〇1社目:中小企業A
この仕事を残り40年続けるのか、ということに絶望した。効率化の進まない仕事のフローや、意味があるかわからない仕事内容、に嫌気がさし、転職を決意した。
しかし、「仕事が耐えられないほど苦痛」というわけでもなかったため、転職は相当悩んだ。結局、2社転職先をいただき、転職することにした。
今振り返れば、環境のせいにして逃げたと思われても仕方がないと思うが、当時は本気で「意味のある仕事、効率化を進める仕事」がしたかった。
〇2社目:ベンチャー企業
かなりハードワークな会社に入社した。半ば宗教チックに働く環境に「合わないな~」と感じつつも続けたが、やはり合わず退社。激務は私には向いていないと感じた。
〇3社目:中小企業B
さすがに長続きしないのはよくないと思い、続けられそうな会社に入社した。現時点まで特に大きな不満はない。
<考えたこと>
1社目と3社目の仕事は、「仕事のための仕事」のようなもので、別になくなっても世の中が大きくは困らない仕事である。例外として、2社目の会社は、(仕事ができる人なら)世の中の仕組みを多少なりとも変化させられる仕事をしていた。しかし、当然激務だ。
②ほとんどの仕事が意味がなく、意味がありそうだと感じた仕事は激務で向いていないと感じるなら、意味がないと感じていても続けられる仕事にありついたほうがよい。なぜなら、生きていくためにはお金と精神の安定が重要だからだ。
③ほとんどの人は効率化なんて求めておらず、惰性で仕事をしている。なぜなら、効率化(構造改革)は労力がかかり、面倒くさいからだ。
例外として、2社目の私の観測した範囲の人は、ある程度本気で日本を変えようという人がいたと思う。しかし、当然激務だ。
<少し飛躍して>
日本が経済成長してこなかった(と、私は解釈しています)理由として、もちろん政府が~、大企業が~といったは要因はある。一方で、1人の社会人としては、効率化を進めてこなかった(=面倒を避けてきた)からだと思う。
ChatGPTのような対話型の生成AIが一般化したため、「業務上のちょっとした作業の自動化」が圧倒的にやりやすくなった。私はこれまで、「根本的なフローを変える必要がある」と考えていた(2社目)が、それはしんどいので、「現在の業務フローを如何に効率化するか」を考えて、小さな会社で取り組んでみたい。