かたすみ速報

日本及び周辺諸国に関するニュースと2chまとめサイト。ネットの片隅で更新していきます。

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    タグ:起源主張

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    1: LingLing ★ 2024/10/12(土) 23:57:17.64 ID:wm/yHofK
    「アイスクリームケーキ」発明国、Kデザートの歴史

    一国の豊かさの尺度は「デザートの多様性」が見せてくれるという話がある。デザートは生存に欠かせないぜいたく品だ。これと共に多様な食糧資源を多く消費し、手間が多くかかる。このため、デザートがどれほど発達したかは国家の富、交易量、発展した労働人力、そして十分な消費階層があることを全て見せてくれる文化的尺度だ。

    わが国で後食(※飲食の締めに食べるもの)の記録は、間接的ではあるが最初に現れたのが三国時代だった。当時、蜂蜜は上流層が主に好む高価なデザートであり、果物は全階層が好むデザートだった。甘味のない後食であるシルトック(蒸し餅)とスンニュン(おこげ湯)も貴重なデザートだった。三国時代だけでも、農業が発達できずに米は貴重な穀物だったので、平民以下の階層は粟と粗い雑穀、山菜中心の粥を主に食べた。貴族と王だけが、米を粉にして甑で蒸した餅とご飯を食べることができた。釜に粥ではなく、ご飯を大量に炊いてから得られるヌルンジ(おこげ)、そしてヌルンジに水を注いで沸かしたスンニュン(おこげ湯)は、貴重な後食扱いを受けた。

    元日王である裕仁が「個人的に日本の王家は百済から由来したことで合っている」と考えているとし、日本皇室がいまでも維持している韓国式のトック(餅)の製造法を紹介したことがある。つまり、日本の餅は普通、臼で米やもち米の飯をついて作る方式だが、ただ皇室でのみ韓国のように米粉を出して甑で蒸した餅を食べるということだ。また、食事の後食として、必ずスンニュン(おこげ湯)を食べる慣習もあるとし、これもやはり韓国から渡ってきた風習だと話したことがある。

    東洋では、菓子はもともと果物の代替品だった。果物を意味するクァは「果」と異体字である「菓」、二つの漢字を使用した。地中海とヨーロッパ文明では、祭祀は供物になる家畜の中で人が食べることができない油と骨を燃やして、その香りを神に歆饗することだったとすれば、東洋の祭祀は最も良い酒とつまみ、または茶と果物を捧げる行為だった。しかし、祭祀と記念日が常に果物が豊富な季節にあるとはいえないので、果物の代替品として菓子を作り、その中で異体字である「菓」を初めから菓子という意味で呼ぶようになった。また唐国以降、三国時代末から韓国に茶文化が流入してきて、ほろ苦い茶と合う甘い菓子類と果物類の需要が生まれることになった。

    高麗時代には、韓国デザート文化に一大激変が起きた。仏教が発展して、茶文化が隆盛しながら茶菓が発展したのだ。同時に2つの革命的なことが起こった。一つは飴と水飴の導入だ。そしてもう一つは、国際交易を通じた食文化の変化だった。

    ○軍用食糧「タンフル」が今は子どもたちの間食

    高麗時代は、三国時代に比べて農業技術が発達し、米と主要穀物の生産量が大きく増えた。同時に中国から、麦の芽を乾かして穀物を糖化する酵素として使われる麦芽が伝来し、米を麦芽で糖化した飲料であるシッケ、シッケを煮詰めた水飴、水飴をさらに煮詰めて固めた飴を使うようになった。同時に高麗時代初中盤には、シルクロードを通じた国際貿易が維持されると、中央アジアのマンドゥ(餃子)やホットク系列の間食類が入ってきて、遼国の保存食糧であるタンフルも、この時期に高麗で食べたと推定する。タンフルは、果物と野菜を貴重にしていた内陸遊牧民たちが、干した果物を飴で覆って長期保存しながらビタミン補充用に持っていた保存食から由来した。今では子どもたちが好む間食になったが、1000年前にはわが国を侵略した遊牧民族の軍用食だったという事実は、面白いアイロニーではないか。また、高麗末期にはモンゴル帝国を通じて、高麗の食文化が中国で流行したり、中国とモンゴルの食文化が高麗に広がり、菓子文化が発達した。(省略…)

    朝鮮中期の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時、韓国の飴製造技法は日本に渡っていくと、日本で「チョスンアメ(朝鮮式 飴)」と呼ばれる飴と水飴を使う製菓法が生まれた。

    ソース 週刊朝鮮(韓国語)
    https://n.news.naver.com/article/053/0000046040

    【【嘘の韓国食文化】 「アイスクリームケーキ」発明国、Kデザートの歴史…タンフル、日本皇室の餅、朝鮮飴など】の続きを読む

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    1: ばーど ★ 2024/09/02(月) 08:41:10.94 ID:9LG0Xuh0
    「韓国人とは、見たいものしか目に入らず、聞きたくない話は耳に入らない人たちだ」―。日本の韓国ウオッチャー同士で話し合うと、しばしば聞かれる韓国人評だ。

    「あぁ、この大学教授も…」と大笑いしてしまうコラムを読んだ。何がって、「わが民族は善良な性格で、他国を侵略することはないのに、文化的に世界を揺るがす能力がある」と真面目に述べているのだから。

    済州(チェジュ)島4・3事件(1948年)、保導連盟事件(50年)では何万人の同胞を殺害したのか。参戦したベトナムで韓国軍は何をしたのか。聞いたことがないはずはない。が、聞いても耳に入らなかったのだろう。

    それで、「わが民族は善良な性格」と自賛し、文化的に世界を揺るがした実例として、BTSや「冬のソナタ」など韓国ドラマを挙げ、「韓国の地位をさらに高めるためには、韓国語をグローバル化するために一層努力しなければならない」と主張している。まさしく、「韓国人の学者」だ。

    「楽韓Web」に紹介記事があり、原文(プレシアン)を読んだ。著者は韓国の私立大学教授、「漢字は東夷族がつくった文字」というタイトルだ。

    漢字は、古代中国の殷(いん)で創られた亀甲文字から始まることに異論はない。

    殷王朝を築いた東夷族=韓民族と主張

    しかし、教授は《殷は東夷族が建てた。わが国(筆者註=古代朝鮮のことだろう)は殷の暦を使ったとさまざまな文献に記録されている。だから、わが民族である(筆者註=同族ということだろう)。結論として、漢字は東夷族(=韓民族)が創った文字であることは確かだ》という。この展開には疑問符ばかりつく。

    東夷族とは、中華思想に基づく侮蔑の色分け概念だ。初期の東夷族は山東省あたりにいた民族を指す。ならば朝鮮民族は山東省にいて、殷王朝に関与したのか。

    コラムはすぐにタイトルとは離れて、「民族にとっての国語」の大切さの話に移る。中国の延辺朝鮮族自治州で、中国当局が漢語拡大政策を進めていることへの批判だ。そして、「韓国語グローバル化」の力説。支離滅裂だ。

    「漢字は東夷族(韓民族)が創った文字であることは確か」なら、なぜ韓国人は漢字を捨ててしまったのか。そのため史学科の院生ですら古代史料を簡単に読めないというではないか。この大学教授は、殷の歴史を叙述した『史記』を読みこなせるのだろうか。(ジャーナリスト)

    産経新聞 2024/9/1 15:00
    https://www.sankei.com/article/20240901-QN2UJSTICFESNJR5DOTE46PBYU/?outputType=theme_weekly-fuji

    【【室谷克実氏】「漢字は韓民族が創った文字」と韓国人教授 ならば、なぜ漢字を捨てた?】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2024/05/05(日) 23:53:35.46 ID:m2x3jAS8
    荒唐な「キムパプ元祖論争」…韓-日キム比較すると答え出る[クォンデヨンのKフード人文学]

