はこだて‐こう〔‐カウ〕【函館港】
函館港
函館港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 22:57 UTC 版)
国鉄連絡船開設以前からの歴代青函航路各社の函館桟橋(東浜桟橋)は、1871年(明治4年)2月に北海道開拓使が函館への乗下船場所として指定した函館港最奥部の東浜町(後の末広町)にあった1877年(明治10年)建設の木造桟橋で、この桟橋も青森港同様、各社の連絡船が直接接岸できるものではなく、青森港同様、連絡船は500~600m沖に錨泊し、小蒸気船やハシケを介して客貨の乗降荷役が行われた。1904年(明治37年)11月には函館駅裏に後述の小桟橋が完成し、その後この東浜町の桟橋は「旧桟橋」と呼ばれるようになった。1908年(明治41年)3月開設の国鉄連絡船からのハシケも一部、競合する日本郵船と共にこの東浜町の桟橋も使用したが、函館駅からは1キロ以上離れており、鉄道との乗継客は徒歩または馬車鉄道での移動を要した。しかし、こちらが当時の函館の中心市街地であったため、函館発着の旅客にはこちらが便利で、1908年(明治41年)12月から1921年(大正10年)8月まで、ここには函館駅の出札所が設置されていた。 1902年(明治35年)12月の北海道鉄道 函館 - 本郷間開通時の函館駅は一部函館区民の反対により、現在地より1.2キロ北の海岸町に設置されたが、1904年(明治37年)7月、若松町の現在地に新しい函館駅が開業でき、同年10月の 函館 - 小樽間開通を迎えた。同年11月には、函館駅裏の海岸に小桟橋と荷揚げ場が建設され、日本郵船の連絡船からの客貨ハシケの一部は函館駅裏での陸揚げが可能となったが、当座は依然として東浜町の旧桟橋が使用された。翌1905年(明治38年)4月には、北側から小桟橋を守る、後に第1船入澗の北側護岸となる防波堤も建設され、1907年(明治40年)10月には日本郵船の船車連絡客のため、函館駅海側に本屋附属船車連絡待合室が開設され、翌1908年(明治41年)3月開設の国鉄連絡船からのハシケはこの小桟橋も使用した。
※この「函館港」の解説は、「比羅夫丸」の解説の一部です。
「函館港」を含む「比羅夫丸」の記事については、「比羅夫丸」の概要を参照ください。
「函館港」の例文・使い方・用例・文例
- 函館港
固有名詞の分類
- 函館港のページへのリンク