代表される人力による「Folksonomy(みんなで分類)」を、さらにカテゴリ別に細分化することでより掘り下げることができるということになるのですが、このアイディアにはまだ問題があります。それは、ユーザー側の問題になると思いますが、はてなブックマークの場合は、“ある種の文化を共有する人たち(=early adopterたち)”がいて、
「Folksonomy機能のユーザとSearch機能のユーザがほとんど一体である」ということが言える

今日の井原 - はてなブックマークをベースにして検索エンジンを作ったら万人向けにはならないよねより

だといえますが、カテゴリ別(またはコミュニティ別)で考えた場合に Folksonomy するユーザーが少ない場合が多いと考えられます。

これは『不倒城: 「ブログブーム」の特殊性』で書かれた
書く人が増えているのが事実だとして、読む人もそれに見合うペースで増えているかというと、どうもそう上手くは行っていない様に思えるのである。ブログの認知度自体は上がっている筈なのだが、読者数が書き手の増加に追いついていない。情報媒体としては実に実に微妙な状態である。メディアというのは「右から左に情報を回す」というのがその役目である筈なのに、全体としてそれが上手くいっていない。
ということからも分かるように(オレもこの意見には同意です)、読者が少ないカテゴリにおいては、必要とする情報集めの検索の質は、人力の Folksonomy するユーザーにかかっているのですから、読者不足による Folksonomy の慢性的不足により、結果魅力的な検索サービスには、なりえない可能性があります。
もしソーシャルブックマークをベースにした検索システムなるものが作られるとして、それは「Folksonomy機能のユーザとSearch機能のユーザが一緒である」限りにおいて面白くて魅力的なものでありうると思います。

今日の井原 - はてなブックマークをベースにして検索エンジンを作ったら万人向けにはならないよねより
に、オレも同感です。だからコミュニティまたはカテゴリ別の SBS と検索の組み合わせは面白くなると思います。

もし、これら人力の Folksonomy 不足の問題を検索数、ブックマーク数、検索単語、投稿時間など多項目にわたって統計をとり、選別されるシステムでフォローされれば質の高い検索サービスになりえるといえるのではないだろうか。それが、 Web2.0 の課題の1つのように思います。


[関連]
・今日の井原 - はてなブックマークをベースにして検索エンジンを作ったら万人向けにはならないよね
・無印吉澤 - 「良質なコミュニティ」によるソーシャルブックマークの狭さ
・-ふーさまの個室2-:blogコミュニティの可能性

[参考]
・伊藤直也の「アルファギークのブックマーク」

[TB:-ふーさまの個室2-:もうすぐ始動]
[TB:今日の井原 - はてなブックマークをベースにして検索エンジンを作ったら万人向けにはならないよね]

「はてなブックマーク利用心得十箇条」の反響

2005å¹´08月31æ—¥ | Weblog
恒例になりました、はてなブックマーク( 以下はてブ )で多くのブックマークを頂いたときにする反応、反響についての考察、感想です。
[参照」『「ホントにそれブックマークしたいのかなぁ~」への反応集』
反響のあった記事は、タイトルにもあるように『はてなブックマーク利用心得十箇条』です。

最近オレも はてブ をはじめました。正直やる前と後では全然考え方が違いますね。今は、あの記事を読み返すと、とーっても恥ずかしいような気がしますし、何でこんなに反響があったんだろうか?と戸惑いも隠せません。

