2009・5・17(日)宮崎国際音楽祭
シャルル・デュトワ指揮「七つの大罪」「巨人」
4時 メディキット県民文化センター(宮崎県立劇場)
アイザックスターンホール
宮崎国際音楽祭は今年が第14回で、5月5日から23日までの開催。
アーティスティック・ディレクターのデュトワが指揮するオーケストラ・コンサートは三つあるが、今日はその二つ目のものだ。プログラムは「フィガロの結婚」序曲、クルト・ヴァイルの「七つの大罪」、マーラーの「巨人」。
「七つの大罪」は、先日(4月11日)ザルツブルクでラトル=ベルリン・フィルの演奏を聴いたばかりだが、今回の演奏は、それよりずっと面白かった。
まず、デュトワの指揮である。「プロローグ」でのテンポは非常に速く、しかもリズムは軽く、やはりこの人は「明るい」のかなと思わせたが、その後のアプローチがいい。曲の舞台になっているアメリカ各地の雰囲気を描くジャージーな音楽の扱い方が、実に巧いのだ。ヴァイルの音楽が持つ「陽の部分を浮き出させた演奏ともいえるが、こういう洒落っ気の面では、デュトワは、さすがにラトルより一日の長がある。
シャンタル・ジュイエをコンサートマスターとする名手ぞろいの宮崎国際音楽祭管弦楽団がまた柔軟に反応していた。これは、ラトルが振ったベルリン・フィルの正確で生真面目な演奏よりも、はるかに躍動的で魅力に富む。
デュトワにこの曲を東京でもやってもらいたいと思うが、N響相手では、このエスプリは無理だろう。
第二には、ソリ&コーラスとして出演したハドソン・シャドの変幻自在な表現力。
これまでに「七つの大罪」を百回以上も歌い、ヴァイルを得意としているこのグループの噂は聞いていたが、なるほどその巧さは卓越している。「飽食」で、「アンナが食べたくなるであろうご馳走の数々」を、涎が垂れんばかりの表情で哀れっぽく歌ってみせるあたり、エンターテイナー的な表現力も天下一品といえよう(これに比べると、ザルツブルクで聴いた4人のソリストは、ただクソ真面目なだけにさえ思えるほどだ)。東京の皆にもぜひ聴かせたいグループである。
そしてもちろん、ソロの中嶋彰子。
彼女の歌唱は、欧州系の歌手たち――たとえば先日のキルヒシュラーガーなど――のような「アクの強い」歌い方でなく、「歌」としての美しさを浮き彫りにするスタイルに近い。ここでのアンナは、純な、愛らしい女性としての性格を感じさせるだろう。これもこの曲の一つの解釈だと思う。
中嶋は、今年秋にはいずみホールで「月に憑かれたピエロ」をやるそうだが、どんなシュプレヒゲザングを聴かせることか、興味が沸く。
後半の「巨人」も、オーケストラの勢いがいい。第4楽章でデュトワが聴かせたカンタービレが印象的だった。
なお今回は初めて3階中央(33列)で聴いたが、この場所ではオーケストラをホール全体のたっぷりした響きとして聴くことは難しいようだ。あくまで「下の方にいるオーケストラ」というイメージになってしまい、大音響の「巨人」にしても、音がふくらみを以て「上がって」来ないのである。それが、張り出たバルコン席の屋根のせいなのかどうか判らないが。
アイザックスターンホール
宮崎国際音楽祭は今年が第14回で、5月5日から23日までの開催。
アーティスティック・ディレクターのデュトワが指揮するオーケストラ・コンサートは三つあるが、今日はその二つ目のものだ。プログラムは「フィガロの結婚」序曲、クルト・ヴァイルの「七つの大罪」、マーラーの「巨人」。
「七つの大罪」は、先日(4月11日)ザルツブルクでラトル=ベルリン・フィルの演奏を聴いたばかりだが、今回の演奏は、それよりずっと面白かった。
まず、デュトワの指揮である。「プロローグ」でのテンポは非常に速く、しかもリズムは軽く、やはりこの人は「明るい」のかなと思わせたが、その後のアプローチがいい。曲の舞台になっているアメリカ各地の雰囲気を描くジャージーな音楽の扱い方が、実に巧いのだ。ヴァイルの音楽が持つ「陽の部分を浮き出させた演奏ともいえるが、こういう洒落っ気の面では、デュトワは、さすがにラトルより一日の長がある。
シャンタル・ジュイエをコンサートマスターとする名手ぞろいの宮崎国際音楽祭管弦楽団がまた柔軟に反応していた。これは、ラトルが振ったベルリン・フィルの正確で生真面目な演奏よりも、はるかに躍動的で魅力に富む。
デュトワにこの曲を東京でもやってもらいたいと思うが、N響相手では、このエスプリは無理だろう。
第二には、ソリ&コーラスとして出演したハドソン・シャドの変幻自在な表現力。
これまでに「七つの大罪」を百回以上も歌い、ヴァイルを得意としているこのグループの噂は聞いていたが、なるほどその巧さは卓越している。「飽食」で、「アンナが食べたくなるであろうご馳走の数々」を、涎が垂れんばかりの表情で哀れっぽく歌ってみせるあたり、エンターテイナー的な表現力も天下一品といえよう(これに比べると、ザルツブルクで聴いた4人のソリストは、ただクソ真面目なだけにさえ思えるほどだ)。東京の皆にもぜひ聴かせたいグループである。
そしてもちろん、ソロの中嶋彰子。
彼女の歌唱は、欧州系の歌手たち――たとえば先日のキルヒシュラーガーなど――のような「アクの強い」歌い方でなく、「歌」としての美しさを浮き彫りにするスタイルに近い。ここでのアンナは、純な、愛らしい女性としての性格を感じさせるだろう。これもこの曲の一つの解釈だと思う。
中嶋は、今年秋にはいずみホールで「月に憑かれたピエロ」をやるそうだが、どんなシュプレヒゲザングを聴かせることか、興味が沸く。
後半の「巨人」も、オーケストラの勢いがいい。第4楽章でデュトワが聴かせたカンタービレが印象的だった。
なお今回は初めて3階中央(33列)で聴いたが、この場所ではオーケストラをホール全体のたっぷりした響きとして聴くことは難しいようだ。あくまで「下の方にいるオーケストラ」というイメージになってしまい、大音響の「巨人」にしても、音がふくらみを以て「上がって」来ないのである。それが、張り出たバルコン席の屋根のせいなのかどうか判らないが。
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