それでは雲仙に向かいましょう。島原駅に戻って自転車を返却し、雲仙行きのバスに乗り込みました。左手に海と天草、右手に山なみが見える風景を楽しんでいると、50分ほどで雲仙に着きました。
そして雲仙観光ホテルへ、並木道の向こうに三角屋根の正面部分が見えました。はやる気持ちをおさえながら歩を進めると、並木が終わり、
ホテルの全貌が姿を現わしました。気分を高揚させる上手いアプローチですね。(※最初の一枚は翌日の朝に撮った写真です)
まずは雲仙観光ホテルの
公式サイトからホテルの歴史について引用しましょう。
日本初の国立公園に指定された雲仙は、古くから外国人避暑地として親しまれて参りました。
昭和7年、外国人観光客誘致を目的に、国策として外国人向けのホテルが日本各地に建設されることになりました。良質な温泉に恵まれ、豊かな自然に恵まれたこの地にも洋風建築のホテルが建てられることになり、雲仙観光ホテルは開業いたしました。
昭和10年10月10日午前10時に、ハーフティンバーのスイスシャレー様式を取り入れた象徴的な建築は、 竹中工務店の設計・施工第一号ホテルで、その完成に全力を注いだ彼らの熱き思いと高い理想は、現在もなお当ホテルの滞在スタイルの中に現れています。(設計者:早良俊夫氏)
設立当時、雲仙はもとより長崎県内にもこの様な豪華絢爛かつ近代設備が整った建物はありませんでした。この地を訪れたハンガリー文化使節団メゼイ博士は、「雲仙の自然は素晴らしい。南欧チロルの山の美にリビアの海の美を加えたようなものだ。崇高な世界美というものは、東洋的美と西洋的美が一体となったものだと思うが、雲仙でこれを発見することができた。東洋的であり、西洋的であり、しかもなんら不自然さがない」と、称賛されたと記されています。
客船をイメージした館内には、客室61室、メインダイニング、バー、売店、図書館、理容室、会議室、ビリヤード場、硫黄泉浴室男女1室が完備されており、現在も館内には当時の面影がそこはかとなく息づいております。
昭和21年、駐留米軍に接収され「休暇ホテル」として利用されていましたが、昭和25年の接収解除後に営業再開。同年、国際観光整備法に基づき政府登録ホテルに登録されました(第ホ29号)。昭和54年、「建てられた時代を象徴する総合芸術であると共に歴史を伝えるモニュメントである」と、日本建築学会により近代日本の名建築に選ばれました。平成15年1月31日、「貴重な国民的財産である」とされ、国(文化庁)の登録有形文化財に登録されました(登録有形文化財 第42-0019号)。また平成19年、長崎県「まちづくり景観資産」に登録、経済産業省「近代化産業遺産」に認定されました。