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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ペトレンコ指揮・ベルリンフィル/チャイコフスキー『交響曲第6番《悲愴》』を聴く 

【鑑賞日時】2024.4.29.(月・祝)

【会場】ベルリンフィル・デジタルコンサートホール

【管弦楽】ベルリンフィルハーモニ―管弦楽団

【指揮】キリル・ペトレンコ

【曲目】チャイコフスキー『交響曲第六番ロ短調Op.74《悲愴》』

 

(曲について)

 チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価されている。

副題については、楽譜の出版をしていたピョートル・ユルゲンソンがチャイコフスキーに送った手紙で「《第6悲愴交響曲》よりも《交響曲第6番 悲愴》とするべきだと思います」と書いているなど、少なくとも曲が完成した9月には作曲者自身がこの題名を命名していたことが分かっている。また初演のプログラムに副題は掲載されていないが、チャイコフスキーがユルゲンソンに初演の2日後に送った手紙で「Simphonie Pathétique」という副題をつけて出版することを指示している。

 

 

【演奏の模様】

全四楽章構成。

第1楽章.Adagio - Allegro non troppo - Andante - Moderato mosso - Andante - Moderato assai - Allegro vivo - Andante come prima - Andante mosso
第2楽章Allegro con grazia
第3楽章Allegro molto vivace
第4楽章Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto 速度指定なし

楽器編成、

二管編成(Fl3,Ob2,Cl2,Fg2 Hrn4 Trmp2,Trmb3 Tub1)打(Timp1,大太鼓,シンバル,銅鑼)弦楽五部16型(16-14-12-10-8)

こうした映像配信は、ホールで聴くよりも、演奏を聴く楽しみに、観る楽しみが倍加します。このデジタル・コンサートホールの音声は、相当上等なもので(勿論生で聴くのには及びませんが、かなり詳細に渡って聞こえます。)、且つ映像は非常にクリアで、しかも撮影技術者は音楽を熟知していると見えて、音を発する演奏者を次々と映し出します。こうしたことより生演奏を聴くより、オーケストラの詳細な動きが分かるのです。例えば、楽器間の掛け合いやカノンの動き、フーガートの様子等、音+映像によりさらに理解度が上がります。その上、指揮者の様子が良く把握出来ます。体の動きのみならず、顔の表情、汗がひたたり落ちる様子まで克明に映し出され、特に今回の映像はペトレンコの指揮が如何に力の籠った演奏かを如実に示していました。先ず指揮者の演奏の模様から記しますと、以下の様にペトレンコの指揮は次第に熱を帯び、タクト、手、腕、体を極限に使うばかりでなく、その必死の形相を持って演奏者に様々なサインを送っていた様です。

 将に百面相、日本伝統芸術の能や狂言や俄かのお面以上の様々な表情で、その場の音楽を表現して奏者に伝えていたのです。開演間もなくからペトレンコの額には汗が吹き出し、体一杯の動きと心からの感情を表情に極端に表し、将に獅子奮迅それに食らい付くベルリンフィルのメンバーも自ずから指揮者に必死に食らい付く演奏になっていました。

  

  

 

 各楽章を通して、今回のベルリンフィルの演奏は、細に入り密に出て豊饒な響きを紡ぎ出し、曲が曲だけにオケの大咆哮は有りませんが、チャイコフスキーの表現したかったであろう複雑な心理を美しい流れとして見事に表していました。

 



 しかしペトレンコも今年齢い52歳、まだまだこれからの人ですが、あの様な、全身全霊を込めた魂をぶつける様な指揮をすることは、物凄く疲れることでしょう。命を削って世に恥じない指揮をしている様に見受けられました。

 天が人間に与える総ヴォリウムは、一人一人幾ばくかの差はあっても、それ程大きく違わないのではと思うのです。(勿論中には驚異的なホモサピエンスも僅かでは存在し、天才、超人などと呼ばれることも確かですが)矢張り細く長がーくか、太く短くか、その掛け算結果には、断面積と距離をどの様に選択するかによって最適解が有る様な気もします。兎に角、ペトレンコさん長生きして人々に末永く感動を与えて下さい。と願うばかりです。