【日時】2023.7.14.(金)19:00~
【会場】サントリーホール
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】アラン・ギルバート
【出演】キリル・ゲルシュタイン(Pf.)
〈Profile〉
ロシア・ヴォロネジ生まれのピアニスト。最初はクラシックを学んでいたが、ジャズを勉強するために14歳でアメリカに渡り(バークレー音楽大学)、それからクラシックに「戻った」(マンハッタン音楽学校)というユニークな経歴の持ち主である。マンハッタン音楽学校では
ソロモン・ミコウスキーに師事。20歳で音楽の学士と修士号を得た。さらにマドリードのソフィア王妃音楽大学でドミトリー・バシキーロフ、クラウディオ・マルティネス・メーナーに師事。また、2003年と2004年にはコモ湖国際ピアノアカデミーに参加している。
2003年にアメリカの市民権を獲得。シュトゥットガルト音楽演劇大学の教授職も務めている。
【曲目】
①ニールセン『序曲ヘリオスOp. 17』
(曲について)
カール・ニールセンが1903年に作曲した演奏会用序曲。『アラディン』組曲と並んでニールセンの管弦楽曲の中では最も有名である。 この曲はニールセンがギリシャに旅行したときに、エーゲ海の日の出に感激して書かれたと言われ、太陽にちなんでヘリオスと名づけた。日が昇って輝き、やがて沈んでいくまでの様子が巧妙に描かれている。およそ10分から14分
②ニールセン『交響曲第5番 Op. 50』
(曲について)
カール・ニールセンの作曲した6つの交響曲の5番目のものである。この作品は1922年1月15日に完成し、1922年の1月24日にニールセン自身の指揮により初演された。ニールセンの6つの交響曲の中で副題のないのはこの作品を含めて2つだけであり、通常の4楽章の代わりに2つの楽章しかないのはこの作品だけである。
(ニールセンについて)
<Profile>
カール・ニールセン(1865 ー1931)
デンマークでは最も有名な作曲家であり、同国のみならず北欧を代表する作曲家として知られている。
1884年から1886年デンマーク音楽アカデミーに通う。1916年に同楽アカデミーで教員のポストに就き、以降没するまでその職にとどまった。初期にはブラームスやグリーグといった作曲家に触発される形で音楽を書いていたが間もなく自身独自の様式を発展させ、まず発展的調性の実験を行い、後には当時まだ一般的だった標準的作曲法に比べると遥かに急進的な道を選んでいった。フィンランドのシベリウスとは同年生まれである。
③ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op. 30
(曲について)
ラフマニノフが作曲した3番目のピアノ協奏曲。1909年の夏に作曲され、同年11月にニューヨークで初演された。ピアノ協奏曲第2番と同様に、ラフマニノフの代表作のひとつであり、演奏者に課せられる技術的、音楽的要求の高さで有名な作品である。 演奏会で取り上げられる頻度やCDリリース数においても、第2番と同様、高い人気を誇っており、ピアノ協奏曲の分野における名曲の一つとの評価を得ている。
【演奏の模様】
①ニールセン『序曲ヘリオスOp. 17』
配布されたプログラムノートによれば、エーゲ海に太陽が昇り、黄道を通って海に沈んでいく情景を描いたそうです。
まず(Vc.+Cb.)低音弦の微かなうねりの中、Hrn.トップ⇨Hrn.(4)の響きが、Va.アンサンブルへ伝播さらにOb.へ、さらに⇨ Fl. ⇨ 1Vn.アンサンブル へと、フーガ的に継承されて行きました。さらには、Va.の奏でる低音旋律を 1Vn .が引取って高音アンサンブルを奏るのです。この両者のタイミングバランスが良くとれていたと思います。その動きはすぐに全オケに広がりました。全と言っても、Trmb.やTrmp.などは動かないので、Hrn.の響きが目立っていましたが。続いてTrmp.がVc.とCb.の静かな和音に乗って速いテンポのファンファーレを響かせ、Hrn.が対位的に旋律を吹きます。やがて、弦楽の高音化も加わり盛り上がりを見せて一旦静まる様に見えて実はフガート的に展開したりして行き、二度目の盛り上がりに至りました。この間 Fl.がかなり活発化、Fl.のソロ音も鳴らされその後急速に静まって、最後はまた冒頭に戻って尾を引くような Vc.の響きで終わりました。
