村上春樹が僕に教えてくれたカジュアルな格好よさについて

我々の世代にとって、村上春樹の小説は蠱惑の壺であり毒だった。hayakarさんのエントリー「僕と鼠」は、その雰囲気を見事に押さえていて、一昨日はこれを読みながら一瞬の物思いにふけることになった。文学が大衆の嗜好を先導し時代の風俗に影響を及ぼすのはいつの時代にもあったことだろうが、我々の時代にその出番が回ってきたのが村上春樹で、ファンの若者は皆なにがしかの影響を受けたのだと思う。

別にだからといって直接僕が何をしたわけではない。当時の大学生なんて基本的にお金がないし、たとえあったとしてもバーに行ってかっこつける年格好ではない。不細工ななりでは双子のガールフレンドができるほどもてることなんて100パーセントありえない。スパゲッティをゆでておいしい料理を作る器用さと甲斐性は持ち合わせていない。けっきょくは村上春樹の世界は夢の世界、あこがれの国の出来事でしかなかったと言ってしまえば話はまたなんとも単純でさえない。だが、若い男がスパゲッティを作るのも格好いいんだといった類のライフスタイルをめぐるパラダイム転換は、心の中にしっかりと居座った。

面白いもので、外国の翻訳者たちが語っているところによれば、いま現在、ロシアや韓国、中国、台湾など経済発展途上にある国々の若者が、やはり村上作品の風俗的なおしゃれさにころっと参っているらしい。我々の80年代前半とまるで同じなのだ。

でも、村上春樹の世界にそうやって憧れた時代はいつしか過ぎていく。気がつけば自分は中年まっただ中で、老年が地平の向こうに見えるような歳にまでなっているし、村上春樹の書くものも羊男の世界から抜け出して別種の重たさを獲得していた。それにしても村上ももうすぐ60歳。自分が歳をとったのなら、村上さんだって同じように老いの道を歩んでいるはずなのだ。

村上春樹が小説家として存在した自分自身を振り返りながら、同時に長距離ランナーであった自身を振り返る『走ることについて語るときに僕の語ること』には、そうした30年の時が流れている。いや、こう書いてはいけない。これは「走ることについて」村上が語った本だと言わなくてはいけない。ハルキさんが「走ることについて語る」ときに不可避的に彼の小説家としての人生を語ってしまうというのが、この本の成り立ちようなのである。

そういう意味では小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。(p23)

村上春樹にとって走ることは、常に小説を書き続けることのメタファーである。もう一つの重要なメッセージは、村上にとってマラソンへの挑戦が肉体的な老化との戦いであり、意欲の低下との戦いであるということにある。三段論法的に重ね合わせて頂ければすぐ分かるように、つまりこの本は、小説家村上春樹が如何に小説を書くために鍛錬を積み重ね、前を向いて戦っているかを綴った一冊になっている。

第一章で村上は語る。

僕の場合でいえば、四十代後半にランナーとしてのピークがやってきた。(中略)いったいどうしたんだろう? それが年齢的なものだとは思いたくなかった。自分が肉体的に衰えつつあるという実感は、日常生活の上ではまったくなかったからだ。しかしどれだけ否定しようと、無視しようと、数字は一歩また一歩と後退していった。(p24)

今の僕の年齢は村上さんが決定的な肉体の衰えを自覚し始めた四十代後半なのだが、彼の体験の生々しさにはなんとも言えないものがある。僕はランナーとして鍛え上げた体を持つ村上春樹とは違い、不摂生と運動不足の固まりである肉体をぶらさげて五十路前を迎えている。どうしたって、もっとひどいことになっている。こちらのエントリーで紹介したとおり、今年のゴールデンウィークに戸塚の我が家から東京駅までの43キロを歩いたのだが、最後の10キロは足を引きずって辛い思いをした。これでも若い頃は山登りに精を出し、足にはそこそこ自信があった。40キロを平地で“歩く”ぐらい何でもないはずだったのだが、老化の程度は僕の予想を遙かに超えていたことになる。しばらく長い距離を歩きたくなくなってしまった。
思い起こせば、その数日前に日帰りで山に登ったときにも簡単に足がつりそうになり、足を引きずりながら下山した。老眼は急に進むし、ごわごわだった髪の毛は糸よりも細くなり頭頂は禿げてくるし、肌はぱさぱさでしみだらけになってくる。筋肉は落ちて、顔から腹からすべてたるんでいる。鏡の前に立つと、見たことのないくたびれたおっさんがこっちをとろんとした目で見ているじゃないか。

まあ、僕のことはいい。村上さんに戻ろう。走っても走ってもタイムは伸びるどころか落ちていく事態に直面し、村上春樹は走ることに対する倦怠期を迎える。といいながら脇道にそれてやっているのがトライアスロンというのだから、それはもう笑うしかないのだが。

その村上さんに変化が訪れたのは2005年、10年ぶりにボストンで暮らし始めたときのこと。「チャールズ河を目の前にしたとき、「走りたいなあ」という気持ちがどこからともなくわき起こってきた」のだ。その2005年から2006年にかけて、他の仕事の合間を見つけて書き続けてきたのが本書、走ることをめぐる彼の半生をふりかえりながら、同時に2006年秋のニューヨーク・シティ・マラソンにチャレンジするさまと心の動きを語っているのが本書である。

村上は本書のエンディングを確信犯的アンチクライマックス風に、しかしとても美しく仕上げてみせる。格好悪いが格好いい。言ってしまえば、そういうことだ。もっと言ってしまえば、最後に何を達成したかは問題ではない、問題は自分自身がその挑戦に納得したのかどうかだ、ということだ。

ただこれだけはかなりの自信をもって断言できる。「よし、今回はうまく走れた」という感触を取り戻せるまで、僕はこれからもめげることなく、せっせとフルマラソンを走り続けるだろう。身体が僕に許す限り、たとえよぼよぼになっても、たとえまわりに人々に「村上さん、そろそろ走るのをやめた方がいいんじゃないですか。もう歳だし」と忠告されても。(p203)

村上春樹は、都会生活に埋没する若者の孤独を癒し、アメリカナイズされた文体を、スパゲッティを茹でることを、ソルティドッグの甘さを教えてくれた。それらはいわば都会生活の中に見いだすカジュアルな格好のよさとでも呼ぶべきものであり、ハルキさんのおかげで、僕らの日常は幾分なりとも楽になった。そして、今、このなんとも泥臭い、ハッピーエンドのノンフィクション作品によって、足を引きずってでも自分が自分に課したサムシングにこだわり続けると書くことによって、ハルキさんは、僕にまた再び、前を向いて進む勇気を与えてくれたと感じている。単なるエッセイの読後感としては少々大袈裟に過ぎるかもしれないが、そう書いてしまおう。

今の村上春樹が僕にくれたカジュアルな格好のよさはそんなかたちをしている。