2019・8・15(水)ダ・ヴィンチ音楽祭in川口 「オルフェオ物語」
川口総合文化センター・リリア 音楽ホール 6時30分
レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年に因む、彼をテーマにした音楽祭(芸術監督・濱田芳通)の一環。これは8月14日から17日まで、リリアで開催されている。
そのうちのメイン・プログラムともいうべき、このオペラ「オルフェオ物語」は、濱田芳通が代表を務める古楽アンサンブル「アントネッロ」が放った力作だ。
拡大された編成のアントネッロを、濱田自身がコルネットやドゥセーヌ、クルムホルンなどを吹き分けながら指揮し、中村敬一が演出して、ほぼセミ・ステージに近い形式で上演。オルフェオを坂下忠弘、エウリディーチェとメルクーリオを阿部雅子、ダ・ヴィンチを黒田大介、プルートを弥勒忠史、その他多数の歌手たちが歌い演じていた。
これは、ダ・ヴィンチが作曲したオペラというわけではない。現存するアンジェロ・ポリツィアーノの台本と、上演に際しダ・ヴィンチが書いた大道具に関するメモが残存すること、そしてダ・ヴィンチの弟子が主役オルフェオを演じた事実━━などから、多分ダ・ヴィンチが上演に関わったであろうことを想定し、この台本に基づき、濱田芳通が当時の多くの作曲家の作品から音楽を借り、編纂構成して当て嵌めた「オペラ」というわけ。
したがって、ダ・ヴィンチはいわばダシのようなもので、音楽面では徹頭徹尾、濱田芳通が主役的存在である。彼の「作曲に近い編曲」の手腕が発揮された作品、と言っていいだろう。
ストーリーは、は誰もが知っている有名な「オルフェオとエウリディーチェ」だが、これまでのオペラに多い所謂ハッピーエンド版でも、妻を冥界に奪い返されたオルフェオの悲嘆で結ばれる形とも違って、そのあとに、二度と女性を愛さなくなったオルフェオが「狂乱する女たち」(ここではバッカスの巫女たち)に八つ裂きにされるという、オルフェウス伝説にあるエピソードまで取り入れている。これは興味深い。
但し、物語の中でダ・ヴィンチ自身が狂言回し役で登場し、オルフェオとホモ関係になるエピソードも織り込まれているけれども、その部分の台本が誰の手によるものかについては、プログラム冊子には載っていない。
この時代の古楽に関しては、私は不勉強にして全く詳しくないのだが、バッカスの巫女たちが馬鹿騒ぎする最終場面を除いては、編纂された音楽がどれもぴたりと嵌って快い。
歌の部分は引用元の音楽に対して「替え歌」となるわけだろうが、よくもこれだけ巧く当て嵌めたものだと、ただもう感服するほかはない。シンフォニア的な器楽部分に関しても同様である。
なお前述の、バッカスの巫女たちの馬鹿騒ぎの場の音楽が「結んで開いて」そっくりのフシだったのには笑った。その前後の音楽には、全然「古楽」のような雰囲気はないのだが、濱田の解説には、ちゃんと出典が明示されている。
演奏に関しては、全て見事の一語に尽きる。アントネッロの演奏も、主役歌手陣も同様だ。冥界の王プルート役の弥勒忠史の、クラウス・キンスキーのドラキュラみたいなメイクの風貌から響き出すカウンターテナーも傑作だった。
とはいっても、違和感を覚えた点も、無くはないのだが。
たとえば、ダ・ヴィンチ━━こちらのメイクは、「のだめカンタービレ」に登場する怪人ミルヒ・ホルスタイン教授役の竹中直人そっくり━━の日本語の芝居部分は長いし、少々しつこい。
オルフェオとダ・ヴィンチの「おっさんずラブ」場面も、それはそれでアリとしても、もう少し綺麗で、洗練された舞台にならなかったものだろうか。彼らが舞台前面で延々と絡み合っているシーンなど、むしろグロテスクなイメージさえ生んでいた。また、巫女たちの歌唱(発声)と演技も、まるで当節の安もののショウの如し。
かように、気品のあるスタイルで進めて来た神話の世界を、最後に「今ふう」のくだけた世界に戻すという発想は、新国立劇場の杮落しで上演された團伊玖磨の「建・TAKERU」の、あの大ブーイングを浴びたラストシーンの演出を思い出させる。こういう手法は、概して巧く行ったためしがないのである。