総じて朝餉の光が満ち始める光臨は、Hrn.の響きが満たし、海上をゆっくりと進むヘリオスの動きは、弦楽器の推移に感じられ、万物の恵みを感謝する様な至福感をニールセンは表現したかったのかも知れない。ギルバート都響はその表現力で聴衆に納得行く演奏を見せて呉れたと思います。ただ欲を言えば十数分でこの一連の太陽の動きを表現するには短か過ぎ、もう少しニールセンもヘリオスに雲がかかるとか、ヘリオスが原動力となって巻き起こる海の嵐とか、変化に富んだ曲にしていれば、曲の魅力倍増となっていたかも知れません。
②ニールセン『交響曲第5番 Op. 50』
全二楽章構成
第1楽章Tempo giusto - Adagio non troppo
第2楽章Allegro - Presto - Andante un poco tranquillo - Allegro
冒頭、Va.のトレモロで開始し(以後も続く。引き継がれていきました。Fg.(2)が合の手を入れ、続いてHrn.が、そしてFl.経由でVn.アンサンブルへと。Fl.とHrn.の掛け合いが少し続き、管は Cl.⇒ Hrn. ⇒Fg. ⇒Ob.へと推移する、低音弦、Vn.アンサンもやや不気味さを孕んだ調べです。するとかすかに小太鼓の音が鳴り出しました。タッタラタッタッタ、タッタラタッタッタと。チーンと金属音もします。小太鼓は女性奏者でした。金属音はTri.か?Timp.がダンダンダンダンとリズムを刻むのに合わせ小太鼓がタンタラタッタッタと盛んに囃し立てます。弦楽アンサンブルが寄り添ってきてCb.はボンボンボンボンと太いpizzicatoで下支え、上に乗るのは、Vn.アンサンブルが一種独特な旋律で面白みを感じました。この辺の楽器の変遷と独特なオーケストレーションは「ニールセンならではの物なのでしょう。続くはCl.の力奏、この曲では彼方此方でCl.が活躍、先のFl.も活躍、それにも増して大活躍と思しきは、小太鼓というかスネアドラムというか、あの軍楽隊的平常リズムでした。次第にバチの力もリズムもいや増しに高まり、後にはギルバートが腕を下方で大きく交差して弦楽アンサンブルの全奏を牽引している際にも、スネア女性奏者は髪を振り乱しながら一心不乱に力一杯に小太鼓を叩いていた姿は、初めて見たしすごく鬼気迫るものが有りました。後で解説を見ると交響曲第5番の主題は、戦争交響曲であったというのです。「暗黒の中の密やかな力、敏感な力」というモットーが鉛筆書きのスコア原稿の裏表紙に書いてあるそうです。
第1楽章の「悪」のモチーフの存在について、ドレリスに向けた文章の中でニールセンは次のように書いているそうです。 ❝~そして、「悪」のモチーフが木管と弦で割って入る。そしてドラムはますます怒り、攻撃的になる。しかし、自然のテーマが金管で平和に純粋に育っていく。ついに悪が敗北しなければならなくなり、最後の逆襲をしたあとに逃げ出す。そしてその後の部分で慰めに満ちた長調でソロのクラリネットが静かな(無為の、思考のない)自然を表現して、この長大な牧歌の楽章を終える。❞ というのです。
あたかも ❝オーケストラの進行を止めることを望んでいるかのように❞ と作曲者が表現した小太鼓奏者へのアドリヴの指示が来るのです。やがてオーケストラのファンファーレに実際加わる小太鼓によって確認されるように、❝この壮大なテーマが最後に勝利を収める。クラリネットが孤独に悲しみを続ける。まるで、勝利の裏にいる多くの戦死者を悼むかのようでもあり、あるいは、小太鼓の弱くなっていく音に対する慰めの曲のようでもある。❞
ニールセンによる小太鼓への指示の言葉は、1950年版のスコアには記されていなく、代わりに、リズム用の線譜が書いてあり、数小節後に「アドリブで」という指示があるそうです。
尚、このスニア演奏の狂ったリズムに呼応してバンダの小太鼓の合いの手も入りました。演奏終了後ギルバートは若い男性バンダ奏者を袖から連れ添って来て挨拶させ労っていました。
