2025-01

2010・11・18(木)METライブビューイング 
ムソルグスキー:「ボリス・ゴドゥノフ」  

   東劇(銀座)  5時半

 今シーズンの第2弾は、新演出で話題を呼んだプロダクション。10月23日上演のライヴ映像。

 もともとはペーター・シュタインが演出するはずだったのが、ヴィザ申請の際のドイツの米国大使館の対応の悪さに激怒、結局METデビューをも降りてしまったという話である。
 シュタインは、群集を「クレッシェンドを持つ流れ」としてダイナミックに動かすセンスでは天下一品――少なくとも以前はそうだった――の演出家である。今回もその醍醐味が見られるだろうと楽しみにしていたのだが、残念だ。
 代わりに演出を引き継いだのは、スティーヴン・ワズワースだ。多分、すべて彼なりのコンセプトで仕切り直したのだろう。群集の扱い方に関しては――映像で見る範囲では――ごくありふれた手法に留まっていた。

 歌手陣の歌唱と演技が、卓越していた。
 人間的な弱みと苦悩を見事に押し出したルネ・パーペ(皇帝ボリス・ゴドゥノフ)、凄味のある告発者を演じたミハイル・ペトレンコ(僧ピーメン)とアンドレイ・ポポフ(聖愚者)を筆頭に、エカテリーナ・セメンチュク(マリーナ)、アレクサンドルス・アントネンコ(グリーゴリー/偽ディミートリー)、エフゲニー・ニキーチン(ランゴーニ)、ウラジーミル・オグノヴェンコ(ワルラーム)、ニコライ・ガシーエフ(ミサイル)、オレグ・バラショフ(シュイスキー公)ら、すべて水を得た魚のような舞台を展開する。
 特にピーメンと聖愚者の存在がこのように強烈に描かれると、ドラマにいっそうの深みが出るものだ。

 今回は所謂1872年版(作曲者による改訂版)を基本にして、第4幕冒頭に「聖ワシーリイ寺院の前の広場」を復活した上演だったが、第2幕「クレムリン宮殿のボリスの居間」の場面で、ボリス登場の個所から同幕大詰めまでの部分を1869年版(初稿)に差し替えて演奏するという珍しい手法が採られていたのには少々驚いた。
 これは、パーぺが「ロシア語がなかなか覚えられないので」次善の策として採用した方法だとかいう話である。
 ちなみにパーぺは、数年前にベルリン州立歌劇場で、バレンボイムの指揮、チェルニャコフの演出で、1869年版上演を歌ったことがある。あれは私も観たが、どこかの騒々しい街を舞台として「鬱」に陥った市長ボリスという変な読み替え演出だった――。

 しかし、この「初稿版」における音楽が凄まじい迫力に富んでいるのは、周知の通り。改訂版より直裁で要を得ており、私はむしろ好きである。
 特に今回の指揮はワレリー・ゲルギエフだから、全く隙のない演奏になっていたのも当然だろう。彼がMETの優秀なオーケストラを率いて繰り出す音楽は、特にこの初稿版では、より息詰まる迫力を生み出すのである。重厚な風格を感じさせる演奏であった。

 この日の「案内役」はパトリシア・ラセットだったが、ヴォイトやフレミングと違って著しく不慣れ。拙劣で、一部の歌手に失礼な態度さえ見られた。
 15分の休憩2回を含み、終映は9時45分。

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METライブビューイング「ボリス・ゴドゥノフ」(11月13日)

このところのMETライブビューイングは単なる舞台中継という感じの映像でつまらなかったが、久しぶりに迫力ある映像だった。「演出、歌手、演奏が引き締まっていればブライアン・ラージの映像演出に頼らなくても極めて強い感動がえられるものなのだ」と思いながら最後まで観たのだが、最後に出たクレジットを見て初めて「やはりブライアン・ラージだったのだ」と知った。

上演がかなり迫ってから当初の演出家、ペーター・シュタインが降板したため、これを引き継いだワズワースは短時間で準備したとのこと。「短期間で準備したとは思えない演出内容」との評論を読んでいたが、ライブビューイングの印象もその通りであった。

冒頭、聖愚者(ポポーフ)が登場。聖愚者が歌うのはずっと先になってからだが舞台上に多く登場して存在感を示す(冷静に考えるとブライアン・ラージの映像が聖愚者を強調している面もある)。ポポーフは歌と演技ともに良かった。

パーペはボリス・ゴドゥノフとして存在感と歌のうまさでは圧倒的であるが、個人的にはボリスのイメージとは違うとの印象。何が…というのがうまく説明出来ないが、「善人過ぎる」ということかも知れない。

王子様役の多いバラショフのようなテノールがシュイスキーのような役をやるのは珍しい。バラショフのシュイスキーは狡猾さがやや不十分と感じたが、演出はシュイスキーをポーランドの場や最後のクロームイの森に登場させてランゴーニと通じていることを示すなど面白い。

今回の上演は全体に衣装が美しくかつ面白いがシュイスキーは帽子を含めて全身が豹柄で目立つ。登場人物の多いこの作品では、目立つ衣装を着せることで人物が特定出来、場面の理解が進むという面もある。ポーランドの場、貴族たちがシュイスキーの登場を待つ場面でも登場がすぐに分かる。

