インタビューで知るICU
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*肩書きはインタビュー当時のものです。
ICUで育まれた「挑戦を楽しむマインド」が キャリア形成に直結している
OH, Jun young (オー・ジュンヨン)
GLLUGA INC. 取締役 「ohora」日本代表
2015年3月 教養学部卒業(メジャー:物理学)
リベラルアーツとの出会いは、思いもよらない自身の変化と成長、そして、未来を楽しむチャンス
井ノ口 孝明
アジアサッカー連盟(AFC) Project Manager
2007年3月 教養学部アーツ・サイエンス学科卒業(メジャー:歴史学)
地上と宇宙をつなぎ、ISSでの実験の成果を地球に還元していきたい
渡邊 紗緒里
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA) JAXA Flight Director
2018年3月教養学部アーツ・サイエンス学科卒業(メジャー:物理学)
一生をかけて労働問題に アプローチしたいと考え、 労働基準監督官に。
宮﨑 かさね
千葉労働基準監督署
安全衛生課 労働基準監督官(取材当時)
2012年教養学部卒業
ICUで学んだ日本語・英文学の知識を生かし 「言葉」を扱う仕事に情熱を燃やす
狩野 ハイディ
KOTONOHA BLOOM代表
2003年6月教養学部人文科学科(当時)卒業
「自分がやりたいこと」と「社会に役立つこと」を追求し、ようやく見つけた「発酵」の世界
酒井 里奈
株式会社ファーメンステーション代表取締役
1995年 国際関係学科(当時)卒業
学生の声 日本語教育プログラム
トンプソン 咲彩(教養学部2年)
ロビー ペン/Peng Robbie(教養学部2年)
クラヴェール 豊(教養学部2年)
デイリー・シエナ/Siena Daly(教養学部2年)
自分を、世界を発見する ― ICU教養学部生4名の学び
卒業間近の学生と教員が語る、ICUでの探求の道のり。入学前の不安、英語、サポート体制、専門を選ぶまで、卒業研究、自分にとってのリベラルアーツなど。
動画を見るICUで培った「オープンマインド」で 日本美術を世界で楽しむ
定村 来人
イスラエル・ゴールドマン・コレクション キュレーター/大英博物館アジア部客員研究員
2005年6月 教養学部卒業
なぜごみが捨てられるのか、そういう問いかけから見えていなかった課題を浮き彫りにする
大塚 桃奈 株式会社BIG EYE COMPANY
上勝町ゼロ・ウェイストセンター
Chief Environmental Officer
2020年3月教養学部卒業(メジャー:公共政策、マイナー:環境研究)
自分たちであれば世の中を変えられるという信念と勝算を持ってほしい
羽生田 慶介
株式会社オウルズコンサルティンググループ代表取締役CEO
2000年3月国際基督教大学教養学部社会科学科(当時)卒業
老化・寿命を制御する遺伝子の謎を解明し、人の健康を支えたい
丸一 綾音
カリフォルニア大学バークレー校 内分泌学 博士課程3年
2020年3月 教養学部アーツ・サイエンス学科卒業(生物学メジャー)、
2021年3月博士前期課程修了(5年プログラム)
リベラルアーツが日々の仕事でも生きている
マティアス・シェーパース
フォルクスワーゲングループジャパン株式会社代表取締役社長 兼 アウディジャパン ブランドディレクター
2001年 国際基督教大学教養学部国際関係学科(当時) 卒業
真に自由な学びの環境で培った、自分らしい生き方
丹羽 真理
「アイディール・リーダーズ株式会社」共同創業者/CHO (Chief Happiness Officer)
2005年 理学科(当時)卒業
リベラルアーツ教育から生まれる「感謝」の気持ちが世界平和につながっていく
宝槻 圭美
「探究学舎」 取締役/NPO法人ミラツク 執行役員
2003年 国際関係学科(当時)卒業
複雑な環境問題に向き合う
クリティカル・シンキングとリベラルアーツがその基礎を築いた
東梅 貞義
公益財団法人世界自然保護基金(WWF)ジャパン 事務局長
1990年 理学科(当時)卒業
地域の歴史、文化を料理に織り込む
ICUのリベラルアーツが、そうした思考をもたらした
北崎 裕
株式会社自遊人 宿泊事業担当 総料理長 フードクリエイター
1996年 人文科学科(当時)卒業
取り残された子どもたちが、前向きに生きられる社会を
小島 美緒
特定非営利活動法人エイズ孤児支援NGO・PLAS 事務局長/理事
2006年 国際関係学科(当時)卒業
「考える力」「課題を発見・解決する力」 どんな環境でも必要な力とマインド
ダニエル シルバ
Amazon Web Services, Inc.
