【日時】2023.7.22.15:00~
【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】東京交響楽団
【指揮】ジョナサン・ノット
【曲目】
①チャイコフスキー『交響曲第3番 ニ長調 Op. 29 《ポーランド》』
(曲について)
名曲の誉れ高い『ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23』を書き上げてから数ヶ月経過した1875年6月17日に作曲を開始、同年7月2日にはほぼ書き上げており、作曲開始から約2ヶ月経った同年8月13日にはオーケストレーションまで完了させている。当時、チャイコフスキーはモスクワ音楽院に於いて教鞭を執っており、そこで教えていた学生の一人で才能を高く評価していたウラジーミル・シロフスキーと親友関係を築き上げていた。そのためか、1870年代、チャイコフスキーはウクライナのウーソヴォにあったシロフスキーの住まいをしばしば訪れており、当交響曲の作曲を開始した時にもウーソヴォに滞在していた。当交響曲はシロフスキーに献呈されている。
オーケストレーションを終えてから約3ヶ月経過した1875年11月19日、モスクワで開催された第1回ロシア音楽協会演奏会に於いて、ニコライ・ルビンシテインの指揮により初演され、好評を博した。
なお、前記『ピアノ協奏曲第1番作品23』の他、オーケストレーション完了と時期をほぼ同じくしてバレエ音楽『白鳥の湖』の作曲に着手して翌1876年4月に完成させるなど、当楽曲が書き上げられた頃はチャイコフスキーにとって傑作を次々に生み出していた時期にあたっており、そのことを背景にして当楽曲は音楽的に充実したものとなっている。にもかかわらず、演奏される機会はチャイコフスキーの交響曲の中では比較的少ないものとなっている。
チャイコフスキーが遺した完成された番号付交響曲全6曲の中で唯一、長調で曲が始まっているという点だけでなく、2つのスケルツォ楽章を持つ全5楽章構成という点も特筆されている。また、『交響曲第1番”冬の日の幻想”』や『交響曲第2番”小ロシア”』に於いて色濃く見受けられるロシア5人組の影響からの脱却を図っていることも特徴の一つとなっている。なお、前記の通り、当交響曲に『ポーランド』という愛称が付けられているが、これは作曲家自身が付したものでは無く、終楽章(第5楽章)の主題にポーランド特有の舞曲である「ポラッカ(ポロネーズ)」のリズムが用いられていることから、イギリスで付与されたものである。
当交響曲の第2~5楽章については、20世紀アメリカを代表する振付家ジョージ・バランシンが手がけた全3幕のバレエ作品『ジュエルズ』の最終幕「ダイヤモンド」において使用されている。
ルパート・ペネファーザー(右)とアリーナ・コジョカル(左)
②チャイコフスキー『交響曲第4番 ヘ短調 Op. 36』
(曲について)
1877年にヴェネツィアを訪れたチャイコフスキーは、当地の風光明媚なスキャヴォーニ河岸にあるホテル・ロンドラ・パレス(当時はホテル・ボー・リヴァージュという名であった)にてこの曲を書き上げた。ホテルの壁面には「ロシアの偉大な作曲家、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが、1877年12月2日から16日まで滞在し、ここで4番目の交響曲を作曲した」と彫られた碑文が掲げられている。
この時期、メック夫人がパトロンになったことにより、経済的な余裕が生まれた。これによってチャイコフスキーは作曲に専念できるようになり、これが本作のような大作を創作する下地となった。このことに対する感謝の意を表して、本作はメック夫人に捧げられた。
なお、1878年3月1日づけ(ロシア暦、同2月17日付)の有名な手紙の中で、チャイコフスキーはメック夫人にあてて、この交響曲のプログラムに関する説明を試みている。この手紙は、交響曲第4番についてのみならず、彼の創作全般についての示唆を与えてくれる、貴重なものである。
【演奏の模様】
先ず、以前の様にオープニング・ファンファーレがステージで鳴らされるとばかり思っていました。ところが、駅を降りてミューザの入るビルに近づいたら、看板を持ったお姉さんが、行列を整理しています。しかもその行列は、動きません。皆何かを待っている様子。尋ねると、「今年のファンファーレは、舞台ではなく玄関前の広場で行うので、広場が混雑しない様に入場制限をしている」とのことでした。時計を見るとまだ開場前で、エスカレーターの上から外までズーと続く行列の人々は、確かにあの狭い入口前広場には、収まらないでしょう。そうしている内にエスカレーターの上からファンファーレが、響き始めました。数分位だったでしょうか。すぐ鳴り止んだ感じ。という訳で、ミューザ祭りのオープニング宣言の合図たるファンファーレは、うやむやの内に終わったのでした。
