広島県南東部で岡山県との県境、瀬戸内海に面する広島県第2の都市であり、備後地方の中心都市。
人口は約46万人と中国地方第4位の規模であり、福山都市圏では70万人を超える人口を抱えている。
古くから、福山城の城下町や瀬戸内海の重要港として発展しており、交通の要所であり、
特に万葉集にも詠まれる鞆の浦は今では観光地として人気。
戦後になると、日本鋼管(現JFEスチール)製鉄所の誘致に成功し企業城下町として発展し、福山大空襲の焼け野原から復興を果たす。
広島市や岡山市といった周囲の都市に古くから依存せず、独自の文化圏を形成し
県庁所在地でないにも関わらず、その都市圏規模から、一部では県庁所在地並の扱いを受けている。また、新幹線の停車駅もあり、福山駅では福塩線や高速バスのターミナルにもなっている。
将来くるかもしれない道州制で、密かに中国州の州都を狙っている。
しかし何よりの特徴は、その都市規模に比べ全国知名度が格段に低いことにある。
詳細はWikipediaなどを参照されたし
まずはじめに言っておかねばならないのが、福山市と広島市は全くの別物ということだ。
ここでは、広島市との違いに主軸を置きながら、福山市の地域性を見ていきたいと思う。
① 広島弁を喋らない
広島県民全員が広島弁を喋っているわけではない。
福山市は備後弁(福山弁)と呼ばれる全く別の方言を持っている。
したがって、広島県民ながら広島市民との意思疎通に一部困難を伴う。
そんな不思議な地域性を持っている理由は、広島市との距離にある。
高速に乗っても約100kmを隔てる広島市とは、そもそも繋がりが薄い。
反面、岡山県との繋がりは盛んで(実際、一時期は岡山県だった)、備後弁には岡山の性質が現れている。
加えて、備後弁は意外なことに名古屋弁と類似点が多い。
これは、福山藩を治めていた水野勝成が徳川家康の従兄弟であり、三河との交流が深かったことに由来する。
(現在でも、愛知県岡崎市とは姉妹都市提携を結んでおり、交流は続いている。)
つまり、備後弁は「広島弁、岡山弁、三河弁を足して3で割った感じ」となんとなく理解していただければありがたい。
② 広島お好み焼きにそこまで執着しない
失礼を承知で、福山はこれといった有名店が無い。府中市が近いから「府中焼き」を食べに行ったりする。
広島市内に比べれば、関西風の店も受け入れられている。ただし、「広島焼き」には違和感を感じる。
③ カープファンでなくても怒られない
巨人ファンも阪神ファンもいます。
観戦に行くにも福山から広島市の球場まではアクセスが悪く地味に時間がかかり、福山での試合も滅多に無いため広島市民に比べてあまりカープに馴染みが無い。
④ 福山を田舎だと思っている
知名度が低く、これといった特産品もないので全国規模のマスコミはもちろん広島のローカル番組でもまったく相手にされないので、たいていの福山市民は福山を田舎だと思っている。
が、都市圏70万人規模の地域は日本にそれほど多くあるはずもなく、
他県へ引っ越して初めて「福山って意外と都会だったのか」と気付く人もしばしばいる。
実は、47都道府県の県庁所在地を人口の多い順にランキングにし、そこに福山市を仮に入れると、上から数えたほうが早い順位になる。
⑤ おおらかで堅実
福山は、瀬戸内海の中心にあるため、気候は温暖であり、一年を通して晴れの日が多い。
また、台風被害がそこまで深刻なわけでもなく、地震もまったくといっていいほどない、大雪に関しては論外である。
(気象庁のデータを基に東京と福山を比較すると、年間日照時間が200~300時間程度長く、年間降水量は300~500ミリほど少ない)
穏やかな気候と、様々な地域との交流を基として生まれたのが、福山市民の市民性である。
⑥ 岡山県に近いことによる特権
岡山県に隣接する福山市は、何かと岡山県からの影響が受けやすい。
JR西日本の岡山支社の管轄内だったり、ドラッグストアZAGZAGが進出したりといったことだ。
その他、いろいろと企業などから岡山県の一部のような扱いを受けたりしている場合がある。
特筆すべきは、福山市内一部の地域でアンテナを岡山県へと向けると「テレビせとうち」(テレビ東京系列)が受信できることだろう。
テレビ東京系の局の開設を願ってやまない広島市民にとって、おそらく最も福山市が妬ましく思える要素だろう。
⑦自動車社会
