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1868~1872年の中国・香港の古写真

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 さかのぼること約150年前、スコットランドのの写真家 ジョン・トムソンが1837年~1921年)氏が、中国の都市部や香港を訪れ撮影した写真が公開されていた。日本はこの時期、文明開化を迎え明治時代が始まったころだ。

 当時は辮髪(べんぱつ)と呼ばれるラーメンマンみたいなヘアスタイルが義務付けられており、辮髪を拒否したら、死刑となる刑罰すら存在したという。

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■1.広東省汕頭市(1871年) 外国人居留地

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■2.広東省広州市(1869年~1870年) 学童男子

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■3.北京(1871年~1872年) 満州民族の幼き花嫁

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■4.広東省広州市(1869年~1870年) 女性船頭

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■5.香港(1868年~1871年) 浜辺にて

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■6.香港(1868年~1871年) 喫茶館のベランダ

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■7.香港(1869年) 九龍地区の広東人家族

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■8.香港(1869年~1871年) 紱輔道

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■9.香港(1869年~1871年) 質屋や商店が立ち並ぶ街頭

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■10.香港(1869年~1871年) ワンチャイ市場

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■11.香港、(1871年) ビクトリアハーバー

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■12.香港(1858年~1875年) ビクトリアハーバーの奇力島

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■13.香港(1869年~1871年) ペダー通り

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■14.香港(1869年) 画家

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■15.香港(1869年~1871年) 外国人用墓地

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■16.香港(1869年~1871年)ジャーディンの展望台から望む競馬場

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■17.香港(1869年~1871年)香港大会堂

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■18.香港(1869年)エディンバラ侯爵来訪中、リンドハースト通りの見物人

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■19.香港(1869年~1871年) 九龍

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■20.広東省広州市(1868年~1870年) 路上に佇む老婦人

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■21.広東省広州市(1869年~1871年) 扇子を持ち屏風の前に立つ広東人女性

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■22.広東省広州市(1869年~1870年) 典型的な広東人の女性

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via:vintag
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この記事へのコメント、73件

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  1. この記事を書いた人はしらないみたいだけど、この髪型ってのは「国」から強制されてるんだよ。懐かしさとかは無いんじゃないかなぁ。
    たしか、辮髪にしなければ、投獄され、それでも辮髪を拒否する死刑という刑罰まであったはず。
    映画ラストエンペラーで、清王朝が倒れ辮髪にしなくても良くなったというので民衆から大歓喜が上がったシーンがあったように記憶している。
    支配されるということは、こういう事を言うんですよ。
    あまりにも記事の文章がお気楽な感じで書いてあるので、ちょっとそれはどうかなぁと思いました。
    辮髪を拒否したら、死刑となるのですから、そんなに気軽なものでは無いんですよ。
    女性は纏足というのを強制されていた時代ですね。
    こちらは、刑罰はなかったようですが。

  2. 辮髪にせぬものは、死刑というのが当時の国(清)の方針だから、嫌でもこの髪型にしなければいけなかったんだよ。

    1. ※3
      清(満州族)は纏足という習慣がなかったので、
      むしろ、満州族の女性が纏足するのを禁止してましたよ。
      西太后をはじめとする清の后妃の靴が残っていますから、それを参照してください。
      漢族の女性も「法で」は強制されていません。
      女でも働かなければならない階層の女性は纏足はしていませんよ。

  3. 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」を思い出す。

  4. なんで昔の人って威厳や誇りを感じる写り方するのだろうか
    撮影方法はともかく当時の空気が違うのかな

  5. むしろラーメンマンが真似してる、あのキャラデザはこれ由来でしょ。


  6. 記者はそんな事知ってると思うなー
    あとテンソクは強制じゃないしもっと昔から風習としてあったんだよ
    むしろ清王朝は禁止令を出してた

  7. いつも思うけど、なんか中国って固まったイメージが無いんだよなぁ
    なにが中国っぽいかといわれるとよくわからない

  8. それはそうと、昔の写真って風情があっていいよな。
    その時代の社会情勢とか、そういうのは抜きにして。

  9. 日本もだけど、中国も昔は女性の髪型が複雑だな!
    髪をのばすのばさない、の選択ができる時代に生まれて良かった。

    1. ※13
      こう書くと紛らわしいかも知れんけど、最も古い中華という存在はもう溶けて無くなってるんじゃないかなぁ。春秋戦国の時代で既に拡大解釈されてると思う。
      あの国の不思議な所は、どの民族もあの領地に入ると中華人を名乗り、再び国外に出てももはや中華人のままって所だと思う。

