海外貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 05:43 UTC 版)
マラッカ王国は、インド・中国間の航海期間を大幅に短縮できる中間の地点に位置し、東はインドネシアの諸島や中国、西からはインドやアラブ世界から商人が訪れる国際都市であった。インド方面ではグジャラートのムスリムとヒンドゥー教徒の商人が重要な貿易相手であり、南インドのタミル人やジャワ島人がこれに続いた。15世紀半ばからの中国は海禁政策に戻っていたが、禁令破りの中国人密輸商人も多数来航している。マラッカが交易都市として発展した要素の一つには、トメ・ピレスらが指摘した季節風の交差点に位置する立地があり、日本の東南アジア史研究家石井米雄は風向に加えて交易港に必要な以下の条件を満たしていることを述べた。 予見可能な交易を保証する諸条件(関税の規則性,紛争解決手段の整備など) 船舶航行の安全を保障するためのパトロール機能, 積荷売り捌きのための市場 帰路の積荷とする魅力的商品集荷の便宜 風待ち期間中の倉庫設備 — 石井米雄「港市としてのマラッカ」『東南アジア史学会会報』53号(東南アジア史学会, 1990年11月)、9頁より引用 各国の商人が買い付けた物資は各々の国に出回り、ヨーロッパにはヴェネツィアなどの交易都市を経由してもたらされた。王国は商品の売上税や関税から利益を得、またスルタンや高官は商人より個人的に受け取った貢物で富を蓄えた。マラッカの商人は取引において契約書を作成せず、天を指して口頭で約束事を述べることで取引を成立させたが、この習慣は外国人を驚かせた。 外国人との商取引はシャーバンダルという外国商人出身の官吏によって統制され、バルボサはシャーバンダルの役割を各国の領事に例えた。マラッカの最盛期には4人のシャーバンダルがそれぞれの出身地域の商人の世話をし、中には職務を通して莫大な利益を得る者もいた。4人はそれぞれグジャラート、ペグーやパサイなどの王国西部の港湾都市、ジャワやフィリピンといった東部の島々、そして中国と琉球が含まれる東アジアの商人を統率した。職務は倉庫の割り当て、商品の価格の算定と搬入の斡旋、商人同士の争いの調停であり、国際交易を円滑に進めるための重要な役割を担った。 外国人が財政に登用されたのは、シャーバンダル職だけに限らなかった。スルタン・マンスールはヒンドゥー教徒の金融カーストに属する金融業者を抜擢して金融の組織化を図り、またパレンバン出身の非イスラム教徒の奴隷を財政の担当官に起用した。 しかし、交易都市としてのマラッカの東南アジア内の地位は絶対的なものではなく、船舶を誘致するために様々な工夫を凝らした。その最たるものが他国よりも低い関税であり、周辺の港が12%の関税をかけていたのに対してマラッカは6%と低い税率(食料に税は課せられなかった)と若干の貢物を設定し、ジャワ、スマトラ、中国など東方からの船舶には関税を免除し、貢物のみを要求した。港、航路のインフラの整備以外に商人と船員が必要とする日用品とくつろぎの場も提供され、各国の料理店が軒を連ねた。
※この「海外貿易」の解説は、「マラッカ王国」の解説の一部です。
「海外貿易」を含む「マラッカ王国」の記事については、「マラッカ王国」の概要を参照ください。
「海外貿易」の例文・使い方・用例・文例
海外貿易と同じ種類の言葉
- 海外貿易のページへのリンク