【主催者言】
キーシンは、その音楽性、深く詩的な解釈、類い稀な演奏技術により、当 代の、そしておそらく歴代のピアニストの中でも、とりわけ才能に恵まれた者 のみに相応しい尊敬と称賛を得てきた。彼は世界中で人気を博しており、 これまでに、アバド、アシュケナージ、バレンボイム、ドホナーニ、ジュリーニ、レ ヴァイン、マゼール、ムーティ、小澤征爾といった世界的指揮者やオーケスト ラと共演している。
1971年10月モスクワ生まれ。2歳の頃、耳で聴いた音楽の演奏や即興 的な演奏を始めた。6歳でモスクワのグネーシン音楽学校に入り、彼の唯一 の教師であるアンナ・パヴロヴナ・カントールに師事。10歳で協奏曲デ ビューを果たし、その1年後には初のソロ・リサイタルをモスクワで行った。 1984年3月、12歳のときに、キタエンコ指揮モスクワ・フィルと共に、モスクワ 音楽院大ホールでショパンの2曲のピアノ協奏曲を演奏し、世界的に注目 されるようになった。
彼が国外に初めて登場したのは1985年の東ヨーロッパであり、翌年に は初の日本ツアーを行った。1988年12月には、カラヤン指揮ベルリン・フィ ルのジルベスター・コンサートで演奏し、1990年ロンドンのBBCプロムスに 初出演。同年、北アメリカでもデビューし、メータ指揮ニューヨーク・フィルと の共演や、カーネギー・ホールの百周年シーズンの開幕を飾る見事なデ ビュー・リサイタルを行った。
世界中から音楽賞や記念賞が次々と与えられており、1986年の最高の 演奏として(これが日本での最初の演奏だった)、大阪のザ・シンフォニーホー ルのクリスタル賞、1991年にはシエナのキジアーナ音楽アカデミーから年 間最優秀音楽賞を受賞。1995年には「ミュージカル・アメリカ」の器楽賞を 最年少で受賞した。1997年、ロシア文化への傑出した貢献に対して、名誉 ある凱旋賞(Triumph Award)が与えられた。これは、ロシアで与えられる最 高の文化的栄誉のひとつであり、ここでも彼は史上最年少の受賞者となっ た。その他にも、マンハッタン音楽大学から名誉音楽博士号、ロシアの音楽 界における最高の栄誉の一つであるショスタコーヴィチ賞、英国王立音楽 院の名誉会員資格、そして直近では、香港大学から名誉博士号(人文科学 系)を授与されている。
キーシンの録音は数々の賞を受賞しており、世界最高の演奏家たちによ る傑作録音のライブラリーに大きく貢献している。2002年にエコー・クラシッ ク賞(年間最優秀ソリスト賞)、2006年と2010年にはグラミー賞(最優秀器 楽ソリスト賞)、その他にもオランダのエディソン・クラシック賞、フランスのディ アパゾン・ドール賞、ヌーヴェル・アカデミー・デュ・ディスク賞グランプリなど を受賞している。
【日時】2024.12.14.(土)14:00〜
【会場】横浜みなとみらいホール
【出演】エフゲニー・キーシン(Pf.)
【曲目】おのおのの(曲について)は、2024-12-02付 "HUKKats Roc『キーシン・リサイタル2024』atサントリーホールを聴く"を参照。
①ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 Op.90』
②ショパン『ノクターン第14番 嬰へ短調 Op.48-2』
③ショパン『幻想曲 へ短調 Op.49』
④ブラームス『4つのバラード』
⑤プロコフィエフ『ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 Op.14』
【演奏の模様】
先のサントリーホールに引き続き、今日もみなとみらいの大会場は超満員、早々とチケットは売り切れた様です。
サントリーホールの時と同じ曲で、同じ演奏順でしたが、両方を聴いた感じでは、さらに表現の細部が緻密になり、気遣いがこまやかになった気がします。
①ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 Op.90』
〇全ニ楽章構成
第1楽章 (速くそしていつも感情と表情をもってMit Lebhaftingkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck)
第2楽章 (速すぎないように、そして十分に歌うように Nicht zu geschwind und sehr singbar vor-getragen)
登場したキーシンは、サントリーホールの時(12/2)と同じ様にホール前面、背面等に挨拶すると、ピアノに向き合い弾き始めました。
タンタータタンタン、タンタータタンタンと徐々にせり上がる単純な旋律を強弱交互に繰り返し、上昇分をゆっくりと弱音で下行しながら、さらに微音でフレーズを終え高音に跳躍、低音域パッセッジとここでも交互に微かな美音を奏でました。キーシンは最初のフレーズは相当力を入れた強音でその後は少し遅めのテンポでじっくりと進行しました。