前述したとおり、福山市の周囲約60kmには大きな都市が存在しない。
よって、電車に乗り隣町まで出かける発想は持ち合わせておらず、同時にそういった都市構造にもなっていない。
福山駅は市の中心に位置し、のぞみが停車する重要な駅だが、市民の利用頻度はそこまで高いものではない。
なぜならば、近場への移動手段としての在来線は先の理由から少なく、広島市や岡山市に行こうにも、距離が中途半端で在来線だと時間がかかりすぎ、かといって新幹線でもこの距離だとコストパフォーマンスが悪いので、「なら高速乗って車で行こう」という考えに行き着く。
よって、福山市民は鉄道を東京・大阪方面まで行く時ぐらいしか利用をせず駅前も寂れてしまっている。
(日常的に在来線を利用している福山市民は、車を所持しない郊外からの買い物客か、私立学校の生徒くらいであろう。それほど福山市には車を持っていない人がいない。)
路線バスはというと、中国バス、鞆鉄バス等が市内どこでも走っているおかげで、山陽本線・福塩線(福山市内の在来線)の沿線以外の地域で需要がある。
鉄道の走っていない南部(鞆・沼隈方面、川口・新涯方面)では、路線バスはその地位を確立していると言える。
が、市内路線バスは基本的に「福山駅とどこか」という形で運行されており、「福山駅以外のどこかとどこか」という運行はされていないため、日常的な移動の足としてはやはり欠点がある。
(一回福山駅でバスを乗り換えるくらいなら自転車の方が目的地に着くのが早いという場合も少なからずある。)
このように福山市は車がなければ生活し辛く、また、車があれば生活するのに都合がよくできている。
その理由は自動車社会であることと同時に満たされた駐車場の充実度や道の広さ・運転しやすさではなかろうか。
福山市は城下町であり、古くからの町並みのおかげで道が細く、やたら交差点が多いというイメージが浮かぶが、実際は広い道が多い。(渋滞するエリア(ほぼ国道2号線のこと)はあるが、時間帯は決まっているし、抜け道もある。)
なぜ城下町ながらそこまでの道路の利便性を確保できたかというと、皮肉なことに、福山大空襲が大きく関わっている。
第2次大戦末期、疲弊した日本にとどめをささんと戦略爆撃を繰り返していた米国、その標的の一つとして陸軍の司令部や施設、海軍航空隊の基地のあった福山市が選ばれた。
1945年8月8日、福山の静かな夜はB-29の無数の焼夷弾による無差別爆撃によって火炎地獄と化した。
これにより死傷者1000人以上の被害を受け、福山駅や福山城天守閣などを含む市街の実に8割以上を焼失した。
そう、福山市の道が走りやすいのは、一度すべて瓦礫の山になり、それから再度復興を遂げた証なのだ。
福山市は、ほかの城下町と比べて走りやすい道。そして、車にかわる交通手段がなく、商業施設や娯楽施設も車での客を前提に駅前にとらわれず店舗を構える。
このような、車の必要性と利便性との循環で、福山市の車社会はさらに強くなっているのである。
福山市の知名度の低さは、人口や都市規模に比べると全国でも群を抜いて低い。
市では長い間、知名度に対しては全くと言っていいほど関心を持っていなかったが、
07年度からその重要性に気付き、PRに本腰を入れ始めたという。(ソース:08年5月3日山陽新聞記事)
が、本腰を入れ始めたのかどうかは市民の目から見るとかなり怪しい。一応、福山市で一番の観光資源は瀬戸内海国立公園に含まれ、『崖の上のポニョ』の舞台として知られる鞆の浦である。
なお、くだんの鞆の浦がモデルになった際もまともなたいていの自治体なら、「自分たちの町がジブリ映画の舞台となった」と、ここぞとばかりに徹底的にPRするところを、福山市は華麗なスルーを見せたため、PR計画そのものの有無自体に懐疑の声があがるのも無理はあるまい。
なお、鞆の浦は世界遺産の品定めをしているイコモスからもお墨付きをもらったことがあるが、市長どころか住民の大半も「余所者は聞く耳持ちません」とばかり全く相手にしていなかったほどである。結局、景観問題はトンネル通すことで落ち着いた(人口が激減して、いまさら橋を架けても…って事情もあるらしいが)が、今度はイコモスも「今となっては特異性に乏しい」と別の注文を付けられている模様。
「福山といえば」と思いつく名産品が少ないのも知名度の原因といえる
実際名産品は結構あるのだが、保命酒、慈姑(くわい)、下駄、琴、表具、絣など渋すぎるラインナップの為