T&C Strategy & Operations Manager
2010年 教養学部国際関係学科(当時)卒業
日本とアメリカ、どちらの大学に進学するか悩んでいる皆さんへ
岩崎彩子
教養学部4年(2021年3月撮影時点)
アメリカ出身
メジャー:メディア・コミュニケーション・文化
マイナー:法学
「日本のアニメーション」を全世界に発信する ICUで培った力がそのベース
萩野 あかね
株式会社サンライズ 管理本部新本社推進室
デピュティゼネラルマネージャー
2003年 教養学部語学科(当時)卒業
多様性を認め、一歩下がって全体を俯瞰する
Misaki N. Natsuaki, Ph.D.
カリフォルニア大学リバーサイド校 准教授
1998年 教養学部教育学科(当時)卒業
2001年 ICU大学院教育学研究科(当時)博士前期課程修了
尽きることのない国際協力への想い
児玉 治美
アジア開発銀行 駐日代表事務所 駐日代表
1992年 教養学部社会科学科(当時)卒業
1994年 ICU大学院行政学研究科(当時)博士前期課程修了
「想い」や「志」が輝く事業をつくる
深町 英樹
一般社団法人GEMSTONE 代表
ビジネスプロデューサー・経営コーチ
2003年 教養学部国際関係学科(当時) 卒業
だれもが自分の遺伝情報をフル活用できる未来へ
高野 誠大
AWAKENS, Inc. Co-Founder & CEO
2011年 教養学部社会科学科(当時)卒業
2013年 ICU大学院アーツ・サイエンス研究科公共政策・社会研究専攻公共経済学専修修了
OriHimeの事業は文理の区別をしていたらできない
結城 明姫
株式会社オリィ研究所 共同創設者 取締役COO
2012年3月 国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科 卒業
違うかもと思ったときに、自分でアクションを取ることが重要
武藤 友木子
Uber Japan 株式会社 執行役員 Uber Eats 日本代表
1998年3月 ICU教養学部社会科学科(当時)卒業
先端のデジタル技術で人間の価値を高める
井出 信孝
1993年 教養学部社会科学科(当時)卒業
1995年 ICU大学院行政学研究科(当時)博士前期課程修了
株式会社ワコム 代表取締役社長兼CEO
グローバルマインドを持った人になってほしい
シュタール トビアス
1997年 教養学部国際関係学科(当時)卒業
株式会社スクウェア・エニックス ローカライズ部ローカライズ・プロジェクトマネージャー
学生寮での経験は、かけがえのない「人生の宝物」
マシュー・バーゼンス
2009年 教養学部語学科(当時)卒業
エンワールド・ジャパン株式会社 サプライチェーン&プロキュアメント部門
ICUがくれた、人生を変える出会いと気づき
奈良橋 陽子
1969年 教養学部語学科(当時)卒業
演出家、作詞家、キャスティングディレクター、世界で活躍できる役者の養成所「UPS ACADEMY」代表
大学時代に異文化に触れる意義に気付いてほしい
アンドリュー ニューマン
1984年 カリフォルニア大学デービス校より交換留学生として、ICUに1年間留学
コグニザントジャパン株式会社 プロジェクトマネージャー
同窓生インタビュー
小坂 順一郎 1994年(学部)卒業、1996年(大学院)修了
社会科学科(当時)国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所 シニア・リエゾン・アソシエイト
ぶつかりながら、 語り合いながら、より良いWebサイトを作り上げる
鈴木 健悟
ソニー株式会社(取材当時)
2018年教養学部卒業
焦らず 慌てず 前向きに!
オランダで同級生が言っていた「異文化」に触れた
私が卒業した高校は帰国生が多く、彼らの語学力や異文化への知識に憧れを持っていました。経営学を学ぶために大学へ進学して、交換留学でオランダのマーストリヒト大学に行きました。在学生の1/3が外国籍なこともあり、授業は英語。下宿先でのルームメイトはイタリア人とフランス人でした。ここで高校の頃に級友が言っていた文化や考え方の違いに触れます。ある日イタリア人のルームメイトが「本物のスパゲッティを食べさせてやる」と私をスーパーに連れ出し、イタリア産の食材でパスタを振る舞ってくれました。彼の個性もあるでしょうが、食へのこだわりとプライドにはイタリア人らしさを感じましたね。
ブランディングをしたくてソニーへ
大学ではブランディングを専攻していたので、グローバルに通用するブランドを持っている日系企業で働きたいと思いソニーを選びました。最初の2年間は名古屋で家電量販店を回る営業職。3年目の配置転換で、データ分析やWebデザインの学習経験を活かして現職を希望しました。現在は世界中にある系列会社のサイトで紹介されているソニー製品を、より効果的に見せる方法を提案しています。
世界中のユーザーが使いやすいWebサイトを作る
業務では外部の企業と協力しながらユーザーがWeb上で起こした行動を分析し、ページを改善します。もっと使いやすく、もっと買いたくなるサイトを作るのが私のミッション。自分の提案を通してサイトでの顧客体験が向上することにやりがいを感じています。しかし、海外と仕事を進めていると、各地域のメンバーと利害やお国柄などでぶつかることもしばしば。「もっとこうした方が購買率は上がるはずだ!」など、議論を交わしています。ストレスが溜まったら趣味の料理で解消。生地からパスタを手作りすると美味しいですよ。
認め合う力を伸ばして
ソニーでは、仕事に対する積極性の他に、多様な価値観を受け入れられる包容力が求められるでしょう。Webやマーケティングなどは後から勉強すれば大丈夫。たとえば私が一緒に仕事をしている関係会社の担当者はギリシャ人ですし、系列会社は世界中にあります。さまざまな文化の中で生まれ育った人と仕事するので、ぶつかりながらも他人を受け入れる人間的な土台が大切です。
今の「面白い」が将来の自分を作る
学生時代は興味のおもむくまま、物事に取り組んでみてください。私は学生時代にプログラミングや統計を学んだことが、今の仕事になるとは思ってもいませんでした。今「面白い」と思うことが、将来の自分につながっていくでしょう。
※情報はすべて取材当時のものです。
(掲載元:アンビシャス 2023年春夏号 Vol.20[東京版])
鳥のような俯瞰的視点で 裏側にある構造的な問題を発見する
岸 七海
ネスレ日本株式会社(取材当時)
2022年教養学部卒業
Know Yourself!
