『斬(ざん)』

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過去記事を紹介しようとする気持ちについてあれこれと

2006å¹´07月29æ—¥ | ãƒ–ログの話
・heartbreaking.:過去記事は無理して読まなくてイイです
・BLOG STATION:過去記事を読まれて違和感を感じるケース
・こんな世界のはしっこで・・・:[ピックアップ]文章から人はわからない
・こんな世界のはしっこで・・・:ネット上では「見せたい自分」が作られる?
・斬鉄剣:ネットで人間性を判断できるか?
・『斬(ざん)』:ネットでの人格はナゼやさしいのか?

 上記リンク先は、この記事との関連のあまりない記事もありますが、この記事を書くにあたって“気付き”を生んだ流れであったので、記しておきます。

・関連記事を読み進めていったら、自分の記事に辿り着いた。まさに『北の大地から送る物欲日記 - ブログを読んでて過去の自分に遭遇』に書かれてることと同じ状況を、偶然にもつい最近オレは体験した。過去にもあっただろうけど、忘れてるし“気付き”がなかった。

・過去記事を紹介するのも、現在進行形の話題から自分の記事が掘り起こされる可能性があることを身をもって知っているからか。関連として取り上げてもらいたいというのが無意識のなかにあるのかもしれない。

・自分の過去記事の全てを一字一句覚えているブロガーは少ない(ってかいないんじゃないだろうか?)。それが、ある日突然、忘れてた記事に、別箇所からの誘導で辿り着く。その時、また新鮮な気持ちで自分の記事を読めるし、書いたときとは違う感想や気付きもあるかもしれない。そーいったことが嬉しい面もあるのではないか。

・自分の忘れていた過去記事を読んで、やっぱりいい記事だな、と自画自賛できるとしたら、それはそれで至福な時ではないだろうか?逆に赤面したくなる場合もあるだろうけど。

・関連する話題が繰り返されるのを見るに付け「それ、以前オレがもう書いてる」ってのが、出てくる。その時に、直ぐに自分の書いた記事を読みたくなったり、差異や今の思いを新たに関連記事として書きたくなるときもある。そーすると、自分の過去記事は財産だな、と思えたりもする。

・そう思うと、これは自分だけがわかるような過去に埋れさせるより、より多くの人に簡単に辿り着いて読んでもらえないだろうかと思う。参考として一読してもらえれば、また別の発想や考えが広がらないだろうか?それは同じ話題に興味を持った者同士として、さらに追求していける面白さに繋がるんじゃないかと。

・忘れる事で、新鮮な気持ちを再度味わえる。それとは別に覚えている事で、新たな事を発見できる。その両者を両立させる事が出来れば理想的だと思う。

・忘れた記事を直ぐに取り出せる方法。覚えてる記事を直ぐに取り出せる方法。その両方を叶えるのは、やはり過去記事をいかに取り出しやすくするかではないだろうか?それは自分にとっても読者にとっても、良い事だと思うから。


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