旅行帰りに気軽に買える福山土産といえるものはほとんど無い。他にバラの町としてもPRしているようだが、食えない代物に旅行客は興味がないので、訴求力がない。
また、プロスポーツチームが存在しないこと(特に後述するJリーグは地域一部リーグにも名を出さない)、著名な祭りがないこと、歴史的に誰でも知っているような有名人がほとんどいないこと、また、地名が出るような有名な事件も起きていなかった(まあ、これはいいことだが)なども知名度が低い理由。
ちなみに、福山市民のほとんどは既に知名度を諦めているようなので、自己紹介のときに二度手間になったり誤解を生んだり(※1)することにもう慣れてしまったと思われる。
なお、福山通運という企業はその名の通り、福山市が本社。また有名な紳士服チェーン、洋服の青山も本社は福山にあり、他にも造船、アパレル、小売など特徴的な企業が多い。それ以上に福山市経済を支えているのはJFEスチールWEST(福山製鉄所)で、年間粗鋼生産量1300万トンという、国内最大の製鉄所である(横浜にあるEASTの3倍)。つまり、大企業の法人税などで市政がある程度潤沢なため、いちいち県外にアピールする必要がないのも、知名度が低い理由の一つといえる。
ここで、福山市の人口比の知名度の低さを再確認するため、全国の同規模の都市と比較。
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(※1)「出身どこ?」「福山です」「え、何県?」「広島です」「ああ、広島弁しゃべるんだ」「しゃべりません」「え?」(ry
よくある福山市の一年を月ごとに並べてみました。
多少の誇張・脚色や偏見を含む可能性があるので注意。
1月
元日には、初詣に行きます。行き先はやたら朱色な草戸稲荷神社が例年のトップです。
(広島県下では厳島神社訂正:広島護国神社の模様に続く2位の初詣客数を記録しているとか)
芦田川の河川敷は初詣専用の駐車場となります。三が日はやたら混みます。
御節料理に欠かせない慈姑は福山市の名産ですが、市民はたいてい知りません。いつ芽が出ることやら。
年始のドタバタが終わると、お次は河川敷で消防の出初式や”とんど”が行われます。
しかし、たいていの市民は見に行きません。
初売りや福袋を買いに行くならば、天満屋やポートプラザ(イトーヨーカドー・ハピータウン)フジグランへと足を運ぶ人が多いようです。
新幹線は、のぞみが特に混雑します。指定席の予約はお早めに。
福山ではローズアリーナと言う会場で成人式が開催され賑わいます。
同じころに、大学入試センター試験も行われますが、
高校によって受験会場が数十キロも福山から離れた場所になったりするのは不思議ですね。
ちなみに、雪が降る年なら降り始めるのは早くても1月になってからです。
一般的に晴れて乾燥した日が続きます。
2月
だいたい1年で一番寒くなる月です。
といっても、最高気温は低くても5℃程度なので、山間地域や北日本の人々からすればかわいいものです。
最高気温が0℃ならば、異常気象レベルで扱われます。
1月と同じく乾燥しており、雪はめったに降りません。
2月に雪が降らなかったら、その年度は雪が一度もないまま終わると思われます。
そのため、ひどい年には冬にも関わらず水不足に陥ります。
しかし、それは多くの瀬戸内地域の水不足と同じように、自然にいつのまにか解決しています。
ちなみに、福山でウインタースポーツといえばメモリアルパークのアイススケートくらいしかありません。
福山の2月は特記すべきイベントはありませんが、早くも春へ向けての準備が行われます。
梅のつぼみがほころんでくるのもこのあたりでしょうか。
3月
福山にそろそろ春がやってきます。
年度替わりということで、何かとドタバタします。
鞆では町並ひな祭りがあり
神辺ではやたら大きなお好み焼きを焼くそうです。
田尻では杏まつりという杏の花を扱ったお祭りもあるとか。
たいていの市民はいずれか1つくらいしか知りませんし、行きません。
ちなみに、福山の桜は年によっては空気を読まずに卒業式あたりでもう半分散っていたりします。
雨が少ない福山ですが、このシーズンだけはなぜか狙ったように満開の桜を洗い流してくれます。
お花見は福山城が人気のようですが、他にも市内各所に穴場スポットがありますので、探してみましょう。