    数日前、近ごろ世界的にhotなキムパプの歴史を、「韓国が元祖か、それとも日本が元祖か」をめぐって話しているのを見た。こんな時、仮に、とある大学の教授が漢字で書かれた古い書籍を持ち出し、キムパプに似たような字が日本の記録から出たと主張して、「キムパプの元祖が日本らしい」と言ってしまったら、我が国ではキムパプの元祖が日本だとすっかり広がってしまうことになる。このように、我々の食べ物の根が歪曲されたのは1つや2つではない。一例を挙げると、日本語だというゴーストップ(花札)の「コドリ(※五鳥)」しか知らない人たちが、日本には無く、我が国だけにある食べ物である「タットリタン」(の「トリ」の部分)が日本の言葉であると、もっともらしい理由を付けて広めたところ、知識人は輪をかけて倭色言語から抜け出すべきと言いながら、ポックム(※炒め物)の過程が全くないタットリタンを「タッポックムタン」としなければならないと言ってしまった。だから、テレビでは田舎のおばあさんが放送で「タットリタン」と言えば、親切にも字幕で「タッポックムタン」に修正する愚かさを繰り返す。

    正常的に食の歴史を研究する風土なら文献研究も重要だが、真っ先に考えるべきことがある。「キムパプの原料であるキム(海苔)を両国どちらも生産するか」、「キムパプをどちらの国がより多く生産するのか」、「それなら、キム(海苔)をいつから生産したのか」を問い詰めてみてこそ、キムパプの根をきちんと研究するというものだ。なぜなら、キムパプのキム(海苔)があれば、キムパプを包んで食べることは高い技術ではないので、米文化圏では誰かに必ずしも教えてもらわなくても、独立的に自然発生的に見つけ出せる、いとも簡単なことだからだ。むしろ、キム(海苔)を海で収穫して、キムパプのキム(海苔)を乾かして生産する方が、地理的、季節的、気候環境的に難しいことだ。なぜ、こんなに難しいキム(海苔)を生産するのか? 他でもなく、キムパプを包んで食べようと難しい仕事をしているからだ。
    キム(海苔)の生産統計と歴史を分析してみると、キムパプの語源が日本か、韓国かを挙げて論じること自体が韓国キムパプとしては侮辱的だ。日本はキムパプ用のキム(海苔)ではなく、ぶ厚いキム(海苔)の切れ端を添えて食べた。最近のカリフォルニアロールにキム(海苔)が入って消費されるのは、しばらく後のことで、キムパプの歴史に影響を与えるものではない。

    科学者たちの無関心の中、毎回、我々の食べ物の歴史を農耕学的、科学的に研究しないで、漢字を知る学者たちだけの研究領域として放置するうちに、我々の食べ物に対する歪曲と科学的な誤びゅうがとても深刻になった。一番歪曲が深まり、でたらめな分野が、キムチとジャンに大別される我が固有の発酵食品の歴史だ。世界で我が国民族だけが食べるキムチを「キムチの由来」がどこだとか、「ルーツが中国のパオツァイと同じではないか」、「いつ入ってきたか」、「キムチは古代キムチ、現代キムチが別々にあった」、「キムチの歴史が数百年しか経っていない」など、多くの間違った主張が今も堂々と出回っている。

    今日では動植物の歴史の科学的分析が可能になり、人類が本格的に移動し始め、それぞれその地域の風土と地理的特性に合う固有の農耕歴史と独自的な食べ物が誕生したという点に、異議を申し立てることはできない。このような科学的な事実が発見される前には、ある食べ物が特定地域で誕生して他の地域へと広がっていき、食べ物を作る技術を秀でたことと考え、技術的伝播によって飲食が発達したという誤った主張が受け入れられた。

    クォン・デヨン韓食人文学者

    東亜日報(韓国語)
    https://n.news.naver.com/article/020/0003562584

    【【バ韓国】 あきれた「キムパプ元祖論争」…韓日の「キム(海苔)」を比較すると、答え出る】の続きを読む

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    1: ばーど ★ 2024/03/14(木) 15:17:01.94 ID:K9naf6/4
    2024年3月13日、韓国のインターネット上で「漢字は韓国の文字だ」と主張する韓国人作家の動画が注目を集めている。

    韓国のテレビ番組「ビッグクエスチョン」の公式YouTubeチャンネルに先月、「漢字はもともと中国のもの?それは誤解です」というテーマの動画が投稿された。

    動画では作家のキム・ジンミョン氏が「中国の歴史で実在が確認されている最古の王朝は殷(いん、紀元前1600年~1046年)であり、その後は周、春秋時代、戦国時代を経て秦が統一した。そして秦が滅亡し、漢楚戦争が起こり、紀元前202年に劉邦が即位し漢が誕生した。中国からすると、漢が自国の歴史上で最も大きい王朝だ。そのため中国人は漢民族、漢字などあらゆるものに『漢』の文字を付けるようになった」と説明。

    その上で「しかし実際のところ、漢字は殷王朝によって発明された甲骨文字が基になっているため本来は『殷字』と言うのが正しく、殷字は東夷族によって作られた。現存する東夷族は韓国人や日本人だ」と指摘し、「われわれ東夷族が殷字を作ったということは、われわれが殷王朝を作ったと言える。つまり殷は中国の王朝ではない」と主張している。

    またこれに関する事件として、1899年に約300人の専門家によって行われた殷墟(殷の首都)での大規模な発掘調査を挙げている。キム氏は「殷墟で大量の出土品が続々と見つかり『世紀の発掘だ』と世界中から注目されたが、7~8日後に中国は発掘を止めてしまった。その理由は、発掘されたものが漢民族の文化でないことを知ったため」とし、「中国の建物のほとんどが南向きだが、殷墟の建物は北東向きになっていた。殷墟の北東の方向には渤海湾があった。昔は故郷の方を向いて埋葬する文化があり、ここでは建物までも故郷の方角を向くように建てられていた」と説明。さらに「その方角をたどるとわれわれ東夷族の故郷がある」「殷墟も夏家店下層文化、すなわち古朝鮮の文化」「古朝鮮文化の発祥地と殷墟で暮らしていた人々の発祥地は同じだ」などと主張し、「そのため漢字は中国人が作ったものではなく、われわれ韓国人が作ったものだ」と強調している。

    この動画を見た韓国のネットユーザーからは「新たな視線、知識が得られた」「ハングルが最高の文字だと思っていたけど、ちょっと考えが変わった」「なんだか誇らしい気持ちになった」「もっとたくさんの韓国人がこの事実を知るべき」「漢字が中国語ではなく韓国語である証拠。中国人も反論できない証拠だ」などの声が寄せられている。(翻訳・編集/堂本)

    Record Korea 2024年3月13日(水) 21時0分
    https://www.recordchina.co.jp/b930098-s39-c30-d0191.html


    【【アホ】「漢字は中国人ではなく韓国人が作ったもの」韓国人作家の主張に注目集まる=韓国ネット「誇らしい」】の続きを読む

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    1: 仮面ウニダー ★ 2023/05/21(日) 07:09:03.00 ID:WtqLkA/Y
    土曜日なので読み物的な記事を一つ。

    読者の方から「日本の演歌は韓国起源ですか?」という質問をいただきました。
    このような言説がいまだに流通していることに驚きますが、もちろん根も葉もないウソです。

    このウソの震源地がどこであったのかも分かっています。

    これについては、古田博司先生や松本厚司先生も著書の中で同じことを指摘されていますが、
    つい先日、ちょうどいいことに山本浄邦先生が『K-POP現代史』という本を出していらっしゃいます。

    同書は、朝鮮半島における流行歌の歴史を追ったもので、どのようにK-POPが生まれ『BTS』につながったのが概観できる良書です。

    この中にも「日本の演歌は韓国起源」というウソがどこから広まったのかを指摘した箇所があります。
    山本先生の著書から該当箇所を以下に引用します。

    (前略)
    ロックやフォークソングが優勢になり、アイドル歌手も登場した七〇年代の日本において、
    韓国から来た二〇代の歌手は日本人の郷愁を誘う演歌歌手として受容された。

    李成愛の登場で、日本で「演歌の源流は韓国」という言説が登場した。

    その直接のきっかけとなったのは、李成愛の日本初アルバム『熱唱』のキャッチコピー「演歌の源流を探る」である。

    当時、李成愛のプロモーションを担当していた岡野弁おかのべんらはこれを話題づくりのための宣伝用フレーズとしか考えていなかったが、
    このフレーズをみた人々によって、「演歌の源流は韓国」と語られるようになった。