続く第二パッセッジはかなりの強打鍵で二回音を立てたと思いきや、勢いよく速い指使いの下行スケールで、一気に二オクターブ程下がりました。それを都合三回続け、切れ味の良い旋律を速いテンポで繰り出すのでした。ここまでのキーシンの演奏音の雰囲気は、総じてエネルギーに満ちた力強さと同時に一つのパッセッジの中にも細やかなディナーミクを入れ、繊細この上ない様相でした。表情がとても豊かな演奏と言い換えても良いでしょう。
キーシンの演奏スタイルは、ここ何年も相も変わらずで、身体を上下、前後に揺すりながら、目も時々瞑りながら暗譜で弾いています。苦しそうな表情をする事もあり。今回は、背中をかなり丸めながら弾いていたのが少し気になりました。
続く第2楽章が白眉の演奏でした。冒頭から美しい旋律が迸り出て、左右の手で交互に美しい流れを作り、特に左手の伴奏で右手で奏でる高音がとても麗しいものでした。各音スタッカートを効かせることも有り、この美しいテーマは繰り返して演奏されたのでした。途中短調の変奏も入り、ベートーヴェンらしい旋律が引きも切らず展開しました。キーシンはゆっくりと丹念に調べを繰り出し、気持ち良さそうに弾く風景も。この曲は、音大の卒演等で取り上げられることは珍しくないのですが、(ソナタ全曲演奏会以外の)リサイタルでは、余り取り上げられる事が少ない曲なので、地味な印象を抱かれているかも知れません。しかし今回のキーシンの演奏は、その殻を破る斬新なもので、こんな美しい2楽章は聴いたことないと言える程素晴らしいものでした。この曲の評価をランクアップしたかも知れません。(それだけに表現するのにかなり難しい曲であることも確かです。
②ショパン『ノクターン第14番 』
序奏からゆっくりとした歩みでスタート、キーシンは丹念に音を一粒一粒注意深く紡いで行きます。穏やかな中にも心の不安を抱いているショパンの気持ちが良く出ているこの曲を、キーシンはショパンの心を抉り出す様に、夜のとばりにはけ口を探すかの様に一歩一歩、歩むものの不安は次第に募り、終盤では懊悩が膨らんで、泣き出したくなる様な雰囲気を、キーシンは首を前後に振り腕に力を入れてかなりの強奏で表現していました。終盤はトリルの修飾を多用最後2オクターヴ位の音階を駆け上がって静かに終えるのでした。
③ショパン『幻想曲 へ短調 Op.49』
キーシンは、②の演奏が終わると、一瞬の空白のあと、続けてこの③の曲を弾き始め始めました。オケで言うアタッカの如く。
この曲の構成は次の三つの部分から成ります。
イ.Tempo di marcia
曲は引きずるような序奏主題に始まり、ゆっくりとした葬送行進曲へ。
ロ.poco a poco doppio movimento
それが立ち止まったかと思うと、曲は2/2拍子となり、3連符のパッセージとなる。次第に曲は興奮して行き、ソナタの第1主題に発展する。ソナタは4つの主題があるとみることができ、第2主題は変イ長調、第3主題でハ短調から変ホ長調となり第4主題は変ホ長調となるが、それらは対比を意識したものではなく、1つの主題郡として、楽想が連続したものである。それが終わったかと思うと、再び経過部の3連符のパッセージが現れ、ハ短調と変ト長調で主題が一時的に再現される。しかし、そこから曲は急に落ち着きを見せ、三たび3連符のパッセージが登場する。
ハ.Lento sostenuto
ロ長調3/4拍子のコラールの中間部となる。しかしそれも長くは続かず、突然に打ち切られ、まもなく主題が変ロ短調で再現される。曲は提示部どおりの進行をし、その後3連符のパッセージから、変イ長調でコラール主題が出現し、そこからきらびやかな分散和音によって、変イ長調のまま閉じられる。
この曲はショパンがポーランドを出た直後のポーランドの争乱に関係した曲という解釈も為されることがありますが、純粋に曲の神髄を忠実に表現したと思われるキーシンの表現は流石と思わすものでした。
曲冒頭の❛雪の降る街❜の調べからの旋律を、キーシンはゆっくりとかなりしっかりとした打鍵で静かに開始して高音化。低音の不気味な合いの手の調べがあい重なります。タッチがしっかりとしたかなり遅いテンポで進行しました。一つのパッセッジにも、旋律間にも微妙な強弱の変化を付けて。突然急激なダーンという強打、少し抑さえたダッタタダーンの強打から低音域の上行旋律が速いテンポで繰り出され、これが2回3回と寄せるさざ波の様にしかもaffrettando的に急加速し、風にキラキラ舞う粉雪の如く。それからの高音の速い調べは、まるで雪上を丹頂ヅルが舞いを踊るかの様な美しい幻想風景を、キーシンは描いて見せました。 その後曲の推移は、キーシンの強打奏に圧倒されたかと思うと鎮静化して如何にもショパンらしいシックな調べとなったり、心で紡ぐ様な新たな中音域の曲相に代わったり、安寧の境地に達して心休まる調べがゆっくりと流れ出したかと思うとまたもやバンバンと強打強奏の速い外乱が有ったり、七変化の将に「幻想」という名に相応しい曲でそれを見事に表現したキーシンの凄腕でした。最後のリズミカルなしっかりしたタッチの調べは悟り切ったショパンが前向きに歩む行進なのでしょうか? 素晴らしいショパンの曲の素晴らしい名手による名演でした。
