『斬(ざん)』

移転しました。
移転先:http://souryuusei.blog61.fc2.com/

■2007年4月アーカイブ

2007å¹´04月30æ—¥ | ç›®æ¬¡
■2007年4月アーカイブ

2007年3月← / →2007年5月

★☆☆☆☆ 休眠中です 2007.04.10
★★☆☆☆ 無期限休眠する理由を考える 2007.04.10
★★★★☆ はてブがフローからストックに変わる方法 2007.04.09
★★★☆☆ 知るも地獄知らぬも地獄なんだろうか? 2007.04.08
★★★☆☆ アクセス煩悩からの解脱 2007.04.07
★★★★☆ 一般人の声は大衆まで届かない 2007.04.06

★★☆☆☆ スルー力をつけるたったひとつのおまじない 2007.04.05
★★★☆☆ ブログ記事の価値について考える2007.04.04
★★★☆☆ 生きてるうちが花だよね? 2007.04.03
★★★☆☆ アクセス数って基準が曖昧だよね 2007.04.02
★☆☆☆☆ このブログは4月10日をもって、無期限休眠に入ります 2007.04.01




[参考] オレの記事おすすめ度を5段階にしました。

★☆☆☆☆ …たまにツボにハマルかも。
★★☆☆☆ …マニアックにはウケるよ。
★★★☆☆ …おすすめ!
★★★★☆ …超おすすめ!!
★★★★★ …まずは読んで見て!!

無期限休眠する理由を考える

2007å¹´04月10æ—¥ | ãã®ä»–
 実のところ、『このブログは4月10日をもって、無期限休眠に入ります』の記事は、4月1日その日に書いて、その日に上げたモノなんです。その日にこの手の記事を上げようと決めていましたが、内容については気分でどうするか決めようと思っていました。

 まぁ、4月10日で何がしかの区切りをつけようと思ってたってのは、その記事で書いたとおりなのですが、結局、“閉鎖”する踏ん切りまでは付かなかった。

 それでも、4月1日にそう思ってたら閉鎖もあったんでしょうけどね。ただ、たとえ閉鎖したとしても、ログは公開したままだとは思いますけどね。

 では、なぜ踏ん切りがつかなかったのか、その理由を考えてみる。

・「継続は力なり」なので、続けないと見えてこないことってのがあると思うと閉鎖ってのは、厳しいかなと。
・とりあえず、このブログでやりたかったことはほぼやったが、まだ物足りない何かがある気がする。
・それは、ブログがストックになるときが他の要因で訪れるかもしれない、という儚い期待感。
・goo ブログスタッフをいじれなくなる。
・この環境は、休眠しても残しておきたい(交流先との繋がりのポイントとして)。
・また、気が変わって、たとえば何年か後にやりたくなったときに場所が無いのは不便だから(まぁ、goo ではしないかもだけど、移転案内はできるし)。

かな。

 そして、本題の無期限休眠する理由なのですが、

・ブログがストックではなく、フローなら続けてる意味があまりない。
・ネット(ブログ)ジャンキーからの脱出には、『斬(ざん)』を閉めるしかないかなと。
・goo ブログスタッフの対応やこそこそやる態度が、、ほとほと嫌になった。
・ならば、他でやろうかとも思ったけど、それならまったく別のコンセプトでやったほうがいいかもと思った。
・しかし、souryuusei を一度、この機会に閉めてもいいかな、ってのもあった。
・閉鎖するには、準備が悪かった。九十九式のような、きれいな閉め方が出来るようならそうしてたかも。
・でも、そうできなかったので休眠を選択。
・バーチャルの環境が狭まってきて、居心地の悪さが増してきた。
・ブログの交流先等による人脈によってフラットさが無くなった事に対するジレンマ(これもリアルに近づいてる居心地の悪さにつながる)
・アウトプットに対するインプットの時間対効果が悪い。
・アウトプットにも時間をかけ過ぎる。→別のことをする時間が欲しい

