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究極の思い込み 実現する可能性が高い結末以外の予想を一旦切り捨てる言葉 『永遠』だったりと一緒でこういう理想論のような言葉はよく使われますね。 自分や他人の精神、印象を操作するのに便利ですから
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絶対は比較する相手がないものです。 反対語に相対(そうたい)というのがあります。 相対は周囲との比較で大小や優劣とか、そんな感じで『比べるもの』や『比べられるもの』に使います。 たとえば相対的な評価というのは、周りの人や物と比べて『あいつに勝った、すげー』とか『あんなやつに負けてダセぇ』という感じで誰か(何か)と比べて評価します。 絶対的な評価というのは、『百点すげえ』とか『0点だせぇ』とか、何かと比べるのではなくて、何かの基準に沿って評価します。 絶対は何かの基準を元に判断する考え方で、相対は何かと比べて判断する考え方です。 あなたの使用する『絶対』は、日本語でよく使われるパターンの一つであって、『絶対=100%』という意味だけじゃないのです。 まあ、ほとんどの人が絶対=100%という意味で使っちゃいますけどね。 言葉の成り立ちとして推測すると、対(つい)になるものを絶つ(たつ)で『絶対』とか、そんな感じなんすかね~。 まあ興味があれば調べるのもオモロイかも知れないですね。
>「絶対」って、なんなのでしょうか? >色々な人の考えをきかせてほしいです。 修辞法、 「言葉の綾」とも言うし、「レトリック」とも言う。 >例えば「この選手は最強だ。だからこの試合には絶対勝てる。」だったら、 ・「このケーキはいくらでも食べられる」 ・「オマエはいつから会社の犬になった?」 ↑だったら? なぜ、人はいくらでもではないのに「いくらでも」と言い、犬ではないのに「会社の犬」と言うのでしょうか。 マニュアル人間よろしく一事が万事すべての表現を文字通りの意味と捉え、そのように少し捻った表現(飾った言い回し)に対し柔軟な理解(解釈)ができないようで居ると円滑なコミュニケーションに支障を来し兼ねない↓ 例 「絶対みんなそう思ってるよ」 →言ったな?、“絶対” なんだな?、“みんな” なんだな?、あの人もこの人も、あそこのコンビニの店員さんも、あっちで犬の散歩をしているお姉さんも、 誰一人漏れなく、“絶対” に、 “みんな” 、そう思ってるとオマエは言ったよな?、訂正すんじゃねぇぞ!
かなり根源的な問いだな。 「絶対」という概念は、哲学史を通じて何度も問われてきた。 日常的には「絶対に勝てる」「絶対安全」など、動かしようのない確実性を示す。つまり「相対的ではない」「他と比較できないほど確か」というニュアンスだ。 ただ実際の勝負の世界に「絶対」は存在しない。 哲学ではニュートンが「絶対空間」を、ヘーゲルが「絶対精神」を想定したが、現代では批判され、相対性理論や歴史的多元主義に取って代わられている。 一方で宗教では神を「絶対者」として考える立場もある。だがこれは信仰に依拠するため、万人にとっての絶対ではない。 「絶対的真理」があるかどうかについては、デューイ、ニーチェ、サルトル、デリダらが否定的で、今日では「絶対的真理などなく、すべては相対的・歴史的な真理だ」と限定する説が強い。 科学の理論でさえ仮説や前提に依存する相対的な物にすぎないんだ。 だから「絶対」というものは実在するわけではなく、むしろ人間が「そうあって欲しい」という希望や信仰が生み出した観念と考えていい。 それとは別に「絶対はないとして客観はあるのか」という次の問題があるけど、それはまた別の機会の話だな。
言葉は単語じゃなくて文脈で理解する必要がありますね その場合の絶対は、もちろんアクシデントは想定していません それらを想定すればどうなるかはわからないのは当たり前のことです だから、力勝負が出来たら、という前提での話です そう捉えられずに言葉尻で返答するとコミュニケーションが噛み合いません 間違えているのではなくて、どういう意図で言ってるかを理解し、その意図に対して返事をする これが出来ない人が本当に多いように感じます もちろんここも大半の人がそれです
人によって、絶対のしきい値が違うんじゃん? 95%以上で、絶対を使う人もいるし 100%じゃないと、使わない人もいる 絶対の言葉を軽々に使う人にはフラグをたてて 警戒すれば