回答(1件)

金田正一の現役時代の投手は現在の様にローテーションが確立されておらず、各球団のエース級の投手は先発した翌日にはリリーフ登板するなど、連投が当たり前の時代でした。先発による勝利の他、リリーフ登板して勝利数を稼ぐスタイルだった様です。加えて国鉄時代の金田は天皇と呼ばれ、他の先発投手が勝利投手目前のところで「ワシに任せい」と言って自らリリーフ登板し、勝利を横取りしたという話も聞きます。 まあそこまでは行かなくても、他の球団のエース級の投手達もリリーフ登板で勝利数を稼いでいたようですが。例えば西鉄の稲尾和久は1961年にシーズン42勝の日本記録を打ち立てましたが、完投数は僅か25。勝利投手の権利を得て降板したのもあると思いますが、リリーフ登板に依って得た勝利数も少なくなかったと思います。 只、他球団のエースと違うのは、それだけ投げ続けても、スタミナがあって長期に渡って活躍出来た事。14年連続20勝以上という、今では考えられない様な記録を持っています。 まあ当時と現在とでは野球のスタイルが変わり、1球1球に掛かる負担も当時と現在とでは違うと思います。 そういった点からでも、金田や稲尾のような化け物じみた記録を作る投手はもう出て来ないと思います。

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