 とまぁ、どれも決定打と成り得るものじゃないんだけど、複合的な要素が絡まった結果ですね。

 一度、ちゃんと止めて立ち止まる。

 今までは、ブログを進めていくことを前提で、今後どうするかを決めるために立ち止まっていました。今回は、一度ちゃんと止めて、それでどうするかを決めようと思います。

 その答えがいつになるかは分からないけどね。

 とりあえず、ボクシングの元世界チャンプで、敗れた後再起するか答えをなかなか出さなくて、忘れた頃に引退発表して「まだ、現役やったんかい!」ってのと同じになるのは止めておきたいかなと。

 それでは、その答えがでるまでごきげんよう。

 おやすみなさい。

はてブがフローからストックに変わる方法

2007å¹´04月09æ—¥ | ãƒ–ログの話
 『どれだけいいリンク集を作っても元記事が消えてしまっては元も子もない』では、
 そう考えると、SBM(ソーシャルブックマーク) なんてフローとしての価値しかないってことになるね。キャッシュとか『ウェブ魚拓』みたいなもので、消えない状態に保存してからリンク集を作らないといけないのかなぁー
『斬(ざん)』:どれだけいいリンク集を作っても元記事が消えてしまっては元も子もない
 と、はてなブックマーク(以下:はてブ)などの SBS (ソーシャルブックマークサービス)はフローでしかない、と結論ずけたのですが、フローがストックになりそうなアイディアが浮かんできたので書いてみる。

 ウェブ魚拓や google などのキャッシュの保存というのは、著作権上、転載にあたる可能性があり、まだグレーな部分も多いです( google はその手の訴訟で負け続けてるというような記事をどっかで読んだことがある←調べたら勝っていると書かれてる記事もいくつかありました)。はてブなどがキャッシュを取らないのも、そのあたりのリスクを見ているのかもしれません。もちろん、全ての記事のキャッシュを取っていたら、それはそれでデータ量が膨大になるのでサーバーを増やしたり、トラフィックをよくするためにシステムを整えたりと、それらにかかるコスト面も考慮してるとは思いますが。

 それで、キャッシュが著作権上グレーではなくシロになる方法というのは無いだろうかと考えた場合に、不特定多数に閲覧されない、つまり、公開されてさえいなければ、転載にはあたらないだろうという事に気が付く。ならば、認証制にするとか、許可制にするとかあるんだけど、各キャッシュに対して個別にそれぞれ認証を設けるのは面倒だし、利便性も悪い。かといって認証された場合には、どのキャッシュでも閲覧できるとしてしまうと、今度は規模が大きくなった場合に、ほぼ公開と等しい状態になるので意味が無い( mixi の認証制が事実上ほぼ破綻してるのと同じ)。そこで、個別に対応するにはメールしかないのでは?と思ったのです。

 これなら、公開にはあたらないし、個々でのやり取りなので問題がありません。キャッシュが見たい人は、メールアドレスを打ち込む(または事前に登録しておくなどすれば楽になる)ことによって該当記事のキャッシュをメールで送付してもらいます。その仕組みをシステムとして自動送信できればいいのではないかと。

 はてブで言えば、id 登録とメールアドレスの組み合わせを作り同期させる。そして、はてブの User 数一覧ページの上部枠内に、“メールにキャッシュを送付”欄(仮)を設ける。はてなユーザーなら誰でも、そこをクリックすればキャッシュが登録してあるメールに送付される。そうすれば、たとえ元記事が消えてしまったとしても、その内容を読むことが出来る(何が書かれていたか分かる)。

 あと、キャッシュの取得時間が問題となりますが、最初にブックマークされたときを原則として消せないようにする。後は任意でキャッシュしたいときをユーザーがしたいときに出来るように設定する。そして、表示する場合にはキャッシュされた時間を入れて時系列順に一覧表示させれば、元記事が書き替えられた場合などの証拠も残せます。

 ほとんどの記事は、キャッシュを読むなどの行為はしないと思いますが、何年か後には消えてしまう可能性が結構高いものですので、キャッシュが残っていて、見たい(読みたい)と思った記事が個別に読めるようになっていさえいればありがたいと思います。

 これで、リンク集としてのストックとしての役割はなんとかなりそうですが、「欲しいと思った情報を早く見つけられる」ための検索精度やインデックスデータベースとしては、まだまだグダグダなので、そっちについても何とかならないかと思う次第です。

 別にはてなじゃなくても、どっか他のサービスで作ってくれてもいいんだけどさ。

知るも地獄知らぬも地獄なんだろうか?

