<オープニング・ファンファーレ>
13:55開始 歓喜の広場にて
指揮:ジョナサン・ノット
東京交響楽団メンバー
曲目:三澤 慶「音楽のまちのファンファーレ」
<本公演>
【聴きどころ(主催者)】
オープニングは今年も東響と音楽監督ジョナサン・ノットで!昨年に引き続きチャイコフスキーの交響曲から、第2番&第6番「悲」を取り上げる。日本のオーケストラにとっては第4番〜第6番はあまりにもおなじみの超人気作だが、意外にもノット自身はほとんど演奏機会がなかったとのこと。名指揮者が満を持して臨んだ昨年のチャイコフスキー第3番&第4番は、イメージを一新するような響きで再構築され、大いに話題になった。さらに、ノットと東響の「悲愴」はコロナ禍期間中に予定されていたが、入国制限で実現できなかった作品で、今回に懸ける意気込みたるや。第2番の真価と、清新な「悲愴」体験への期待が膨らむ。
【日時】2024.7.27.(土)15:00〜
【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール
【管弦楽】東京交響楽団
【指揮】ジョナサン・ノット(東京交響楽団 音楽監督)
【曲目】
①チャイコフスキー『交響曲第2番 ハ短調 Op.17『ウクライナ(小ロシア)』[1872年初稿版]
(曲について)
『ウクライナ (小 ロシア)」にはふたつのバージョンがある。
1872年、「ロメオとジュリエット」や弦楽四重奏曲第1番といった作品で成功を収 めつつあったチャイコフスキーは、ウクライナのカメンカで交響曲第2番の作曲に着 手した。チャイコフスキーはこの新作に大きな手ごたえを感じ、弟のモデストに宛て た手紙で「形式の完成度という点で、これまでの最高傑作になる」と自信を表明して いる。初演は翌1873年2月、モスクワにてニコライ・ルビンシテインの指揮で行われ た。初演は大成功を収め、すぐに再演の予定が決まった。
ところがその6年後、チャイコフスキーは作品を改訂する。パトロンのメック夫人 への手紙に「交響曲第2番を見直しているが、いくつかひどいところがあるので、第1 楽章と第3楽章を書き直そうと思う。第4楽章は短くしなければならない」と記してい る。全体により簡潔になった改訂稿は1881年にペテルブルグで初演された。以後、 「改訂稿が広く受け入れられるようになったが、タネーエフのように当時から初稿を評 価する声もあった。本日演奏されるのはその初稿である。
第1楽章 アンダンテ・ソステヌート-アレグロ・ヴィーヴォ 序奏でホルンのソロが ウクライナ民謡「母なるヴォルガを下りて」にもとづく旋律を奏でる。改訂稿ではこ れに活発な主題が続くが、初稿ではメランコリックな主題が登場し、格段にスケール の大きな楽想が展開される。終結部で民謡主題が帰るのは同じ。
第2楽章 アンダンティーノ・マルツィアーレ、クワジ・モデラート 自作のオペラ「ウ ンディーヌ」の結婚行進曲が用いられる。中間部はウクライナ民謡「紡ぎ続けて」。
第3楽章 スケルツォ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ 焦燥感のあるスケルツォの 「聞に民俗舞曲風のトリオがはさまれる。終結部で両者が一体となる。初稿のスケルツォ 部分は改訂稿よりも重々しい。
第4楽章 フィナーレ: モデラート・アッサイー アレグロ・ヴィーヴォ ウクライナ民 「鶴」にもとづく陽気な変奏曲。輝かしいクライマックスを築く。初稿は改訂稿に比べ て来章後半が150小節近く長く、入念である。
②チャイコフスキー『交響曲第6番 ロ短調 Op. 74《悲愴》』
(曲について)
あたかも自らへのレクイエムのように書かれた交響曲。
チャイコフスキーが最後に書いた大作が、交響曲第6番「悲愴」である。全編にわ たって悲劇的な性格が濃く、とりわけ曲の終結部は別れの悲しみを連想させる。奇し くも作品の初演からわずか9日後にチャイコフスキーは世を去った。