さて今日のオーケストラ演奏はチャイコフスキーの7つの交響曲より二作品、3番と4番です。6つある番号付き交響曲の内では4番はそこそこに結構人気曲として知られていて、中々の良い曲です。しかし3番となるとやや知名度も低くなるかも知れません。今日は演奏が無いですが、5番と6番はさらに有名な曲で、ちょくちょく演奏されます。何れの交響曲でも弦楽アンサンブルのうねる様な美しくも情動的な調べが心に響いて来ます。文末に小澤さんが(車椅子姿でない)最後の舞台となったしかもムターさんのソロを最後の指揮した時、別な指揮者で斎藤記念オーケストラが演奏した5番の衝撃的な迫力満点の響きが忘れがたいので、文末にその時の記録を再掲して置きます。(6番は最近もちょくちょく聴いていますが、今回はノーコメントにします)
①チャイコフスキー『交響曲第3番 ニ長調 Op. 29 《ポーランド》』
楽器編成は、二管編成弦楽五部14型(14-14-12-10-8)、全五楽章構成です。
第1楽章Moderato assai (Tempo di marcia funebre) - Allegro brillante
第2楽章Allegro moderato e semplice
第3楽章Andante elegiaco
第4楽章Allegro vivo
第5楽章Allegro con fuoco (Tempo di polacca)
自分の耳で聴いてまた見て、良かった点目立った点その他特記すべき点などを列挙すれば以下の通りです。
〇1楽章冒頭のVn.アンサンブルの低音部演奏とCb.pizzicatoのボンボン音は何か切ない暗さの印象を与える調べで、Hrn.やFg.Ob.Cl.が合いの手を入れ、弦楽pizzicatoはピッツイで旋律を奏でました。最初から中々洒落ている。後半はTimp.に合わせてかなりの強奏で2Vn.の ンジャ ンジャ ンジャと強いボーイングあったり、2Vn.⇒1Vn.⇒Fl.⇒ Cl.⇒Fg.等へのフガート的遷移を元気よく演奏するも、この辺り全体的に清透感がやや不足気味に思えました。
〇この2楽章でも前楽章でも次楽章でも、Pizzicatoが場面展開に果たす役目は大きいと感じた。又各処にフガート的変遷も多様されていました。
〇3楽章の最初の部分も上記通りで、Fg.(2)⇒Cl.(1)⇒Fl.(2)のソロ音が続き、弦楽は全体的にpizzicatoが多く、さらに⇒Fg.の合いの手が入ります。2Vn.⇒1Vn.⇒Va.へ遷移(この間Vc.∔Cb.はpizzi.)続いて珍しくも2Vn.Topがソロ演奏そしてそれが1Vn.の高音アンサンブルに引き継がれるというそうは見られない興味深い展開でした。
〇その後のVc.(∔Cb.)アンサンブルの低音旋律に対してFl(2).の合いの手が入り、さらにFg. ∔Fl.(2)∔Ob.が鳴らす旋律は、何かチャイコフスキーが時々先祖返りする様な民謡的響きを有した演奏でした。
〇この楽章の最後や、次楽章(4楽章)の終盤で、Cb.のPizzicatoの上で鳴らすVa.のトレモロやVc.の速いアンサンブルにFl.(2)が合いの手を入れ、管はフガートの動き、2Vn.のPizzicatoが目立っていたのも面白かった。4楽章前半のTrmb.の結構長い演奏もホホーと思わせるものでした。
最終5楽章では。何と言っても管が時々強く響かせるファンファーレに応じた弦楽奏の分厚い響きが聴き処でした。それが何回も(多分3回だったかな?)繰り返され最後の絶頂に向かって繰り返されるフーガの変遷は、この曲第一の圧巻でしょう。指揮者ギルバートは演奏者の中の一人かと思う位音楽に根注して入り込んでいた様子です。結構長い(55分位)演奏でした。この曲では2Vn.群の活躍というか先導振りが1Vn.群のそれを凌駕していたことが目に付きました。
②チャイコフスキー『交響曲第4番 ヘ短調 Op. 36』
楽器編成は、二管編成弦楽五部14型、全4楽章構成です。
第1楽章Andante sostenuto-Moderato assai,quasi Andante-Allegro vivo
第2楽章Andantino in modo di canzona-Piu mosso
第3楽章Scherzo: Pizzicato ostinato. Allegro - Meno mosso
第4楽章 Finale: Allegro con fuoco
冒頭のホルンとファゴットのファンファーレが鳴り響きます。このファンファーレは運命のファンファーレとも呼ばれ、曲のメインテーマ的に各楽章で登場、この曲に大きなキャラクター付けをしています。中頃のTrmp.によるファンファーレは、何か寂寞感さえ感じる断章的なものでした。そう言えばこの楽章では寂寞感というか切々たる木管楽器の調べに気が止まりました。後半のFg.(2)のソロ音⇒Fl.(1)∔Hrn.ソロ音⇒Ob.首席ソロ音など、楽章全般が結構激しい緊迫感がある中での山椒的ピリリ感かも知れません。これが2楽章のOb.の素晴らしい寂寥感溢れるソロ演奏に繋がるのかも知れません。昨日の都響のOb.も良かったし、日本のOb.名手たちによるリサイタル、コンサート等開かれれば是非足を運びたいと思うのですが(先ずそれに相応しい曲自体が少ないのでしょうか?)。最終場面でのFg.ソロもいい感じでした。
