川田将雅(かわだ ゆうが)とは、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手である。
1985年10月15日生まれ。佐賀県出身。曽祖父は佐賀競馬の騎手→調教師、祖父は佐賀競馬の調教師、父は佐賀競馬の騎手→調教師、伯父は大井競馬の騎手→調教師の宮浦正行(南関三冠馬ハツシバオーや大井時代のイナリワンの主戦騎手)という、競馬エリートの家に生まれる。
2001年、競馬学校第20期生として入学。同期には藤岡佑介・吉田隼人・津村明秀・丹内祐次などがいる。余談だが、競馬学校では通年なら10名前後が入学して1~2名が退学・留年するところ、入学15名+留年2名の大所帯だった第20期生にはかなりのスパルタ教育が行われ、最終的に8名しか卒業出来なかった。そのため20期生間のライバル意識はかなり強いらしい。
2004年に騎手免許を取得し、栗東T.C.安田隆行厩舎に所属。2006年からフリー。
1年目は17勝、2年目は39勝、3年目は重賞初制覇(小倉大賞典(GⅢ)・メジロマイヤー)を含む59勝(うち重賞3勝)と、徐々に勝鞍を挙げ、関西若手期待のホープとなる。3年目にはスーパーホーネットに騎乗して日本ダービー初出走を果たすも15着。しかし直後の目黒記念(GⅡ)をポップロックに騎乗して制覇している。
5年目の2008年にはキャプテントゥーレで皐月賞を制し、GⅠ初制覇。2011年には初の年間100勝達成で全国リーディング3位となり、2013~14年、2019~2020年の4度最高勝率騎手、2022年には史上4人目の騎手大賞(最多勝利・最高勝率・獲得賞金最多)に輝くなど、日本人でトップクラスの実力を持つジョッキーである。
2016年にマカヒキでの東京優駿(日本ダービー)制覇により、30歳の若さで牡牝3歳クラシック全制覇を成し遂げた。ちなみに達成時点ではすべて違う年の違う馬で、タイトルかぶりのない達成は結構珍しかったりする(2008年皐月賞キャプテントゥーレ・2010年菊花賞ビッグウィーク・2012年優駿牝馬ジェンティルドンナ・2014年桜花賞ハープスター・2016年東京優駿マカヒキ)。
2021年にはブリーダーズカップ・フィリー&メアターフをラヴズオンリーユーで勝利し、海外GⅠ初勝利を挙げた。
2023年はデビューから騎乗しているリバティアイランドで牝馬三冠を達成。達成日の2023年10月15日は川田の38歳の誕生日であり、記念すべき日に三冠ジョッキーにも名を連ねることになった。この年にはJRAリーディング2位の151勝を挙げ、勝率:305をマーク。史上初の3割ジョッキーとなった。
名前の由来は、元々両親が俳優の竹脇無我(たけわきむが)のファンであったことから無我の逆で有我(ゆうが)とつけようと考えたが、そのままだと我が強すぎる子になってしまうと思い「将軍のように上に立つ人でありながら美しく」という願いを込めて「将雅」という字を充てたとのこと。川田自身も名前を気に入っており、中学校のジャージに名字でなく名前を入れていたという。一方で自身の騎手としての弱点を「我の強さ」と評しており、回避したはずの意味合いもしっかり乗ってしまった模様。
家庭では非常に厳しく躾けられてきたこともあってか、レースに関しては非常にストイックな人物であり、結構な激情家。よく言えばかなり落ち着いた風格、悪く言えば目つきのきつい悪人顔の持ち主であることも相まって、ファンからは「鬼の川田」と評される。
勝利後ジョッキーインタビューでもほとんど笑わず、優等生的受け答えを見せている。表情の硬さは当人も自覚しており、特に2015年のハープスターの引退以降、素質馬を任される責任感から笑顔が減っていったことをインタビューで回顧している。それだけに大レース後に涙したり(20'ホープフルS)、手でハートを作ったり(21'BC F&M)、ウイニングラン後にはしゃいだり(23'ドバイWC)すると、ファンの間では「川田の感情が戻った」とネタにされる。
ジョッキールームでは後輩をガツンと叱ったり、先輩に対しても物おじせず苦言を呈するらしい。表に出ている有名な物ではドッキリを仕掛けた岩崎翼に対する反応[1]や、2020年阪急杯で自らの騎乗馬の進路をカットした北村友一への怒号(無観客開催だったので見事に中継に拾われた)などから伺い知ることができる。同じ九州出身の四位洋文すらビビるほどであり、福永祐一には「(今は丸くなったけど)人ってこんな簡単に怒るんだなって。面白かった」と言われた。本人曰く「ガツンと言わないと、こっちがモヤモヤしちゃう…」らしい。そのせいか後輩からの票が伸びずに藤岡佑介に騎手クラブ役員を先に取られた。