この驚くべき第一楽章に対し、第2楽章は速いアンサンブルと切迫した展開からフーガで激しい盛り上がりの全奏・強奏を孕み、力強いオーケストレーションが展開されましたが、印象的だったのはやはり後半のフーガの最初の箇所です。コンマスと1Vn.セカンドの重奏でソロ音を立て、それが2Vn.に引き継がれて、さらに⇒ Va. ⇒ Fg.と変遷したのですが、コンマス達の音質は一流でした。前後しますが、今回のオーケストラが最初の①の曲演奏で入場した時、コンマスに対してびっくりするぐらいの拍手が会場から起きました。後で確認すると、3月で東響を退団したコンマスの水谷さんが、都響にゲストコンマスとして初登場だった様です。彼の演奏は東響の演奏会の他にも、
「チェンバー・フィルハーモニック東京定期演奏会(20年12月)」、「広瀬悦子(Pf)と(弦楽五重奏)演奏会(22年4月)」等の室内楽も聞いた事がありますが仲々いいセンスの演奏をしていた記憶があります。
また第2楽章の最後のフーガの箇所、静かな1Vnアンサンブルの高音が響き、⇒Va.へと変わりそれが再度1Vn.が前面に出て、この間Fg.の音や、Cb.等も交えた弦楽アンサンブルは聴きごたえが有りました。良かった。
この楽章を ❝第1楽章の灰塵から立ち上がるもの❞と評した人もいる様です(ロバート・シンプソン)。またイギリスのカール・ニールセン協会の創設者で会長でもあるジャック・ローソンは、著書の中で次のように述べているそうです。
❝第2楽章では、アレグロに2つの対照的なフーガが含まれており、聴く者は再生した世界を思い浮かべることになる。最初は穏やかだが、新しい戦いと人を脅かす危険を生み出す世界である。交響曲第5番は、来るべき第二次世界大戦を予兆しているのである。❞と。
今回この曲を選曲した指揮者他は将に第二次大戦以上の戦争の喜々にある現状に鑑みたのかも知れません。
それにしても北欧の曲は仏独伊の曲とは相当変わった響きを有する者が多く、初めて聴いた時には新鮮な新たな野菜を賞味した時の様な感覚に襲われました。
演奏が終わると、会場からは、①の曲の時よりも大きくて盛大な拍手と歓声が上がりました。ギルバートは、活躍度の大きい順に団員若しくはパートを起立・拍手で労っていました。先に述べたように小太鼓奏者には会場からも大きな拍手がとんでいました。
《20分の休憩》
③ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』
全三楽章構成
第1楽章 Allegro ma non tanto
第2楽章 Intermezzo. Adagio
第3楽章 Finale. Alla breve
この曲は今年5月に、ペトレンコ指揮ロイヤルフィル演奏会で辻井さんが弾いたのを聴きました。その時の模様は、文末に《抜粋再掲》して置きました。
そこにも記してありますが、❝この曲はラフマニノフが、可能な限界ぎりぎりのハイ-テクニックを必要とする箇所をあちこちにふんだんに鏤めた難曲の一つでしょう。上手く弾ければ最高の満足を聴衆は受け、あちこち瑕疵があるとすぐ目立ってしまうことになりかねません。❞
今日のゲルシュタインはもともとジャズ音楽出身のピアニストらしいのです。ジャズ出身のピアニストは日本人では小曽根さんがいますね。期待と興味半々の気持ちで聞き始めました。その演奏は、第一楽章の最初では力をセーブして運転していたのか、指は速く動いているのですが、オーケストラとの関係に於いていま一つの感を受けていたのです。(今回もピアニストの指使いが良く見える座席でした。ゲルシュタインは指を立てないで、むしろ鍵盤上に平行近くに手を置き、指も平行的に移動させて打鍵していました。)次第に実力を発揮、上記の判断基準、に当て嵌めても最高クラスの満足度を感じてその演奏を聴き終わりました。強靱な力を持った両手で繰り出す動きは、速いパッセッジではまるで機械ミシンの様に上下に指が動き出し、しかもその変化は自由自在、この曲を何百、何千回となく弾いていて目をつむっても弾ける野でしょう(実際には目はつむりませんでしたが)、しょっちゅう指揮者の方を向いたり鍵盤から目を話したりしても、機械の正確さで指が動き廻り止まらないと言った感触でした。特に圧巻の演奏は、ピアノソロに加えオケ演奏でも、各楽章の幾つかの箇所に多く見られました。