4月
コタツをしまったはいいが、とたんに空気を読まない寒波が来たりする4月です。
暖かくなったせいか、駅前に不審者が現れたりするのもこの頃から。
いわゆる出会いの月。新しい生活に慣れるためなのか、この月にも重要なイベントはありません。
5月
福山のバラは満開になるこの季節、福山は活発になります。
鞆では観光鯛網がほぼ毎日行われ、鎖国状態の福山にも多くの観光客が訪れます。
しかし名前は知っていても、自分達は行かないのが福山市民。
福山指折りのイベントといわれるばら祭りも福山市街地ほぼ全体が会場となっているのに
イベント参加者以外はあんまり行きません。JFEフェスティバルもお忘れなく。
夏の始まりを告げる鞆の花火大会とともに、5月が終わり、本格的な夏が始まります。
ちなみに、気の早いスーパーならばゴールデンウィークから花火を売り出しています。
6月
そろそろクーラーが恋しくなるこの季節、いよいよ夏が来るぞと思いきや梅雨に突入する6月です。
自転車や徒歩で通勤通学をしている人々にとってはこの上なく面倒くさい梅雨です。
条例によって傘をさしての自転車の運転は罰せられることになったので、なおさらです。
駅前大通りを傘もささずに自転車で疾走するびしょ濡れの中高生を見られるのもこの月だけです。
梅雨とあって、あまりイベントらしいイベントもありません。
しかし、この梅雨で雨が少なすぎると夏の水不足に響いてくるので、そういった意味では重要です。
7月
たいてい、海の日の直前で梅雨明けします。それからは夏本番です。
泳ぎに行きたいなら、安いところでは竹ヶ端の市営プール、その他にサンピアのプールや
海なら鞆の仙酔島、内海などと選択肢はたくさんあります。
山がいいなら、山野峡で川遊びなんかも涼しくていい感じです。
みろくの里ならプールに遊園地と子供が喜ぶ施設が揃い、大人向けにも「いつか来た道」という施設がありオススメ。
梅雨に雨が少ない年なら、このあたりからもう水不足の気配がしています。
反対に、本当に梅雨が終わるのかというほど雨が降る年でも、やっぱり海の日あたりで梅雨は明けます。
8月
クーラーありがとう!毎日暑い日が続きます。
ときたま日射病で病院に搬送された人のニュースが流れます。
盆踊りや夏祭りといった各地域のお祭りがメインですが、盆にはこれまたビッグイベントの芦田川花火大会があります。
芦田川大橋や河川敷には蚊にもめげずに人が集まります。
盆が開ければ、そろそろ台風のシーズン。
これまでに1回も台風が来ておらず、かつ、雨が少ない年であれば、ほぼ八田原ダムの貯水率が10%台に。
水不足で取水制限(農業・工業用水)が行われていることでしょう。
そんな中、福山市民は四国の早明浦ダムの1ケタ貯水率を心配しています。
9月
台風到来。まだまだ暑い日が続きます。福山市民にとって9月は夏です。
ここで台風が来てくれなければ水不足。福山市民にとって台風は恵みの雨です。
しかし、台風は被害をも産む諸刃の剣。(2004年は16号・18号の連続襲来に停電や洪水、斜面崩壊が発生)
福山市民は、広島の厳島神社が台風に備えている様子(風物詩)をテレビで見ながら、台風に身構えます。
ちなみに、瀬戸内海は台風が来てようやく波の高さが1m以上になります。
10月
クーラーとお別れ、10月がやってきました。
季節はずれの台風が来るかもしれないので、油断はできません。
また、過ごしやすい季節になったなと思っているとすぐに肌寒くなってきます。
冬物を出す時期は見誤らないように。
11月
コタツこんにちわ!暖房器具を引っ張り出す季節がやって参りました
収穫祭や秋祭りが各地域で開かれる11月。
祭りの準備やら打ち上げやらでやたらと飲み会があるのもこの時期です。
12月にも忘年会があるので、体力は温存しておきたいのですが。
寒かったら飲んであったまろうという理論は大活躍です。
神辺は地酒造りが盛んなので是非飲んでみましょう。
また、乾燥した冬がやってくるということで、火の用心の呼びかけがなされるのもこの頃です。
みなさんも火の取り扱いには十分ご注意を。
12月
朝起きるのがつらくなってまいりました。
福山の12月は滅多なことがない限り雪は降りませんし、降っても積もりません。
2007年の年末の大雪は福山市民にしてみれば珍しいことこの上ありません。
そんな感じで珍しく雪が積もった場合、小学校の校庭では雪で遊ぶ子供たちの姿が見られます。
