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かつてヨーロッパでは、人間の頭蓋骨を煎じて薬として飲んでいた

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 漢方では熊の胆汁を使った熊胆(くまのい)や、サルの頭部を黒焼きにした猿頭霜(えんとうそう)など、動物の体を利用した生薬が存在するが、かつてヨーロッパでは人間の体を利用した薬が存在していたようだ。

 16世紀から18世紀にかけ、人間の頭蓋骨を煎じた粉末を混ぜた薬が、頭の病気を治してくれると考えられており、ヨーロッパの貴族たちの間で流行していたのだ。

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 ある種のカニバリズムだが、その経緯を見ていこう。

王の秘薬の重要な成分は人間の頭蓋骨の粉末だった

 1685年、イングランド王だったチャールズ2世は発作を起こし、死の床にあった。医師はあらゆる手を尽くして王を救おうとしたが、王はある特定の治療法しか効かないと確信していた。

 数年前、チャールズ2世は、イングランド共和国初代護国卿であるオリバー・クロムウェルの主治医で化学者であるジョナサン・ゴダードに多額の金を払って、秘密の薬の処方を手に入れた。

 ゴダードは、のちに”王の秘薬(King’s Drops)”として知られるようになるこの薬は、自分が発明したもので、あらゆる病気に効く奇跡の治療薬だと主張した。

 この液体の薬は、数多くの成分を含み、何度も蒸留を繰り返して作り出す複雑なものだというが、その効果のほどは、ある重要な成分にかかっていたという。

 その重要な成分とは、5ポンド(2.3キログラム)の砕いた人間の頭蓋骨の粉末だというのだ。

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55歳で亡くなったイングランド王、チャールズ2世 / image credit:public domain/wikimedia

秘薬に使用する頭蓋骨の種類

 使うのはどんな頭蓋骨でもいいというわけではなかったようだ。

 理想的には、”非業の死を迎えた若くて健康な者の頭蓋骨”が良いとされていたそうだ。

 働き盛りの人の頭蓋骨が必要とされたので、当時の処刑や戦争はそうした頭蓋骨を手に入れる理想的な手段だったようだ。

 瀕死の王の喉に、医師たちは毎日この王の秘薬を40滴も注ぎ込んだ。

 言うまでもないことだが、望ましい効果は得られなかった。”王の秘薬”や、ほかのインチキ薬による治療が、王の死を早めた可能性もある。

 結局、王は1685年2月6日に55歳亡くなった。しかし、この秘薬が王の命を救えなかったという事実を突きつけられても、イングランドの多くの人々はこの薬を調合し、飲むのをやめなかった。

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photo by Pixabay

ヨーロッパの貴族で王の秘薬(人間の頭蓋骨薬)が流行

 1686年、アン・ドーマーというイギリス人女性が、妹に当てた手紙の中で、頭蓋骨ジュースをちょっと飲んだだけで、自分の精神状態が良くなったと書いている。

私は、”王の秘薬”とチョコレートを飲みました。すると、死ぬほど悲しくて落ち込んでいたのが、子どもと一緒に走り出し遊び回りたいほど明るい気分になったのです

 死んだばかりの人間の頭蓋骨を摂取するという考えは、今日では嫌悪感を抱くが、16世紀から18世紀のいわゆる啓蒙時代の頃は、イギリスをはじめ、ヨーロッパの貴族の間では驚くほど流行っていた。

 当時の医学は、まだ発展途上で、奇抜なものから非常に怪しげなものまでさまざまな治療法があった。

 ”王の秘薬”は特に人気が高かったが、ヨーロッパじゅうで出版された医学書には、ほかにも頭蓋骨が関係するさまざまな治療法が掲載されていた。

 ドイツの錬金術師オズワルド・クロールは、1643年に癲癇の治療法を出版し、暴力的な死を遂げた男たちの頭蓋骨が3つ必要だとしている。

 イギリスの医師ジョン・フレンチは、1651年の『The Art ofDistillation』の中で、やはり癲癇を治すために、”人間の脳のエッセンス”を使う治療法を記している。

暴力的な死を遂げた若者の脳を、脳膜、動脈、静脈、神経などと一緒にして、石臼でたたいて粥状にする。そこにワインをひたひたにひたして、馬糞に混ぜて半年間蒸解させる

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このビンには、かつて治療薬として使う人間の頭蓋骨の一部が入っていた / image credit:EINSAMERSCHUTZE/ CCBY-SA 3.0