2007å¹´04月08æ—¥ | æ€ã„つき
※分る人だけ分かればいい記事なので、分りにくい点はご了承ください。

 うーん、なんというか、

・何も知らない。

と

・知ってしまった。

があって、知ってしまった。の中に

・知っているけど、知らない振りをする。
・知ってる上でさらに深く関わろうとする。
・知ってる上であきらめる。
・知ってしまったからやめる(去る)。
・知ってはいるが何もできない(動けない)。

ってのが、あるんだよな。

 で、何も知らないってのが、ある意味幸せで、もっとも不幸。

 つまり、ことが表面化しなければそのままでいられるが、あらわになった時点で、全てが利用されていただけだったと分る。これは、それでつらい。

 で、知ってしまったが、どうするかで多くの場合は、知らない振りなんだろうな。そして、ヤバくならないように、または、最小限のリスクで済むように心がけて行動する。

 で、深く関わろうというのは、まさに毒を食らわば皿までってやつで、いくトコまでいくしかないって考え。もちろん、それでもリスクが大きいことを知っているから退避方法もそれなりに考えている。しかし、まぁ、表面化したとき、どこまで表れるかの勝負で、運がよければ逃げ切れるけど場合によってはかなりヤバい。しかし、自分の要領の良さに賭けて旨みを味わおうってことなんだろうな。

 で、あきらめるのは、もうどうしようもないから、これ以上は関わらないようにするけど、それでも何かと関わらせられて逃げ切れない状況。

 で、やめるってのが、一大決意なわけで、それが出来ればやってるんだけど、ほとんどそれは難しいのが現実。知って直ぐでまだ動ける状態か、知らない振りができる状況でないと無理。

 で、何もできない(動けない)ってのが、あきらめるに近いけど、もう選択肢すら与えてもらえないような状況。もう気が付いたらどっぷり浸かっていて逃げることがもうできないし、スルーすることさえ許されない。一蓮托生でこれ以上関わりたくはないが深く関わってしまっているので、しがらみで動けず、なるようになると座して待つしかない。




 知らないでいられるうちは、「あいつは知らない」と知っているから重宝される。知ってる人にいいうように使われる。

 でも、知らない人もいずれは気が付く。そして、気が付いた後の行動を、知っている人は見ている。その結果で、知ったその人と、今後どう向き合うかを決める。

 知ってる人からすると、深く関わろうという人を重宝する。しかし、それは、知ってて知らない人を使っていた人からすると、同じ立場になるので、ライバルにもなる。

 知ってて知らない人を使っていた人にとっては、ライバルは少ないほうがいいから、知らない人がなかなか気が付かないようにする。そして、何も出来ない(動けない)状態まで知られないで居れば一丁あがり。そうなれば、知られたとしてもライバルではなく都合のいい使える知ってる人になる。

 知らない振りをする人は、何も出来ない状況にだけはならないよう、知ってる人との距離をとる。
 あきらめてる人は、あるときは加わるがあるときは避けるように心がける。そうして知ってる人との距離を測る。

 深く関わろうという人たちによって、多くは動いている。大きく方向を変えられるのも深く関わっていなければ出来ない。しかし、多くの場合は、変えることが叶わずライバルに負け、じっと耐えるのである。

 それが分っているから、知らない振りをするか、あきらめるか、最悪去るという選択を多くの人が選択する。

 知ってしまった後、いったいどの行動が一番正しく、賢く上手なんだろうか?どうすればいいのか未だによく分らないので、あきらめるに今いる。知らない振りは、知ってる人に気付かれてるから、そうするしか今のところ選択肢がない。

 たぶん、まだ知らない何かがあるに違いないのだが、それに気が付けないから、行動までいかない。その知らない何かが、どっぷり浸からないと見つけられない場合が、やっかいだ。そうでないことを祈るのみだ。