関心の赴くままに自由に学んだ大学時代
高校時代は社会情勢や国際関係に興味があり、大学で学びたいと思っていました。入学したICUでは当初は国際関係の授業を中心に受けていたのですが、人間としての普遍的な部分を学ぶほうに興味・関心が移っていったため、専攻は人類学をメジャー、言語学をマイナーに決めました。受講した授業の3割は英語を用いたものであり、自然と英語が当たり前の生活になっていたように思います。
卒業研究は受傷が人の心に与える影響をテーマとしました。私自身が中学生の時に、内向的であった性格がひとつの手術を機に、やりたいことを明確に持てるようになったという経験をし、自分の中で起こった不思議な変化の理由を見つけたいと思ったことがきっかけです。事故や手術による受傷経験がある15~20人の女性の方に話を伺い、インタビュー形式で論文をまとめていきました。傷を受けることは、一般的にネガティブなイメージを持たれがちですが、その傷は当人にとってもネガティブなものであるとは限らないということを結論として示すことができました。物事を異なった視点で見てみる重要性は私にとっ
て大学での最も大切な学びでした。
東日本大震災で物流業務の大切さを実感
物流に興味を持ったのは11歳の時に、出身である茨城で東日本大震災を経験したことが大きいです。物流網が遮断され、当たり前のように手にしていたものが手に入らなくなった経験をしたこと、難しい局面にあってもものを届けようとするかっこいい大人たちのニュースを目にしたことで、物流を仕事にする選択肢が自然と生まれました。現在、私はネスレ日本が販売する商品の国内における物流の管理と、支払いの業務に携わっています。茨城、静岡、兵庫にある3か所の製造工場に加えて製造委託先となる各工場が全国に点在しています。また、輸入製品も多く取り扱っています。それらの物流網を把握し、配送の効率化やコストの低減を図っています。物流の仕事はたくさんの人が関わってできているので鳥のような視点で俯瞰的に物事を見ることがとても重要です。何か一つエラーが出たときはその課題を単体で見るのではなくて、裏側にある構造的な問題を発見することが本当の課題解決につながります。
自分を知ることで未来を創る
学生のときは、日々いろんなことがあって、大変なことも多いかと思いますが、自分も振り返ってみると、誰といて、何を考えて、何をしていたかという積み重ねで、今の自分が形成されていると感じます。皆さんもまずはこれまでの経験を振り返り、「自分は何をしている時が楽しいのだろう」「何に興味があるのだろう」と考えてみる、「自分を知る」ことから始めてみてはいかがでしょうか。自分を知ることは自分が行きたい環境や叶えたい将来を実現するための第一歩であると信じています。
※情報はすべて取材当時のものです。
(掲載元:アンビシャス 2021年秋冬号 Vol.21[東京版])
外国で暮らす上で、趣味や私生活での 楽しみをもつことも大事
児島 匠
外務省 北米局 日米地位協定室 主査(取材当時)
2011年教養学部卒業
お互いに自信をもって暮らせる世界への貢献
国際社会に貢献したいという目標のために
高校生の時から公務員を目指して大学を決めたという訳ではないですが、漠然と、世界を舞台に社会的な貢献をしたいという思いはありました。ICUは、その目標の為に必要な学びの環境が整っており、創造的な発想で課題に対処する力を養う「リベラルアーツ」という教育法の中で学ぶことが可能だったため、自分に適している大学だと感じました。
留学先で語学や社会的制度を学ぶ
大学在学中、オランダのマーストリヒトに1年間留学したことが、最も印象に残っています。EU公務員を目指す学生と、欧州の政治や歴史、文化など社会的な分野を学べたことは刺激的でした。また、マーストリヒトはベルギーとドイツの国境沿いにあり、異なる言語や文化が共生し、3カ国5都市から成る地方での政策上の協力もなされています。その為、勉学だけでなく日常生活においても、自分の視野を広げる貴重な経験となりました。
職業選択のきっかけは留学先で暮らす人々との交流