  10. ラーメンマンだと頭頂部だけ伸ばしてるイメージだけど
    前半分を剃って後ろは伸ばすから
    どちらかというとチョンマゲの仲間だよね
    こういう部分の強制はあったけど、基本は寛容で柔軟な体制だったから
    少数征服民族国家なのに異例の長期政権だった

  11. お前らって写真で人物しか見ないんだね…(´・ω・`)、
    舟とか街並み、墓地の風景すらも、素敵なのに。

  12. 纏足は満州族の文化ではないから(馬に乗る満州族にはそぐわない為)清の時代では禁止されていたけど、漢族の貴族のたしなみとして残ってしまったのだっけ?

  13. 民衆に対しては特に厳しかったわけじゃないだろう
    政敵争いに紛糾して庶民の事なんか構っていられなかった
    あの西大公も民衆に牙を剥くわけじゃ無かったので大らかな時代だった筈だが

  14. 最近の中国より街が小綺麗に見える。白黒写真のせいなのかな?

  15. 1600年チョイ後、明が滅んで清が中国全土を制圧した直後は
    「髪をとどめる者は頭をとどめず」って厳しい弁髪令がでたけどね。
    このぐらいの時代、清が滅んだ後、弁髪を切るのにまた大騒ぎあったんだよ。
    しかし、資料的にいい写真が多いね。
    「ペダー通り」の写真の右側の建物、今のペダービルと同じだよね?。

  16. パール・バックの『大地』を思い出す。読んだのは中学時代だったが、読みごたえがあったね。

  17. 医師にして武術の達人!
    その名は黄飛鴻!(ウォン・フェイウォン)
    南派少林無影脚!!

  18. 女性はとても品のある感じがして
    良いですね、纏足だから足は大変な事になってるのでしょうが。

  19. 纏足は後宮の女官のみだと思う。皇帝に愛玩される女性の嗜みというやつ。
    市井の女性には関係がないはず。
    あと英国の植民地になったおかげで都市のインフラが整備された感があるね。
    特に建物とか。

  20.  中国は広くレパートリーにとんだ多民族国家だから、管理できた中国という国として体をなしてないとかどっかで書いてあったな。ウィグルの虐殺の時の記事だったはず。定まらないのも当然なのかな。まー、マスコミが騒ぎ、政治家が対処せず、敵というイメージが先行している人も多そうだが。

  21. こういう「貧しくもおおらかな時代」って憧れてしまう
    いかに現代と比べて不便で文化が遅れていようとも

    1. ※36さん、よく読みましょう。
      どこに纏足が法律で強制されてると書かれていますか?
      強制されていたのは、辮髪の方ですよ。

      1. ※61さん。よく読みましょう。
        ※36さんのコメントは、纏足が強制されていたと勘違いした
        ※3さんに対するアンサーですよ。

  22. 纏足は漢族の風習で、ツマサキから踵まで9cm程度の長さ、タケノコのような形が理想とされ、纏足四十八手もあった。
    物乞い以外は、みんな娘を纏足した。自然のままの足だと、嫁の貰い手も女郎の買い手もないから。
    満州族は纏足はしない。
    清朝の後宮には満州族しか入れないきまりなので、纏足の宮女は居なかった。
    やたら色っぽい女船頭さんは、纏足をチラチラ見せながら、人類最古の商売をしてたのかも。洞庭湖にそういう女船頭達が居た、って文献を読んだことがある。