    さらには「朝鮮に住んでいた古賀政男が(朝鮮の民族楽器である)伽耶琴カヤグムの音色に影響された」という俗説も登場した。

    だが第1章でみたように、韓国の大衆音楽は日本による植民地支配のもとで、
    日本のレコード会社の朝鮮進出を通して、日本の流行歌の影響を受けつつ成立したものである。

    そのため、このような言説は韓国や在日韓国人の論者から批判され、現在では根拠のないものと考えられている。
    (後略)

    ⇒参照・引用元:『K-POP現代史 韓国大衆音楽の誕生からBTSまで』著:山本浄邦,ちくま新書,2023年04月10日 第一刷発行,pp103-104

    no title

    ↑確かにオビに「演歌の源流を探る」と書かれています。

    そもそもは、韓国から日本上陸した歌手にシンパシーを抱かせるために、その時に考えられたキャッチコピーだったのですが――
    これが「そうなのか!」と一人歩きをしたというのが本当なのです。

    ですので、「日本の演歌は韓国起源」はウソです。

    山本先生は「現在では根拠のないものと考えられている」と書かれていますが、いまだに信じている人もいるようです。

    日本人はすっかり忘れていますが、そもそも「演歌 = 日本人の心を歌う」という認識が形成されたのは最近のことで、これまた売り出し戦略によるのです※。
    そのため、「日本人の郷愁に訴える演歌」に擬して韓国人歌手を売り出そうとした――というのは「屋上屋を架す」が如くというか、奇妙にねじれた話なのです。

    ※この件は『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』に詳しく書かれています。

    (吉田ハンチング@dcp)
    2023.05.20
    https://money1.jp/archives/105837

    【【Money1】 「日本の演歌は韓国起源である」というウソ。】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2023/01/14(土) 23:58:44.11 ID:dsPAsCrg
    [今日通じた過去レビュー] キムパプ

    [ファイナンシャルレビュー=オ・ギソン記者] 高物価状況が続き、昨年外食費の価格が急騰した。特に、キムパプの価格上昇は庶民経済を揺るがした。

    4日、韓国消費者院の価格情報総合ポータル「チャム価格」の外食費価格動向によると、昨年12月基準で全国で販売されているキムパプ、チャジャン麺、カルグクス、冷麺、サムギョプサル、サムゲタン、ビビンバ、キムチチゲ定食など8つのメニューの平均販売価格は前年同期比10.14%上がった。

    平均価格が最も上がったメニューはチャジャン麺で、昨年12月基準で一杯の販売価格が6253ウォンで前年と比べて13.01%上昇し、最も低上昇のメニューはビビンバで、同期間7.34%上昇し、一杯8898ウォンだった。

    昨年12月を基準に前年同月と比べ、キムパプ1本の平均価格は2888ウォンで12.82%上がり、慶南地域が前年と比べて12.59%上がり3300ウォンで、全国最高価格となった。

    ・キムパプは日本起源???
    ある人物はキムパプは日本から来たものではなく、我が国からの固有の食べ物だという主張が提起されている。

    関連スレ
    【韓食】 キンパ、具材で無限に変身…世界化に最も適した食べ物。日本の「マキ」とは全く別物、歴史ももっと古い★3[05/12] [右大臣・大ちゃん之弼★]
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1620861292/

    特に、「三国史記」や「洌陽歳時記」と「東国歳時記」などから、キム(海苔)を食べたという記録を挙げ、キムパプが我々固有の食べ物だという主張もしている。しかし、これは海苔を摂取したという記録に過ぎない。今日のようなキムパプの形は日本に由来する。

    キムパプの形はノリマキ(海苔巻き)だ。その中でも関東のホソマキ(細巻き)よりは関西地方で発達したフトマキ(太巻き)の影響を受けた。

    明らかなことは、我が国が日本のように海苔を飯に包んで食べるなどの形態はあったが、竹簾を利用して海苔の上に飯を敷いて具の材料を入れる方式は、日本から来た。もし、単純に飯を海苔に包んで食べたというのなら、我が国が始まりだという話だ。

    日帝強占期時代 当時の新聞記事などを調べてみても、今日の形のキムパプの起源は日本から来ていることが分かる。

    キムパプという名称もやはりフトマキを韓国語に醇化したものだ。それ以前まではノリマキと表現していたが、1980年、倭色文化根絶の風が吹き、ノリマキがキムパプに醇化したのだ。

    ・食酢が消えて
    元来、キムパプは食酢で味付けしていた。しかし、ある頃から食酢で味をつけることがなくなった。その理由は食生活の変化だ。

    1980年代以前まではキムパプは「ピクニックに行く時に持っていく特別な食べ物」として扱っていた。野外でキムパプを食べると傷むため、傷むのを防止するためにキムパプを酢で味付けしなければならなかった。

    しかし、1980年代に冷蔵庫が普及していき、あえて飯を食酢で味付けしなくても腐らなくなり、食酢を使う理由がなくなった。

    また、1980年代の保温弁当箱などの普及によって、ピクニックに行く時にあえてキムパプを持っていく文化が次第に消えた。

    ・「キムパプフランチャイズ」登場
    キムパプを食酢で味付けしなくなったもう一つの理由は、「キムパプフランチャイズ」が登場したからだ。キムパプはもうピクニックなど特別な日にだけ食べる食べ物ではなく、インスタントとして、あるいは財布が軽い人たちが食べる食べ物になった。

    「キムパプフランチャイズ」では、キムパプが早く消費されるため、あえて食酢で味をつける理由がなくなった。そして、キムパプは自然に日常生活で食べる庶民の食べ物になった。

    そのため、食酢の代わりに「ごま油」が登場するようになったのだ。同時に地域と家庭の好みなどによって、キムパプの作り方が多様になった。

    ファイナンシャルレビュー(韓国語)
    http://www.financialreview.co.kr/news/articleView.html?idxno=23366

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    1: 仮面ウニダー ★ 2022/12/25(日) 10:09:22.78 ID:UPlyAgS0
    クリスマスツリー元祖 韓国だ…分かってみれば驚きの秘密が[地球、何だって?]
    2022年12月24日

    キム・サンス記者

    [ヘラルド経済=キム・サンス記者] クリスマスと言えば最初に思い浮かぶものはクリスマスツリーだ。ところで、クリスマスツリーの起源を見てみると、驚くべき事実が一つある。

    クリスマスツリーは葉が尖った針葉樹に色とりどりの装飾を施している。チョンナム(モミの木)と共に世界で最も多く使われる木がある。それがクサンナム(※和名:チョウセンシラベ、以下「チョウセンシラベ」。)だ。

    全世界のクリスマスツリーであるチョウセンシラベの学名は「Abies koreana」。複雑な名前だが、その中で、ひと際目に留まるのが「korea」だ。偶然ではない。世界中でクリスマスツリーに使われるチョウセンシラベの元祖がまさに韓国であるからだ。

    チョウセンシラベは漢拏山(ハンラサン)、智異山(チリサン)など、韓国の高い山の高山地帯で生息する木だ。葉の裏側が白色を帯びるのが特徴だ。最近、多くが人工の木を買ってツリーを作っているが、葉を見ると白く一部が塗られている。雪のように見せてもいるが、ツリーの元祖格であるチョウセンシラベを模倣したものでもある。チョウセンシラベは88年のソウル五輪の象徴木としても使われたほど韓国でも重要に思われている木だ。

    チョウセンシラベが世界中のクリスマスツリーとして愛されるようになったのには歴史がある。チョウセンシラベは、1900年代に済州島で宣教活動をしていたフランス神父によって初めて発見されて、以降1920年に英国植物学者アーネスト・ウィルソン博士がこれを学界に「Abies koreana」と報告し、チョウセンシラベが全世界に知られた。そして、韓国のチョウセンシラベも世界に広がる。その後、チョウセンシラベは世界各地で品種改良を経て広がり、今日のクリスマスツリーを象徴する木としてその座についた。

    チョウセンシラベはこのように意味が大きい木だが、肝心の韓国ではチョウセンシラベが絶滅の危機に直面している状態だ。最大の原因は地球温暖化による気候変動だ。冬の気温が上昇して積雪量が減少し、チョウセンシラベが枯死している。最近になって、主要生息地で半分以上が枯死しているか、枯死が進行中という調査もある。

