学ぶというのは、ただ教科書に書かれた答えを暗記したり、決まった手順をなぞることだけではないように思います。 目の前の現象にじっくり向き合い、自分の手や目で確かめたり、ちょっとした工夫や気まぐれを加えたりすることで、初めて理解が深まる瞬間というのがあります。予定調和の中で安心することも大切で、迷わず進める道しるべとして心強いものですが、少し自由に逸れてみることで、思わぬ発見や小さな感動に出会えることも少なくありません。生き物の予想外の行動や、自分の試行錯誤が生む意外な結果を目の当たりにすることで、机上だけでは得られない学びの面白さや奥行きを感じられるのです。こうして「理解を深める」というのは、安心と冒険、規則と自由、観察と実践の間をゆるやかに行き来しながら、少しずつ自分の中に積み重なっていくものなのかもしれません。 ところで、お花畑の住人たちは、教科書に書いてある通りに エンマコオロギにキュウリとナスと煮干しを与えます。 エンマコオロギはこんな物をあまり食べませんが、 教科書に書いてあること、みんながやってるに違いないことが 正しいんです! 「1人の人」もそう思ってましたが、ある日、気まぐれで ピーナッツを与えてみました。 すごい勢いでボリボリいわせながら食べます。 このぐらいの固さの物が好きなんです。 捕まえて半殺しにしたゴキブリを与えてみます。 おお、すごい! 半殺し状態のゴキブリにトドメを刺しに来ます。 ゴキブリにお尻を向けて、後ろ足で蹴るんです! そして、十分弱ると、今度は壮絶な取り合いが始まります。 「みんなで分け合おうね」という発想はないんです。 自分の体より大きなゴキブリを掴んで、ピョンピョン跳ねます。 しかし、他のエンマコオロギもそれを奪おうとします。 何匹が群がり、奪い合うことで、ゴキブリの体は丁度いい具合に バラバラになったりします。 特に、産卵前のメスの食欲はすさまじいです。 自分より大きな餌の半分ぐらいは平気で食べます。 食べた後は、自分の体が1.5倍ぐらいに伸びてます。 「一人の人」は、夏休みの宿題ではないですが、 これを伝えたい!と思いました(笑) そして、英語でこれを表現するためには、どうすればいいか? 深く考え、いろいろ試行錯誤します。 ある時、「一人の人」は大きなムカデを捕まえました。 親は「早く殺して、捨てて来い」と言うのですが、 ちょっと観察してみたくなりました。 アマガエルも捕まえてあったので、ムカデに与えてみます。 でも、なかなか食べようとしません。 何度も何度も、アマガエルをムカデの口に近づけると、 ムカデはアマガエルを捕まえました! ちょうどヘビがネズミに巻きつくみたいに、アマガエルに 巻きつくんです。 「一人の人」は、この時、どうしてムカデにはこんなに脚があるのか 理解しました。 獲物をガッチリ捉えるため!です(笑) 柔らかい腹や内臓からゆっくり食べて行きます。 いつまでも食べ続けますが、お腹いっぱいになると、獲物を 抱いたまま眠ります。 これが、これこそが、価値ある発見です(笑) そこで質問ですが、教科書や常識通りに進める学びと、実際に自分の目で観察して試行錯誤する学び、どちらが本当に「理解を深める」ことにつながるのでしょうか。予定調和の安心感も大事ですが、こうして生き物の予想外の行動に出会ったり、手を動かして確かめたりする時間こそ、思わぬ発見や感動をもたらしてくれる気がします。みなさんは、正解と自由のあいだで揺れるこの瞬間を、どのように楽しんでいますか? ๑๐/๙