それではぼちぼちと。
まずは、こちら(はてなブックマーク - 『斬(ざん)』:はてなブックマーク利用心得十箇条)と一緒にご覧になるとより分かると思います。

【勝手にコメントレス】
ikurumi 『[SBM][はてな]』
・1ゲットありがとうございます。最近ikurumiさんの SBM も注目してますよ。


kanimaster 『[はてな][SBM] 気楽に行きましょう。』
・うぃ、了解です。肩に力入りすぎですね。アドバイスありがとうです。


finalvent 『11. はてなネタやブックマークネタをブックマークしないこと。』
・って、自分が既にココでしてるじゃないですかっ!! ほんまオモロイですわ。


yukatti 『[bookmark][web][social]「1. コメントするためにブックマークしないこと」「2. 馬鹿を笑うためにブックマークしないこと」etc』
・自分ブックマーク用の使い方ですかね。引用しておくと後で見つけやすいですよね。


fellows 『[はてな][web]1.ブックマークすることに制約をつけない。(以上)』
・ 使い始めると、その気持ちも分かりますね。でもネット暦の浅いユーザーだと危険かと。


rAdio 『[Web][SBS]ブックマークは自分のための物。「ソーシャル」部分はおまけ。"俺の"ブックマークだから好きなようにやる。』
・実はそのおまけが曲者なんですよね。もちろん好きなようにやるのが一番ですね。オレも好きなように十箇条とか作ってるわけですから。


shiumachi 『[sbm]1289は常に。6はあんまし考えてない。5710は気にしたこともない。34はよくわからん。未来の自分のために。』
・詳しい使用感をありがとうございます。「未来の自分のために。」という使い方は素晴らしいですね。オレもそうしたいと思ってます。


soylent_green 『[はてな][sbm]あらかた反してる。それが私の利用法。』
・それもアリなんでしょうね。


wacky 『[はてな][B][笑]ブックマークされる側からの要求一覧? まぁ、細かいことは気にせずブックマークするのが一番。』
・される側の考えも入ってますね。オレとしてはこれから使うということで考えたんですが。確かに「細かいことは気にせずブックマークする」ほうが、いいのかもしれませんね。利用者からの、貴重なご意見ありがとうございます。ただコメントの使い方が難しいんですよね。パブリックの場合は。


crowdeer 『[斬][HatenaBookmark]自分を縛って楽しみを半減させるよりも、流れに乗る事が大事な事もある。』
・何と![斬]なんてタグを作られるとは。嬉し恥ずかしです。縛るというよりも、方向性を決めていくって感じです。そのためには整理してからはじめたほうが決めやすいかなと。流れに乗るのも大事だけど危険性もあると思いますからね。


oya03 『[memo]ブックマーク200を記念して自戒』
・200記念に選んで頂きありがとうございます。オレの記事で何か思ってくれれば嬉しいです。


catfrog 『これはこのかたの十か条だよね。別に縛られる必要はない。好きに使えばいいんじゃないのぉー。』
・そうです。オレ用です。それをオレと同じように、はてブ をはじめる人向けに、十箇条とかを作ってみては? ということです。記事はちと誤読を招く表現になってますね。でもそこが突っ込みどころになって、かえって良かったのかもしれません。「好きに使えばいい」は、使ってみるとよくわかりますね。ホント個人で好きなようにって感じです。上にも書いてますが、方向性を決める手段の1つと考えてます。


a666666 『[感想][blog]矛盾してね?>1.コメントするためにブックマする vs 4.記事にコメントすることをまず考える』
・別記事でも書いてる、または、書きますが(どっちが記事上げ先になるか分からないので曖昧表記です) 、簡単に言うとはてブのコメントと記事へのコメントでは少し扱い方が異なるってことがあります。いわば、書き捨てな感じと関わっていく感じの距離感の違いですね。それで、はてブ のほうが書きやすいので、記事コメントが減ることもあるってことですから。なので、ブロガーとしては記事コメントも欲しいなぁ~と。


summercontrail 『[日本教][social][hatena]対等な議論望まない人が使うことも多い/私の姿勢は上部に明記/?Bのコメント間の対話は窮屈なので避けてる』
・個人メモとして使うと、コメント欄って使い方が観られる使い方と若干ニュアンス変わりますよね。はてなブックマーク - 浮雲の上部に記載している中で「クリップ先の記事についてコメントを書く際、基本的に既存の(他のかたの)コメントには目を通さずに書いていますのでその旨ご了承ください。」って、但し書き書く気持ち、よくわかります。その手の事書いた記事、今推敲中です。


lovelovedog 『「埋もれてるいい記事を紹介する気持ちを忘れないこと」俺にはこれが一番大事かも。』
・愛・蔵太さんの はてブ のクリップは独特で個性的ですよね。方向性がしっかりしていて見習いたいことも多いです。オレも“埋もれてるいい記事を紹介する気持ち”というのが、はてブ する理由の中で比重がとても高いです。