 だれか、どうすればいいか教えて欲しいのだよなぁー

アクセス煩悩からの解脱

2007å¹´04月07æ—¥ | ãƒ–ログの話
※注)この記事は2007年2月14日に書かれていますので、現在とは少し状況が異なります。あらかじめご承知の上お読みください。

 最近、更新頻度を計画的に落としているので、アクセス数もそれに伴い下降中です。まぁ、ちょこっとMっけを出して、落ちていく空しさを楽しもうかと自虐的な行動を取っています。これくらいしないと、ネットジャンキー脱出作戦はうまくいかないでしょうから、あえて痛みを与えているのですが、正直失敗した後のリバウンドを考えると怖い面もあったりします。

 で、今の目的の一つが、タイトルにあるようにアクセス煩悩からの解脱(げだつ)です。ブロガーたるもの、なんだかんだ言っても気になるのがアクセス数です。オレ自身もそれ程気にはしなくても、まったく気にならないことが無いのも事実。まぁ、以前のように踊らされることは無くなりましたが、無いよりあったほうが良い、というか程よいアクセス数というのが良いのです。

 ひそかに目標としてるのが、『BLUE_SKY_BLOG』(現在は移転統合されて『碧き流星』にて運営されています)です。この常に800~1500PV,300IP前後の安定したアクセス数に憧れていたりします。ちなみに、拙ブログは、個人ニュースサイトやはてなブックマークなどの影響によってかなり波があり、多いときは 1000IP 超えるときもあれば、少ないときは、100IP 台なのです。それでも昨年末辺りでコンスタントに記事を上げていたときは、平均 250IP ほどで、PV はその約倍くらいなのですが、このあたりが梅田さんの指摘していた
 そんなこんなを色々と考えあわせると、500-3,000PV/日あたりが、Blogを書いていて、けっこう楽しいいいゾーンなんじゃないかな、と思ったりする。そのくらいだと、読みたいと意図して訪ねてくれる人がほとんどで、それ以上になると、背景を知らずに何かの拍子に飛び込んでくる感じの人が増えてくる。
My Life Between Silicon Valley and Japan - ブログのPage Viewについて
 で、拙ブログも実は、その辺りを意識して運営しています。

 ただ拙ブログは、さらに更新頻度を落として、それを維持させたいと思っているのです。しかし更新頻度とアクセス数はどうしても、切っても切れない関係のようで、SEO 対策や良記事を出していかないと、この目標は非常に高いものであると言えるのです。

 それで、現状を考慮すると更新頻度とアクセス数のどちらかを切り捨てないといけなくなります。目的が、飽くまでもネットジャンキーからの脱出にあるので、質の高い記事を書こうとすることは、そこから抜けられなく可能性が高くなります。なのでアクセス数が低くなっても絶えられるようになることが、必要になってきます。

 以前、『趣味のWebデザイン』の徳保さんが、
 身の程を知ることは、絶望の入り口ではなくて、希望の原点だと思います。当サイトは宝くじに当って人気が出たようなもので、最初の機会が与えられなかったらずっと零細サイトだったと思う。そういうことを、毎年きちんと確認しておくことは、もはや自分にとっては欠かせない儀式となっていますね。

 自分が日記を書くために必要な最低限の読者数が、どれほど少ないか。日記を書き続けるためには1ヶ月50ページビューで足りる、これはすごい発見でした。最初の1週間だけだったのです、「こんなところで書き続けるのはしんどいな」と感じたのは。(もちろん個人差はあるでしょう)

 読者が減ることを極端に恐れている人、時々いますよね。私もそういう時期があったのです。そんな人にはぜひ一度、リハビリに挑戦することを勧めたい。1ヶ月50PVまで読者が減っても自分は大丈夫、その体験が、心の重石を取り去ってくれるはずです。
趣味のWebデザイン:人気ブログ病のリハビリ:気楽に更新できる精神環境作り
 と述べられていて、非常に共感したのを思い出しました。拙ブログの人気云々については別としても、自分から見れば、かなり出来すぎているブログになっている。宝くじに当たったってのも、共感する部分で、交流先やブログ黎明期だったなど運に恵まれたことが大きかったといえます。