    チョウセンシラベの主要生息地である済州島でも2025年に国際連合森林研究機関(IUFRO)主管の国際学術会議が開かれる。この学術会議では漢拏山のチョウセンシラベの管理および保全戦略が主な議論課題だ。済州道も漢拏山チョウセンシラベの危機を強調し、当該国際学術会議の誘致を提案した。

    絶滅危惧種のクリスマスツリー・チョウセンシラベを将来も眺めることができるだろうか。 韓国国立山林科学院もチョウセンシラベの苗木復元事業を進めるなど、さまざまな研究を進めている。韓国国立山林科学院の関係者は、「絶滅危機である高山針葉樹種の森を持続可能に維持するよう努力する」と話した。

    ヘラルド経済(韓国語)
    https://n.news.naver.com/mnews/article/016/0002082489


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    1: 昆虫図鑑 ★ 2022/12/07(水) 20:26:10.09 ID:V1fkV5K5
    韓国は日本発祥のものを朝鮮半島にもあったなどと愚かな主張を行います。しかし、言い張るだけです。

    そもそも主張がウソなのでなんら根拠を示すことができないからです。根拠を示そうとして無理なこじつけを行い、それでさらに恥をさらすことがあります。

    「茶道」もそのひとつです。

    そもそも茶道が朝鮮半島に持ち込まれ、広く知られるようになったのは日本併合後。梨花女子専門学校などの高等女学校で茶道を教え始めたのが、茶道が認知される基になったのです。1930年代のことです。

    当然ですが、それまでは朝鮮半島には茶道など影も形もありませんでした。

    ところが、1970年代になってから「韓国にもかつては茶道があって、日本に伝えたのは我々の祖先である」という主客転倒したことを言い募る人が出現します。

    松本厚治先生の著作から引くと以下のような具合です。

    (前略)
    当然、茶道といえば日本の茶道しかなかったのだが、一九七〇年代にいたって韓国茶道を喧伝する人々が現れた。

    そのうちの一人(姜洙吉きょうしゅきつ)によれば、韓国の茶道(タド)を体系化するため昔の形式を探したが、資料がなく壁につきあたっていた。

    たまたまその頃、ソウルで裏千家の大茶会があり、それが飲み方、茶室の作り方を考えるきっかけになったという。

    日本茶道のなかに韓国文化が入っており、それを取り出しているというのだが、資料も伝承もなく、すべて茶道(さどう)をもとにしているのだから、造作というしかないだろう。
    (後略)

    ⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,p302
    ※強調文字、赤アンダーラインは本記事筆者による(以下同)。

    韓国茶道なるものの昔の形式を探したのですが、資料も伝承も何もなかったので、裏千家の大茶会を見て閃いたというのです。資料が何もないのは、そもそも韓国には茶道がなかったからですが、「なかった」とは考えないようです。

    日本人が「韓国の茶道なるもの」を見ると、「日本からパクった」と思うのは当然のことです。本当にパクったものだからです。

    裏千家の作法の中に、韓国茶道なるものを勝手に見い出して、それを「あった」としている点はスゴイとしかいいようがありません。

    妄想ここに極まれり、です。

    韓国の皆さんが日本の京都を見て「百済がここにある!」と言うのとそっくりです。何もないので日本にあるものを自分のものだと主張するしかないのです。

    「朝鮮半島に茶道があり我々が日本に伝えたのだ」という噴飯物の主張を補完するために、さらに愚かな主張をしている人もいらっしゃいます。しかもそれが、底の浅いウソだとばれた例です。

    同じく松本先生の著作から引いてみます。

    (前略)
    茶道研究家金明培は、日本には茶道という地名はないが、韓国には茶道面(村)があり、この唯一無二の地名が韓国茶道の悠久の歴史を代弁していると書いている。

    しかし、この村は一九一四年に茶庄面と道川面が合併して生まれたもので、茶道とは何の関係もない。

    引用される朝鮮の茶文献も中国茶書の引き写しで、こんなものしか挙げられないのは、要するにほかに何もないからである。
    (後略)

    ⇒参照・引用元:『韓国「反日主義」の起源』著・松本厚治,草思社,2019年03月04日 第1刷発行,pp302-303

    韓国茶道の悠久の歴史を代弁する証拠、などと大上段に振りかぶった「茶道村」は、実は併合後の1914年に2つの村が合併してできた村名だったのです。

    図らずも、これこそ悠久の歴史などこれっぽっちもない証拠といえるでしょう。読者の皆さんも韓国茶道などという話を信じないでください。ウソですから。

    (吉田ハンチング@dcp)
    https://money1.jp/archives/95005


    【韓国こそ茶道の起源。その証拠に「日本には茶道という地名はない」←妄想ここに極まれり、です】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/08/21(日) 19:28:27.19 ID:CAP_USER
    済州王桜の木 生態外交来年から本格化期待
    キム・ナヨン記者

    ・世界環境社会ガバナンス学会
    ・来年度、済州と米国王桜の木 生態外交事業計画案公開

    米アメリカン大学の李承晩(イ・スンマン)博士と米国学界、政界が集まった中で植えられた済州王桜。この空間はコリアン・ガーデンと呼ばれる。済州王桜の前に済州道が寄贈したトルハルバン2基が立っている。
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    我が国と米国の済州王桜生態外交が来年から本格化する見通しだ。

    米国では、世界碩学と大学生が集まって済州王桜と生態外交を論じる場が、済州では道内5つの「王桜自生地村」別の祭りが用意されることが期待されている。

    「世界環境社会ガバナンス学会」(旧世界島学会、学会長コ・チャンフン)は18日、2023年に開催を推進中である済州と米国の王桜生態外交事業計画案を公開した。

    学会は来年、国内外の大学と研究機関、済州王桜自生地の村の代表らと共に、「韓国王桜生態外交研究団」を設ける。

    行事は大きく分けて、▲韓国王桜と世界平和大会(来年3月、米ワシントンD.C.、ニューヨーク)▲世界王桜自生地村文化祭(来年4月8~10日、済州5つの王桜自生地村で)などを計画中だ。

    米国の行事では、国内外の学界が韓国王桜と生態外交を研究することになる。

    国立山林科学院に依頼し、1912年に日本がワシントンD.C.ホワイトハウスに寄贈した王桜と済州王桜自生地村の王桜が、同じ遺伝子であるかの検査も試みる予定だ。

    来年の行事には、済州王桜の米国社会普及も準備中だ。

    続いて、済州行事では、道内5つの「王桜自生地村」ごとに済州王桜をテーマとした村祭りが企画され、王桜自生地村の生態観光モデルの育成に乗り出す。記念碑の製作なども推進される。

    コ・チャンフン学会長は、「大韓民国臨時政府時期から始まった済州王桜生態外交を、学界と村単位で拡大し、共に照明していきたい」と多くの関心を呼びかけた。

    一方、韓国と米国の済州王桜の生態外交は日帝強占期に遡る。

    米国に亡命中だった李承晩(イ・スンマン)博士は、日本が韓日合併を契機に1912年に米国にプレゼントしたワシントンD.C.王桜3000の原産地が、日本ではなく韓国だと主張し、同年4月に象徴的な意味で、アメリカン大学のポール・ダグラス総長、ジョン・ランキン米議会下院議員、李承晩博士、韓米関係者らが参加した中、アメリカン大学内に済州王桜4本が植えられた。

    2009年、米国のチョン・ウンジュ博士と済州のキム・チャンス博士の研究で、王桜と済州現地自生王桜の遺伝形質が同じであることを突き止めた。

    米国東部最大の祭りである「ナショナル・チェリー・ブロッサム・フェスティバル」の開催地であるワシントンD.C.の王桜の起源は、未だに科学的に明らかにされていないが、アメリカン大学内の王桜だけは済州産であることを証明したことがある。

    この中で学会は3月、米国ワシントンD.C.アメリカン大学で大韓民国国会と済州道後援、韓国、米国、日本大学生などが参加で、「2022韓国桜と世界平和」がテーマの「第22回世界平和環境フォーラム」を盛況裏に開催した経緯がある。

    ニュー済州日報(韓国語)
    http://www.jejuilbo.net/news/articleView.html?idxno=189045


    【【嘘つき韓国】 済州王桜の生態外交、来年から本格化…日本がワシントンに寄贈した王桜と済州王桜の遺伝子は同じか。検査も】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/08/20(土) 20:23:59.90 ID:CAP_USER
    文学博士キム・ウヨン文化散歩]「モミルグクシ」または「メミルグクス」!