先ず、第一楽章終盤でのカデンツァの箇所です。その直前、ゲルシュタインは、体を上下に揺すり強打鍵を浴びせると、オケも合わせて強奏、さらに速い打鍵に1Vn.アンサンが緩やかに合の手を入れると、ソロピアノは高音部で三回和音を鳴らしてから低音部に指を急移動して、その直後からカデンツァに入ったのでした。見た目にもゲルシュタインの指には力が込められている感じ、力強く、速く、しっかりと鍵盤を指で抑え込み、指使いも明快です。猛烈テンポで強打のまま下行すると、オケのフル旋律演奏が入り、途端にゲルシュタインは、オケの伴奏的弱奏に変化、その後 Ob.⇒Hrn.の調べの後のゲルシュタインのソロ旋律の何んと美しいことか!ゆっくりと弱音で弾くのでした。同時に右手は上行して速いトレモロ的調べ、それに続くカデンツァも大変美しいものでした。この辺り技術的には相当高度な箇所と見ましたがゲルシュタインはものともせず難なく弾きこなしたのでした。
それから第2楽章最初のオケ演奏の箇所、弦楽と共にOb.がソロ演奏で高音の哀愁を帯びた旋律を滔々と演奏し出したのでした。Ob.の音質は相当いい音で安定した演奏でした。(ピアノ独奏は暫く休止です)それを受けた1Vn.のアンサンブルもパート奏者の一致した音造りが揃っていて素晴らしいものでした、何回か繰り返し全奏的に舞い上がります。そしてアトランダムな調べの様に聞こえるPf.演奏が入るのですが、アンサンブルにうまく乗せるゲルシュタインの手腕、それに絡みつく美しいアンサンブルの調べ、煌めくPf.のトレモロ、将にこの辺りは「ラフマ美」の極みでした。
そして何と言っても最終楽章の最終場面、オケの流れる様な旋律に寄せてゲルシュタインが指揮者を良く見て弾く同様な旋律、これまた「ラフマ節」の美しさを感じる箇所でした。ピアノソロとギルバート都響はそのまま急に走り出し一気に最後のゴールに突入したのでした。この終わり方にもラフマニノフらしさを感じました。
演奏が終わるかどうかの瞬間待ちきれずに興奮した聴衆は大歓声とともに大きな拍手喝采で演奏者を讃えました。
ゲルシュタインはこの様な演奏が出来るのですからもうこの曲に関しては達人の領域に達していますね。又今日の東京都交響楽団は、普段の演奏も良いのですが、ニールセンの曲達を生で初めて聴いたせいもあってか、その新鮮な演奏には大きな感動を受けました。それを誘導した指揮者、奏者の中心となったコンマスの力も大きな寄与をしたことでしょう。
最後になりますが、先日演奏会を聴いたマエストロ外山雄三さんが亡くなられた報に接しました。誠に残念であります。心からお悔やみ申し上げます。何十年となく我が国の音楽界を指揮指導された功績は、永遠に讃えられ忘れられないでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
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2023年5月24日HUKKATS Roc.<《抜粋再掲》
ヴァシリー・ペトレンコ (指揮)
Vasily Petrenko
1976年生まれ。 サンクトペテルブルク音楽院で学 び、2006年にロイヤル・リヴァプール・フィルハーモ ニー管弦楽団の首席指揮者、2013年からはオスロ・ フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、両 楽団とレコーディングしたショスタコーヴィチをは じめとする数多くのCDは世界中で高く評価され 数々の音楽賞を受賞している。 これまでにベルリン・ フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、フラ ンス国立管弦楽団をはじめとする世界の主要オーケ ストラへ数多く客演、2021年のシーズンからイギリ スのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監 督に就任している。 若手の育成にも力を注いでおり、 EUユースオーケストラの首席指揮者も務めている。
【日時】2023.5.24.19:00~
【会場】文京シヴィックホール
【管弦楽】ロイヤル・フイルハーモニー管弦楽団
【指揮】ヴァリシー・ペトレンコ
【独奏】辻井信行(Pf.)