 以前、競馬ブームだった時かなんかに、とんねるずのノリさんが、

「100円でも、1万円でもドキドキは一緒」

とかなんとか、そんなようなことを番組内で言ってたのですが、競馬で100円賭けても1万円賭けても、live のドキドキ感に変わりは無いってことで、ギャンブルの格言の一つらしいです。

 これを、アクセス数に当てはめてみればいいのかもしれません。一日100PV でも 10,000PV でもドキドキは一緒だと。確かに数が多ければ嬉しいけど、欲望に際限は無く、最初 100PV 達成で得た喜びも、いずれは満足できなくなり、それが 500PV、1,000PV、10,000PV となり、きりがありません。だから、1ヶ月 50PV で大丈夫な自分作りをしたいと思いますね。
 ただ、問題なのは、草稿中の記事が増えて過ぎて困るんだよねぇー
[関連]
・斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」:個人ブログの快適ゾーン


[TB:My Life Between Silicon Valley and Japan - ブログのPage Viewについて]
[TB:趣味のWebデザイン:人気ブログ病のリハビリ:気楽に更新できる精神環境作り]

一般人の声は大衆まで届かない

2007å¹´04月06æ—¥ | æƒ³ã£ãŸäº‹ã€æ„Ÿã˜ãŸäº‹
 最近、影響力について考えています。「忘れられない程度の存在感を残す」あたりが、その中の一つなのですが、さらに掘り下げて考えてみました。

 何かを発見したとか、発明したとか後世に名を残してる方々がいらっしゃいます。しかしそれは果たして、本当にその人が一番最初だったのだろうか?という疑問があります。

 たとえば、ガリレオ・ガリレイ。地動説を唱え、裁判で有罪になっても「それでも地球は動く!」と叫んだという有名な逸話のある天文学者。

 でもね、実は、それよりも前に、魚屋のおっさんとか、八百屋の大将が、「ほんとは地球が動いてるんじゃね?」ってことに、既に気が付いてたかもしれないんですよね。

 たとえば、ピタゴラス。「ピタゴラスの定理」で有名だけど、Wikipedia 読むと
あの有名なピタゴラスの定理も、実は本人によるものではなく、この学派によるものである。
ピュタゴラス - Wikipedia
 そう、つまり、これが事実なら本当に定理を発見した人は、別の人なんだと思う。だけどその学派の長であるピタゴラスが、代表として名を残したってことなんですよ。

 そろそろ何が言いたいか分かってきませんか。

 そうです。結局のところ、発見者とか発明者って、一番最初に気が付いたとしても、生きてるときにある程度の影響力のある、権威ある地位にいないとダメだってことなんですよ。

 大学で言えば教授レベルだったり、会社で言えば、有名企業の社長クラスであったりとね。所詮、ペーペーの研究生や主任さんが、一大発明したとしても、そのほとんどは、仕える教授や会社の発明になってしまうのですよ。企業の場合、最初は個人名だったとしても、認知度によって、結局企業名のほうが有名になってしまう場合も多い。エジプトでミイラの発掘調査してる、早稲田大学の調査チームだって、後世に残る歴史的な発掘をしたとしても、結局最終的に名を残すとしたら、教授の「吉村作治」さんだと思うんですよ。だって、エジプトの発掘調査で早稲田っていったら「吉村作治」さんがイメージされるもの。

 そういった意味では、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、非常に恵まれていたといえる。海外の別会社に出向していたお陰でもあるんでしょうね。でも、それさえも既にオレの中では、「島津製作所の主任だった人」ってイメージになってて、田中さんの名前は出てこなかった。やっぱりそんなものなんだなと思う。

 で、話は個人的なことになるのだけれど、オレがブログを始めたきっかけのなかに、実は、「一番初めにやったことの証を作りたい」というのが、あったのですよ。もちろん、それが何かってのは、ピンからキリまでで、「プチびっくり人」だったり、「ぽゆたん」だったり、「BUKURO801」だったりと、陳腐な造語もその中に含まれるのです。