    キム・ウヨン作家、文学博士・大田(テジョン)中区(チュング)文人協会会長

    ※メミルは「そば」、グクスは「麺」。

    夏の暑さを和らげる食べ物の中で、冷麺の次に多く求めるのがメミルグクスだ。しかし、大部分の食べ物の中には「モミルグクス」と記されている。「モミル」が「メミル」の咸鏡道(ハムギョンド)方言なので、「モミルグクス」は「メミルグクス」が正しい言葉だ。

    (中略…)

    現在、私たちが食堂で、小さな竹の簾などに乗せたメミルの麺を汁につけて食べるスタイルは日本式だ。いわゆる「ソバ」と呼ぶものだ。

    「ソバ」はメミルを意味する日本語で、現在は「ソバキリ」、つまりメミルグクスを指す言葉として広く使われている。フェ(サシミ)と共に日本の伝統食であり、我が国から渡ったメミルグクスが逆輸入されたわけだ。

    昔の宮廷で肉、海鮮など多様な材料を入れて煮込んで食べたメミルグクス料理を真似た食べ物がある。「OOグクシ」など「グクシ」が入った商号がある。この時の「グクシ」は「グクス」の方言だ。 「メミルグクス」を完全に方言にすれば「モミルグクシ」が正しい言葉だ。

    暑さと長雨で平常でないこの頃、明日は大田中区文人協会のキム・グンス詩人と会って「モミルグクシ」を食べようか。それとも「メミルグクス」を食べるか迷おうか!

    中都日報(韓国語)
    http://www.joongdo.co.kr/web/view.php?key=20220817010004467


    【【韓国の嘘主張】「モミルグクシ」または「メミルグクス」!ソバ…日本の伝統食であり、我が国から渡ったメミルグクスが逆輸入された】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/08/11(木) 19:30:49.01 ID:CAP_USER
    「清平寺(チョンピョンサ)、芸術頂点を見せる名園…ユネスコ登載乗り出すべき」

    ・春川文化院主催フォーラムが開かれ
    ・日本有名庭園 起源遺跡強調
    ・文化遺産登載、欧州協力を示唆

    創建から1050年を迎える春川(チュンチョン)清平寺(チョンピョンサ)を人類史的・造園学的な価値を再評価し、ユネスコ文化遺産に登録すべきだという主張が提起された。

    春川文化院(院長ユン・ヨンソン)と清平寺(チョンピョンサ)が主催し、清平寺フォーラム委員会が主管した「千年、高麗息吹!」 清平寺フォーラム」が5日、春川文化院で開かれた。同日、フランス・ケイガーデン(K-Garden)協会のパク・ジョンウク諮問委員長は、発題を通じて、「20年前に清平寺を訪問した時より、流失した部分が多く残念だ」と指摘した。続けて、「清平寺文殊院庭園がユネスコ世界遺産である日本の西芳(寺)の庭園よりも、なんと200年も先に建てられた点で、韓国禅宗庭園の典型的な例を示している」とし、「清平寺は、芸術の頂点を示す世界的な名園であり、日本の有名禅院の起源となる重要な人類史的遺跡」と強調した。パク委員長は、「海外から韓国庭園に非常にスポットライトを当てたがっている。清平寺がその繋がりになり得ると思う」とし、ユネスコ登録に向けた韓国と欧州の協力の可能性も示唆した。清平寺フォーラムのノ・ヨンイル運営委員は、「清平寺のユネスコ登録の可能性について各界で注目している」とし、「春川市でも、このための準備を後押ししなければならない」と話した。

    これに対して清平寺住持のドフ僧侶は「私たちの伝統文化の精髄清平寺について、これまで知らずに過ごしてきた面がある。資料が多く残っておらず責任が重いが、今後上手く保存すれば世界的に注目される」とし、「案内板の設置、テンプルステイなど愛する文化遺産になるよう努力する」と話した。

    続いて集談会で、ホン・ソンイク江原道文化財委員は、「清平寺について間違って知られた情報も多く、まだ年表さえ満足にない。これに関する研究をまず行わなければならない」と話した。ホ・ジュング春川学研究所長は、「さらに、春川との協業など後続研究が必要だ」と話した。

    フォーラムにはホ・ヨン国会議員、キム・ジンホ春川市議長、チョン・ジェウン道議会社会文化委員長、ピョン・ベクウン釋王寺(ソクワンサ)住持などが参加した。キム・ジンヒョン
    キム・ジンヒョン記者

    江原道民日報(韓国語)
    https://n.news.naver.com/mnews/article/654/0000016874

    画像 清平寺
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    【【バ韓国】日本・西芳寺庭園の起源となった清平寺、芸術頂点を見せる名園…欧州と協力し「ユネスコ登録すべき」】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/07/23(土) 21:05:09.67 ID:CAP_USER
    日本焼酒(ソジュ、「焼酎」。)熱風、その後は乙の反撃があった

    日本スーパーの焼酒陳列台。最近焼酒ブームが吹いている。
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    大韓民国国民酒「焼酒」の根を探るには、モンゴル帝国の全盛期時代の13世紀までさかのぼらなければならない。当時、中国・元国を通じて、中東地域の蒸留法が紹介されたことから始まったというのが定説だ。「安東焼酒」も、実は高麗末期の日本遠征を目的としたモンゴル軍の兵站基地が安東に位置したことからその由来が始まった。過去、大部分の文化伝播経路がそうだったように、焼酒の製造法もこのように韓半島を経た後、自然に日本に渡ったのだろう。壬辰倭乱の時、日本に強制的に連れて行かれた朝鮮人捕虜によって伝授されたという説も有力だ。もちろん、沖縄を経て南方から伝播したという主張もある。歴史的には16世紀から日本で既に製造が行われたという記録が伝えられている。参考に「焼酒(ソジュ)」という漢字を使う我が国に比べ、日本は「ショウチュウ(しょうちゅう)」と発音して、「焼酎」という漢字を使っている。

    どう見ても日本の焼酒の歴史は決して短くない伝統を持っている。しかし、長い間、日本焼酒は伝統日本酒である清酒(日本酒)の陰に隠れて注目されなかった。日本固有の食習慣に照らして、アルコール度数の高い蒸留酒である焼酒がきちんと定着することは、容易くなかっただろう。しかし、最近は変わった。日本焼酒の黄金期という言葉が出るほど、日本でも焼酒が全盛期を迎えている。日本で愛酒家たちの趣向の多角化とともに、根気ある製造技術の改善を通じた良質の製品生産が消費者にアピールしたためだ。

    焼酒にも甲と乙がある
    日本焼酒には大きく分けてカプリュ焼酒(甲類焼酎)とウリュ焼酒(乙類焼酎)の2種類がある。日本の近代化が進み始めた明治時代(1868~1912)に英国から醸造用アルコールの大量生産が可能な連続式蒸留機が入ってくるようになる。これを通じて生産され始めた新たな焼酒は、当時の日本人にとって先端技術の産物として大きな反応を得て、いわゆる「新式焼酒」として受け入れられた。一方、伝統的である焼酒は「旧式焼酒」と呼ばれ始めた。このような考え方の影響で、1953年制定された酒税法に基づき焼酒を蒸留法によって分類する時も新式焼酒を「甲類焼酒」に、そして旧式焼酒を「乙類焼酒」にそれぞれ命名した。

    甲類焼酒は、言わば現在の我が国で見られる焼酒、すなわち希釈式焼酒に該当する。サツマイモ、糖蜜、タピオカなどを原料として連続式蒸留機を経て得られる酒精が基本材料だ。ここに水を混ぜて適切に薄めれば甲類焼酒になる。不純物が少なく飲みやすいという特徴があるが、深い風味はない。価格も安いために、混合酒飲料を作ったり、漬け酒を作る時に多く使われる。甲類焼酒にも原則的には別途の甘味料を添加しないため、酒の味は使用する水に左右される。どうしても甘みのある我が国の焼酒とは味に差がある。アルコール度数は酒税法により36%未満と規定されるが、一般的に25%焼酒が主流となっている。

