「山頭火百景―さてどちらへ行かう風がふく」(渡邉紘著)(春陽堂)を読んだ
「山頭火百景―さてどちらへ行かう風がふく」(渡邉紘著)(春陽堂)を読んだ
山頭火のことだけかと思って読み始めたがさにあらず、多くは作者と思われる「男」と多くはその妻と思われる「女」の思いや日常と絡めて山頭火の人生や句が紹介される。
作者の思いや人生と山頭火の人生が重なりあっており自分の体の中を通り抜けている文章であり「山頭火」である。
山頭火は啄木と全く同じように知人に金の無心をしているという印象を受けた。
金が入ると山頭火が酒を飲み、啄木が浅草に行くか本屋に入ったのが違うが、、
山頭火の「銃後」という作品に絡めた「瞳」という章が印象に残った。
そこにはこういう句が紹介されている。
ふたたびは踏むまい土を踏みしめて征く
ぼろぼろしたたる汗がましろな函に
その一片はふるさとの土となる秋
ひっそりとして八ツ手花咲く(戦死者の墓)
「月明」という章にもこんな句があった。
月の明るさはどこを爆撃してゐることか
(遺骨を迎ふ)
しぐれつつしずかにも六百五十柱
もくもくとしてしぐるる白い函をまへに
この句に関連して山頭火はこう書いているという。
「今朝も早くから、出征を見送る声が聞こえる。私はその声を聞き入りつゝ、ほんたうにすまないと思ふ、合掌低頭して懺悔し感謝した・・・」「自己を正しうし、愚を守ろう、酒も出来るだけ慎んで、精一杯詩作しよう・・それが私の奉公である。」(昭十二・十・二十二)
「曲なれば」という章にはこういう句が紹介されている。
(遺骨を抱いて帰郷する父親)
ぼろぼろしたたる汗がましろな函に
お骨声なく水のうへをゆく
この章のタイトルは「曲なれば則ち全し」(曲則全)という老子の言葉すなわち著者の訳に依れば「曲がりくねった木のように役立たずであれば、結果として生をまっとうできる」として山頭火の人生の歩みに触れている。
この章に山頭火は中国の人から日本の「杜甫」とも目されているという記述があった。
著者は「銃後」について触れたあとこう書いている。
「そもそも山頭火の「銃後」は、国の非常時に無用なる自分を、慙愧、羞恥して、詩をもって国策に殉じんがための句作であったはずだ。そんな彼に“撃ちてし止まん”といった明快単純な当局期待作が生まれようはずがない。なんとなれば「曲なれば」の道を歩みつづけた山頭火だ。彼は人間の存在するところを深く深く閲して、まことなる句の創作に呻吟する詩人であったからだ。
盛唐時代の杜甫は戦乱に翻弄された憂国の詩人として知られるが、かの中国の詩人たちから、山頭火は日本の「杜甫」とも目されているそうな。」
たまたま今日は8月15日であり職場で12時に黙祷を捧げた。
12時から1分間の黙祷をしましょうという放送でのアナウンスがあった。
官庁では毎年行っているようだ。
民間企業では行われてないと思うが高校野球と官庁では行われている。
是非続けて欲しいし民間企業でもやるといいと思う。
一つでいい「終戦記念日」
敗戦を終戦といい
七十三年
公彦
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