 もちろん、ブログ論だったり、Web に関する事だったりもあるでしょうし、これから何が生み出されるかなんてのは、オレ自身にも分からないわけですが。

 でもね。たとえ、オレが一番最初に書いたとしてもね。影響力がないと、他の人が、そんなこと知らずに同じこと書いたりするのですよ。でもそれは仕方ない。でね、その人が、影響力持ってると、その人の記事が注目されて、自分が最初なのにスルーされちゃうんですよ。そーゆーことを今までブログやってて何度も経験してるんですよね。もちろん、逆の立場になることもあるんだろうけど。

 そうなると、これは、社会の仕組みとして変えられないものなんだろうな、って思うのですよ。Web でいくら個人で情報発信できると言ったってね。人が人である限り、そういった政治的な問題がどうしても関わってくるんだろうなって思うのですよ。

 アルファーなんちゃらとか言って、権威付けしようとしたりする動きってのも、そーゆーこともあるんだろうなってね。もちろん、その影響力をある程度可視化させるって試み自体はいいと思うんだけどさ。

 結局、その権威や影響力があるモノが、知ってか知らずかは別としても、結果的に横取りして自分の手柄にしちゃうことってのは、あるんだろうな、と思うのです。

 ネットでは、一般人でも何とかなりそうだと当初考えていたけど、どうやらそれは幻想だったようです。

 何かをきっちり残し、大衆に認知させるには、有名(認知度を上げる)になって、影響力のある地位を得ないといけないのかもしれませんね。

スルー力をつけるたったひとつのおまじない

2007å¹´04月05æ—¥ | ãƒã‚¿
 無断リンク禁止がなんちゃらとか転載機能がなんちゃらとか非モテがどうとかジェンダーがどうしたとか、何かとはてブ界隈を巡回していると目に付くのですが、そこにはスルー力を発揮して何とか関わらないようにと努力している諸氏も数多くいるのではないかと思われます。

 そこで今回は、それらの話題にスルー力を発揮させる、強力なおまじないを、このブログを読んでいるあなただけにこっそり教えたいと思います。

 そのおまじないとは、スルーしたい事象が現れたときに

「面倒くさい。ま、いっか」

と唱えて、ブラウザを閉じるのです。

 たった、この一言を唱えて実行するだけであら不思議。興味が一気に削がれて強大なスルー力を得ることが出来るのです。

 ただし、このおまじないには、副作用がございます。

 ・無気力
 ・無関心
 ・無頓着
 ・執着心の欠如
 ・集中力の低下
 ・飽き性

などの症状が現在確認されておりますので、常習化には注意が必要です。ご利用になる場合は、利用頻度をほどほどにし、計画的に節度を保ってご利用ください。

ブログ記事の価値について考える

2007å¹´04月04æ—¥ | ãƒ–ログの話
 最近、ブログの記事における価値というものがどういうものなのか、ちと気になっている。

 一番最初に思いついたことだけど、ブログの記事というのは、「刹那(せつな)」なネタがもっとも価値が高いと言えそうだ。ということ。

 自分の中では、ブログはフローであるという結論に至ったわけですが、ではフローにおけるもっともな価値について考えると、やはり即時性に他ならない。つまり旬な話題こそが命なのだ。だから、消費されない記事よりも消費される記事のほうが、注目を集めやすい。

 分かりやすい例で言えば、小難しい論文のほうが社会にとっては有益であり、価値が高いといえる。でも、そのような記事は一部の人には凄いお宝だけれど、ごく一般人からすれば専門的過ぎて、読む気さえ起きないモノも多いだろう。逆に、今の話題のニュースのことや流行りモノについての少しまとまった考察や、エッジの効いた鋭い視点で書かれた面白い記事なんかは、かなりの確率で注目を浴びることが出来る。

 でも、そんな流行りモノの場合は、その流行が終われば、そこで終わり消費される。

 だから、注目を集める記事が、必ずしもいつまでも価値があるわけではない。というより、賞味期限の問題になるのかな。刹那的な価値という意味では、価値があるわけですからね。

 ブログで記事を書く場合は、やはり、その刹那を意識しないとダメでしょうね。めまぐるしく移り変わる話題について、サッと自分の考えを纏め上げて記事を書く。それで、ある程度話題が盛り上がって去っていったら、さっぱり忘れる。これくらいが丁度いい。もし、いずれ時が経って同じような話題がループされて盛り上がったら、その時またその時の気持ちを書けばいい。

