回答(6件)
実は、骨法の弟子が、パンクラスを創設しました。 パンクラスを創設した、船木と鈴木は、骨法の弟子だったのです。 パンクラスは、骨法の掌底攻撃を有効活用し、 骨法の欠点を見直して、レスリングや柔術などを融合させました。 そして、パンクラスに所属していた、 ケン・シャムロックとバス・ルッテン。 骨法とパンクラスを継承する、ケン・シャムロックが、 UFCで、グレイシーと互角に戦い、UFCの英雄となり、 UFCの殿堂入りに登録されました。 つまり、本家の骨法は、MMAで敗退し、崩壊してしまったが、 骨法の血を受け継ぐパンクラスは、UFCで最強を証明したのです。 では、実際に、動画を見て下さい。 骨法の血を受け継ぐ、バス・ルッテン http://youtu.be/uiGQIh-6Kdo?t=221 骨法の血を受け継ぐ、バス・ルッテン http://youtu.be/uiGQIh-6Kdo?t=10 骨法の血を受け継ぐ、バス・ルッテン http://youtu.be/uiGQIh-6Kdo?t=137 UFC グレイシー VS ケン・シャムロック https://youtu.be/cXDT44zT8JY?t=357
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その動画を見ましたか? 骨法の掌打を使って、次々とノックアウトしていますよね? 本家の骨法は、MMAで1勝も出来ず、グダグダで弱かったが、 骨法の血を受け継ぐパンクラスは、格闘技で最強を証明したのです。 骨法の掌打の凄さが、これで分かって頂けたと思います。
「格闘」するための「技」なので、格闘技と言えるでしょう。 他の回答者が書いているように、骨法は時代によって習得方法に違いがみられる。黒い服を着ていた時代を「昭和骨法」、白い袴を着ている時代を「平成骨法」と別けて考えられる。 しかし、私からしたら「昭和骨法」も「平成骨法」も、単に習得方法を変えただけで、同じ線状の動きだと感じる。 格闘の動きの基本は武器術にある。 武器術の延長に体術があるだけなので、先に体術→武器術か、先に武器術→体術かだけの「習得方法の順番の違い」でしかない。 そして、私の個人的な考えだが、武器術の概念のない体術は非常に危険で、ルールが存在する「スポーツ格闘技だからそこ出せる無手の技がある」ことを、武器術を全くやったことのない人達は知らな過ぎる。
武術、武道、格闘技 それぞれが明確な定義があるものでもなく重なるところもあるのでわかりません。 時代によってやっていることもだいぶ違いますし https://www.youtube.com/watch?v=t2pER0sCVOA https://www.youtube.com/watch?v=99mYU5hAIk8
ある時期の骨法は明確に「格闘技」と言えます。 骨法の特徴は良くも悪くも、時代の流行に鳴動して節操なくスタイルをコロコロと変容させていく柔軟性にあります。 80年代の第一形態の骨法は「喧嘩芸」を名乗る、完全なストリート武術でした。70年代の極真空手が「ケンカ空手」を名乗って大成功したことに影響を受け、二匹目のドジョウを狙ったものと思われます。 骨法創始師範の堀辺正史自叙伝の内容は、極真空手総裁の大山倍達が過去に出版した「世界ケンカ旅」に内容がそっくりで、焼き直しであることは誰の目にも明らかですし、あまりナリフリ構わずにやっていた印象です。 当時の骨法を実戦武術の尺度で評価するなら、骨法は原則的には武器を用いる術が無く、対武器の局面を含めて、すべての局面を素手の闘技で戦い抜く思想で貫かれている点が余りにも現実離れしていますので、武術としては100点満点中5点くらいの評価しかできません。当時の設定では、大昔の骨法は鎧武者相手にも素手で戦っていたことになっています。 あらゆる武術は原則的に武器術の要素を含むのが鉄則であり、中国拳法や唐手術などの素手の武術にしても、元々は武器術の延長として発展したものであって、素手の体術がそのまま武器術に転用出来る構造になっています。 大東流などの日本の古流柔術にも、刀・短刀・杖などの武器を用いた技法は豊富に含まれます。 骨法は平成初期の90年代初期が全盛期ですが、この時期に突如として「骨法の祭典」と称する独自ルールの格闘技大会を何度か開催し、第二形態へとシフトしました。この時期の骨法は「日本武道」を名乗っていましたが、明確に「格闘技路線」へと舵を切っていました。和太鼓をド派手に多用するなど和風テイストを強調した演出は、当時としては画期的だったと思います。 ルールやスタイルは、当時の日本の格闘技界で最も権威のあったUWF系プロレスが提唱していた「打・投・極」の素手の格闘技理論に影響を受けていることは明らかで、その中で骨法のオリジナル要素としては掌打用のグローブをハメて戦うギミックを追加した点です。そのせいでルックス的にだいぶ独自の毛色を出すことには成功していた印象です。 珍しいもの見たさで第1回大会はそれなりに注目されましたが、初期に「喧嘩芸」を自称していた闘技の割には、外部のチャレンジャーをシャットアウトして、骨法の身内だけしか出場しない安全策丸出しの、ちんまりした強者不在なラインナップの大会だったので、内容的にハジけた感じはしませんでした。 現代のブレイキングダウンのように、広く一般からのチャレンジャーを募集する勇気が当時の骨法にあれば、かなり盛り上がっていたと思います。 そして不運だったのは、骨法の祭典がまだ試行錯誤のお試し期間のような時期に、被せるようにして最初期のUFCが起こした「異種格闘技ブーム」が勃発してしまい、骨法やUWF系プロレスのように身内同士で戦う闘技は古いものとなり、格闘技ファン層の心をごっそり奪われてしまったせいで、骨法の存在感は急速に萎みました。 そして21世紀まで存在感を示せずに細々と続いていた骨法は、それまでとはまったく異なる「護身術路線」の第三形態に変容して現在に至ります。 20世紀に採用していた黒いピッチリスーツのコスチュームを廃止し、白一色の完全に和風テイストを強調したような道着を採用して、ルックス的にもそれまでの骨法とは完全に決別したようです。 技術的にも、対ナイフなどに特化した護身術がメインになり、太極拳のようにゆっくり動きながら自由組手を行うのが独自の特徴となりました。 それまでの骨法とはまったく異なる闘技なので、骨法を名乗り続ける意義が何処に残っているのかは謎です。 なので、現在の骨法は「格闘技」とは呼べないと思います。