武士道
「武士道」とは、中世から近世にかけて、武士階級が封建制度の中で発達させた道徳的規範のことである。あるいは「すこぶる日本的な高潔な道徳観」の代名詞のような意味で用いられることもある。
「武士道」とは・「武士道」の詳しい解説
武士道の源流といえる考え方は鎌倉時代の頃から醸成されてきたとされる。はじめは武芸を中心とする規範として成立し、「弓馬の道」と呼ばれた。「弓馬の道」は、武士が取り組むべき武芸・守るべき礼節・主従関係の基礎などを説くが、基本的には、戦闘における名乗り口上や、一騎打ちの原則といった、闘いにおける作法を中心とする規範であった。
室町時代から戦国時代にかけては、茶道や能楽といった芸能に関する事柄も、武士が身に付けるべき教養として取り入れられた。
弓馬の道は、江戸時代に体系化されて「武士道」という呼び名で定着した。この「武士道」という言葉が初めて登場するのは、江戸時代初期の書物「甲陽軍鑑」とされる。
「武士道」として体系化された初期の武士道では「武勇」が重視されていた。つまり自己を高めて名を馳せることが一族の繁栄に繋がるして重んじられた。主君への忠義は大事とされたが、必要ならば別の主君の下へ流れることもよしとされた。
江戸時代中期頃には、日本に伝来した儒教の教えが武士道にも大きな影響をもたらした。江戸中期の武士は士農工商における支配階級に位置付けられ、管理者としての振る舞いや心構えを身に付ける必要性に迫られていた。この頃から「内面の強さや周囲からの信頼を得ることが武士の精神である」といった考え方が顕著に現れ始める。
江戸後期から明治時代初頭にかけて、武士道は儒教との結び付きをいっそう深め、「士道」として大成した。
幕末を経て明治維新が実現されると、武士道の在り方にも変化が訪れる。明治に入ると日本は中央集権国家としての体裁が整い、従来のように家長や大名に仕える武士という身分制度は事実上消滅した。武士道で忠を尽くす対象が直属の主君ではなく「天皇」というひとつの存在に集約されたのである。
明治期の欧化政策推進に伴い、キリスト教の考え方も広く知られるようになり、武士道とキリスト教に共通点を見出す文化人も少なからず現れた。たとえば「代表的日本人」の著者として知られる思想家内村鑑三もその1人である。
「武士道」の特徴
歴史的変遷を見ると、武士道という思想は時代によってその考え方が変質した。したがって一概に武士道を定義することは困難であるが、各時代に共通する武士道の特徴としては以下のような要素が挙げられる。・忠誠
・信義
・勇敢
・廉恥
・信義
・礼節
「武士道」の語源・由来
「武士」は主に剣術を修めた武人のことを指し、「道」はその分野における心得や技術を体系化した教えを意味する。歴史の中で武士階級の地位が高まるに連れて、書物にも記述が見られるようになった。新渡戸稲造の「武士道」
近代の教育者・思想家である新渡戸稲造は1900年、海外向けの著書として「武士道(Bushido: The Soul of Japan)」を刊行している。キリスト教徒であった新渡戸は本書内で日本の武士道と西洋思想を結び付け、アメリカ人にも分かりやすいように武士道を噛み砕いて解説した。新渡戸は海外の教育者と宗教教育について論じた際、日本における道徳心育成を海外に広く知ってもらうべく本書の執筆を決意したという。「武士道」への批判
新渡戸が著した武士道はしばしば批判の対象として論じられることがある。新渡戸は教育者でありそもそも武士階級の出身ではなかった。そのため、新渡戸の語る武士道は国家主義の観点から解釈したものであり、実態が正しく伝わらない嘘の混じったものだとされたのである。新渡戸が本書の中で海外へ向けて発信したのは、日本人の倫理的美徳や普遍性であった。しかし、武士道は成立までの過程で主君に対する裏切りや下克上といった卑怯とも取れる行いを肯定している部分があり、新渡戸の主張は正確ではないとする者も多いのだ。武士道が近代の産物なのか、それ以前から連綿と続く思想であるのかは議論が重ねられている。「武士道」の名言
「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは
山本常朝は葉隠の中で「武士道とは死ぬことと見つけたり」と述べている。この一節はしばしば「武士の生き様な死の中に見出される」と誤解されるが、実際は「死をも厭わない精神を持つことで自由を手に入れ、自分の責務を全う出来る」といった考え方だ。「武士道(JP THE WAVYの曲)」とは
映画「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」のサウンドトラックに唯一邦人として参加したラッパーJP THE WAVYは、本作に「BUSHIDO」という楽曲を提供した。歌詞の随所には日本を感じさせる固有名詞が盛り込まれ、和音階を用いた曲調と相まって海外からの注目度も高い。「武士道」を含むその他の用語の解説
「武士道残酷物語」とは
武士道残酷物語は南條範夫の「被虐の系譜」を原作として製作された日本の映画作品である。1963年に公開され、第13回ベルリン国際映画祭において金熊賞に輝いた。戦国時代から現代に至るまでの封権社会、およびその残酷さを描いている。監督は今井正、主演は中村錦之助が務めた。「武士道」の英訳
武士道は英語で「Bushido」「Japanese chivalry」「code of the samurai」などと表現できる。「Bushido」は、武士道を日本固有の概念として扱い、固有名詞として呼ぶ言い方である。
「Japanese chivalry(日本における騎士道)」は、西欧文化になぞらえた表現であるため、語弊はあるかもしれないが、西欧人には理解しやすいものと期待できる。
「code of the samurai(サムライの規範)」は、西欧でもよく知られた「侍」という概念を手がかりに大要を示す言い方である。ざっくりとしたイメージはつかみやすい。
ぶし‐どう〔‐ダウ〕【武士道】
ぶしどう〔ブシダウ〕【武士道】
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