悪意はどこにもない。誰も「壊そう」とはしていない。でも、確実に壊れていく。
以下に、その無自覚な「善意と便利さ」によって増田が終わるシナリオを描きます。
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Aさんは、自分の家庭のしんどさや孤独について書きたいけど、うまく言葉が出ない。
そこで、「こういう気持ちを書きたいんです」とChatGPTに相談する。
返ってきた文は、自分の気持ちと驚くほど近かったので、少し手直しして増田に投稿した。
→ Aさんは「やっと書けた」と思う。
→ けれど、読んだ人は「この語り、前にも読んだ気がする」と思う。
Bさんは「増田って文章うまい人多いよね。でもあれ、たぶんAIでしょ」と言う。
別に貶す気はない。ただ、**「手段」としてAIが日常化している**だけ。
誰も「ズル」とは言っていないし、誰も責めていない。
→ 増田は「自分の手で書く」ことが前提だったはずなのに、\*\*道具の“空気化”\*\*によって、その前提が崩れる。
Dさんは、AIに「思春期の孤独について短く印象的な文章を書いて」と頼み、それをnoteやXに流している。
バズったものの中には、**まとめサイトが増田風に編集して転載**するものもある。
→ 本家の増田読者は「なんか最近、ぜんぶ似てるな」と感じ始める。
Cさんは、頭の中にあるどうしようもない感情を書こうとしたけど、
「どうせAIでも書けそうな話だな」「こんな話、もう誰かが投稿してるだろうな」と思ってしまう。
→ 書かない。言葉にならない。
Eさんは、小説の練習にAIを使いながらも、無意識に増田っぽい語りを構築していく。
「こういう構成で、こういう感情の起伏があれば、だいたいウケる」とAIが提案した語りが、実際に評価される。
→ 読み手はもう、「誰が書いたか」ではなく、「どれだけ整っているか」「どれだけ刺さるか」で読んでいる。
→ 書き手は「どうせみんなAIだと思うでしょ?」と心の中でつぶやくようになる。
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それでも、語りは**静かに均質化し、信頼は薄れ、「これは誰かの本当の気持ちだ」と思える文が消えていく**。