2025-01

2022・1・11(火)ガエタノ・デスピノーサ指揮読売日本交響楽団

       サントリーホール  7時

 指揮者がマリー・ジャコからガエタノ・デスピノーサに、ハープ奏者がグザヴィエ・ドゥ・メストレから吉野直子に代わった。プログラムも一部変更され、J・シュトラウスⅡの「こうもり」序曲、ボワエルデューの「ハープ協奏曲ハ長調」、ラヴェルの「クープランの墓」および「ボレロ」が演奏された。

 デスピノーサは、二期会の「蝶々夫人」(2017年10月9日)での切れのいい指揮が今も記憶に残っている。今日のコンサートでの指揮では、デュナミークとテンポ、楽器のバランスなど、演奏設計の綿密さが際立って印象づけられたが、読響(コンサートマスター・小森谷巧)も、よくこれに応じていたと思う。

 「こうもり」序曲では、ウィーンの指揮者ばりにテンポを目まぐるしく伸縮させ、一方「クープランの墓」では、各楽器のパートのバランスと音色に神経を行き届かせたデスピノーサ。
 ただし、そのいずれもが、彼自身の音楽のエネルギーの旺盛ゆえか、演奏はダイナミックで、少々荒っぽい。生憎ながら前者は洒落っ気に乏しく、後者もあのカンブルランが読響常任指揮者就任前年に横浜で指揮した豊麗優美な演奏(2009年4月19日)に比べるとやはり威勢がよすぎるようだったが、まあ、これらは致し方ない。しかし、「クープランの墓」の一部分で突然聴かせた大がかりなクレッシェンドの見事さは印象に残る。

 「ボレロ」では、良くも悪くもそうした特徴が全て出ていたようだ。開始後しばらくは小太鼓の音量も控えめに、全体を柔らかく歌わせていたのが意外な感を与えたが、やがてメリハリも強く、主題ごとに段階的にクレッシェンドを進めて行く演奏となって行った。自然に流れるように音量とスケール感が増して行く「ボレロ」ではない。むしろギタギタと大きくなって行く「ボレロ」とでも言おうか。
 面白いことは事実だったが、あまり快い流れの「ボレロ」でもないという感。終了直前のクライマックスの中で突然、それも部分的にテンポを加速させるというのも、共感し難い。

 ボワエルデューの「ハープ協奏曲」をナマで聴いたのは何十年ぶりか。昔はこの曲、ニカノール・サバレタのレコードなどで愛聴したものだった。
 今日の吉野直子のソロは端整で、デスピノーサも整然とおとなしくそれをサポート。もう少し華やかな演奏であってもいいように思われるが━━ソロ・アンコールのグリンカの「ノクターン」も含め、今日の彼女は些か抑制気味の演奏だったような?

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