ピーメン(老修道僧)役のペトレンコは独特の存在感があった。演出の力か、彼自身の役作りの力か。これまでもうまいピーメン、存在感のあるピーメンは観たことがあるが、かっこいいピーメンというのは初めて。こんな役作りがあって良いのだろうかと思う程であったが、ピーメンは「若い頃はムチャをしたが今は修道院の片隅にいる」という人なので不良っぽい雰囲気があっても良いのだろう。
ピーメンは通常黒い修道服だが、今回は白い衣装に長い白髪ということで仙人のような設定。幕間インタビューでペトレンコはピーメンのことを「禅の心と英知の人」と言っていたような気がするが禅問答のようなコメント。
ピーメンは後半、通常はよぼよぼと杖をついてボリスの前に登場するが、今回のピーメンは「杖を持ってスタスタ登場し、ボリス・ゴドゥノフのお付きの者に杖を投げるようにして渡し、大またでボリスに近づき、睨み付けるかのごとく糾弾する」という演出と言うか、役作りとなっていた。

マリーナ役のセメンチュク。歌はいつものように上手いし熱演だった。彼女は最近単独で外国でも多く出演して自信と貫禄がついたとの印象。マリインスキー劇場の最近の作品で高評を得ているのは「トロイアの人々」のカルタゴの女王ディドン役。来年2月の来日公演でも彼女はこの役を歌う。美人という訳ではないかも知れないが舞台に立つと華やかな人である。

ランゴーニ役のニキーチン。声の質が変わったとの印象。もともと重いバスではないが更に軽くなったような気がする。ランゴーニとしてはもう少し悪役的な強い存在感があっても良いかとの印象。今回の演出ではマリーナとの関係がかなり怪しげ。ここまで怪しげな関係の演出は初めて。

グレゴリー役のアントネンコ。初めて知った人。視覚的にも美しく存在感があった。

この他、シチェルカーロフ役のマルコフ(二枚目)、ワルラーム役のオグノヴェンコ、ミサイール役のガシーエフ、逃亡僧侶を取り調べる警吏長役のベズズベンコフ、旅籠屋の女将役のサヴォーワ、乳母役のシェフチェンコなどマリインスキー劇場の歌手が活躍。

フョードルは子供(ジョナサン・メイクピース)が歌った。この役をボーイ・ソプラノが歌うか、メゾ・ソプラノが歌うかでは全然印象が違う。子供が歌うとか弱さが強調される。小さい存在ながら、全体に与える印象は大きく違う。

その他の主要な役としてはクセーニャ役のジェニファー・ツェルタン。

群衆が重要という演出であり、一人ひとりの演技が細かい。第1幕から第2幕のつながりでは本来いないはずの場面にも群衆はずっと残ったままであった。また、その後も本来は場が変わって拍手をするようなところも群衆の喚声があがってそのまま次の場面に突入するという所があった。ボリスと群衆の関係についての演出も結構細かい(パンをちぎって渡すなど)。

クロームイの森の出来事は今まで観た中で最も残酷。たいていは誰が誰にリンチしたか分からないうちに人が殺された気配が表現されるが、ワズワースの演出はリアルで執拗。サスペンス・ドラマのようにくっきり殺人を表現する。女たちまで手をかけており、群集心理の恐ろしさも表現していた。冒頭のプロローグも警吏が鞭を多用してかなり暴力的。

衣装は600着用意されたとのこと。登場人物の中に現代的な衣装とボリス・ゴドゥノフの時代の衣装が混在していて時代設定がよく分からないようになっている。ザルツブルク音楽祭での「ボリス・ゴドゥノフ」はエリツィン大統領のイメージや歴代為政者の写真を並べ、ロシア、ソ連、ロシアの歴史を見せていたが、ワズワースの演出でも「現在の為政者の向こう側に黒い歴史が見え隠れする」というような何かを表現しているように感じた。

指揮。ゲルギエフの得意な曲であり安心して聴くことが出来る。ところどころ初めて気付く旋律が聞こえて来る。しかし、私としてはマリインスキー劇場との演奏の方が好きだし、ウィーン・フィルとの初共演だったザルツブルク音楽祭での「ボリス・ゴドゥノフ」で引き出した音と比べると今回の音作りは洗練され過ぎて美しすぎて全然ぞくぞくしない。

今回は幕間のインタビュー映像や舞台裏準備が特に面白かった。
インタビューではゲルギエフ、パーペ、合唱団のインタビューの中でこの作品をたいへん長く準備して来たことが語られた。ルネ・パーペは3年前から(と言ったと記憶。5年前?)、スコアを勉強し、コンサート形式で歌い、満を持してMETの公演に臨んだとのことだし、合唱団のインタビューでは、「この作品は版がたくさんあるのでどの版を使い、どれを歌うのか歌わないのかなどを5年前からゲルギエフと充分打ち合わせをした」とのことだった。「ゲルギエフとの公演はいつもそうだが、準備は万全なのだ」と言ったのが皮肉のように聞こえたり、METには充分時間を割くのだなと思ったりして聞いた。
ワズワースのインタビューでは「いやー、大変でした」の言葉の中に急に引き受けることになった大変さが込められていた。インタビュアーもそれを知っていてあえてそのこと自体は聞かず、最初からワズワース演出であったかのように話を進める。

舞台裏の準備紹介の中では最後にほんの少し登場する白馬たちを準備する場面が印象的だった。まず、動物の扱い手は手綱を持って地下から舞台まで2頭を歩かせて場に慣れさせ、退場させる。次に馬にまたがり同じように歩かせていた。ここで映像はフェードアウトされ客席映像=休憩=となってしまったが、その後も何回かリハーサルをするのだろうと想像した。ほんの一瞬のために長い時間スタンバイさせるのだから、動物を登場させる舞台は裏方が大変である。しかし、動物が出てくれば舞台は引き締まる。実際の舞台も白馬だから目立っていた。

字幕は田辺佐保子先生。非常に分かりやすい字幕。

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