きしだ‐ふみお〔‐ふみを〕【岸田文雄】
岸田文雄
岸田文雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 10:06 UTC 版)
加藤派の一員であった岸田文雄は血判状をしたためて参加の覚悟を示し、決行前には石原伸晃、塩崎恭久、根本匠らの4人で出陣式を行った。しかし乱が鎮圧され、仲間が四散したことで岸田は「政治家として勝負をかけたときは、絶対に負け戦をしてはダメだ」という考えを持つようになり、戦いに慎重な性格へと変わっていった。 20年後の2020年、岸田は総裁選に出馬したが、同じく乱に参加していた菅義偉に敗れた。総裁選中に大部分の議員が菅義偉陣営に回る中、岸田の推薦人には加藤、谷垣、小里の後継者である加藤鮎子(加藤紘一の三女)、本田太郎(谷垣の地盤継承者)、小里泰弘(小里貞利の長男)らが名を連ね、選対本部長は加藤の側近であった遠藤利明が務めた。2021年の総裁選でも加藤鮎子、本田太郎の2人は再び岸田の推薦人に名を連ね、遠藤利明も再び選対本部長を務め、岸田の総裁就任に貢献した。
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