作曲は1893年。この年、チャイコフスキーはロンドンで交響曲第4番を指揮し、ハ ンブルクでは自作のオペラ「イオランタ」の上演を観るなど、精力的な活動を続けて いた。親交のあったコンスタンチン・ロマノフ大公から「レクイエム」の作曲を勧め られると、チャイコフスキーは「いま書いている交響曲、特に終楽章にはレクイエム の気分があふれています」と答えている。後に大公は交響曲第6番のリハーサルに立 ち会い、「まさにこれはレクイエム」と作曲者の手を握って、涙を浮かべたという。
初演にはコンスタンチン大公はじめ、リムスキー=コルサコフやグラズノフらが臨席し、各界の名士たちが集っ た。チャイコフスキー自身の指揮による演奏は、会場に深い感銘を与え、最後の一音が消えた後、しばらくの沈 黙を経て大喝采が寄せられたという。
第1楽章 アダージョー アレグロ・ノン・トロッポ 作曲者がこの作品について語った標題は「人生について」。 冒頭のファゴットの暗鬱な主題が悲劇的結末を予告する。
第2楽章 アレグロ・コン・グラツィア 珍しい5拍子によるワルツ。
第3楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ スケルツォ風の楽想と輝かしく勇壮なマーチが組み合わされる。 ブラス・セクションの咆哮とともに歓喜と勝利を迎える。
第4楽章 フィナーレ: アダージョ・ラメントーソー アンダンテ 前楽章の歓喜と勝利が幻だったかのようこ 張り裂けるような思いを高ぶらせる。最後は消えゆくように曲を閉じる。
【演奏の模様】
今日は、横浜から近場のミューザでのオープニングコンサートなので、少し早めに家を出て、ファンファーレ演奏を聴くことにしました。
演奏は、エスカレータを登ってすぐ左の会場エントランス前の広場です。思っていたよりも随分多くの聴衆が集まって来て、演奏直前には数百人は集まったでしょうか?予定時刻から5分程経って金管奏者(Hrn.4、Trmp.4、Trmb.3、Tub.1、)打楽器奏者(Timp.、大・小太鼓、シンバル)が入場し、ついで、指揮者ジョナサン・ノット氏が登場しました。挨拶もそこそこに、すぐにファンファーレが鳴り響き、かれこれ20年も続いている三澤 慶作曲「音楽のまちのファンファーレ」 が演奏されました。夏祭り開始が宣言されてまもなく、開場時間となり、広場の聴衆はエントランスから入場開始です。
今日の本演奏の曲目は、オールチャイコフスキー、と言っても2番と6番のシンフォニーだけですけれど。6番は誰しも知る《悲愴》で、50分程の大曲。2番はあまり演奏されない曲で、今回は作曲者が8年後に大改訂(縮小再編)する前の1872年初稿版での演奏なので(この版を聴くのは初めてでした)、大体50分はかかると見て、休憩時間も含めると、ゆうに2時間はかかると思われました。
①チャイコフスキー『交響曲第2番 ハ短調 Op.17『ウクライナ(小ロシア)』[1872年初稿版]
○楽器編成
ピッコロ1、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペ ット2、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニ、シンバル、バスドラム、タムタム(終楽章のみ)、弦楽五部14型(14-12-12-10-8)。
全四楽章構成
第1楽章 Andante sostenuto - Allegro vivo - Molto meno mosso
第2楽章 Andantino marziale, quasi moderato
第3楽章 スケルツォ アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
第4楽章Finale. Moderato assai - Allegro vivo - Presto