年末年始の郵便局のバイト自転車が駅前大通りを行き来する様子を見ながら年は暮れていきます。
ここでは、福山市のあれやこれやをアイウエオ順な辞典形式で紹介する。
アレが足りないと思った福山市民の方は遠慮なく追加してこのページを更に長くしてほしい。
※編集者注 試験的に項目を新設しました。たちまち、ひな形だけですが、語句はこれから次々に追加する予定なのですみませんが消さないでください。もちろん、語句の追加はご自由にやっていただいて構いません。
阿部 正弘(あべ まさひろ)
江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主。江戸幕府の老中首座(1845年~1855年)を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行した。福山城の西側に銅像が建っている。
文京区西片で育ち、1843年に25歳で老中となる。老中在任中には、度重なる外国船の来航など対外的脅威の対応に追われ、1854年日米和親条約を締結することになり、約200年間続いた鎖国政策に終止符を打った。ちなみに、日米和親条約締結時に「日の丸」を日本の国旗として初めて採用した。
人材育成に力を注ぎ、講武所や長崎海軍伝習所、洋学所などを創設した。後に講武所は日本陸軍、長崎海軍伝習所は日本海軍、洋学所は東京大学の前身となる。自らが治める備後福山藩では藩校「誠之館」を設立し、身分にかかわらず教育を行った。
入江大橋 (いりえおおはし)
福山人はもっぱら「いりょーはし」と言うので、地元民以外だと伝わらないことがある。
福山市に深く食い込む入江にかかる県道380号線上の橋。片側2車線。昭和20年代に完成した古い橋。
福山市の中でも重要な橋のひとつであり、特に夕方に渋滞する。
入江のため、橋下を船が通航するので、弓がしなったような上り下り急勾配の作りをしている。
そのため、マニュアル車をはじめ歩行者や自転車に素晴らしく優しくない。
(入江を渡る橋は、ここを除く以外にほぼないんため、否が応でも通らざるを得ない)
何かと問題があったが、最近になって入江に新橋を架ける工事が始まったようだ。
この付近の堤防沿いには、犬の散歩、釣り、ジョギングをする人などがよく見られる。
啓文社 (けいぶんしゃ)
隣の尾道市に本社がある書店だが、福山市にも多くの店舗を構える。
福山市笠岡町でコスプレ専用スタジオを運営している。
2015年3月29日(日)啓文社コア福山西店(高西町)でニコニコ書店会議が開催された。
石垣と城門からなる一階部分と、その上に渡される長屋造の多聞櫓によって構成された櫓門である。木製の門扉や門柱に鉄条による装飾・補強が施されていたことからその名で呼ばれる。かつては折り曲げた坂虎口と、それを囲うように隣接する伏見櫓まで廻らされた多聞櫓によって内枡形様の防御構造を有していた。
伏見櫓と共に伏見城から移築されたという伝承があるが、こちらは物証も文献による裏付けも無い。というか伏見城から移築されたのは二之丸追手門の鉄御門(非現存)であり、それと混同されたのではないかとも言われている。
とはいえ、十間×三間という規模、古めかしい=格調高い意匠、一本彫りの門柱や筋鉄打ちの門扉といった豪華な仕様……確かな格式を備える城門であることは間違いないだろう。
誠之館(せいしかん)
備後福山藩第7代藩主阿部正弘が設立した藩校。明治政府により廃校にされたが、名称は広島県立福山誠之館高等学校として残っている。他にも、福山市立西小学校の前身は福山誠之館啓蒙所であり、東京都文京区の福山藩の藩邸跡に文京区立誠之小学校がある。また、東京において勉学する福山市出身者をバックアップするための学生寮として東京都文京区に「誠之舎」があるなど、誠之の意志は受け継がれている。
鞆の浦
古い町並みが残り、風情のある観光地に使えるのでは無いかと思われる。
ただ古い町並みのため道が複雑である。狭い。行き止まりがある。注意されたし。
うかつにも車の免許取立てで通り抜けようとしたため、トラウマを追った福山市民もいるらしい。
空襲を免れて再開発ほとんどなかったためも昔ながらの港町の姿が奇跡的に残っている。
あと有名ではないかもしれないが仙酔島は国立公園。
あと映画「崖の上のポニョ 」の舞台のモデルらしいよ?