ここで20分の休憩です。
後半はブラームスとプロコフィエフです。
④ブラームス『4つのバラード』
4曲のバラードは、同主調になっている2曲が2組組み合わされた構成となっています。
1.「エドワード」ニ短調 Andante
2.ニ長調 Andante
3.「間奏曲」 ロ短調Intermezzo. Allegro
4.ロ長調 Andante con moto
第1曲はヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの編纂した詩集『諸国民の声 "Stimmen der Völker" 』所収のスコットランドの民族詩「エドワード」に霊感を受けていて、空虚5度やオクターヴ、単純な三和音の多用は、おそらく神話的な過去の雰囲気を与える効果が意図されており、ブラームスのケルト的様式(オシアン様式)の作品の好例の一つと謂われています。
第二曲にはシューマンのクライスレリアーナ終曲へのオマージュが見られます。
詳細は割愛しますが、総じて聴いた感じとしては、これまでのブラームスの曲と謂うと、交響曲にせよピアノ曲にせよ、弦楽曲にせよ、ブラームス臭が芬々の所謂ブラームス節にまみれた曲が殆どですが、このバラード4曲は、そうしたイメージを越えたというか無関係(ではないと思うのですが)にも見える新たなブラームス像の発見だったというのが正直なところです。尤もこの曲はブラームス21歳の若かりし時代、シューマンに師事して間もない頃の作品ですから上記したブラームス節はまだミニ付いていなかったのかも知れません。
キーシンはこれらを前半の様に丹念に(暗譜ですが)楽譜に忠実に表現していたと思います。中でも3曲目で最初から最後までリズムの基調は変わらないものの途中リズム変奏があり、キーシンは首を振りかなりの強打健で演奏していたことや、4曲目で跳躍高音がとても綺麗だったこと、終盤の可憐な美しい曲の演奏等が印象的でした。
ただ曲の多くで退屈な感じも拭えないでしたが。
⑤プロコフィエフ『ピアノ・ソナタ 第2番』
〇全四楽章構成
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ ニ短調 4分の2拍子 ソナタ形式
第2楽章 スケルツォ アレグロ・マルカート イ短調 4分の4拍子 三部形式
第3楽章 アンダンテ 嬰ト短調 4分の4拍子 三部形式
第4楽章 ヴィヴァーチェ ニ短調 8分の6拍子 自由なロンド形式
プロコフィエフの曲は、バレエやオペラ関係で聴くことが時々ありますが、ピアノ曲を演奏で取り上げる演奏家は少ないでしょう。しかしプロコのピアノ曲は難曲で知られたものもあり、彼自身ピアノの腕前は相当なものだったと謂われます。彼のピアノ協奏曲などは、有名コンクールの課題曲や選択曲に指定されることも珍しくありません。
今回のキーシンの演奏したソナタは、聞いてみれば分かりますが、かなりの技術を要するもので、速いパッセッジなどでよく指がこんがらからないのが不思議なくらいの箇所や、遊び心に溢れた箇所、寓意や物語性を感じる箇所、風変りで、軽快さが小気味いい箇所など、①から④の曲には全く無いピアノの響きの連続で、時には不協的響きや異国的響き、現代と古典のハイブリド的響き等、これ等の新鮮さをキーシンは見事に抉り出し表現したのです。最後の速いパッセッジで曲を弾き終えた途端、会場の満員の聴衆からは、これまでにない興奮の大歓声と大きな拍手喝采が沸き起こりました。キーシン恐るべし、プロコ恐るべし、皆スタンディング・オーベーション。これだけ人々の気持ちを高揚させることは、滅多にないことです。
演奏が終わるとキーシンは挨拶を前後等にし、何回か登・下壇した後、日本語で「ショパンのマズルカを弾きます」と語った後、アンコール演奏に入りました。そう言えば、今回のプログラムに葉マズルカ、ポロネーズ、スケルツオ等は入っていなかったのですね。限られた演奏時間でベートーヴェンやショパンやその他の作曲家の曲を弾いたのですから仕方ないことです。
右手の旋律が絶妙な表現でした。こころで紡ぐ演奏とはこうしたものを云うのでしょう。
続いてアンコール2曲目、3曲目、これらすべては12/2のサントリホール演奏会と同じでしたが、演奏前に曲名を日本語で話してからというパターンは横浜みなとみらいホールでの演奏会の特徴でした。
《アンコール曲》
①ショパン:マズルカ イ短調 Op. 67-4
②プロコフィエフ:オペラ「3つのオレンジへの恋」より<行進曲>
③ブラームス:ワルツ第15番 Op. 39-15
満足な気分で帰路につく人々、ホールを出ると街は、既にクリスマス気分満杯。クリスマスツリーだけでなく様々な飾り立てが、施されていました。ビルの一角の常設ね小ステージでは、大学生達の小グループに依る「アカペラコーラス大会」が開催されていました。