次章第3楽章の演奏曲は、一風変わった感じもする面白さがあった。スケルツォだからこそなのか? Pizzicatoに依る旋律演奏自体は時々見かけることですが、それが徹底したチャイコの遊び心なのでしょうか?うねる旋律を弦楽奏者は、時として激しく弦をはじいたり、1Vn.トップなど弓で叩く様なpizzi.奏法で変化を見せながら弾いていました。
最終楽章、シンバルとTimp.の激しいGo サインが出ると弦楽器群は激しく急奏を開始、激烈な強奏(狂走?)に突き進みます。ノットは今回初めてのチャイコ交響曲の演奏という事ですが、ここまで相当なGentry演奏を慎重に進めて来て、漸く彼らしい力の爆発をしかも散漫にならずコントロール充分に行えたのは、これまでの多くの作曲家の曲演奏で培ってきた賜物でしょう。演奏が終わった途端、間髪を入れず(空白など置かずに)会場からこれまた爆発的歓声と拍手の渦が沸き起こりました。各パート毎に立たせて勞をねぎらう指揮者、歓呼に答える様に何回も何回も起立する楽団員、将に夏祭りのオープニングに相応しい光景でした。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////《2018.12.5.HUKKATS Roc.再掲》
小澤征爾指揮、ムターのバイオリン演奏他を聴いてきました。そうなんです。あのチケットの取れない「ドイツ・グラモフォン創立120周年Special Gala concert(12.5.19:00~atサントリーホール)」です。なんとかチケットが手に入ったので聴いてきました。開場開始の直後の会場前広場(あの広い広場はムターさんを見出したカラヤンにちなんで、「アーク・カラヤン広場」と言うらしい。そのサントリーホール玄関近く)は一種異様な光景に感じられた。多くの黒ずくめのビジネスマンと覚しき人達で埋め尽くされ、係員に「開場時間から30分ですが、まだ入れないのですか?」と聞くと「もう入れます」とのこと。入場前の観客ではなく、どうも協賛企業が招待した得意先の来場者を待つ接待社員達のようなのです。どおりでチケットが買えなかった訳です。多分チケットの多くが企業にまわり、一般向けの枚数は通常より少なかったのでしょう。中に入るとホワイエでは多くの人達が塊となって談笑していました。やはり普通のコンサートの雰囲気ではない。「祝祭」「お祝い」のムードが一杯。120周年の祝い?小澤さんの快気祝い?大ホールに入ると舞台の回りは、綺麗な植物の鉢で縁取りされ、やはりお祝いムード。二階の左サイド席でしたが、舞台の真横ではなく、斜め前から見下ろす位置で、舞台からの直線距離は割りと近く、よく見えるので思ったより良い席でした。入場したサイトウ・キネン・オケは、弦が総勢五・六十人、管が二十人弱、打楽器はティンパニー一人が主力の構成で、圧倒的に弦が優勢。指揮はディゴ・マテウス、小澤さんは最後のムター演奏曲で指揮しました。第二曲目、チャイコフスキーの交響曲5番は、全体的に大変活気のある(もともと曲自体が活気がある)演奏で、時にはうるさい位の大音響で奏でていた。ティンパニーが力一杯思い切りの良い演奏で大活躍、指揮者は時に飛び跳ねてタクトを振っていた。弦の響きはさすがに良く「弦楽セレナード」の響きを想起させる個所も有り。演奏後指揮者が先ず(圧倒的優勢な弦奏者ではなく)管奏者の近くに歩み寄って一人一人紹介するが如く挨拶させていたのが印象的、思いやりを感じました。
ムターさんはバッハのコンチェルト、ベートーベンのロマンス(一番有名な2番でなくて)1番、及びサンサーンスの序奏とロンド・カプリッチオーソの三曲。バッハはややくぐもった音が感じられた。1番のロマンスも綺麗な素敵な曲ですね。十分すぎる表現力でした。サンサーンスで初めて小澤さんが登場、病状に伏して一時回復後腰痛等で演奏をキャンセルと聞いていましたが、それ以来の再登板。ムターさんと手を取り合って登場し、かなり痩せられて気のせいか顔色が若干悪く感じられたのですが、ムターの、小澤さんの方を見ながら曲を奉げるが如き演奏の要所要所は、力をふり絞ってタクトを振っていた。この日最高の演奏と思われました。演奏後は顔色も良くなり器楽奏者におどけた仕草をしたり、音楽に力を貰うお手本を見る思いでした。
観客は総立ち、客席からは割れるんばかりの大拍手と大きな歓声が上がり、小澤さんは何回も何回も退席してはまた舞台に戻り、観客の声援に答えて挨拶を繰り返しておられました。これまでの大業績を考えると本当に涙が出る程の感激でした。お疲れ様、有難う御座いました。さらに元気を回復され素晴らしい演奏をされることを祈ります。
なお、演奏会の休憩後の後半、天皇・皇后両陛下がお見えになられ、最後の観客のスタンディングオベーションの時は両陛下もずっとお立ちになって拍手されておられました。終演後、腕を取り合われながら退席される時に再び大きな拍手が鳴り響きました。平成の戦争のない平和な御代を象徴されるお二人への感謝の拍手とも思われました。とにかく素晴らしいコンサートでした。