    反面、乙類焼酒は麦、サツマイモなどの単一材料を使用して単式蒸留機で蒸留した製品をいう。単式蒸留法の特性上、アルコール生産性は連続蒸留機に比べて顕著に劣るが、蒸留時に材料固有の香味成分がそのまま維持され、特有の風味と深みのある味を見せるという特徴があり、高級品と見なされている。日本の伝統焼酒メーカーは「乙類」という用語がまるで「甲類」に比べて質が劣る製品だという誤解を招く恐れがあるため、代わりに本格焼酒(本格焼酎)という用語をボトルに併記できるようにしてほしいと請願し、今は全ての乙類焼酒でこの用語を使用している。

    キム・ウォンゴンソウル大胸部外科名誉教授

    週刊朝鮮(韓国語)
    https://n.news.naver.com/mnews/article/053/0000032069

    【【韓国教授】 日本のスーパーの焼酎陳列台、焼酒ブームが吹いている …焼酎は韓半島から日本に渡ったのだろう】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/06/22(水) 22:55:56.18 ID:CAP_USER
    キム・ラクフンコラムニスト
    - 現在、大韓民国キムパプフォーラム議長、大韓民国キムパプ広報大使と全羅南道高興(コフン)郡広報大使として活動している。

    ※キムパプ=キムは海苔、パプは飯。

    ―寿司とは次元が違う大韓民国のキムパプ
    日本は自分たちの最も誇らしい食文化の一つを「寿司」だと考える。それもそのはずで、寿司は既に全世界3大グルメの中で最高の地位に上がって、これは全世界を回りながら筆者の目で確認することができた。筆者は、国を広報する観光博覧会に招かれ、我が国を代表しながら長い間常に日本館、中国館と向かい合って競争するように、互いの食文化を比較してきた。日本は、常に最も代表的な食文化として寿司を掲げている。したがって、キムパプの形態が日本のものだと考えることもできるだろう。しかし、韓国のキムパプと日本のキムチョパプは、色々な食べ物を海苔で包むという形式は似ているが、これにアプローチする方式と活用方式はかなり違う。

    ※キムチョパプ=日本の「海苔巻き」を指す。キムは海苔・チョパプは酢飯(寿司)。

    我が国のキムパプは実用性を強調するが、日本のキムチョパプは装飾性中心だ。関西地方で初めて作られたキムチョパプは、今の生鮮寿司の形をはじめ、海苔1枚を半分に切って、ご飯の中に薄いキュウリを入れた単純な形の「ホソマキ」と、切り身の生鮮と材料を入れ作った「フトマキ」を通称する日本式キムパプだ。別名「ノリマキ(キムマリ)」と、超大型国際舞台で数多くの競争をしていると、これらの限界を完全に発見することができる。寿司を彼らの主な食文化と表現する公式舞台では、日本式キムパプを見つけることが難しいからだ。あるとしても、単に寿司を作り余った端くれで、寿司の一種としての存在感だけがある。それが、日本式キムパプの現実だ。したがって、現在、我々が食べている一般的なキムパプが日本のキムチョパプに由来するという主張は説得力に欠ける。

    大韓民国のキムパプは、韓国料理の伝統的なご飯と飯饌(※おかず)を集めた一品料理(A la carte)だ。韓国人の主食であるご飯が主な材料で、包装しやすくて、色々な飯饌を一度に食べながら、適度な満腹感をもたらして、最近は広い世代にわたって充分なプレミアム一料理として愛されている。

    長いので、以下は省略
    ・世界の美食を凝縮させた融複合プラットフォーム
    ・名実ともに大韓民国農林畜水産物輸出1位 大韓民国の海苔
    ・大韓民国の海苔 国際食品規格委員会アジア地域標準規格として採択
    ・グローバル教育として昇華させた韓食広報の新しいパラダイム ロックシェフのキムパプ(KIMBOP)
    ・大韓民国キムパプ世界化の再跳躍 大韓民国キムパプフォーラムの始まり
    …など

    ホテル&レストラン(韓国語) "[DiningStory]私たちのソウルフード、キムパプのすべて。キムパプ材料の誕生から現在まで"から一部抜粋
    http://www.hotelrestaurant.co.kr/news/article.html?no=10682
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    【【パクリ韓国】 寿司とは次元が違う大韓民国のキムパプ…一般的なキムパプが日本の海苔巻きに由来するという主張は説得力に欠ける】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/05/28(土) 21:15:24.88 ID:CAP_USER
    寄稿]白頭大幹自生植物の話<7>大豆の起源トルコン(※日本名「ツルマメ」。)
    キム・ヨンス国立白頭大幹樹木園 産業化研究室長

    ロシアのウクライナ侵攻戦争が長引くにつれ、石油価格も上昇一途だ。長期的な石油価格の引き上げは大豆やトウモロコシの価格にも影響を及ぼす。石油の代替えバイオディーゼルやバイオエタノールなど、バイオ燃料の需要が増えるからだ。バイオ燃料は大豆とトウモロコシを原材料とする。

    全世界の大豆の生産量は約3億8千万トンだ(2020年)。コメ(約5億1千万トン)には及ばないが、人類にとって非常に重要な食糧だ。こうした大豆の原産地が我が国だという事実を知っている人はさほど多くないように思う。

    私たちが食卓で普段食べる作物は、全て野生植物に起源していて、品種化されて栽培が簡単で収穫量が多く改良された結果だ。

    大豆もやはりその起源となる野生植物が存在する。「※トルコン(Glycine soja)」という名前から堅固なこの植物は、豆科の一年生つる性植物で、現在私たちがよく接する大豆(Glycine max)の起源種として知られている。(※トルは石・コンは豆)

    2010年から欧州を中心とした国際社会では、私たちがよく接する作物の密接な野生近縁種を発掘して保全するためのCWR(Crop Wild Relatives)プロジェクトを進めている。ここには、世界的に多用されている24の作物の野生植物に関する情報が含まれていて、その中の一つの作物が豆だ。

    この大豆の起源となるトルコンが、我が国が起源だと明らかになったが、まだ国際CWRプロジェクト上では中国が起源だと表記されていて、これを正す必要性がある。

    大豆の宗主国である我が国は、世界7位の穀物輸入国だ。特に、大豆は豆料理や豆腐・テンジャンなどで、主に毎日食べる非常にありふれた食品だが、自給率は6.6パーセントに過ぎない。全面的に輸入に依存しているといえる。もちろん、輸入された大豆は大部分が家畜飼料として使われるが、その家畜もまた私たちが食べるために飼育するのだから、結局食糧であるわけだ。

    我が国が大豆を最も多く輸入する国は米国だ。米国は1900年代初め、日帝強占期から我が国で育つ在来種豆6000点を収集して持っていった。これを品種化させて、我が国をはじめ世界各国に輸出しているため、我が国の遺伝資源を持って米国が経済的な利益を得ているのだ。固有の遺伝資源を守ることが、どれだけ重要であるかを示す例だ。

    省略…

    キム・ヨンス(国立白頭大幹樹木園 産業化研究室長)

    嶺南日報(韓国語)
    https://www.yeongnam.com/web/view.php?key=20220525010003289


    【【韓国】 大豆の起源種ツルマメは我が国が起源…中国が起源と表記、これを正す必要性】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/05/24(火) 21:36:18.73 ID:CAP_USER
    [Dining Story]私たちのソウルフード、キムパプのすべて、キムパプ材料の誕生から現在まで
    ※キム、金=海苔のこと。パプ=ご飯のこと。

    -1994年ロンドン、キムパプの価値を初めて認知する
    1994年、筆者は何かを得られるという「希望」一つだけを持って世界無銭旅行に出た。その始点であるロンドンで食べ物を手に入れるために偶然に入った日本食レストランに就業しながら、当時寿司と認識され、存在価値さえ論じられなかった大韓民国のキムパプの存在感に大きな衝撃を受けて、キムパプの体系を構築することを決心した。
    そして今から約10年前、ドイツベルリンのファルケンゼーのある住宅で「キムパプ世界化」のビジョンを決定して、キムパプの体系化を構築するための基盤を準備した後、2015年に私財を投じてソウル市江南区トゴク洞に位置したタワーパレス近くの単独建物を賃貸、世界で初めてキムパプ専門教育機関である「ロックシェフのクッキングクラス」を設立して、キムパプ世界化の歩みを始めた。

