狂気の科学技術
今回は一般に利用されている科学技術の中で最悪の狂気の沙汰について書かせて戴きます。それは勿論原発です。
原発については、メリット・デメリット色々あるなんて言われていますが、メリットなんてあるのでしょうか?・・・もしあるとしても、その途方もない負の面と比べれば、無いに等しいでしょう。正に現代の狂気の沙汰だと言えるでしょう。・・・理性のあるまともな人々ならば原発は封印するべきであると考えるでしょう。原発の酷さについてはこれまでも何度も言及していますが、色々追加しながらもう一度整理してみます。
原発の安全性についてはよく『安全神話』という言葉が使われます。今どき絶対安全なんて電力会社の言う事を信じる人がいるのでしょうか?安全神話・・と言われている時点でお仕舞いでしょう。本当に安全なものに安全神話など必要ありません。
原発で使用するウラン燃料は、1日運転しただけでも広島に落とされた原爆のウランより多いのです。1年以上運転した原発は、原発一基につき、広島原発の1000倍以上の死の灰が詰まっているのです。大きな原発事故が起これば、広島とは比較にならないくらい大量の放射能が外部の広範囲にばら撒かれる事になるのです。
チェルノブイリやスリーマイル島のように、炉心溶融[meltdown]が起こって、放射能が外部にばら撒かれたら、被害は途方もありません。被曝して後にがんで死亡する人数も含めれば、死者も100万人以上になる可能性も低くはないでしょう。日本本土で原発事故が起これば、たった一基の事故でも第二次世界大戦以上の被害になる可能性もあるのです。
原発事故の原因としては、よく危惧されている地震の他に、火山の爆発、航空機や隕石などの落下、なども考えられます。日本の原子炉建屋は、壁は非常に強く出来ていますが、屋根はかなり弱く、爆発物で無くとも、上空から重いものを落とされただけで、簡単に突き抜けてしまうくらいの強度だそうです。燃料棒の交換などのために格納容器の天井を取り外し、燃料棒の上にある全ての機器が取り外されたときに、砲丸投げの砲丸程度[7kg]のものでも、上空の高い位置から落とされて燃料棒や周辺の配管が直撃されれば、炉心溶融を起こす可能性も十分にあるとの事です。・・・狂気の沙汰と言えましょう。
勿論、戦争にでもなれば、真っ先に原発が狙われるでしょう。日本を狙うミサイルに核弾頭を装備する必要もありません。原子炉にはミサイルに搭載出来る量よりも遥かに大量のウランやプルトニウムが詰まっているのです。通常核爆弾の何倍(何十倍、何百倍)もの威力でしょう。日本の隣国が核弾頭を持っているとかいないとか騒がれていますが、核弾頭を持たなくとも、日本に核爆弾以上の損害をもたらす事が十分に可能なのです。・・・狂気の沙汰と言えましょう。
原発はたとえ事故を起こさなかったとしても、そこには毎日大量の放射能を被曝しながら労働している人達がいるのです。いわゆる被曝労働者です。【安全神話の闇に葬られる原発被曝労働者】
原発は近代科学の水位を集め、コンピューターによる遠隔操作ばかりで運転されているのではないのです。そのイメージとは全く正反対の、重装備に身を固め、ボロ雑巾で床やパイプに付着する放射能除染作業や労働服の洗濯、大小パイプの点検、補修、ヒビ割れ箇所の溶接、放射能汚泥タンクの掃除やピンホールの穴埋め、蒸気発生器の点検・補修等、何百種類におよぶ原発内作業なくして原発は1日たりとも動かないのです。これまで日本だけでも百万人以上の下請け労働者達が被曝労働に従事し、何十万人が放射能被曝に苦しんで、そのうち何割かの人達が亡くなっています。(・・このあたりの数字は、隠蔽されていて正確には出されていません。)この事実をマスコミはほとんど報道せず、闇から闇に葬り去られてきました。全く酷い話だと思います。こんな非人道的な労働が行われているだけでも、原発は狂気の沙汰と言えましょう。その部分を抜きに労働基本法だとか人権問題を論じるマスコミは偽善と言うしかありません。
原発は、発電が終わってからも狂気の沙汰はずっと続きます。それは放射性廃棄物です。放射能の強さは時間のみの関数ですから、時間を短縮して放射能を無くすことは不可能です。無理に無くそうと物理的な処理を施そうとすると、それよりもっと多量の放射能を産み出すだけです。半減期が長い放射性元素の放射能が許容量になるまでには数万年管理しなければなりません。・・・たかが数十年の発電の代償として、数万年の管理が必要な発電を実行するなんて、まさしく狂気の沙汰です。
以上のように原発には様々な理不尽な狂気の沙汰と呼べるような事柄が内在しています。過去のどの狂気の沙汰と比べても、まともとは言えないでしょう。それなのに原発を作って運転していることは、まさしく狂気の科学技術です。
原発についてはタブー視するのではなく、もっとしっかり論じていかなければなりません。現代社会で原発を行っている事自体が狂気の沙汰です。・・二酸化炭素による地球温暖化を防止すると言う本末転倒の狂った大義名分により、大事故が起こるまで原発を維持する勢いです。撤廃まで大事故が起こらないように願わずにはいられません。
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