無論、レースを離れれば一人の一般人として普通に(?)笑う男であり、騎手の記念撮影やセレモニーではいい笑顔を見せている。
2011年に結婚。長男に「純煌(ぎんじ)」君がおり、2023年の第13回ジョッキーベイビーズ(全国ポニー競馬選手権)を優勝している。当日の騎乗を終えた将雅パパもこのレースを観戦しており、満面の笑みを浮かべて観客の声援に感謝していた。
エージェントが同じことから親交が始まった福永祐一は「僕をこの世界に生き残らせてくれた人」とまで語る恩人であり、公私ともに仲が良い。2016年7月には福永と共にホリプロとマネジメント契約を締結(先に藤田菜七子も4月に契約締結)している。福永が勝利した2018年日本ダービーでもゴール後すぐに駆け寄って祝福するなど、仲睦まじい様子だが、タイプが「鬼(川田)と仏(福永)」という真逆な二人だけに福永曰く「(福永が)先輩で本当によかった」「(後輩を叱るのは)もう将雅に任せてるから」。福永の騎手引退式では後輩騎手の代表として花束を贈呈したが、登壇した時点から泣いており、その後もほとんど号泣していた。
先述した通り第20期生間のライバル意識は強いが、仲間意識も相当に強く、対談企画などでは「同期で一緒にGⅠで乗ろう!」などと意気込みを語る機会も多い。中でも藤岡佑介は「はじめて「将雅」と名前で呼んでくれた存在」と度々言及するほどの親友である。が、祐介は「先輩たちが名前で呼んでたから、その影響で自然と変わったのかな」と、そのことを全く覚えていなかった。かわいそ…
師匠・安田隆行の息子である安田翔伍はよき兄貴分。安田厩舎配属が決まった川田を迎えに行ったのは翔伍師だったが、初顔合わせの際には「『この世の中に不満しか持ってないんだろうな』と思う顔つきの子がいる」(この子が川田君だったらどーしよっかな…)と感じ、その後の挨拶で「この年でここまで丁寧な受け答えをする人間がいるのか」と感心したという。
全身を豪快に使い、荒々しく追うフォームが特徴。地方競馬のズブ馬を強引に走らせるための「トントン騎乗(お尻で背中を叩く騎乗)」もよく使う。これは当人の出自が影響していると思われる。
若いころはもっと荒く、松田博資調教師から「うちの馬をお前が乗ると壊れる」と苦言を呈されていた。川田は松田厩舎の主戦である安藤勝己(彼は地方出身騎手だった)を研究し、よりスマートなフォームへの改善に成功。松田師にも認められ、ハープスターを始め多くの馬を任されるようになった。
特にダートマイル戦が多い地方交流重賞では「とりあえず川田を買え」と言わんばかりの無類の強さを誇る。中央GⅠでもスプリント~マイル戦を得意とする一方、クラシックディスタンス(2400m)以上ではやや勝率が落ちる。特に3000m以上の超長距離戦では目に見えて勝率が落ち、重賞勝利は菊花賞(ビッグウィーク)が1回だけ。馬券師の間では「長距離の川田は消し」で安定してしまっている。
インタビューでは自分の騎乗馬を「この子」「彼女」と呼ぶことが多く、またゴール後にガッツポーズをすることもめったにない。これは競馬学校在籍中に講師としてやってきた的場均の影響に加えて、キャプテントゥーレの骨折に気付かずガッツポーズをしたことへの自戒であるという。
中央競馬の三冠達成騎手 | ||
クラシック三冠 | 牡馬三冠 | ★小西喜蔵 | 蛯名武五郎 | ★栗田勝 | 保田隆芳 | 増沢末夫 | 武邦彦 | 郷原洋行 | 田島良保 | 菅原泰夫 | 中島啓之 | ★吉永正人 | ★岡部幸雄 | 柴田政人 | ★南井克巳 | ★武豊 | 河内洋 | 四位洋文 | 横山典弘 | ★池添謙一 | 内田博幸 | 岩田康誠 | 川田将雅 | ミルコ・デムーロ | クリストフ・ルメール | ★福永祐一 |
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牝馬三冠 | 前田長吉 | |
変則三冠 | 前田長吉 | |
中央競馬牝馬三冠 | 嶋田功 | 横山富雄 | ★河内洋 | 松永幹夫 | 武豊 | ★幸英明 | 本田優 | 池添謙一 | 安藤勝己 | ★蛯名正義 | 岩田康誠 | 福永祐一 | ★クリストフ・ルメール | ★松山弘平 | ★川田将雅 |
|
古馬三冠 | 春古馬 | 達成者無し |
秋古馬 | 和田竜二 | オリビエ・ペリエ | |
★は同一馬による達成者。変則三冠、古馬三冠は同一年達成者のみ。 | ||
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最終更新:2025/01/25(土) 19:00
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