死体医学:人体の一部を取り込み病気を治すという概念

 人間の死体を利用した死体医学へのおぞましいまでの執着には、ひとつの源があった。パラケルススは、16世紀のスイスの錬金術師、医師、哲学者、オールラウンドな博識家だ。

 彼以前のヨーロッパの医学界では、古代ギリシャやローマの思想を融合させた医師、ガレノスの医術が主流だった。

 ガレノスの医術は、体は血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁という体液で構成されているため、健康の秘訣はこれらのバランスを良くすることだという考えだった。

 ガレノスの医術はまったく効果のない医療をもたらしたが、パラケルススの研究から生まれた恐怖とは比べ物にならなかった。

 基本的に、パラケルススの哲学は、「類は友を呼ぶ」、つまり体外の似たような要素を取り込むことで健康を回復することができるというものだ。彼の著作『Der grossen Wundartzney (Great Surgery Book) 』は、当時、もっとも影響力のある医学書だった。

 パラケルススによれば、脳の病気の最善の治療法は、健康な人の脳の一部を順に摂取していくことだという。

 死んだ人間の血液や頭蓋骨の粉末、その他、死体の各パーツを摂取することを認めていて、とくに突然、暴力的な死を迎えた働き盛りの男性のものが良いとしている。そうした男性の生命力はとても強いからだという。

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パラケルススは、その著作によってヨーロッパの医学を変えた / image credit:public domain/wikimedia

当時の人々が信じ込み、頭蓋骨を取り込んだ理由

 人体の一部を体内に取り入れ病気を治すという概念は、大西洋を越えてニューイングランドに伝わり、広く受け入れられた。

 17世紀のピューリタンの町医者エドワード・テイラーは、あらゆる食人治療法を熱心に勧めている。

 テイラーは、健康に有益な人体のパーツを列挙し、精神疾患や癲癇など脳の病には頭蓋骨、止血のためには外気にさらされた頭蓋骨のコケなどをあげている。

 こうした治療法のほとんどは、有益どころか有害であるにもかかわらず、患者たちは信じ切っていた。

 頭蓋骨やほかの体のパーツを、チョコレートやワイン、強い酒などほかの食材と混ぜて飲み、多少否定されようが、それはそれで却って気分を良くしていたのかもしれない。

 古くさい治療法の多くは、よくアヘンやアルコールのようないわゆる麻薬作用のあるものと混ぜてしようされていた。そのせいで余計に、不思議なほどその効能を妄信し、大いにプラセボ効果があったのかもしれない。

頭蓋骨の需要が増えたため、遺体不足に

 ヨーロッパ人たちが死体医療に憑りつかれたせいで、人間の遺体が需要過剰になるという悪影響が生まれた。

 イングランドでは、頭蓋骨や食人治療関連の巨大な市場があった。死刑執行人がいる界隈は、必要な遺体パーツを獲得するための人気スポットとなり、ヨーロッパ向けのエジプトミイラの商売は、長年、大繁盛していたのは確かだった。

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植物学者ジョン・トラデスカントの肖像画。手元にあるコケむした頭蓋骨は医療用のものだったことが想像できる。 / image credit:public domain

 特定の品に需要があり、市場が成立する場合はいつも、それがどんなに不快なものであっても、それを調達してくる方法を見つけ出す不謹慎な商売人が現われるのは歴史の常だ。

 こうした商売人はよく、アイルランドへ向かった。アイルランドでは戦場で多くの人間が死に、あちこちにたくさんの頭蓋骨が放置されていたからだ。

 イギリスの哲学者フランシス・ベーコンはかつて、鼻血に効くと考えられていたコケむした頭蓋骨は、アイルランドの戦場に放置されている死体の山から集めてくることができると言っている。

 ロンドンの薬局では、戦場から略奪してきたコケに覆われた頭蓋骨がよく見られるようになった。

 アイルランド人の頭蓋骨を食べるために売買する行為は、当時のアイルランド人に対するイギリスの長い弾圧の中でのもうひとつの蛮行だった。

 だが実は、イギリス人だけでなくほかの国でも、人間の頭蓋骨を取引して金儲けしているのが実情で、ずいぶん長い間、こうしたビジネスの倫理性に誰も疑問を抱かないようになっていたようだ。

 ドイツはとくに、死体医学の熱心だったそうで、アイルランド人の頭蓋骨を略奪して、ドイツ向けに売る荒っぽい商売も繁盛していたという。

19世紀にようやく食人医療は下火に

 記録では、1778年までこうした頭蓋骨ビジネスがあったとされているが、イギリスでの食人医療は19世紀には下火になる。

 解剖学や生理学について、医師たちの知識が進み、より近代的な医学が明らかになり始めたからであろう。きちんとした科学的根拠に対して反論することができなくなり、うさんくさい医療は崩壊していったのだ。

