がい‐しょう〔グワイシヤウ〕【外相】
がい‐そう〔グワイサウ〕【外相】
げ‐そう〔‐サウ〕【外相】
外務大臣
外相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 01:10 UTC 版)
2007年5月15日、イェレミッチはセルビアの外相に就任した。政治評論家のシャシャ・ドラゴイロは、タディッチ政権における外務省の唯一の任務は、コソボをセルビアの一部として留め置き、かりにコソボが独立を宣言したとしても、ごく一部の国家承認しか取り付けることができない状況を確保することであったと述べている。国内外のセルビア人は当初、32歳のイェレミッチが有能な外相となれるのか懐疑的であった。「あなたが若く、みなあなたのことを初めてみたときには、そのほとんどはただ驚くばかりだろう。これは実際、彼らの心を開かせるという点ではよいことだ。・・・彼らはあなたの発言を聞きたいと思うだろう。あなたは変わり者なのだから」とイェレミッチは述べている。 2008年2月にコソボが一方的に独立を宣言すると、イェレミッチはその自称国家の国際共同体への統合に反対する運動を開始した。5年間の外相在任中、イェレミッチは1000回航空機を利用し、100か国以上を訪問した。イェレミッチは「世界の外相のうち、90%のことはとてもよく知っている」と述べている。2009年の1年間には、700時間(およそ29日間)以上を機内で過ごした。エコノミストは、イェレミッチ外相下のセルビア外交を「極端に強化されている」と表現している。「彼の不屈の旅は、ほとんどの国の外相を─セルビアのような小国の外相はとりわけそうだが─眠たげなのろまのようにみせる」と、同紙のレポーターは述べている。イェレミッチは、セルビアはコソボを取り返すために武力を行使するつもりはないと繰り返し言明し、セルビアはその主権と領土一体性を防衛するため、対話と外交に訴えると強調した。コソボは広範な自治のためのあらゆる権利を有するが、セルビア政府は本格的な独立はけっして認めないとも主張した。イスラエルのラウダー政治・外交・戦略学院前における演説で、イェレミッチは次のように説明した。 私たちは、コソボのアルバニア系コミュニティの支配に利害を持たない。私たちは彼らに税を課そうとも、彼らの地の治安を維持しようとも、司法や教育システムによって彼らをセルビアに再統合しようとも思わない。私たちの通貨がコソボに存在しなくとも、それでかまわない。私たちの軍隊もまた、彼らの地に駐屯していなくともよい。そして彼らは国際的な金融機関と関係を持ち、国際競技連盟に別個の会員資格を有し、海外にある種の代表を送り出しているが、私たちはそうした関係には干渉しない。 2009年、イェレミッチは国際司法裁判所 (ICJ) に対して、コソボの独立宣言に関する拘束力のない勧告的意見を求めた。2010年7月、ICJは独立宣言は合法であったと判示した。イェレミッチはこれに対して、領土紛争を解決する手段としての一方的な分離を自制するよう呼びかける決議を行うよう、国連で求めた。2010年7月末、イェレミッチはこの問題について、国連の潘基文事務総長と会談した。2010年9月、国連総会は紛争を双方の当事者で解決することを求める決議を採択し、イェレミッチはこれを歓迎した。イェレミッチは、この決議が「誠実な対話を通して達成される、セルビア人とアルバニア人の間の包括的和平協定の締結に向けた建設的な雰囲気を醸成する手がかりとなる」ことを望むと述べた。 イェレミッチの外相在任中、セルビアと近隣諸国との関係は劇的に改善した。欧州連合と米国との関係も、コソボをめぐる紛争は存在するものの改善した。2009年12月、EUはセルビアに課していたビザの制限を解除した。イェレミッチは12月19日にハンガリーに入国し、ビザなしでEUに入った初めてのセルビア市民となった。そのとき、イェレミッチのパスポートにスタンプを押したのはハンガリーのペーテル・バラージュ外相であった。イェレミッチの在任中、セルビアは旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷 (ICTY) に関する義務も果たした。2008年7月、セルビア当局はボスニアのセルビア人指導者であるラドヴァン・カラジッチを逮捕した。カラジッチはICTYから戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイドの容疑で起訴され、11年間にわたり潜伏を続けていた。裁判のため、カラジッチの身柄は速やかにICTYに引き渡された。イェレミッチは、カラジッチの逮捕はセルビアがEU加盟国となるために全力で取り組んでいるあらわれであると述べた。この3年後にはカラジッチの参謀総長であったラトコ・ムラディッチと、クロアチアにおけるセルビア人指導者であったゴラン・ハジッチも逮捕された。 2012年3月1日、セルビアはEUから加盟候補国の地位を与えられた。セルビアは2009年にEU加盟を申請していた。2012年5月のセルビア大統領選挙で民主党が政権から転落すると、イェレミッチも外相の職を失い、7月27日に退任した。イェレミッチの外相としての最後の訪問国はロシアで、彼はそこでロシアのセルゲイ・ラブロフ外相と会談した。
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外相
「外相」の例文・使い方・用例・文例
- 外相はベトナムを公式訪問する予定だ
- 田中前外相の更迭に続く政治混乱がその象徴である。
- 日本の外相のためにレセプションが開かれた。
- 外相は、戦争は避けられないと言った。
- 外相は首相が兼任する.
- 宮沢外相は国連総会に出席するため昨日成田を飛び立った.
- 外相主催の舞踏会がある
- 外相は本日仏国大使を引見せり
- 内外相応じて事を謀った
- 天長節の当夜は外相主催の舞踏会がある
- イギリスにおける,閣外相という立場
- イギリスにおける,閣外相という立場の人
- 日ソ外相定期協議という,2国間の協議会
- 台風シーズンの前に引き揚げ作業を始めるために,小泉純一郎首相が川口順(より)子(こ)外相に対して,できるだけはやく中国との合意に達するよう指示していた。
- 田中前外相が議員辞職
- 8月9日,田中真紀子前外相が国会議員を辞職した。
- 会合の中で町(まち)村(むら)信(のぶ)孝(たか)外相は,国連安全保障理事会(安保理)は21世紀の現実を反映するように改革されるべきだと力説した。
- 安倍官房長官,谷(たに)垣(がき)禎(さだ)一(かず)財務相,麻生(あそう)太郎外相がその職に立候補していた。
- パン氏(62)は現在,韓国の外相だ。
- 3日間の日本滞在中,クリントン長官は麻生(あそう)太郎首相や中(なか)曽(そ)根(ね)弘(ひろ)文(ふみ)外相,小沢一郎民主党代表と会談した。
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