いつもUser数の多い記事はあまりクリップされないのに、クリップ頂けて光栄です。


mutronix 『[sbm]自分のためとか言いつつみんなタグがおとなしいと思う。』
・視点が鋭いですね。実はオレも使ってみてタグの使い方って難しいな、ってか どう使っていいか戸惑ってます。はてブ ネタの1つで「タグの上手い使い方」って記事が上手く書ければヒット間違いなしでしょうね。今それはネタとして暖めてるトコです。って、あっ、ココで書いたら先に書かれちゃうなー、はははっ



記事冒頭にも書きましたが、はてブ をはじめてみると、この 十箇条 とは全然違った使い方をしそうですし、実際違います。

『北の大地から送る物欲日記 - はてなブックマーク利用心得十箇条を記す』で
1. 気になる記事(エントリ)をブックマーク。
2. 自分が賛成する記事だけでなく、反対な記事でも興味がある話題ならブックマーク。
3. ブックマークするだけでも十分、コメントはおまけ。
4. 過去の記事でもかまわずブックマーク。
5. 見出しやコメントだけを読んでブックマークしない。
6. すでに多くのタグが付けられている時はそれを参考にする。
7. 気の利いたコメントをつけることにはまりすぎない。
8. コメントは50文字まで、誤解を招く表現には気をつける。
9. タグはなるべく付ける。
10.記事を読むのが目的、ブックマークはツールであることを忘れない。
は、ヘビーユーザーである hejihogu さんが、とても実感のある十箇条を書かれていて、その一つ一つに対する詳しい説明もたいへんよくわかります。流石です。オレも暫く使った後に、また見直して改めて十箇条を書いてみようと思いました。

必要以上に「みんなのために」を意識する必要はないと思うけど、ほんのちょっと意識するだけで幸せになれるのなら意識することのメリットになりうるでしょう。
にも、たいへん共感します。



また、言及頂いた『月と太陽のおもいで:[Diary]はてなブックマークをどのように使うか 』
では、
これは、作者の方自身の十箇条であって、「これは違うんじゃないか」という反論は、無意味です。
には、おぉ~、よくオレの言いたかったことを理解頂けてると感じました。よかった。

最近思うのは「6」って重要だよなあということで、でも得てして「6」のブックマークは、複数のブックマークがつかずに消えていくことになります。そうすると、なかなか情報のシェアの方向には進まないよなーとか思います。
・この点は、オレも感じてます。マニアックな記事でもイイ記事はありますよね。マニアにとってのマニアックなイイ記事が見つけやすいってのにも必要性を感じます。


以上が今回の主な反響です。その他ブックマーク頂いた方々、多数のご意見、ブックマークやトラックバック等でのリアクションに心から感謝いたします。ありがとうございます。


[派生と思わしき記事]
・他人の不幸は蜜の味: 「書くのが好きな人」のブログの落とし穴
・むだづかいにっき♂:ブログで不快にならない為の九つの「~ない」
・むだづかいにっき♂:コメントを多く貰う為の九箇条

[番外]
・★てれびまにあ。<tvmania>:★書籍版「眞鍋かをりのココだけの話」を読む
 眞鍋さんも、十箇条ネタですか? ← 書籍化だとあっちのが原稿は先だよ。
 ちなみに、オレ関係者じゃないから(笑) 
ってか、眞鍋さん折角ですから十箇条を記事にしてTB下さい(爆)

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