留学先での経験を振り返る中で、国際的な経済や開発協力の仕組み、平和・人権、保健・環境などの地球規模課題が、各人の生活に大きな影響を及ぼしていると感じるようになりました。個人の問題の背景にある国際的な構造の改善に、日本が貢献していくことに携わりたいという思いから、「外交官」という仕事が視野に入ってきました。
外交の第一線での役割は重要な任務です
私はスペイン語の専門職員として外務省に入省しました。現在は日米関係に携わっていますが、以前は、中南米にある日本大使館で働いていました。中南米の美味しいコーヒーの産地では、生産者やその子供達などが直面する治安の悪さや貧困等の問題に気づきました。その改善を目指すODA(政府開発援助)の仕事に携わったり、コーヒー産業の季節労働者等として厳しい生活環境に置かれている先住民等の人権状況について、国連人権理事会での日本政府の見解を作成していく作業に関わったりしました。また、パナマ勤務時代に、天皇陛下の即位の礼に参列されたパナマ大統領の接遇も担当しました。外交の仕事は多岐にわたります。若いうちから自分が誇りに思える仕事を任され、経験を積めることは、外務省勤務の魅力ではないかと思います。
最も大事なことは「好奇心」
外務省で働く上で、語学力が求められるのは確かですが、幅広く多様な分野を担当するので、配属先が変われば求められる知識や能力も異なります。そのため、好奇心を持って、広く深く新たなことを学びたいと考えられる人が向いている職業だと思いますし、文系・理系問わず活躍できる職場でもあります。また、日本とは異なる環境で働くこともありますが、そうした中で働くコツは、様々な興味を持って楽しんでいくことだと思います。私はサッカーや音楽が好きですが、そのおかげで、人間の幅が広がり、多様な人との交流や外国生活の楽しみも享受できました。皆さんも様々な事に目を向けて、好奇心を大切にしてもらえたらと思います。
※情報はすべて取材当時のものです。
(掲載元:アンビシャス 2022年春夏号 Vol.18[東京版])
一生をかけて労働問題に アプローチしたいと考え、 労働基準監督官に。
宮﨑 かさね
千葉労働基準監督署
安全衛生課 労働基準監督官(取材当時)
2012年教養学部卒業
働く人の幸せのために
Q.労働基準監督官をめざしたきっかけは?
大学1年生だった2008年、「年越し派遣村」のニュースを見て疑問を感じたことがきっかけです。働くことは人生を豊かにするものであるはずなのに、働くことが人生を苦しいものにしてしまうこともあると知って、労働問題に目を向ける機会となりました。大学で労働法や労働経済などを学んでいたところ、地元の図書館の労働関連のコーナーで「労働基準監督官の仕事がわかる本」という書籍を見つけ、労働基準監督官を知りました。
Q.仕事内容を教えてください
労働基準監督署は厚生労働省の機関です。労働基準監督官は働く人々の安心と安全を守るために、あらゆる業種の事業場に立ち入り、労働基準法や労働安全衛生法等で定められた労働条件や安全衛生水準が確保されているかどうかを調査、指導するほか、時には司法警察官として捜査を行い送検したり、労働災害が発生した場合には、原因の究明、再発防止のための指導を行います。また、業務上または通勤による負傷などに対して保険給付を行う労災補償業務もあります。現在、安全衛生を担当する部署に所属しており、労働災害をなくしたいという思いで毎日仕事に向かっています。一生をかけて労働問題にアプローチしたいと考えていたので、労働基準監督官という仕事は、とても魅力的に感じました。
Q.仕事のやりがいは?
安全衛生課の主な仕事は、働く人が安心して安全に仕事に取り組めるように事業場を監督、指導することです。時には指導内容に抵抗する事業場もあります。何度も説得した結果、納得して会社が前向きに変わってくれたときは達成感があります。労働災害が多発している事業所に調査に行き、災害防止に向けた勧告や指導を行ったことで、実際に災害が減ってきたことを実感し、やりがいを感じます。
Q.大学ではどんなことを学びましたか?
