子どもの頃、「ガガンボ」という名前を初めて聞いたとき、どうしてこんなに拍子抜けするような名前なんだろうと思いました。だって、あの長い足でふらふら飛んでくる姿のほうが、よほど印象的なのに(笑)。 でも、今になって思うと、「大きな蚊」と呼ばれていたあの頃のほうが、世界がゆるやかで、人の心も言葉もまだ角が取れていた気がします。「ガガンボ」という正しい名前を出すと、急に空気が変わる。あれは単に知識の問題じゃなくて、場の温度をめぐる小さな事件だったのかもしれません。言葉の世界って不思議ですよね。正確であるほど、なぜか人間くささが失われていく。そう考えると、「ガガンボ」はただの虫ではなく、知識と空気の境界線に立つ小さな哲学者みたいにも思えてくるんです(笑)。 それで、子供の頃、みんなは「大きな蚊が飛んで来た」と言いました。 大人も「どれどれ、おお、大きな蚊だ!」と言いました。 「それ、ガガンボです」と言うと、場がシラけました(笑) ダメなんですよ、正しい名称を使ったら! 「ガガンボ」でなくて「大きな蚊」なんですよ! 「クジラは魚!」と思ってる文化があったら、合わせないと。 「トイレに変な虫がいる」とよく言います。 でも、見なくても、それはカマドウマだとわかります(笑) トイレにいるのはそれぐらいです。 退治に行った人も「変な虫だ」と言います。 「私はイギリス人で、イアンと言います」と言ってるのに 「あの外人は」と言うのと似てます。 それを「外国人」と言ったら、礼儀正しいと思うのも、 やはり「お花畑」の著しい特徴です、傑作です!(笑) そこで質問ですが、言葉って不思議ですよね。たとえ意味は同じでも、「どんなふうに呼ぶか」で空気が変わってしまう。正しい名前を使うと、どこか冷たくなってしまったり、逆に、みんなが間違ってるとわかっていても、その“間違いのぬくもり”に寄り添いたくなったり。結局、言葉は知識ではなく、場の呼吸で動いているのかもしれません。あなたは、「正確であること」と「空気になじむこと」、どちらを大切にしていますか? ๑๐/๑๐