「私が入社したのは1979年、録音方式がアナログからデジタルへと移行しつつあった頃です。株式会社ニチオンは、設立2年後の1974年に日東紡績株式会社と合併。茂田は専務として経営に携わりながら、音響技術者として建築音響に並々ならぬ情熱を注いでいました」と語るのは、現在の社長である山梨忠志。茂田に多大なる薫陶を受けた一人だ。そのこだわりとはどのようなものだったのだろうか。山梨が続ける。
「当時から弊社は、音響工事の設計と責任施工が売りでした。今でこそ責任施工をうたう会社は多いですが、弊社が先駆けではなかったでしょうか。その責任施工を提唱していたのがチーフ(社長とは呼ばせなかった)である茂田。よく言っていたのは、俺たちは『音の仕立屋』なんだと。自分たちの考えた音をゴリ押ししてはならない。お客様の求める音に仕立てるのが自分たちの役割。そのためには、内装を壊してでも音をつくり直すという徹底ぶりでした」。