メジャーは法学を専攻し、労働法、民法、憲法などに取り組みました。卒業研究は労働経済をテーマに行いました。統計分析を使って、勤務医の労働市場における流動性について分析しました。法律の勉強のほかにも、教養学部では経済や文学など様々な分野から授業を選択し、幅広く学べるのが魅力です。また、国際的な視点をもった大学なので、世の中の課題を様々な角度から考えることができました。
Q.高校生へのメッセージを
法律に興味があったので法律について学べる学部を選び、そこから一生をかけて取り組みたいテーマを見つけることができました。やりたいことが見つかっていないとしても、興味が少しでもあることは前向きに取り組んでみることをお勧めします。できるかできないかは自分で判断せず、とにかくやってみることで、そのうち自分のやりたいことが見つかると思います。
※情報はすべて取材当時のものです。
(掲載元:アンビシャス 2020年秋冬号 Vol.15[東京版])
私たちの支援で、患者さんが力を取り戻してくれたら
辻 愛季子
東京都 病院経営本部 都立墨東病院
医療ソーシャルワーカー(取材当時)
2012年教養学部卒業
たくさんの出会い、そして寄り添い悩みながら走り続ける日々
Q.公務員を目指したきっかけは?
大学2年次にサービス・ラーニングで活動したのがきっかけです。不登校やニート、精神的問題等を抱えた子どもたちの支援をしました。経済的な余裕がなく、こうした場所にたどり着けない人たちを支援できる職業は何だろうと考えたとき、公務員が思い浮かびました。
Q.仕事内容を教えてください
私は東京都に就職し、現在は都立墨東病院で医療ソーシャルワーカーとして働いています。三次救急医療機関(救命救急センター)なので、身元不明者からホームレス、被虐待児、外国人など様々な背景を持つ人たちも運ばれてきます。患者として受け入れた後のステップとして、今後の診療方法や療養先、退院後の生活、経済面に至るまであらゆる相談にのるのが主な仕事になります。私が担当している患者さんは常に30人くらい。基本的には院内で仕事していますが、たとえば外国人患者の支援で区役所や入国管理局に付き添うこともあります。
Q.仕事のやりがいはどんなところ?
私たちの支援で、これまで希望が見えなかった患者さんの表情が少しずつ変わり、力を取り戻していくのが実感できたときはとてもうれしいです。運ばれてくるのは自らSOSを発信できない人も多いです。まさに私が公務員を目指すきっかけになった"こうした場所にたどり着けない人たち"で、病院がその人たちを支援できる場だったとは、仕事をして初めて知りました。
Q.この仕事に必要なスキルや資格は?
たいていの医療ソーシャルワーカーは、社会福祉士や精神保健福祉士の国家資格を持っています。私は就職してから2回専門学校に入学し、働きながらどちらも取得しました。
Q.この仕事に向いているのはどんな人?
多種多様な価値観を受け入れられる姿勢、そして人の話を聞くことがつらくない人です。私が卒業したICUは、文系・理系を問わないリベラルアーツ教育が基本です。国籍も様々な学生が好きなことを学び、多言語が入り混じったキャンパス内は、それこそ多種多様な価値観であふれている。そうした環境に4年間身を置き、私は人の価値観が様々であることに慣れていました。自分と相手の価値が違っても、それを受け入れ、対話する姿勢を持っていたことが、私がこの仕事をやりやすい理由だと思います。
Q.高校生へメッセージをお願いします
高校生の頃は専門学校、音大、大学と進路について幅広い選択肢を考えていました。その中でICUに一目ぼれし、思っていたこととは違うメジャーを選択して卒業。高校生の時には考えていなかった、違う仕事をしています。今、何がしたいか決まっていなくても大丈夫です。大学は、自分のいろいろな可能性を見つけられる、広げられる場所です。様々な人と出会い、幅広く学んで視野を広げてみてください!
※情報はすべて取材当時のものです。
(掲載元:アンビシャス 2020年春夏号 Vol.14[東京版])
自分を、世界を発見する ― ICU教養学部生4名の学び
卒業間近の学生と教員が語る、ICUでの探求の道のり。入学前の不安、英語、サポート体制、専門を選ぶまで、卒業研究、自分にとってのリベラルアーツなど。
留学生の声「Various Colors of ICU (short ver.)」
Various Colors of ICU (short ver.)