第1楽章の冒頭と最後にHrn.のソロの調べが響きましたが、これは配布プログラムノートにある様に、ウクライナ民謡「母なるヴォルガの畔で」から引用した旋律です。チャイコフスキーは、民族音楽を様々な曲に取り入れていて、この2番のシンフォニーでは、かなりその特徴が顕著です。しかし、改訂版を聴いてきた耳の記憶からすると、今回の初稿1楽章では、上記Hrn.の民謡主題がその後様々な器楽によって変奏された響き、或いは派生した同質主題が持たらした響きは、何か憂愁を帯びたロシア(ウクライナ=当時の小ロシアを含む高緯度東ヨーロッパ)の日が沈むと寒くて暗い、たそがれを想起させる感じが強くて、改訂版の様な快活かつ歯切れのいいオーケストレーションの方が聞いていて気が滅入ることがないので、長い第1楽章(改訂版の倍くらいあるのでは?)が終わった後、これは自分の好みではないなと思ってしまいました。
チャイコフスキーがこの楽章を改訂した動機について自ら友人に次の様に語っています。
「この楽章(第1楽章)は圧縮されて短くなり、難しくなくなりました。『あり得ない』という形容詞が当てはまるものがあるとすれば、それはまさにこの初版の第1楽章です。参りましたよ、こいつは何と難しく、騒がしく、支離滅裂で、まとまりを欠いているのでしょう」
その他の楽章についても、チャイコフスキーは、1873年の初演に触れた評論家スターソフ宛の手紙の中で、次のようにも洩らしているのです。
「本音を言えば、始めの3つの楽章に完全に満足しているわけではないのです。ただし、『鶴(第4楽章)』の旋律そのものは、さほどまずかったとは思えませんが。」
そうして1880年1月2日に出版社ベッセリに宛てて、
「1. 第1楽章を新たに作曲し直しました。原形をとどめているのは、わずかに序奏とコーダだけです。2. 第2楽章の管弦楽法に手を入れました。3. 第3楽章を変更しました。曲を切り詰めて、管弦楽法をやり直しました。4. 終楽章を短縮して、管弦楽法に手を入れました」
と改訂したことを告げているのです。
演奏に戻ると、第2楽章では、中程でウクライナ民謡「回れ私の糸車」が引用され、冒頭の引用は、自作オペラ「ウンディーネ」からの結婚行進曲です。このオペラは、事実上のオクラ入りで、上演は恐らくされていないでしょう。散逸を逃れた幾つかの楽譜からウンディーナとフルトブラントの二重唱「おお幸せよ、おお祝福された時よ」(hukkats注)が他分野で利用され、現在も演奏されているのです。もともとこのオペラの結婚行進曲として作られたものです。改訂版との違いは目立ったものではなく、上記ベリッセに「2. 第2楽章の管弦楽法に手を入れました。」と書いた違いは、恐らく両方の総譜を比較しても細部の管弦楽法の手直しにとどまり、聴いて差異が分かる程のものではないのでしょう。
素となったウクライナ民謡は、「糸車」ですから、クルクル回る速いテンポの曲なのでしょうけれど、今回は、アンダンティーノのゆっくりしたテンボの曲でした。テーマ変奏が、弦楽器と木管楽器でフガート的に展開されるのもいとおかし。
ウンディーナとフルトブラントの二重唱「おお幸せよ、おお祝福された時よ」(hukkats注)
この曲は、二重唱からハープとヴァイオリンの曲にチャイコフスキーが編曲し、バレエ『白鳥の湖』のオゼット姫と王子がパ・ド・ドゥ(二人での踊り)を踊る際の有名な舞曲に使われました。コンマスの弾くソロ演奏は、大抵の場合両者の舞踊共々美の極限と言っても良いでしょう。
第3楽章は、速いテンポの民族舞踊的元気な演奏でしたが、決して明るい調べではなく、スケルツォで陰鬱の憂さばらしをしているかの様、短い楽章でした。この楽章も初稿版は、楽譜上かなり複雑な組み立てになっている様で、確かに改訂版を聴くと少しスッキリした感じです。
