2024-12-30

⚫︎『海に眠るダイヤモンド』、最後まで観た。ストーリーテラーだなあ、野木亜紀子。というか、ストーリーテラーの仕事というのはこういうものなのか、と思った。

ほとんどの登場人物が、特定の出来事を形作る構成員というだけでなく、物語上(物語の大きな布置の上)で何かしらの重要な役割があり(その「役割」が露呈することで物語が大きく動く)、多くの出来事が、その出来事単体、あるいは時系列的連鎖関係にあるだけではなく、離れた時間の出来事と何かしらの影響関係にある。ただし、こういうことをやりすぎると、あらゆる出来事の因果の連鎖が狭い範囲内だけに閉じていて、いかにも作り物っぽい感じになってしまうので、そこはいい塩梅の匙加減が必要となるだろう。息をのむ見事さとわざとらしさは紙一重なのだ。

⚫︎過去の出来事の記憶(記録)が現代に影響を与えて状況を変化させ(老人の介入が若者の現状を変化させ)、同時に、現在の出来事が過去の記憶を上書きして変質させる(若者の介入が老人の記憶や決意とその家族の関係を変化させる)。この物語がまずはやろうとしているのは、遠く離れた、ほとんど無関係にも思われる「戦後史」と「現在」との分断を乗り越えて相互作用させるということだろう。

そして、野木亜紀子のドラマの多くは多世界的であり、複数の現実が同時に並走している感覚がある。ドラマの途中まで、宮本信子は、杉咲花でもあり、池田エライザでもあり、土屋太鳳でもある。この多世界重ね合わせ的な状態は、ドラマの半ばまで進んでようやく杉咲花へと収束する。杉咲花へと収束した後でも、彼女には、端島銀座で神木隆之介を待ち続けているヴァーチャルな生と、食堂の従業員と結婚して二人の子供、二人の孫を持つ現実の生とか並走している。ドラマの前半で彼女の来歴が不明なままであり、現実の生の詳細が明かされるのがドラマの終盤になってからでなくてはならないのは、ドラマの序盤の彼女の生は(複数の女性の重ね合わせであるだけでなく)虚実の重ね合わせ状態のままであり、それが収束するのは、ドラマ終盤になってから(つまり、神木隆之介の介入によって家族関係が改善してから)だということを表すだろう。

(家族との関係が改善することになって初めて、現実の生としての「寅次郎との夫婦生活」が浮上し、収束してていく。家族が不仲であるうちは、宮本信子の夫の位置はあくまで不確定な「X」でしかない。それまでは、過去のパートにさえ寅次郎の存在は影も形もない。そのような意味でも、「過去」は「現在」から遡行的に決定されるのだ。)

多世界並走性は、ドラマの過去のパートにも、現在のパートにも、どちらにも神木隆之介が演じる人物が配置されているというところにも現れているだろう。本来、何の関係もないはずの「端島の戦後史」と「現在の歌舞伎町」は、ただ彼によって、というか彼の「見た目」のみによって繋がっている。神木隆之介(ホストのレオ)は、宮本信子によって神木隆之介(外勤の鉄平)として観測されることによって、端島の戦後史に巻き込まれる。二人の神木隆之介(レオと鉄平)は、同一の外観を持ちながら対極的な性質を持つ双子だ。乱暴に途中をすっ飛ばして要約するならば、この物語は、宮本信子を媒介として、神木隆之介=鉄平の声に、神木隆之介=レオが応えるという話と言えるだろう。

「端島の戦後史」は、最初は宮本信子の記憶として語られているように見えた。しかしドラマの中盤で、その語りの根拠はあくまで神木隆之介=鉄平が残した日記であることが明かされる。その意味で、これは朝子の物語ではなくあくまで鉄平の物語であり、宮本信子は、当事者でありつつも、同時に日記・物語の読者であり観客である。神木隆之介=レオが、宮本信子によって巻き込まれた部外者としての読者・観客であるならば、宮本信子は、神木隆之介=鉄平の日記が残っていたこと(そしてそれが彼女の元に届いたこと)によって巻き込まれた、当事者としての読者・観客である。テキスト=歴史は、当事者である宮本信子(の記憶)に対しても外部である。

だからこの物語は、未来の部外者と、同時代の当事者という、異なる立場の二人が、同一のテキストを読み解いていくという形式の話でもある。「当事者としての読者」である宮本信子は、テキストに内在するものの中に深く分け入って沈降していき、それによって自分自身の現在を書き換えていく。「部外者としての読者」である神木隆之介=レオは、一次資料としてのテキストから外へと派生する情報のネットワークを広げて、探究し、そのような行為を通じて自分を書き換えていく。

(ネットワークを広げていく神木隆之介=レオは、当初は敵対的だった、宮本信子の孫たち、そして次に子供たちまでを巻き込んでいき、家族関係を変質させるまでに至る。)

⚫︎ラスト近くで、過去の8ミリフィルムに撮影されていた神木隆之介=鉄平と、現在のパートにいる神木隆之介=レオが、二人を媒介した宮本信子の目の前で並べられ、宮本信子が「ちっとも似ていない」というようなことをいう。これは、神木隆之介の「見た目」を介して繋がっていた「端島の戦後史」と「現在の歌舞伎町」とのリンクが切れた、ということだ。ただしそれは、この二つの時間は、もはや神木隆之介の見た目によるリンクを必要としないくらいに密接に関係し、相互に影響を与え合うようになっているということだろう。宮本信子と神木隆之介=レオとは、神木隆之介=鉄平を介することがなくても、かけがえのない友人となった。

⚫︎鉄平は、90年に端島が見える土地に家を買ったと語られていた。端島から逃げたのが65年だから、なんと25年も全国を逃げ回っていたことになる。その後の鉄平の人生がわずかにしか語られないこともあって、「泣いた赤鬼」の青鬼くんのことを思い出していた。