My ICU Life
スティーブンス彩花
教養学部4年(2022年3月撮影時点)
メジャー:国際関係学&生物学
国内外の「留学」で自分の専門分野を見極め、高めたICUでの学生生活
曾根 麻里
2020年教養学部卒業
メジャー:生物学
-生物学に対する興味から神経科学の分野へ
私は高校生の時から生物学に興味があり、なかでも特に人間の心や感情がどのようにしてつくられるのか、ということに関心がありました。ICUに入学した当初は生物学の中でもどの分野で自分のやりたいことを学べるのかがわからず、動物行動学や生態学などさまざまな授業を履修しましたが、3年次の交換留学先で履修した神経科学の授業が自分のやりたいことと合っていると感じ、自分の専門分野として決めることができました。
生物学の授業を中心に履修を進めながらも同時に、もともと興味があった哲学の授業や心理学の授業も履修しました。高校生の時には生物学が本当に自分に一番向いているのだろうか、本当に一番学びたいことなのだろうかと疑問に思うこともありましたが、ICUで実際にさまざまなメジャー(専修分野)の授業や、生物学の中でも幅広い分野の授業を履修したからこそ、学びを深めるだけではなく、今後学びたい分野や大学院進学に対する自分の選択に自信を持つことができたのだと思います。
-ICUでの海外留学経験を通して、研究の基礎をつくることができた
ICUでの学びを語るうえで外すことができないのは海外留学体験です。1年生の夏には海外英語研修(SEA)プログラムでカナダに、3年生の夏には夏期留学プログラムで香港にそれぞれ短期留学をしました。また、3年生の秋から1年間は、カナダのアルバータ大学へ交換留学をしました。費用を気にして留学をためらう人もいるかもしれませんが、ICUではこうした学部生向けの夏期留学プログラムに対しても奨学金制度が充実していて、留学が決して「金銭的に余裕のある人のためだけのもの」ではなかったからこそ、私自身もさまざまな経験をすることができました。
この中でも特に自分の研究の基礎となったのが交換留学先のアルバータ大学での経験です。理系の授業や教授陣が充実しており、アメリカや他の大学だと留学期間が4年生の6月末まで続くのに対し4月末で終了するアルバータ大学は、交換留学参加前から海外の大学院進学も視野に入れ、帰国後の4年次では卒業研究に力を入れたいと考えていた私にとって、とても魅力的な大学でした。初めての長期留学ということもあり、授業の面では良い成績を取るために求められるレポートの量の多さや質の高さを感じたり、課外活動では、中高生に科学の面白さに触れてもらうイベントを企画・運営する学生団体に所属し、主に地域の学校等と直接交渉したり宣伝したりする部門で活動していたのですが、そこでも学外の人と交渉をするのに必要なコミュニケーション能力不足を感じたりと、それまでの自分の強みが強みにならない厳しさに直面し戸惑うこともありましたが、ICUでは学ぶことができない専門的な授業を履修することができただけでなく、海外の大学院に進学するにあたって求められる力や研究経験を積むことができました。アルバータ大学には理系の研究室が100以上あり、ここで自分の研究テーマを見つけられたことが、その後の研究活動の基礎となりました。
-大学間連携協定を活用し、筑波大学で卒業研究を行う
交換留学を機に自分の深めたい研究分野が神経科学であると分かってからは、ICUではできないような、より人間に近い高等動物での実験をしたいと考えるようになりました。筑波大学の中でも私が希望する分野の研究所は研究費が潤沢で、マウスでの実験やこの分野に精通している教授がいることから、筑波大学との大学間連携協定を利用して卒業研究を行うことに決めました。希望する研究室に受け入れてもらえることが決まってからは、筑波大学の寮に住み、筑波大学の研究室で卒業研究を進めました。ICUでは理系分野での特定の専門性を深めるのが難しいと思われがちですが、専門性の高い授業を受けることができる海外留学先や国内の大学間連携協定校が数多くあるため、専門性を高めるための環境は十分に用意されていると実感しています。実際、研究内容とそのレベルが高い筑波大学の国際統合睡眠研究所で卒業研究を行うことができたことで、競争率の高い海外大学院の進学に当たって申し分ない研究成果を得ることができました。
ICUを卒業し、そのままベルギーの大学院に進学することが決まったものの、新型コロナウイルスの影響で渡航が困難となったため渡航を1年遅らせ、東京大学で研究助手として経験を積むことに決めました。筑波大学ではマウスを使った研究を行っていましたが、東京大学ではヒトの脳を使った研究を行ったり、研究の手伝いを通してデータ解析を行ったりすることができたので、研究助手として働いた経験は、大学院での学びについて見つめ直すうえで大いに役立ちました。
-日本からベルギーへ;海外大学院進学という道
興味のある精神医学系の分野では、日本より海外の方が活発な研究が行われているので大学院は海外に進学することを決意しました。なかでも、興味のある研究や授業が豊富行われているKU Leuven(ベルギー)を進学先として選びました。KU Leuvenは、データサイエンスを活かした分析を得意としており、授業についていけるようにICUや筑波大学では学んでこなかった数学や情報科学の分野については「edX(ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学が共同で立ち上げた無料のオンライン教育サービス)」等のオンライン講習サービスなどを利用して進学準備を進めました。