    ーグローバルスーパーフードに成長した大韓民国キムパプ
    「BTSキム」がアーミー(※BTSファン)たちによって米国、日本、英国、オーストラリア、フィリピン、インドネシアなど全世界で発売されるやいなや品切れになるほど売れている。味付けキムを超えたキム菓子の形でも、世界中に新しい市場を創出して、輸出に大きな突風を起こしている。タイは韓国産キムの大きな輸入国となって、自国ブランドでキムスナックを作って、全世界に逆輸出するなど、キムはKフードの尖兵として大きな役割を果たしている。

    最近、キムがブラックフードとして健康食品として注目されていて、同時にキムパプは代表的な健康韓食としてその位相を高めていて、焼いた紙を食べるという異常な食品扱いを受けた過去とは異なって、今はスーパーブラックフードという賛辞を受けている。また、21世紀の食品産業の黒い半導体という言葉が出るほど、大韓民国輸出の重点品目であり、グローバル食文化トレンドになった。
    -消費トレンドに合わせて成長、キムパプ市場(省略…)

    -基本材料さえ栄養学的
    価値の高い大韓民国キムパプ

    キムパプの形を固定させてくれる主材料である海藻類のキムは、赤い色を帯びる紅藻植物で一度焼くと、その特有の香りと味が良く栄養価も卓越して高くなる。
    韓食に欠かせない助演であるご飯を担当する米は、単位重量当たりのカロリーが高く、人口扶養能力とエネルギー源の炭水化物として最も優れた穀物だ。「韓国人のご飯パワーは、コメのパワー」という話が訳もなくあるのではない。

    キムパプの味の強い核心をつかむ甘じょっぱいタンムジ(※たくあん)は、特有の黄色い色でキムパプ断面の色も合わせてくれる二重的な効果を担当する。常にそれ自体を食べるわけではないが、どの食べ物も赤色で色の調和に大きな核心を担当し、味を離れ特有の食感を担当するホンダンム(※にんじん)はビタミンAの宝庫としても有名な健康野菜だ。タングンの愛称であるホンダンムの、「タン」は飴糖ではなく唐を指して、これは長い間、漢字文化圏で唐の字が中国を指す接頭辞のように使われたため「タングン」は「中国から渡ってきた根菜」、「ホンダンム」は「中国から入ってきた赤い根」という意味を持っている。

    (つづく)

    キム・ラクフン:現在、大韓民国キムパプフォーラム議長、大韓民国キムパプ広報大使と全羅南道高興郡広報大使として活動している。

    ホテルレストラン(韓国語)から一部抜粋
    http://www.hotelrestaurant.co.kr/news/article.html?no=10568


    【【韓国】私たちのソウルフード、キムパプのすべて…日本由来説は明確な根拠がないだけでなく、論理的にもかなり無理がある】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/05/06(金) 19:29:51.26 ID:CAP_USER
    「済州王桜」の国名、再び検討される
    ・4月末、山林庁主催の「王桜懇談会」後続対策
    ・国立樹木院、国家樹木遺伝資源目録審議会に報告予定
    ・全数調査等は今後検討事項として残し… 「意見とりまとめ」

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    済州奉蓋洞(ボンゲドン)王桜自生地。 漢拏日報DB

    済州に自生する王桜の起源と名前をめぐって議論が起こったことと関連して、国立樹木院がその名前を再び検討することにした。

    国立樹木院側は4日、本紙(漢拏日報)との電話取材に「年内に王桜の国名に対する議論が再び行われる」と明らかにした。山林庁主催で先月29日済州で開かれた「王桜懇談会」の後続対策だ。当時の懇談会には国立樹木院、国立山林科学院、済州特別自治道と関連学会などが参加した。

    国立樹木院は、懇談会で出た意見を総合して、まず「済州王桜」の国名を再検討することにした。第一段階として、6月に予定された国家樹木遺伝資源目録審議会で関連内容を報告して、その必要性に対する審議会委員らの意見を聞く予定だ。

    現在、王桜の国名は「済州王桜」と「王桜」に分けられる。 国立樹木院は、「遺伝子比較分析の結果、済州の王桜は、日本東京と米国ワシントンに植えられている日本王桜と明確に区分され、互いに異なる植物」という研究結果を土台に、「済州」という文字を付けて済州自生王桜の新しい国名を作った。よく街路樹として植えられた栽培王桜は「王桜」と呼ぶことにした。自生王桜と栽培王桜を区分するために個別の国名を置いたのだ。しかし、「王桜の起源をどこに見るのか」の問題と絡んで、その適切性をめぐって議論が起きた。

    国立樹木院関係者は、「審議会に報告したからといって、直ちに国名変更がなされるわけではない」としつつも、「関連内容を優先的に説明して、その必要性に対する議論を経て、下半期審議で最終決定される」と話した。

    懇談会では、王桜の起源を明確にするための済州自生王桜の遺伝体全数調査の必要性なども取り上げられたという。国立樹木院は、2018年発表で栽培王桜を「日本王桜」と表現したが、当時の研究はその起源を明らかにすることとはかけ離れていて、その起源に対しては国内専門家間の声が大きく食い違う理由だ。しかし、この問題は今後議論の対象となった。

    国立樹木園院の関係者は、「済州に自生する王桜235株の遺伝体を分析して、ソメイヨシノ(日本王桜)の様々な父系として考えられる試料を拡げて実験すれば、(王桜の起源を明らかにできる)より正確な結果、多様な遺伝型タイプが出るのではないかという意見もあった」とし、「これとは逆に、多様な遺伝子が出るということは、自生に対する根拠資料よりも(互いに異なる種間の)遺伝的汚染の根拠になるのではないかという憂慮もある」と話した。

    それと共に「近いうちに、連合学会のシンポジウムなどを通じて、もう少し拡大した王桜関連討論の場を用意する計画」とし、「より多くの専門家の意見を取り集める」と話した。
    キム・ジウン記者

    漢拏日報(韓国語)
    http://www.ihalla.com/article.php?aid=1651732102725579044

    関連画像
    天然記念物第159号である済州奉蓋洞王桜自生地にある日本語案内表示板で「ソメイヨシノ自生地」と書かれている。
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    【【バ韓国】 済州自生種を「済州王桜」と変更した呼び名、再検討されることに…ソメイヨシノの起源は、今後議論の対象に】の続きを読む

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    1: LingLing ★ 2022/05/05(木) 20:10:40.73 ID:CAP_USER
    [海洋新刊案内]ミヨク(※ワカメ)人文学
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    『ワカメ人文学』キム・ナムイル、ヒューマンアンドブックス、20,000ウォン

    ワカメに関する様々な知識を全て集めた本

    韓国人は、「キム(※海苔のこと)」が世界で韓国産として知られていると思うが、世界市場で「キム」の宗主国は日本だ。現在、慶尚北道(キョンサンプクド)環東海地域本部長として働いている著者キム・ナムイルは「ワカメも、ややもすれば隣国にその主導権が奪われかねないという憂慮から、この本を執筆した」と話す。

    本はワカメの歴史から追跡して、私たちが高句麗と新羅時代以前からワカメを食べていて、高句麗時代以降、ワカメは我が国の主要輸出品であり、村共通体から共同作業を通じて採取した主要水産物でもあることを明らかにする。著者は数多くの文献と資料を通じて、「三国遺事」の延烏郎細烏女説話の中に出てくる岩がワカメ岩であることを推測するなど、ワカメの過去と現在を人文学的に読み取る。

    特に、韓国人にとってワカメは単なる食べ物ではない。
    著者は、「我が国は世界で唯一にして、ワカメ文化があることから、そのワカメ(海藻類)文化をユネスコ世界無形遺産に登録しなければならない」と主張する。彼は、「水産食品として客体ではなく、人文コンテンツの主体としてワカメ文化史を分析して、その人文学的価値体系を定立しようとした」とし、持続可能なワカメ生産体制を整えるため、東海岸地域の漁村生活文化の保存伝承方案と、国際的なマーケティング・ブランディング方案も提示している。

