2025-11-26

最近の生成AI利益より害が上回ってない?

Nano Banana Pro のリリースについてたコメントで「これ、商業漫画は兎も角、広告漫画とかは置き換えされるな」というのが目についた。また誰かの職を生成AIが奪うかもしれない、と残念な気持ちになった。

生成AI効率化、生成AI価値の最大化、とは言うけれど、それは本当にいいことばかりなのか、と最近思う。

広告漫画に限らず、今までその活動で食えてきた、生活してきた人たちが創出してきた価値が、海外製の生成AIによって取って代わられるのを見ると、生成AI文化の発展へ寄与しているのか、と疑問に思う。食うためだけに漫画を描くわけじゃない、としても、食うために漫画を描いていた人たちの席を奪うことには変わらないし、それは裾野を狭めることではないのか、と。

才能の民主化、という声も聞くけども、そもそもそういう人たちはなぜ今までその民主化された活動をやらなかったのだろうか。

更に言えば、今まで製造コスト足枷になっていた粗製濫造海賊版なども手軽に作れるようになったことで、関係者対応コストが跳ね上がったのも問題だろう。その対応コスト資本が食われている状況は、果たして文化寄与してるのだろうか。偽情報の流布なども、心理的負担という意味コスト増だ。また、電力の逼迫だって見過ごせない。

生成AIは便利だ。調べ物は楽になったし、情報をまとめることも手間が減ったし、色んな手間が無くなったのは事実だろう。ただ、便利ゆえに、工業自動化とはまた違った、人類の食い扶持を減らし、文化的な資本の余裕をなくす、パンドラの箱だったのでは、と思う。

という、どうも気分が辛くなったので愚痴書いた。これをChatGPTで生成してくれって頼んだら綺麗すぎる体裁のそれっぽい文章生成したよ…愚痴も生成AIの方が上手な時代…かぁ。

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