20分の休憩1回を含み、終演は9時20分頃。
レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年に因む、彼をテーマにした音楽祭(芸術監督・濱田芳通)の一環。これは8月14日から17日まで、リリアで開催されている。
そのうちのメイン・プログラムともいうべき、このオペラ「オルフェオ物語」は、濱田芳通が代表を務める古楽アンサンブル「アントネッロ」が放った力作だ。
拡大された編成のアントネッロを、濱田自身がコルネットやドゥセーヌ、クルムホルンなどを吹き分けながら指揮し、中村敬一が演出して、ほぼセミ・ステージに近い形式で上演。オルフェオを坂下忠弘、エウリディーチェとメルクーリオを阿部雅子、ダ・ヴィンチを黒田大介、プルートを弥勒忠史、その他多数の歌手たちが歌い演じていた。
これは、ダ・ヴィンチが作曲したオペラというわけではない。現存するアンジェロ・ポリツィアーノの台本と、上演に際しダ・ヴィンチが書いた大道具に関するメモが残存すること、そしてダ・ヴィンチの弟子が主役オルフェオを演じた事実━━などから、多分ダ・ヴィンチが上演に関わったであろうことを想定し、この台本に基づき、濱田芳通が当時の多くの作曲家の作品から音楽を借り、編纂構成して当て嵌めた「オペラ」というわけ。
したがって、ダ・ヴィンチはいわばダシのようなもので、音楽面では徹頭徹尾、濱田芳通が主役的存在である。彼の「作曲に近い編曲」の手腕が発揮された作品、と言っていいだろう。
ストーリーは、は誰もが知っている有名な「オルフェオとエウリディーチェ」だが、これまでのオペラに多い所謂ハッピーエンド版でも、妻を冥界に奪い返されたオルフェオの悲嘆で結ばれる形とも違って、そのあとに、二度と女性を愛さなくなったオルフェオが「狂乱する女たち」(ここではバッカスの巫女たち)に八つ裂きにされるという、オルフェウス伝説にあるエピソードまで取り入れている。これは興味深い。
但し、物語の中でダ・ヴィンチ自身が狂言回し役で登場し、オルフェオとホモ関係になるエピソードも織り込まれているけれども、その部分の台本が誰の手によるものかについては、プログラム冊子には載っていない。
この時代の古楽に関しては、私は不勉強にして全く詳しくないのだが、バッカスの巫女たちが馬鹿騒ぎする最終場面を除いては、編纂された音楽がどれもぴたりと嵌って快い。
歌の部分は引用元の音楽に対して「替え歌」となるわけだろうが、よくもこれだけ巧く当て嵌めたものだと、ただもう感服するほかはない。シンフォニア的な器楽部分に関しても同様である。
なお前述の、バッカスの巫女たちの馬鹿騒ぎの場の音楽が「結んで開いて」そっくりのフシだったのには笑った。その前後の音楽には、全然「古楽」のような雰囲気はないのだが、濱田の解説には、ちゃんと出典が明示されている。
演奏に関しては、全て見事の一語に尽きる。アントネッロの演奏も、主役歌手陣も同様だ。冥界の王プルート役の弥勒忠史の、クラウス・キンスキーのドラキュラみたいなメイクの風貌から響き出すカウンターテナーも傑作だった。
とはいっても、違和感を覚えた点も、無くはないのだが。
たとえば、ダ・ヴィンチ━━こちらのメイクは、「のだめカンタービレ」に登場する怪人ミルヒ・ホルスタイン教授役の竹中直人そっくり━━の日本語の芝居部分は長いし、少々しつこい。
オルフェオとダ・ヴィンチの「おっさんずラブ」場面も、それはそれでアリとしても、もう少し綺麗で、洗練された舞台にならなかったものだろうか。彼らが舞台前面で延々と絡み合っているシーンなど、むしろグロテスクなイメージさえ生んでいた。また、巫女たちの歌唱(発声)と演技も、まるで当節の安もののショウの如し。
かように、気品のあるスタイルで進めて来た神話の世界を、最後に「今ふう」のくだけた世界に戻すという発想は、新国立劇場の杮落しで上演された團伊玖磨の「建・TAKERU」の、あの大ブーイングを浴びたラストシーンの演出を思い出させる。こういう手法は、概して巧く行ったためしがないのである。
20分の休憩1回を含み、終演は9時20分頃。