    本は、△海洋遺産的(heritage)の観点から調査した我が国のワカメ文化△消滅の危機にある漁村文化共同体の保存可能性△海洋生態的(ecology)観点から気候環境危機に対応した海藻類の研究方向と海洋バイオ産業(biology)の観点から分析した加工産業などを盛り込んでいる。

    現代海洋(韓国語)
    http://www.hdhy.co.kr/news/articleView.html?idxno=16993


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    1: ハニィみるく(17歳) ★ 2022/04/02(土) 12:09:32.11 ID:CAP_USER
    (アン・テファン医師)
    no title


    コロナウイルスが妨げていた良才川(ヤンヂェチョン)の桜(ポッコッ)並木が、3年ぶりに全面開放された。長い間、桜並木すら許されていなかった良才川を、仕事帰りに暇を作って歩くのは最高だ。ひととき滞在する渡り鳥の『コイカル』が、咲き乱れた桜の花びらを美味そうに食べている風景を見ていると我を忘れる。強制的に閉ざされていただけに、特に冬の寒さを耐えてから開化した桜のつぼみが、けたたましい爆竹の音を鳴らしながら満開になっている。人々はその音に従い、三々五々に花陰を訪ねる。 春の日はきた。

    (・・・略)

    このように華やかな桜は、至る所で日本の国花という誤解を受け続けている。実は日本には国花がない。つけ加えると、桜の原産地は日本ではない。学界の大半の意見は、ヒマラヤから中国の南西部にわたる地域というのが有力である。地球が数万年周期で寒暖を繰り返す度、東に北に分布を広げてきたのである。今現在、桜は北米やヨーロッパなど、北半球全体に分布している。桜の最愛国である日本人には残酷だが、それが事実なのだ。

    韓民族が愛した桜のため、やむを得ずウリたちのものだと主張する論拠を提示するとしたら、王桜の木(ワンボッナム=辞書にはソメイヨシノ)は済州島(チェヂュド)が原産地である。桜の種類は非常に多いのだが、そのうち豊かな花びらが華やかに舞い散る王桜品種の自生地が済州島なのである。一時期、携帯電話の着信音として愛用したバズーカ・バズーカ(ポスコ ポスコ)の曲、『桜エンディング(ポッコッエンディン)』の「春風が舞い桜の花が鳴り響く(意訳)」という歌詞も、確かに王桜の落花を基にインスピレーションを得たのだろう。原曲者の本音を聞いてはないが、そうあってほしいという思いだ。

    一歩さらに踏み込むと、高麗(コリョ)時代にモンゴル軍の侵入を仏陀の力で防ぐために作った八万大蔵経の木版の大半も桜で作られたことが判明した。大半の樹木の皮が縦に剥がれるのに比べ、桜は横に短い線のように剥がれ、表面が粗くはなく滑らかで、精巧な活字を刻印するべき木版として非常に有用だったはずだ。この程度なら幻想的に青いオシク(?)の春の日、少しの間は桜に酔って生きたとしても、日本文化という世間の極端な誤解があっても自由だろう。

    桜は散っていく。人々の心残りを後にしながらも、あまり長くはないだろう。願わくば散りゆく花びらのエンディングのように、コロナウイルスも同時に散ることを願っている。この燦爛たる春の日の終りは、桜エンディングとコロナエンディングであってほしいと思う。

    クキニュース(韓国語)
    http://www.kukinews.com/newsView/kuk202204010171

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    1: ハニィみるく(17歳) ★ 2022/03/06(日) 11:09:17.45 ID:CAP_USER
    (写真)
    no title


    (・・・駄文ぽいので省略します)
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    ■ キムパプ(海苔巻き)の日本起源説

    (写真)
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    ▲ 韓国人にとってキムパプは、一食を手軽にかつ確実に解決できる飲食(食べもの)である。ソウル江南区(カンナムグ)の某コンビニに、キムパプが陳列されている様子。(news1)

    キム(海苔)に関する記録は朝鮮時代にまでさかのぼる。『慶尚道地理志(1425年)』と『東國輿地勝覽(1530年)』に、全羅南道(チョンラナムド)光陽郡(クァンヤングン)太仁島(テインド)の土産物として記録が残っている。我々の主食がご飯なので、海苔をご飯に包んで食べたのではないかという推測もできるが、朝鮮時代にキムパプを食べたという資料は残っていない。さらに海苔は日帝強占期まで非常に貴重な食材だったため、キムパプが朝鮮時代に普及したとは言い難い。言い換えれると、日帝強占期に本格的に海苔の生産が増えて、キムパプも定着したと思われる。

    一方、日帝強占期に社会全般に普及した弁当文化も、キムパプの日本起源説を裏付けている。朝鮮時代は官庁が食事を提供していたのに対し、日帝強占期には職員が昼食を食堂で食べたり、弁当で済ませたりしていた。学校も朝に登校して昼休みをまたいで授業を受けるようになり、弁当が必要になった。 最後に昌慶苑(チョンギャンウォン)桜花遊び(花見)などの野遊会(ピクニック)により、弁当の存在感が前面に浮上した。外食ができない訳ではなかったのだが、人出が多すぎるので弁当持参のほうが食べやすかったのである。

    (え)
    no title


    これを裏付けるように、1930年3月7日付の東亜日報には、『婦人の知っておくべき春の料理法(2)』という見出しで、野遊会用の弁当の作り方を紹介した。「昌慶苑に花見に行き、昼食の時間になって食堂に入ると量は少なくて高く、経済的に良くありません。家で準備してから行けば、楽に食べることができます(後略)」とし、『サンドウィチ(センドゥウィチ)』とともに『キムサムパプの(海苔包みご飯)』の料理法が掲載されていた。

    「サムパプ(スシ)にキムサムパプ(ノリマキスシ、海苔巻きずし)があります。材料はアサクサノリという分厚い厚い日本の海苔で、朝鮮の海苔で作るなら2枚使います。 ご飯が炊きあがったら別の器に移し、お酢1合、砂糖2さじ、塩1さじ、アジノモト1さじをマジェマジェします。これが寿司飯の作り方です。(中略) 日本の赤い漬物を細かく切って一緒に食べます」という内容だった。

    (写真)
    no title

    ▲ 様々な種類のキムパプ。

    韓国日報(韓国語)
    https://www.hankookilbo.com/News/Read/A2022030309220000908?


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    1: 【豚】 @ハニィみるく(17歳) ★ 2021/10/01(金) 09:40:18.94 ID:CAP_USER
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    ▲ キム・ユンヂInstagram
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    歌手兼女優のキム・ユンヂ(NSユンヂ)が、新婚旅行中に食べたキムパプ(のり巻き)を『コリアン寿司(Korean sushi)と呼び、急いで訂正した。

    キム・ユンヂは30日、自身のInstagram(インスタグレム)を通じて、「このキムパプは前日に予約しなければならない(U gotta reserve a day ahead for these Korean sushi)」というコメントとともに、複数枚の写真を掲載した。

    公開された写真には、結婚後に済州(チェヂュ)に新婚旅行に行ったキム・ユンヂの姿が写っている。キム・ユンヂは済州の有名なキムパプ屋で買ったキムパプとラーメン、ドリンクをゆったりと楽しみながら浜辺を眺めている。

    この投稿を見た一部のネチズンは、「Korean sushiではなくkimbapと書いてほしい」、「Korean sushiって何だ」とし、キム・ユンヂがキムパプを『コリアン寿司』と表記したことを問題視した。過去に海外でキムパプを『Korean sushi” と呼んだりしていたが、K-フードが広く知られて『kimbap』という表現を使っている。キムパプを『Korean sushi』と表現すれば、日本食の寿司の一種と誤解されてしまうという指摘である。

    これに対し、キム・ユンヂもネチズンの指摘に従い『Korean sushi』から『kimbap』に訂正した。

    一方でキム・ユンヂは去る26日、一般人のボーイフレンドと結婚した。ボーイフレンドはコメディアンのイ・サンヘと国楽人(伝統音楽家)のキム・ヨンイム夫妻の息子と分かり、関心を集めた。

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    ▲ キム・ユンヂInstagram

    スターニュース(韓国語)
    https://star.mt.co.kr/stview.php?no=2021093017244538699

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