フィナーレでは冒頭、全管弦楽強奏で、ジャンジャンジャーン、ジャンジャジャジャジャーン、と鳴らされ、さらにその変奏が繰り返されました。明るくしかも荘厳さまで感じられるスタート、やっと最後に来て憂鬱なロシアの霧が晴れたのでしょうか。この楽章では、ウクライナ民謡「鶴」の変奏曲から成っています。「鶴」を調べてみると、日本の「カエルの歌」に少し似た節回し、また「咲いた咲いたチューリップの花が」の節も一部想起させられます。リズム的には、一貫して同じテンボを維持し、しつこく感じられる程でした。後半は、一時新たな調べが響くも、ジャンジャンジャンジャ、ジャンジャンジャーンと再三、「カエルの歌テーマ」に取って代わられ、最後如何にもチャイコフスキーらしさ一杯のフィナーレ旋律を鳴らし続けて終わりました。改訂版とほぼ同じ旋律構成だと思いましたが、配布されたプログラムノートに拠れば、初稿は改訂版より、150小節近く長いそうです。
指揮者がタクトを下ろすと会場からは、大きな拍手喝采と歓声が沸き起こりました。歓声は、その後何回も何回も声を張り上げる人もいました。演奏者も指揮者も満足の表情でした。
ここで休憩ですが、自分としては、拍手は、手が痛くなる程たたいたものの、ブラボーと叫ぶ気にはなれませんでした。これまで叫ぶ時だってあるのですが。どうしてなのか振り返って考えると、先ず終楽章を除いて、いつに無く何となく暗く感じ、気が滅入っていたからです。これは第1楽章の冒頭のHrn.に続く暗い流れが長く続いたことが大きく影響した様な気がします。この箇所改訂版では、流石チャイコフスキーと思わせる全く別のオーケストレーションが入り、最後のHrn.のソロテーマまで、憂鬱になることはありません。それ以降の楽章は、それ程の本質的違いは感じられなかったので、矢張り、チャイコフスキー本人も語っている様に、改訂された方が良かったと自分でも、結論付けました。
さらにもう一つ原因らしき心当たりがあったのは、ノット・管弦楽の、特に弦楽アンサンブルに重厚な響きの互いに差し込む様な、迫力と一体感が余り感じ取れなかった様な気がしたのです。とくに後半楽章で、フガート的に音域毎の弦楽アンサンブルが次々と鳴り響かせる箇所等では。この様な印象は、さらに休憩後の6番でも同様でした。
《20分の休憩》
②チャイコフスキー『交響曲第6番 ロ短調 Op. 74《悲愴》』
◯楽器編成:三管編成弦楽五部
全四楽章構成
第1楽章 Adagio - Allegro non troppo - Andante - Moderato mosso - Andante - Moderato assai - Allegro vivo - Andante come prima - Andante mosso
第2楽章Allegro con grazia
第3楽章Allegro molto vivace
第4楽章Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto 速度指定なし
随分と記録が長くなり過ぎなので、端的に聴いた結論について記しますと、聞き終わった感想は殆ど感動しませんでしたという事です。これまでこの曲は、録音でも、配信でも生演奏でも、何回となく聴いて来ましたが、いつもだと、第三楽章から第四楽章に入り、最後近くの調べを聴くと涙が滲む時だってあるのです。それが無い、どころか何か物足りなさを感じたのです。考えてみるとその原因が、まさに休憩前の2番の最後に記したことでした。
指揮が終わって会場からの拍手は、前半の時よりもはるかに冷静なものでした。掛け声はありませんでした。それでも各パート毎に起立すると、会場からは奏者を労う拍手がその都度おこりました。本演奏に随分時間がかかったためか、アンコール演奏は、ありませんでした
尚参考まで、昨年聴いたヴァリシー・ペトレンコ指揮(ベルリン・フィルのペトレンコとは別人です)、ロイヤル・フィルの6番の演奏の記録を文末に(抜粋再掲)します。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////2023-05-25 HUKKATS Roc.(抜粋再掲)
ペトレンコ指揮ロイヤルフィル演奏会atシビックホール
.【日時】2023.5.24.19:00~
【会場】文京シヴィックホール
【管弦楽】ロイヤル・フイルハーモニー管弦楽団
【指揮】ヴァリシー・ペトレンコ
【独奏】辻井信行(Pf.)