References:Europeans Once Drank Distilled Human Skulls as Medicine – Gastro Obscura / written by konohazuku / edited by parumo

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この記事へのコメント、35件

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    1. ※3
      ミイラは遺体に浸み込んだ没薬が目的だったのよ
      それよりもただの炭に過ぎない黒焼きの薬効が信じられていたことのが謎
      口内炎に茄子のヘタの黒焼きとか今でもやってる人がいる

      1. ※8
        それは後で分かる話だろうに
        当時はミイラが漢方として使われてて
        位の高い人のミイラほど薬効があったと

    2. ※3
      江戸時代、オランダ商人がエジプトで仕入れて漢方薬の材料として日本に売り
      対する日本人は東北で作られた胡散臭い人魚や鬼や妖怪のミイラを売付けていた

  1. 胎盤と胎児と臍の緒は、中國の漢方薬で重要なアイテム。
    胎盤は“紫河車”といって、大陸の漢方薬市場に行けば必ず買える。

    ちっとも珍しいものではない。

    1. ※4
      っちゅーか、いまアンチエイジングとかではやってる「プラセンタ」は、人の胎盤そのものやんけ。

  2. 19世紀にこの風潮を終わらせたのは解剖医にして、それまでオカルトだった医療を科学に変えたジャック・ハンター。
    この人は元々墓暴きで、解剖医になった後も検体目的に墓暴きを続ける傍ら、レアな遺体(例えば妊婦)に多額の懸賞金まで出していた。そのため全英国中の墓が暴かれ、大量の遺体がロンドンに運ばれてたとか…
    なんでこんな事が!?て知った当初は思ったけど、頭蓋骨が高額で取引されてたから、大量の遺体が高額で売買される下地は出来てたんだなぁ、と納得した。

    1. >>10
      後で確認したらジョン・ハンターて18世紀の人でした。申し訳ありません。

  3. アフリカの一部では未だにやっているよね。アルビノの人が狙われる事件が未だにある。

  4. ヨーロッパでは廃れたこういう魔術とかまやかしが、当時植民地だったアフリカ諸国に未だ残ってるから、アルビノの人達が迫害されたり殺されたりしてるのかもしれない。
    もしそうなら、業の深い事じゃ済まされない。

  5. 欧州に限らず迷信は各国にゴロゴロだろよ
    俺が知って衝撃受けたのは古代中国で
    死刑囚が罰を受ける時に生きたまま肉を削ぎ販売
    その肉を食べれば病気が治るというもの

    1. ※14
      近代(清末)でもやってたよ
      魯迅の小説で憂鬱に詳しく描かれてる
      また現代の範疇に入る文革期でも…

  6. カニバリズムどうこうより「非業の死を遂げた」て条件が嫌らしいし怖いわ

  7. この薬、成分的にはラーメンのトン骨とそんなに変わらないんじゃないですかね?

  8. あたま あたま あたま~頭を食べると♪
    からだ からだ からだ~体にいいのだ♪

  9. カビから抗生物質を抽出したり、健康で若い人間の骨髄を移植すると若返る、などとやっているのを見るにつけ、医学/薬学の本質は中世時代と変わらんよなぁ、と思わぬでもない。

  10. 効能や有害かどうかは別にして、この身を余さず生命の循環に入れると考えればそれはちょっと嬉しいかも
    骨として永遠に個を残してくれるのもそれはそれで良いけれども

  11. 錬金術もアホみたいな実験繰り返して科学が進歩したり
    たくさんの非人道的な人体実験をナチスが行った結果
    大戦後の医学は飛躍的に進歩したり…
    「これはアカンかった」って事がわからんとな…
    有益な事も掴み取れんのよな…
    哀しかったり怖しかったりな…

  12. 日本でも頭蓋骨、またはその頭頂部が肺病に効くとか言われてたね
    明治だったと思うけど、病気の治療のために墓をあばいて遺体の頭部を盗んだ事件もある

  13. 「非業の死を遂げた」って条件は、死ぬ直前まで元気で健康だったって事が重要だからなんだろうね

    1. ※36
      臓器移植と考えれば現代にも通じるな
      病気でヨレヨレになって死んだ人の臓器は使い物にならんわな

  14. マルチン・ルターは毎朝自分の大便を一匙、健康の為に食べてたって話聞いたことある

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