流星ワゴンのロケも来たよ。
鞆の浦埋立て架橋計画問題
鞆の浦の交通が面倒じゃけーどーにかせんといかんと おもーたらしゅーてのぅ
いろいろ工事する計画を立てたらしんじゃが、景観を壊すとかで反対する人もおるらしいわ
見た目そのままで便利にできたら一番いいんじゃがのぅ
福山にプロサッカークラブをつくろう会 (ふくやまにぷろさっかーくらぶをつくろうかい)
通称 福山サカつく会。福山青年会議所(JC)メンバーが中心になり2015年6月設立。2020年にJリーグ入りを目指す。地域経済の活性化、スポーツを通じた青少年の育成、都市ブランド向上などを目的とする。
若者にとって、これといった娯楽がない福山市だが、「Jリーグのある都市は若者の定着率が上がり人口が増える」という事例(佐賀県鳥栖市など)もあり、人口減少の歯止めとしても期待される。また、まとまりのない市民をまとめるシンボル的な役割や全国ひいてはアジア、世界に福山市を発信する機能も期待される。
将来J2以上を目指すにはスタジアムの収容人数の要件を満たさなければならない(J1 15,000人、J2 10,000人)。しかし、現時点で福山市にはこの要件を満たすスタジアムがないことから、スタジアム問題が一番の課題であろう。広島市がサッカー専用スタジアムの建設で揉めてるなか、福山市が広島市を出し抜いてサッカー専用スタジアムを建設出来れば素晴らしいことである。
伏見櫓(ふしみやぐら)
福山城本丸内十番櫓、本丸南西の隅櫓でかつては東西に多聞櫓が連なり隣接する筋鉄御門とも繋がっていた。現存、旧国宝・現国指定重要文化財。
総二階造の二重櫓に望楼部を乗せた三重櫓で、初重と二重が八間×四間半、三重が四間×四間という天守としても通用する規模を誇る。伏見櫓の名は伏見城から移築されたという“よくある”伝承からなのだが、それを裏付ける墨書きが内部で見つかり伏見城移築伝説が物証によって証明された初の例となった。
またその来歴を少なくとも1602年前後まで遡れることも明らかとなり、これは現存する最古の三重櫓である。同年代ではこれと熊本城宇土櫓しか残っていない。
水野勝成 (みずのかつなり)
福山市の元となる備後福山藩初代藩主。福山という城下町を作った人。
藩政に尽力しかなりの名君だったらしい。でも若いときはたいそうな猪武者だったそうな。
若松町にお墓がある。(水野勝成公墓所)
明王院 (みょうおういん)
明王院(福山市)とは広島県福山市草戸町にある真言宗大覚寺派の仏教寺院である。
明王院本堂(1321年建立)と明王院五重塔(1348年建立)が国宝であり、けっこう凄い。
草戸稲荷神社に隣接しているため、初詣の際には大いに賑わう。
…と言いたいところだが、草戸稲荷に参って直ぐに帰ってしまう人が多いので、実際そうでもない。
長い階段を面倒だと思わず、機会があれば覗いてみてはいかがだろうか。
掲示板
155 ななしのよっしん
2023/10/06(金) 23:38:30 ID: +5aT8L1HzO
東京から来たので最初は地方らしい駅前だな~と思ったが、後に夜の呉駅前の有様を見て考えが変わった
普通に都会だわこの街
156 ななしのよっしん
2023/11/29(水) 00:32:46 ID: Ip+H5JUdjr
福山ってある程度栄えてはいるけど車必須で帰省してもすごい不便
そもそも栄え方も中途半端でどこか行くか、とは全くならないできない
昔は駅前集合とかしてたけど全然人いないしこの先大丈夫なのか
157 ななしのよっしん
2024/03/11(月) 19:16:19 ID: i40ey0UCpu
有害物質が付着した猫が工場から逃げ出したか
https://
福山市は市内のメッキ工場で、有害物質の六価クロムの槽に猫が落ちたあと工場の外に逃げ出したと発表し、猫に触れないよう注意を呼びかけています。
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/09(木) 07:00
最終更新:2025/01/09(木) 07:00
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