【曲目】
①グリエール/スラヴの主題による序曲
(曲について)
グリエールは1875年キエフ生まれの作曲家で、1920年から1941年までモスクワ音楽院で教鞭を執った。この曲はその最後の年に作曲された。以下割愛
②ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』
(曲について)
セルゲイ・ラフマニノフが作曲した3番目のピアノ協奏曲である。1909年の夏に作曲され、同年11月にニューヨークで初演された。ピアノ協奏曲第2番と同様ラフマニノフの代表作のひとつであり、演奏者に課せられる技術的、音楽的要求の高さで有名な作品である。1909年秋に予定していた第1回アメリカ演奏旅行のために作曲された。全曲の完成は同年9月。時間の制約からラフマニノフはこの作品をロシア内で練習することができず、アメリカ合衆国に向かう船の中に音の出ない鍵盤を持ち込んで練習を仕上げたという。同年11月にアメリカで初演された後、1910年にグートヘイリ社により出版され、作品はヨゼフ・ホフマンに献呈された。
③チャイコフスキー『交響曲第6番<悲愴>』
《割愛》
【演奏の模様】
今日の会場は、「文京シヴィックホール」。余り足を運ぶ機会は少ないホールです。でも駅からのアクセスは、地下鉄だと通路で直結していて便利ですね。
一昨日、今日と全く同じ内容で、ロイヤルフィルはサントリーHで演奏会を行っていますが、聴きに行けませんでした。今日、このホールで聴くことにしたのです。座席数1800程のホールが、今回は全席完売という大人気の演奏会です。ざーと見た限りでは、女性客の方が3:2位で、多かったかな?
〈二人のペトレンコ〉
さて今回の指揮者ヴァシリー・ペトレンコ は、同じ姓のキリル・ペトレンコと紛らわしいですね。後者は今をときめくベルリンフィルの首席指揮者です。楽団員の選挙で選ばれた謂わば彗星の如く現れた50歳の新鋭です。一方のヴァシリー・ペトレンコは40歳台半ば、マリス・ヤンソンスやサロネンに師事し、各種コンクールでの実績も挙げ、2013年にはオスロ・フィルの音楽監督も務めた謂わば実績派。ロシアの楽団の芸術監督も務めていた。最近はそれも無くなって、現在はロンドンを拠点として活動している指揮者なのです。いずれにせよ両者は旧ソ連出身なのですね。芸術大国の今後は如何に?
さて演奏の方は、
①グリエール『スラヴの主題による序曲』
<割愛>
②ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第三番』
三楽章構成です。管弦楽は、コンチェルトシフトで、楽器減です。
第1楽章 Allegro ma non tan
第2楽章 Intermezzo. Adag
第3楽章 Finale. Alla breve
辻井さんの演奏は、いつ以来でしょう?ほんとに久し振りに聴きました。
この曲は、少なく見積もっても40分はかかりそうな大曲で、しかもラフマニノフが、可能な限界ぎりぎりのハイ-テクニックを必要とする箇所をあちこちにふんだんに鏤めた難曲の一つでしょう。上手く弾ければ最高の満足を聴衆は受け、あちこち瑕疵があるとすぐ目立ってしまうことになりかねません。細部はさて置いて、結論的には、辻井さんの今回の演奏は、上記の前者のケースでした。
・全体を通して、非常に落ち着いた安定度の高い演奏だつた。
・高・低、長・短あらゆる角度から、ほぼ完璧に弾きこなしていた。
・各楽章に出てくる大・小様々なカデンツァ、ソロ部は、合いの手を入れる管弦楽とタイミングがぴったりの息の合ったものだった。
特に長大・要超絶技巧のカデンツァは、神業の如き見事さで乗り切り、聴いていて、唖然としました。
・単に、表現力があるとか演奏感覚が良いというばかりでなく、音楽を心で奏でるのことが出来る演奏者になっていた。(この点は、以前何年か前にきいた時の物足りなさだったのですが、見事益々進歩していたのにも驚きました。)
ざっと挙げて見ても以上の様な素晴らしい、ほんとに完璧と言っても良いほどの演奏でした。ピアノ界いや日本の音楽界にとって宝の存在になりつつあるのでは。大谷選手、藤井棋士に加えてピアニスト辻井は、日本の三大至宝と言ってもいいかも知れない。
尚、演奏後鳴り止まない大歓声と喝采に応えて、ソロアンコールが演奏されました。
≪ソロアンコール曲≫ベートーヴェン『ピアノソナタ第8番〈悲愴〉』から第二楽章。
これまた、心から発する珠玉の歌が心に浸み入りました。
③チャイコフスキー『交響曲第6番<悲愴>』