 ブログの記事はログが残るものですが、実際、ログがいつまでも残るかといったら、これが結構曖昧なんですよね。

・サイト主が、ログを消す。
・(ブログ)サービス側が、ログを消す。

 など、意外とこれらが多いというのが実状です。5年も前の記事を探しても、残っている可能性は低い。

 消えることを前提として、その都度アップデートするように、同じことを繰り返して書いていく。そうすることで、最新版状態を維持する。というのがブログの使い方として、最もいい方法なのかもしれない。

 その中から、たまによく出来た記事が話題になるものなんだろうな。だから、ブログは最新記事が一番注目を集めるのだろう。

 ブログというのは、時間間隔が少し長めなチャットだといえそうです。


[関連]
・『斬(ざん)』:消費されるブログ記事

生きてるうちが花だよね?

2007å¹´04月03æ—¥ | æƒ³ã£ãŸäº‹ã€æ„Ÿã˜ãŸäº‹
■hasenkaのメモ - ブックマークされる記事が良い記事と勘違いしていませんか
誰にも読まれない記事を書く技術というものはありうる。しかしそういうものはあっても金にならんし自尊心もあまりくすぐらないので当然廃れる。しかしブックマークされなくても百年後二百年後に読まれればいいじゃないかと思ってみるもネットがそんなに持続しているか定かでない。
hasenkaのメモ - ブックマークされる記事が良い記事と勘違いしていませんか
 この記事からの触発。

 自分の作品について、

 ・晩年もしくは亡くなった後に高く評価され、その知名度が広がることのほうがいい
 ・今、この瞬間瞬間に、ある程度評価され、亡くなって暫くすれば、世間から忘れ去られるほうがいい

 どっちがいいんだろうか?もちろん、これはその人の考え方次第なんだろうけど、思うに、ほとんどの場合は生きてるうちに評価されたいんじゃないだろうか。だって、死んじゃったら自分で確認する術はないわけだし。まぁ、子孫が居れば少しはその役に立てるけれど、実際、豊臣秀吉の子孫だからとか言われても、「ふーん」で終わりなよーな気もするわけで。短期的(孫ひ孫くらいまで)なら、その恩恵も十分受けられるからいいんだろうけど(そうすると、約100年位なもんか)、結局、血のつながりより個人だよなって思うんですよね。

ちゅーか、生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ。
まさに死んで花実が咲くものか。

なんだよね。

 歴史に名を残す偉業や発明などって、志す気持ちとして凄く大切だと思うし、その気持ちで実践していくほうが遥かに創造性が高くなるようにも思えるから役には立つのだろう。でもその結果、時代の先を行き過ぎてしまい、生前評価されずに後になって評価されるのって、なんだか腑に落ちないんだよね。

 まぁ、凡人じゃないから歴史に名を残せるわけで、そーゆー人はこんな小さなことには拘らずに、自分の目指した道をただひたすら走り続けた結果、そうなるんだと思うんですけどね。

 でも、生前にちゃんと評価されていれば、もっと凄いものが残せたかもしれないってのを考えると複雑だったりしませんか?

 ただ、そんなこととは、ほとんど関係ないであろうオレが考えるのもおかしな話ではあるんだが。


[TB:hasenkaのメモ - ブックマークされる記事が良い記事と勘違いしていませんか]

アクセス数って基準が曖昧だよね

2007å¹´04月02æ—¥ | ãƒ–ログの話
 よく、アクセス数がいくつだったとか記事の端々で見かけるけど、これって非常に基準が曖昧なんですよね。

 まずは、PV といわれるページピュー。これは、あるページを開いた総回数だから、自分が何度も開けば、その都度カウントされ増えて変わってきます。つまり自演が可能になります。
 
 あと UU(ユニークユーザー)とか IP( goo の場合)というのもあって、これはユニークアクセスといって訪問者数を表します。すなわち訪問者が、そのサイト(ブログ)のどこを何度見ようと一日一回のカウントです(まぁ、裏技はあるのですが、それは別として)。厳密に言えば、少し違いますが、目安としてはこんな感じですね。

