家事の時間,眼からうろこだ。
2008年 01月 27日
紅梅のほうが少し早めに,でも白梅も咲き始めた。
まだ香るほど花開いているわけじゃないけれど,たしかな
季節の変化。
近づいて香りを楽しみたいもの。
でも,とどかないんだよなぁ・・・
ここのところ,ブログの更新をしないでいた。
からだと気持ちがパソコンにむかわなかったから。
その感じに忠実におやすみ。
このブログを訪れてくれる人もかなり少なくなって,ひとりよがりな
内容になってきたかなぁ,なんてことも思いつつ。
でも,とりあえず続けようとは思う。
品田知美 『家事と家族の日常生活』 (学文社)を読んだ。
副題は「主婦はなぜ暇にならなかったのか」というもの。
高度経済成長の時代に,三種の神器といわれる家電の普及に
よって,家事仕事は楽になった,と簡単に信じられてきたように
思う。
わたし自身,家事はかなりの手抜きだから,普通の主婦をやって
いる人から比べたら,楽に決まっている。
でも,調子がよければ4・5時間は家事仕事に関わる何かに
向かっているから,主婦という人たちは,どんなに大変なことかと
いつも尊敬の眼でみてしまう。
だから,主婦は「楽している」とは,わたし自身は決して思わない。
ただ,ある種のストレスからは自由だと思うけれど。
ただ昔は大変だった,そういう思いこみは確かにあった。
だから,この本はとっても新鮮に読めた。
洗濯の回数,食事のありかた,家族のありかた,清潔感の違い,
こんなものがファクターになっていたとは。
たとえば,テーブルで食事をするようになる前,銘々膳が使われて
いたころは,月に2回しか食器を洗わなかったという記録もあるという。
ちゃぶ台が使われていたころは,ちゃぶ台が小さいのでたいして
食器が置けなかったから,おかずの数も少なかったとか・・・
ヨーロッパの育児と日本の育児の違いも関係している。
ヨーロッパでは子どもが少し大きくなると,家事の手伝いを
どんどんやらせるし,男性もまた参加するそうだ。
そして一番の根本的な違いは,日本は家事・育児を
アンペイドワークととらえるのが,割と簡単に進んだが,
西欧ではそうじゃなかったってこと。
西欧では家事・育児は仕事ではなく,
(西欧では仕事はLabour・・・スペル違う?・・・苦痛の伴うものと
考えられているが,日本では働くということばに,いろんな意味が
付け加わっていて,単なる苦痛としてはとらえられていない)
プライベートなボランテアのようなもの,必要なもの,大事なもの,
という感覚が強いのだという。
(アンペイドワークということば,シャドーワークということばが,
西欧の考えからでてきたっていうのは皮肉?)
家事や育児がもっと大切なものという感覚が,日本の中に
定着してもいいとわたしは思う。
だからこそ,家族の全員が家事に関わり,生活を大切にすると
いう方向にむかったらいい。
もちろんそのために,仕事(賃金労働)がへっていくことが前提。
ワーキングプアーという現象があったり,失業・就職難が問題と
なっている時代に,仕事を減らすというのは勘違いといわれそう。
けれど,それは新自由主義的な政策をのんきに取り入れている
こと自体が問題なのであって,社会は変わっていけるということを
忘れちゃいけないと思う。
それにしても,こういった家事・育児に関する社会学的,
あるいは経済学的研究がもっと進んでほしいというのが実感。
この本に書かれている事を,検証する,比較するためにも,
もっと情報がほしいと思う。
なんて,今日はちょっとかたい話になってしまったかなぁ・・・
ではまた。
まだ香るほど花開いているわけじゃないけれど,たしかな
季節の変化。
近づいて香りを楽しみたいもの。
でも,とどかないんだよなぁ・・・
ここのところ,ブログの更新をしないでいた。
からだと気持ちがパソコンにむかわなかったから。
その感じに忠実におやすみ。
このブログを訪れてくれる人もかなり少なくなって,ひとりよがりな
内容になってきたかなぁ,なんてことも思いつつ。
でも,とりあえず続けようとは思う。
品田知美 『家事と家族の日常生活』 (学文社)を読んだ。
副題は「主婦はなぜ暇にならなかったのか」というもの。
高度経済成長の時代に,三種の神器といわれる家電の普及に
よって,家事仕事は楽になった,と簡単に信じられてきたように
思う。
わたし自身,家事はかなりの手抜きだから,普通の主婦をやって
いる人から比べたら,楽に決まっている。
でも,調子がよければ4・5時間は家事仕事に関わる何かに
向かっているから,主婦という人たちは,どんなに大変なことかと
いつも尊敬の眼でみてしまう。
だから,主婦は「楽している」とは,わたし自身は決して思わない。
ただ,ある種のストレスからは自由だと思うけれど。
ただ昔は大変だった,そういう思いこみは確かにあった。
だから,この本はとっても新鮮に読めた。
洗濯の回数,食事のありかた,家族のありかた,清潔感の違い,
こんなものがファクターになっていたとは。
たとえば,テーブルで食事をするようになる前,銘々膳が使われて
いたころは,月に2回しか食器を洗わなかったという記録もあるという。
ちゃぶ台が使われていたころは,ちゃぶ台が小さいのでたいして
食器が置けなかったから,おかずの数も少なかったとか・・・
ヨーロッパの育児と日本の育児の違いも関係している。
ヨーロッパでは子どもが少し大きくなると,家事の手伝いを
どんどんやらせるし,男性もまた参加するそうだ。
そして一番の根本的な違いは,日本は家事・育児を
アンペイドワークととらえるのが,割と簡単に進んだが,
西欧ではそうじゃなかったってこと。
西欧では家事・育児は仕事ではなく,
(西欧では仕事はLabour・・・スペル違う?・・・苦痛の伴うものと
考えられているが,日本では働くということばに,いろんな意味が
付け加わっていて,単なる苦痛としてはとらえられていない)
プライベートなボランテアのようなもの,必要なもの,大事なもの,
という感覚が強いのだという。
(アンペイドワークということば,シャドーワークということばが,
西欧の考えからでてきたっていうのは皮肉?)
家事や育児がもっと大切なものという感覚が,日本の中に
定着してもいいとわたしは思う。
だからこそ,家族の全員が家事に関わり,生活を大切にすると
いう方向にむかったらいい。
もちろんそのために,仕事(賃金労働)がへっていくことが前提。
ワーキングプアーという現象があったり,失業・就職難が問題と
なっている時代に,仕事を減らすというのは勘違いといわれそう。
けれど,それは新自由主義的な政策をのんきに取り入れている
こと自体が問題なのであって,社会は変わっていけるということを
忘れちゃいけないと思う。
それにしても,こういった家事・育児に関する社会学的,
あるいは経済学的研究がもっと進んでほしいというのが実感。
この本に書かれている事を,検証する,比較するためにも,
もっと情報がほしいと思う。
なんて,今日はちょっとかたい話になってしまったかなぁ・・・
ではまた。
by KATEK
| 2008-01-27 20:29