二本松市の農家と放射能の話
高圧の水で除染しているところ。りんごの木、一本ずつ。
二本松ではまだ葉が茂らない3月のうちに果樹類の除染を行った。
昨年の福島原発の事故後、風が福島の内陸部に吹き込み、
伊達から郡山にかけてかなりの量の放射性物質を落とした。
二本松市はその中通りに位置し、福島市・本宮市のお隣の市である。
某D社時代に担当だったりんご農家がここで農業を営んでいる。
山形の帰り道、久しぶりに寄ってみた
行ってみてわかったのは「全然終わってない」ってこと。
どころか「いつかほんとに終わるのかしら?」と思いながら、
皆が生活しているってこと。
いろいろなことに腹を立てて東京に帰って来たのだった。
さて、3月12日、福島原発が水素爆発を起こした。
福島市では3月15日から、二本松市では3月19日から
空間線量の測定を始めた(二本松市HPより)。
3月19日で7.02マイクロシーベルト(於・二本松市役所)。
高いのは放射性ヨウ素がまだ半減期を迎えていないせいだ。
その後は徐々に下がってきていて、
今は主にセシウムが放射線を出し続けている。
元取引先のりんご農家は、二本松市の東和町でりんごを作っている。
ここには有機農業に取り組んでいる団体もある。
以下は東和町の話である。
りんごの樹皮をはぐ。はがした樹皮はすべてビニールシートに集める。
放射性物質が付着してるからね。相当な手間がかかったんだろうなあ。
樹皮はポリ袋に入れ一か所に集めてあるが、捨てたり燃やしたりはできない。
放射性廃棄物ってことになるんだね。捨てる場所がないから置いておくことしかできない。
今年3月、市の要請に伴い、果樹農家は果樹類の除染を行った。
果樹の除染とは、高圧の水を樹に吹き付けることと樹皮をむくことだ。
土中の放射性物質の果実への移行はほとんどないとわかっていて、
果実につくのは、樹皮からの移染と言われている。
去年、原発が事故を起こしたとき、落葉果樹類はまだ葉を落したままだった。
春になり、芽が吹いて葉っぱを茂らせ果実をならせたが、
その間雨により樹から葉に移行し、その後果実に移染したと思われている。
だから樹皮をはいだ。
そのおかげで今年のりんごは某D社の放射能検査で
今のところ10ベクレル以下(検出限界値以下)という数値を保っている。
全く問題ないレベルなのだが、売れない。
国の基準値は大幅にクリアしていて、流通の自主基準以下だが売れない。
福島産ってだけで売れないのだ。
JAや市場では安値しかつかず、福島産のミニトマトが
1ケース100円でしか売れなかったりする。段ボール代が90円。
出荷の手数料がいくらか知らないが、出荷すれば確実に損をする。
だが出荷しないと原発事故前との収入の比較ができず、
補償金が出ないので、出荷せざるを得ない。
りんご畑のわきのフェンスで採れたあけび。大好きなので「わーい!」と喜んでたら、
「放射能を気にしないなら食べてね」と言われ、その気遣いに悲しくなる。
「私は老い先短いからだいじょぶ!」って言ってみた。もちろん食べた。
おいしかった。おすそわけにも気を使わなくちゃいけないなんて。腹が立つ。
道の駅「とうわ」あぶくま館前にある線量計。だいたい0.5マイクロシーベルト。
室内は0.2。地面に線量計を置くと1.2位になる。東京は今0.04マイクロシーベルト。
見えない放射線が、常時数値化されて目の前にあるのってどんな気持ちだろう。
りんご農家のかあちゃんは言う。
「葉摘みしながらね、できたとしても、これ売れないのかなあって思うの。
やっても無駄になるのかなあってね。
そう思いながら作業するとほんとに張り合いがないんだよ」
福島の、全ての農家がそう思っていることだろう。
丹精込めて作ったものが売れないストレスは相当に違いない。
果樹農家は野菜の農家と違って、
JAや市場出し以外に「贈答品」という直接販売の売り先がある。
自家用に購入する人もいるが、おつかいもので使う人もいる。
これらの顧客は果樹農家にとって、とても大切なお客様だ。
昨年は、この人たちからの注文が例年の2割に落ち込んでしまった。
以前福島の桃農家に聞いた時も、2割しか残らなかったと言われたので、
おそらく2割が平均的な数字なんじゃないだろうか。
自家用はよくても、贈答に「福島産」は使えない。
贈られた人が「福島産」を嫌がる可能性があるからだ。
企業がお得意様に贈る際などはとくにそうだ。
少なくなった売上は補償で戻って来るかもしれないが、
一度離れた顧客は戻ってこない。失った信用は取り戻せない。
この部分は東電にも国にも補償なんてできないのだ。
東和町は有機農業の盛んな土地で、有機に取り組んでる農家が多い。
某D社にも作付があるが、取扱量はかなり減った。放射能検査をしても売れないからだ。
どんなに土を作っても空から放射能が降ってきたらアウト。
原発と有機農業は本当に相容れないものなのだ(有機だけじゃないけどね)。
道の駅「とうわ」には放射能測定機が置いてある。
販売するものも全部計っていて、基準値以内のものを売っている。
会議室では、東電の補償書類の作成相談が毎日行われている。
「原発事故」で派生したさまざまなものが日常生活の一部になっている。
それでも農家はそこに作物を作る環境がある限り作物を作り続ける。
へんちょこな家庭菜園をやってるわたくしでも、
原発事故後はとりあえずタネをまいた。
タネをまかなきゃ何も始まらないからだ。
仕事であればなおさらだ。
「食べものを作ること」は農家の「生業」。
生業を捨てるなんてことはできはしない。
日常生活のなかに放射性物質が常にあり、
目には見えなくても意識しなくてはならない生活。
自分の作物を売るたびに、お店に行くたびに思い知らされる生活。
その気持ちは東京にいるわたしには想像するしかない。
たぶん永遠にわかりはしないけど、
自分にできることを考えている。
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