山形編(34):鶴岡(11.8)

 それではそろそろ高屋駅へと戻りましょう。13:35発の陸羽西線余目行きに乗り込み、右手に流れる最上川を眺めていると、やがて鳥海山の美しい稜線が見えてきました。
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 そして余目駅で羽越本線に乗り換えます。ホームからは、いわくありげな大きな木造倉庫や木造家屋が見えましたが、途中下車する余裕は残念ながらありません。再訪を期しましょう。
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 そして鼠ヶ関行きに列車に乗車。さすがは米どころ、車窓からは大地をおおいつくす一面の美田が見渡せます。そういえば、漫画『美味しんぼ』で、京極万太郎氏がブラインド・テイスト・テスト(?)で見事に看破したのが余目米でしたっけ。
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 そして14:22に鶴岡駅に到着しましたが、さきほどから降りはじめた雨が上がっていません。街歩きに支障をきたすのもさることながら、今晩泊まる湯野浜温泉で日本海に沈む美しい夕日が見られそうもないのが痛いですね。まあこれも小生の日頃の行いの結果と後ろ向きに考え、諒としましょう。駅の構内に「駅から観タクン」のポスターがありました。そう、格安料金で二時間タクシーを貸し切れる、散変御用達のタクシーなのですが、今回は利用する機会はなさそう。またレンタルサイクルもあるのですが、この雨では無理ですね。駅前には、「雪の降る町を発想の地つるおか」という記念碑がありました。何でも作曲者の中田喜直が、ここ鶴岡を訪れた時の降雪風景から楽想を得たとか。
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 その近くにある観光案内所で観光地図をいただき、街の中心部へ行くバスを教えてもらいました。そしてバスに十分ほど乗ると、庄内藩校「致道館」の前に着きました。入口には「藤沢周平 その作品とゆかりの地」という看板。そう、鶴岡は藤沢周平の出身地なのですね。読もう読もうと思いながらも、彼の作品は未読です。これを機会にチャレンジしてみようかな。そして致道館に入り、内部を見学。重厚にして質素な建築や往時の資料を拝見しました。
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 すぐ近くにある鶴岡公園の一角には、高山樗牛の記念碑がありました。そうか、彼も鶴岡出身なんだ。とは言っても、『滝口入道』しか読んだことがありませんが。ルネサンス様式風のドーム・白塗りの下見板と、瓦屋根のミスマッチがなんともユニークな洋館「大寶閣」は、大正天皇の即位を記念して1915(大正4)年に建てられたそうです。その前にあるお堀には、カルガモの親子連れがもこもことかたまっていました。山ノ神がおやつに持参したパンをお堀に投げ入れると、わさわさと追いかけていく子ガモたち。それを(たぶん)目を細めて眺めながら、(おそらく)"這へ泳げ二ツになるぞけさからは"と一句詠む親ガモ。心暖まる光景ですね。
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 その裏手にあるのが藤沢周平記念館。脇を通り過ぎ公園の中を散策していると、綿あめのような雲にくるまれた鳥海山の山頂が遠望できました。こちらのお堀には「ここはこどもつりぼりです。おとなはつりをしないでください。」という注意書きがありました。いいなあ、放課後になると"堀いっぱいのこどもかな"状態になるのでしょうか。
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 そして数分歩くと、歴史的建造物を移築保存する致道博物館に到着です。その門前に喫茶店があったので、逸る心を抑えて一休みすることにしました。香り高い珈琲を堪能し、お代を支払って外へ出ようとすると…壁のところに「松ヶ岡開墾場」というポスターが貼ってありました。たしか、明治維新後に窮乏した士族が開墾事業に取り組んだ際につくった大蚕室が保存されているという話をどこかで聞いたことがあります。そうか、このあたりだったのか。明日の旅程に組み込んでみようかな、などというスケベ心が漣のように脳裡をよぎりました。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-01-08 06:20 | 東北 | Comments(0)
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