 そのほかにも、RSS 講読をカウントする場合としない場合もありますし、外付けのアクセス解析によっても、そのカウント数はまちまちです。もちろんブログサービスによっても違うわけで、何を基準にというのは、結構曖昧だったりします。だからサービス元の違いで他とは比較出来なくなるし、アクセス数が 100 以上とか 500 以上とか 1,000 以上なんてのは、甚だいい加減な面を持っているのです。

 それでも、大雑把な指標にはなるんでしょうけどね。結局アクセス数が多いほうがいいっていうのなら、それらを多くカウントするサービスでブログなりサイト運営するほうがいいってことでしょうね。そのほうが、後々になって、お金の絡むようなサービスを始める場合には、「うちは毎日○○アクセス以上あります。」って言えて、いい条件ではじめることが出来たりする可能性もある。他のサービスだとその半分って場合もあり得るし。アクセス数というのは、基準が曖昧なのに、なぜか幅を利かせているので、アクセス数がより多めに欲しい方には、有利なブログサービスのアクセス解析が付いているトコロをお勧めします。もちろん、goo ブログは RSS からのアクセスをアクセス数に加えていませんので、そういった方々にはお勧めできませんけどね。

 でも、何でこういったのって標準というか基準ってのを統一できないんでしょうかね?

 あ、あとテキストサイト界隈以前からのサイトなんかによく見かける、hit って表現だけど、あれは、PV なのか IP なのかどっちなんだろうか。こちらも何基準なのかよくわかりません。

 で、調べてみたのが、『とほほのWWW入門:アクセス数の数え方』なんですが、そうすると、ヒット数なんて、画像いっぱいあれば倍々になるわけですね。そして、この「とほほ」のリンク先にあるアクセス数の項目の中でも、サイトによってアクセス数の計測方法がまちまちと書いてある。やっぱり曖昧なんですね。一番見栄を張りたい人は hit 数で表現しておくといっぱいあるように見えていいようです。

 サイト運営者の誰もが気になるアクセス数というものが、こうまで曖昧なままなのってどうなんだろうか。デジタル社会の最たる電脳なるネットで、この不明確さのアナログな意識というのが、何とも…… でも人間味があっていいようにも思いますけどね。

このブログは4月10日をもって、無期限休眠に入ります

2007å¹´04月01æ—¥ | ç·åˆæ¡ˆå†…
 『斬(ざん)』をご覧頂き、まことにありがとうございます。

 記事タイトルにもありますように、このブログは、2007年4月10日23:59:59 をもって無期限休眠に入ります。再開未定の更新休止ということです。

 本当は「閉鎖」としたいところではありますが、往生際悪く首の皮一枚、希望は残しておきます。

 日付を4月10日にした理由として、丁度このブログが丸三年経つことで、ひとつの区切りと考えました。一部の熱心な読者であれば、薄々アブないというのは、感づいておられたかもしれません。更新頻度を落としていた(先月は予定外だったけど)のも、その布石であり、半年以上前から、この区切りに何かしらの行動(決断)をしようと思っていました。結果として、“閉鎖”では無く、“無期限休眠”を選びました。

 ということで、4月12日に解除する可能性もあれば、永遠に再開しないかもしれません。それなら、何も言わなくても一緒だろ!とも思いますが。ただ、毎回ご覧頂いている読者の方々には、それなりにご案内しないとと思いましたので、ご報告いたします。

 「ブログはブロガーなり」ですので、souryuusei としての活動も減らします。たまに、コメントやはてなブックマークなどで、気まぐれで現れることがあるかとは思いますが、基本的にはほとんど出てこないでしょう(はじめま略さん状態というと一番分かりやすいかな)。

 ブログの記事表示、コメント、TB欄の開示については、現状のままにいたします。更新をやめても Web 上から離れるわけでは無いので、管理は出来る状態にしておきます。ただし、原則現れることはしませんので、コメントを頂いてもお返事はないものと思ってください(いわゆる放置状態)。ただし、スパムや嫌なコメント、TB は消す可能性がありますが……


 てなことで、残ってる草稿中記事を何とかしたいので、明日より毎日更新目指します。

souryuusei