【曲目】
①グリエール/スラヴの主題による序曲
②ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』
③チャイコフスキー『交響曲第6番<悲愴>』
(曲について)
4楽章構成。ただその配列は原則とは異なり「急 - 舞 - 舞 - 緩」という独創的な構成
第1楽章 Adagio - Allegro non tropp
第2楽章 Allegro con graz
第3楽章 Allegro molto viva
第4楽章 Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tan
曲は概ね[急-舞-舞-緩]という珍しいテンポの四楽章構成です(勿論、急に緩有り、緩に急有りで1楽章が一番長く(約20分)、ファゴットの音と続く弦の出だしは、不気味な憂鬱感に満ちたものですが、1楽章前半終わり近くのゆったりした切ないメロディは綺麗ないい調べですね。最後のpppの調べをバスクラリネットがほんとに聞こえない位の消える音で、締めくくりました。ペトレンコは、そのかすかな音をたぐり寄せる様に、指揮の手を楽器群に向けて指揮していました。
中盤の突然、突き上げるかの様なパンチのある強列な音、全パートの強奏が続き、アンサンブルの響きの何と迫力と一体性があるのでしょう。それが終わると最後はゆったりとした主題に戻って静かに終了しました。
続く第2楽章と3楽章は短い楽章です。
③ー2では、民族音楽的調べの舞曲風な流麗なメロディを、ペトレンコは少し早いテンポで引っ張り、オケも力強さの中に優雅さを失わない流石の演奏でした。静かに終了しました。
③ー3は速いテンポのスケルツォから発展するマーチ風のメロディから構成されています。ペトレンコは、二楽章終了のあと一呼吸おいて、アタッカ的に最終楽章に入りました。
軽快なリズムで全力演奏する弦のアンサンブルは最後まで続き、次第に盛り上がって、普通だったら全曲の終わりかと思える程の完璧な終了でした(ダメ押しにティンパニがダダダダンと終了宣言)。何とせわしない楽章なのでしょう。チャイコフスキーの命を削って乗り移らせたみたいな手に汗握る楽章です。それにしてもペトレンコ・ロイヤルフィルの演奏は、何とアンサンブルの響きが重厚なのでしょう。こんなすごいアンサンブルを聴くのは久し振りです(ラトル・ロンドン響以来かな?)。 ピッコロやテューバやシンバルの音がアクセントでピリッ、バシッと聞こえました。
第3楽章の終わり方から見ると次の最終楽章はどうも付け足しの楽章と思えてなりません。もし3楽章と4楽章を入れ替えて演奏したらどんな印象になるのでしょうか等と考えたのですが、
いやこの考えはやはり間違っていました。付け足しどころか第4章は冒頭から分厚い重量感のあるアンサンブルでいかにもチャイコフスキーらしいメロディの連続です。第5番の4楽章の脱兎の如き速いテンポの迫力あるシンフォニーの響きとは異なり、こうしたゆったりした響きを作り出せるとは、チャイコフスキーはやはりすごい人です。名楽章中の名楽章でしょう。ペトレンコは、三楽章終了のあと一呼吸おいて、アタッカ的に最終楽章に入りました。ペトレンコは次第に力が入って来た指揮を、ここでは全霊を込めた感じで身振り手振りを大きく振ってオケを引張っていきました。
打の音からブラスの響きで一旦静まった弦アンサンブルが再び異なるメロディで静かに鳴らしそっと全曲を終えました。その後ペトレンコがタクトを下ろすまで、数秒あったでしょうか。暫しの沈黙の後、盛大な拍手が沸き起こりました。