研究に専念するためにはアルバイトとの両立は難しいと進学先の先輩からも言われていたことから、進学準備と並行して奨学金の申請にも時間をかけました。東京大学で研究助手の仕事をしていたことも、「この学生は研究熱心である」ということを客観的事実として示せるプラス材料になったと思いますし、ICUの大学院グループをはじめとした多くの方々に情報を提供してもらったり、ICUだけでなく筑波大学や東京大学で推薦状に書いてもらえるだけの経験や実績を積むことができたことが自分の強みとなり、結果的に2つの奨学金団体の奨学生として選んでもらうことができました。
-受験生へのメッセージ
他大学とは違い、入学後に専攻を決めるICUで多くの受験生が不安に思うのは専門性を深めることができるのか、ということだと思います。私自身、大学に入った当初は同じような不安を持っていました。しかし、ICUでの海外留学プログラムや国内の他大学間連携協定を活用することで十分、専門的な学びを深めることができたと実感しています。言い換えるならば、ICUでは自分次第で専門性を高められるということです。私自身は、実際にさまざまな分野の授業を受けて自分の中の学術的な興味・関心と向き合うことができたからこそ、自信を持って自分の専攻を選択することができましたし、他のICU生が輝いてみえるのもそこに理由があると思います。自分の専門を迷っている受験生の皆さんには、是非ICUで自分の興味を追究していただきたいです。
(記事:ICU学生記者 武居 結紀子)
医療技術と人々をつなぐ「遺伝カウンセラー」をめざして
池田 百音
教養学部4年(2021年2月撮影時点)
メジャー:生物学
日本とアメリカ、どちらの大学に進学するか悩んでいる皆さんへ
岩崎彩子
教養学部4年(2021年3月撮影時点)
アメリカ出身
メジャー:メディア・コミュニケーション・文化
マイナー:法学
受験生へのメッセージ
柴垣 真弥子
4年
受験生へのメッセージ
及川 純 4年
受験生へのメッセージ(英語)
Shrestha Juni 4年
受験生へのメッセージ
中村 萌花 2年
受験生へのメッセージ(英語)
Uroosa Mahmood 3年
受験生へのメッセージ
豊里 陸王 4年
受験生へのメッセージ
小手川 友菜 2年
受験生へのメッセージ
春田 僚子 4年
「今 熱中していることは?」①
岡部 菜々子
2年
生物学メジャー(予定)
「どうしてICUに入学したの?」⑤
「どうしてICUに入学したの?」④
受験生へのメッセージ(英語)
Camaryn Yokota 4年
「どうしてICUに入学したの?」③
「どうしてICUに入学したの?」②
「どうしてICUに入学したの?」①
受験生へのメッセージ(英語)
山上 勇介 4年
受験生へのメッセージ(英語)
成富 美唄 4年
受験生へのメッセージ(英語)
へアストン 茶梨沙 1年
受験生へのメッセージ
加冷 英鵬 4年
受験生へのメッセージ (英語)
バローナ プリシラ 4年
受験生へのメッセージ
佐久間 泉真 2年
絶対に寮に入ったほうがいい
今泉 多詠 3年
受験生へのメッセージ
高橋 花海 4年
受験生へのメッセージ
仲宗根 快 1年
ICUでの学びが生きる医療現場
小倉 和也
1996年 教養学部人文科学科(当時)卒業
はちのへファミリークリニック 院長
性別、年齢、臓器にとらわれない幅広い診療
日本ではまだ一般的ではありませんが、故郷の青森県八戸市で「家庭医」として開業しています。家庭医とは、患者さんの性別や年齢、疾病臓器にとらわれず、患者さんと地域住民の健康問題を幅広く診療する医師のことで、内科、小児科を中心に、中耳炎の治療や簡単な怪我の処置、うつ病や認知症といった心の病まで、一般的な病気は何でも診ています。また、午前と午後の外来時間の間には、計画的に月に1回から2回ほど患者さんのご自宅を訪問する「訪問診療」と、患者さんが急に具合に悪くなった場合、求めに応じて「往診」する「在宅医療」を行なっています。
「家庭医」との出会い
ICUの1年次に海外英語研修(SEA)プログラムに参加し、カナダのヴィクトリア大学で寮生活をしながら午前中は授業、午後は老人ホームに行きボランティア活動を行ないました。一緒にボランティア活動を行なっていた現地の医学部の学生と親しくなり、体調を崩していた身内について「体も心も病気になり、体の病気が複数あった場合には、それぞれの専門家に相談し、精神的なことは精神科にも相談しなければいけない。このような場合はどうすればよいのだろうか」と相談しました。その時に彼女から「そういうことは家庭医に相談すればいいのだよ」と言われ、その時に初めて「家庭医」の存在を知りました。話を聞くうちに、家庭医とは、体の問題は臓器に関わらず診る、そして心の問題も含めて診る医療であること、子供からお年寄りまで地域に合った支えができるということを知りました。実は、父親が産婦人科医ではありましたが、医者になる道を歩むつもりはありませんでした。しかし、家庭医について知り、初めて、家庭医になりたい、人や地域の全体を診て新しい時代に必要な医療を提供する家庭医になろうと決意しました。
安心して暮らせる地域社会を目指して
ICUを卒業した後は、琉球大学(沖縄)の医学部に入学し、卒業後は北海道家庭医療学センターで家庭医療の研修を受けました。この研修は、日本で最初の家庭医療のプログラムで、私はちょうど20人目の卒業生でした。このプログラムから始まった学会の研修制度が、今年度から新専門医制度の中で新たな専門医として設けられた総合診療医の原型となっています。