  23. 「チャイナドレス」「キョンシーの格好」は満州族の格好ですね。
    漢民族の女性はチャイナドレスを着てはいけなかったとか何とか。

    1. ※40
      後宮以外でもあったみたいだよ。
      ずいぶん昔に中国へ行った際に、かなりご高齢のご商売されてるおばあちゃんが纏足してた。
      聞けばいいとこのお嬢さんくらいの身分の人は昔はみんなやってたよってさ。
      あと男性でも纏足させられてた人もいるそうな。

  24. 14はステレオグラムだねぇ。
    19も本来はステレオグラムだったみたいやね。

  25. 辮髪は、中学の世界史だろ…
    そういうことで、見るべきところは、まず景色じゃなかろうか。

  26. 日本はチョンマゲ落とすのにだいぶ抵抗されたんだっけ?
    辮髪は廃止になって大歓迎だったんだね。
    知らないことだらけだなぁ。
    でも昔の中国ってなんかロマンあってやっぱ魅力的

  27. 辮髪(べんぱつ)は満州族(清朝)の髪型。
    現在の中国を支配しているのは漢族。

  28. 日本の髪型が複雑なのは
    髪結い屋っちゅう表現から察しろ。
    民国になって辮髪一斉に切っちゃうんだよなあ… 旗袍、長衫は日常着、制服として進化して行くけどね。

    1. ※49
      交差方で見たら立体に見えました
      それにしてもモダンな町並みいいなあ
      今でもこういう風景のこってるんだろうか
      カフェのベランダとか風情があっていい

  29. 阿Q正伝って、革命前後の話なんだよね
    その中に辮髪の話が出てくるが、強制と同時に
    それを切られるのは人を辞めさせられる位の侮蔑的な二重の意味があったらしい

  30. > 辮髪は廃止になって大歓迎だったんだね
    とも限らない。 辮髪は清代になって強制されたけど、末期になれば辮髪になれて漢族も辮髪大好きになっていた。
    魯迅は日本に留学したときおさげを切り落としたけど、実家に帰るときは鬘かぶってごまかしたほど。 

  31. 辮締旋風大車輪…
    中国清代初期 辮髪の習慣を活用した
    幻の拳法があった
    修行には重さ100貫20寸角の雫鋼鉄(だこうてつ)を
    吊るし 頭髪と首を鍛えたという
    この拳法を会得するためには
    最低3個の雫鋼鉄を持ち上げ 自在に
    ふりまわすだけの技量が要求された
    ちなみに 現代でいう
    「借金で首が回らなくなる」
    という表現は当時 雫鋼鉄が
    非常に高価なため途中で買えなくなり
    修行を断念した者がいたことに由来する
    民明書房刊「中国拳法大武鑑」より

  32. 外国人居住区だからだろうけどきれいだね。
    ひらけているって表現が一番正しいかも。

  33. 環境破壊の程度は今よりずっと低くて異国情緒もあった時代の香港
    今の香港はありふれた大都市で写真や動画を見てもつまらない

  34. トン、ナン、シャー、ペー、ハク、ハツ、チュウ、ラーメンマァ~ン!!

  35. 布を棒に出来たらしいからな、日本人なんかかかっていっても勝ち目がないだろうな。

    1. ※68
      護岸整備されているあたりに驚いた。削り出した石の大きさも正確。
      ベンチは舶来品か?

  36. 白黒写真なのでどんな色をしていたかわからないのが惜しい
    色が付いたらまた印象も変わって見えるんだろうな

  37. すごくロマン溢れる写真だなぁ。建物の様子とか人物の服装とか髪型とか。古代中国とはまた違った魅力があるね。

  38. 辮髪強制は仕方ないことで、いくら皇帝たちは満州族の血筋だっていっても8割は漢民族だし、同じように超強くて元を打ち立てたモンゴル人も完全に同化してしまったという怖い事実があるので文化的にも量的にも貧しい満州族は自分達の文化を強制するのが関の山だった
    今でも辮髪やキョンシーの服という形で残っている

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