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回答(6件)
直接的には、旧仙台藩の人間は今でも会津を敵視し蔑視している。と会津の人間が思っているから 根本的には、戊辰戦争-白虎隊を市の主要観光産業にした故に「会津は悲劇・不遇の歴史」に合致する話を鵜呑みにし、事実として郷土史教育などで子供に摺り込んできたから 宮城県には「さんさしぐれ」という古い民謡があり、阪神ファンの六甲おろし並みのド定番な喜び祝いの歌となっているのですが、「伊達が芦名を滅ぼした際に作った戦勝歌」という俗説があり、会津人には事実として伝わっています(一般の宮城人は俗説の存在自体を知りませんが)。宮城などで祝いの席に出れば毎度毎度当てつけのように唄われる訳で、勝手に被害者意識と敵愾心を積み重ねてしまうと 戊辰戦争では官軍=山口軍は非戦闘員を虐殺・見せしめとして死者の埋葬を禁止…という話と同じく学問的には否定された俗説なんですけど、今でも事実と思ってる会津人は後を絶たない。あの頑なさに接すると説得とか議論とかする気にもならない
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・会津藩は最後まで恭順しなかった ・新政府軍側はかなり有利に思われるかもしれませんが 実は戦力に余力がなかったのがわかってきてますし、かなり苦戦して厳しい状況になった事もあります。恭順せずに抗戦しようとしてる会津藩に対して会津討伐を決めましたが、今からでも本気で恭順する気があるなら謝罪する事を求めてます。そうすれば罪を軽くすると。しかし会津藩はこの案を最終的に蹴っています。 なのに山口県の事をよく思ってないというのは違うでしょうね。 2012年には会津藩と庄内藩が戊辰戦争を有利にするために蝦夷地(幕府から防衛を理由に譲渡された)を担保にしてドイツと交渉してた証拠も見つかっています。 仙台藩は奥羽越列藩同盟を結成して、会津藩の味方の立場でしたが、 戦争が始まって戦況が厳しくなると降伏するという立場をとらざるをえなくなり、会津藩からの援軍要請を拒んでいます。 これで裏切りと思ってる人がいるのでしょうね。
会津若松の人が山口県を良く思ってないというのは、会津藩士末裔の作家早乙女貢による歴史小説「会津士魂」で恭順を望む会津藩に対して奥羽鎮撫総督府下参謀の長州藩士世良修蔵が、会津藩へ無理難題をふっかけて恭順を認めず無理矢理戦争に持ち込もうとする会津藩を憎む傲慢で狭量な人物として書かれてる影響が大きいと思う。 仙台藩は、仙台兵は大砲がドンと鳴るだけで五里逃げてしまうので「ドン五里」と嘲られたという、戊辰戦争での頼り無さが原因かな。
歴史的には伊達政宗が会津の芦名を攻め滅ぼしてます。しかし、江戸期に入ってからは伊達家と会津松平家は親戚関係だし、戊辰戦争では伊達家が松平家を支援しています。 遺恨とするなら仙台が会津をでしょうね。 戊辰戦争の奥州列藩同盟では会津松平家が盟主ですが、実質の盟主は仙台伊達家とされ新政府から家名取り消し処分を受けています。 家名復活を赦されましたが、新政府からは排除されたまま廃藩置県を迎えています。