家庭医という言葉も知られていないのはもちろん、家庭医療の勉強をして開業するということ自体がない時代だったので、開業当初は患者さんも地域の医療関係者も「なんだそれ」という感じでした。次第に患者さんは「内科、小児科、何でも診てくれるのですね」と比較的スムーズに受け入れてくださるようになったのですが、何者か分からないという気持ちは医療関係者の方に強かったのです。まず、医療関係者の理解と信頼を得ることに努めました。信頼を得るためには実績を作っていくしかありません。家庭医はそれ自体が独立した専門医として他の全ての専門医と連携します。いわゆる振り分けではなくて、自分が診るべきものは診て、専門的な治療が必要な場合は適切な段階でふさわしい専門医を紹介し、その後のフォローを行います。この紹介・逆紹介の実績を積み重ね、信頼関係を一つ一つ作っていきました。今では、紹介先の病院で、「はちのへファミリークリニックの紹介であれば、後はしっかりと診てくれるから」と言われたと戻ってきてくれる患者さんが増え、患者さんともそうですが、医療関係者との信頼関係が築けてきたのだなと実感しています。
また、2015年に在宅診療における地域連携事業「connect8(コネクトエイト)」を立ち上げました。八戸で在宅医療の患者さんに関わる医療機関や薬局、福祉施設等がICT (Information and Communication Technology: 情報通信技術)を活用して患者さんの情報を共有、メンバー誰もが同一の患者さんの情報が見られることでスムーズな多職種連携を図っています。このconnect 8は、現在八戸市内の異なる事業所の500人以上の多職種のスタッフが連携し、延べ約1400人を支える仕組みに発展しており、連携ツールの年間のアクセス数は100万件に上ります。2016年には厚労省の委託調査で全国10の先進事例として紹介されたほか、2018年8月、医療介護ICT連携の標準化のための総務省の実証事業のフィールドに選定されました。さらにこのような高齢者を支える「地域包括ケアシステム」の取り組みだけでなく、子供や障害者、子育て世代など全世代が助け合って生活する「地域共生社会」の確立に向けた活動を行うため、昨年度NPO法人Reconnectを設立し、connect8もこの中で市の委託を受けて運営しています。 一人一人の患者さんを大切にすることはもちろんですが、「人々が安心して暮らせる地域」、「働きながら安心して子育て・介護ができるという地域」、「子供達の未来に少しでも住み良い地域」を残せるように医療でも地域作りでも貢献していきたいと思っています。
ICUでの学びが生きる医療現場
もともと人文科学に興味があり、特に哲学を学びたいと思い、教育力のあるICUに入学しました。さまざまなバックグラウンドの学生と一緒に哲学を学びながら、本当に自分がやりたいことは人と接する現場で働くことなのだと実感し、4年次にやはり家庭医になろうと改めて思ったこと良く覚えています。
家庭医になった今、印象に残っているのが入学直後から履修するELP(現在のリベラルアーツ英語プログラム)の授業です。ディスカッションでは「安楽死」がテーマになっていて、答えのない倫理的な深い問題を議論することで、考える力が付き、どのように情報を得て、それをどう判断して自分で学び・考え、どのように実行するべきかという、どの分野においても、勉学でも仕事でも役立つ根本的なことをクリティカル・シンキングやライティングを通して学びました。今振り返ってみても、自分でさまざまなことを考えながら実行する力を付けることができる教育だったと実感しています。
また、家庭医として診療をしていく中でもそうですが、地域の連携作りや執筆・講演を行う中で、さまざまな分野の考え方を取り入れたり、異なる分野の人と一緒に勉強したり協力したりするのが抵抗なく自然にできているというのは教養学部での勉強がバックグラウンドにあったからだと思います。普通に高校から医学部に入学して医者になっていたら、今のような活動をするのは難しかったかもしれませんね。ICUでの経験が総合的に多くの活動の支えとなっています。
自分がやりたいことを見出して、その可能性を伸ばし、さまざまな人と抵抗なく繋がって協力していける。ICUは間違いなくそれぞれの人の個性を引き出し可能性を広げる機会を与えてくれる、価値ある学びの場だと思います。
Profile
小倉 和也
1996年 教養学部人文科学科(当時)卒業、2003年 琉球大学医学部医学科卒業
教養学部人文科学科卒業後、家庭医を志し琉球大学医学部医学科に入学、2003年に卒業。その後、カレスアライアンス日鋼記念病院(北海道)初期研修終了、さらに北海道家庭医療学センターでの家庭医療学専門課程を修了、弓削メディカルクリニック(滋賀県)での勤務を経て、2010年にはちのへファミリークリニック(青森県)を開院。2015年に八戸エリアの総合病院、診療所、訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所、介護施設などが参加するネットワーク、「connect 8」を結成。2017年よりNPO法人Reconnect理事長。
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宮城 和香菜 3年
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