2018・8・31(金)セイジ・オザワ松本フェスティバル2018
秋山和慶指揮サイトウ・キネン・オーケストラ
キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館) 7時
今年は、小澤征爾総監督は早い時期に不出場を発表している。
看板たるサイトウ・キネン・オーケストラのコンサートは、いつものようにA・B・Cの3種類のプログラム。ただしいずれも各1回公演で、「C」はマーカス・ロバーツ・トリオの所謂「Gig」を含む演奏会となっている。
一般公演のオペラは3年ぶりに復活したが、演目はプッチーニの短い「ジャンニ・スキッキ」1曲だけで、一般向けに1回、および「子どものためのオペラ」として2回上演されたのみ。しかもピットに入ったのは、看板のサイトウ・キネン・オーケストラでなく、小澤征爾音楽塾オーケストラだ。
「ふれあいコンサート」と呼ばれる室内楽演奏会は3プログム各1回ずつで、これは例年通りだ。
その他、吹奏楽パレードや、「子どものための音楽会」など、毎年恒例のイヴェントは組まれてはいるが、━━やはりフェスティバル全体としては、以前より小規模となっている印象は、否めまい。1992年の第1回から今年まで、毎年この音楽祭を訪れて来た者の目から見ると、かつてのあの沸き立つような祝祭の雰囲気がこの数年来、とみに薄らいで来て、今年はさらに地味になっているという印象が・・・・残念ながら、ぬぐえないのである。
今年登場している指揮者陣は次の通り━━「オーケストラ コンサート」は、ディエゴ・マテウス(AとCの各一部)、秋山和慶(B)、ケンショウ・ワタナベ(Cの一部)、デリック・イノウエ(オペラ)、下野竜也(子どものための音楽界)という具合。
で、今日は、秋山和慶が指揮する「オーケストラ コンサートB」である。プログラムは、イベールの「祝典序曲」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルの「ボレロ」、サン=サーンスの「交響曲第3番」。オルガンは室住素子、コンサートマスター(1曲ずつ交代)は矢部達哉、豊嶋泰嗣ほか。
秋山和慶がこの音楽祭に登場するのは14年ぶりで、2004年にモーツァルトの「ディヴェルティメントK.136」を振って以来だそうである。1984年のサイトウ・キネン・オーケストラ創設の立役者だった彼が、このフェスティバルでメインのコンサートのプログラム全てを指揮するのは今回が初めてになる。不思議なことではある。
演奏は、予想した通り、正確で、端整で、見通しのいい構築を備えたものになっていた。サイトウ・キネン・オーケストラがこれだけ整然としたバランスのいい演奏を聴かせたことはほとんどなかっただろう。
そもそも、腕利きたちの集団たるこのオーケストラは、火のように燃え立つ演奏をした時にも、あるいはあまり気乗りのしないような演奏をした時にも、いい意味での「おれがおれが」という、名手ならではの微笑ましい意気を感じさせたものだ。だが今回は、オーケストラ・ビルダーとして並はずれた力量を持つ秋山和慶のもと、各奏者のソロが目立つ「牧神の午後」や「ボレロ」においても、常にアンサンブル優先という演奏をしていたように感じられたのだった。
それ自体は、別に悪いことではない。バトン・テクニックの超名手たる秋山と、巧いオーケストラとが共演すると、こういう見事なアンサンブルになるのか、と、ただもう感心させられるコンサートだったのである。
しかし、私の好みから言えば、こういう演奏は節度と上品さに満たされてはいるが、いわゆるスリル感には乏しい。それゆえ、立派だとは思うが、その半面、物足りなさを感じたことは告白しておかなければならない。
ただし、「牧神の午後への前奏曲」の冒頭で、あたかも遠い世界から夢のように響いて来るような美しいソロを聴かせてくれたフルートのジャック・ズーンをはじめ、木管セクションの奏者たちには賛辞を捧げたいところである。
カーテンコールでは、いつものように、オーケストラの全員に対して熱烈な拍手が贈られていた。サイトウ・キネン・オーケストラそのものへの人気は、ここ松本では幸いにも未だ不動のようだ。これはフェスティバルにとっては、好材料だろう。
☞別稿 信濃毎日新聞
☞別稿 モーストリー・クラシック11月号
今年は、小澤征爾総監督は早い時期に不出場を発表している。
看板たるサイトウ・キネン・オーケストラのコンサートは、いつものようにA・B・Cの3種類のプログラム。ただしいずれも各1回公演で、「C」はマーカス・ロバーツ・トリオの所謂「Gig」を含む演奏会となっている。
一般公演のオペラは3年ぶりに復活したが、演目はプッチーニの短い「ジャンニ・スキッキ」1曲だけで、一般向けに1回、および「子どものためのオペラ」として2回上演されたのみ。しかもピットに入ったのは、看板のサイトウ・キネン・オーケストラでなく、小澤征爾音楽塾オーケストラだ。
「ふれあいコンサート」と呼ばれる室内楽演奏会は3プログム各1回ずつで、これは例年通りだ。
その他、吹奏楽パレードや、「子どものための音楽会」など、毎年恒例のイヴェントは組まれてはいるが、━━やはりフェスティバル全体としては、以前より小規模となっている印象は、否めまい。1992年の第1回から今年まで、毎年この音楽祭を訪れて来た者の目から見ると、かつてのあの沸き立つような祝祭の雰囲気がこの数年来、とみに薄らいで来て、今年はさらに地味になっているという印象が・・・・残念ながら、ぬぐえないのである。
今年登場している指揮者陣は次の通り━━「オーケストラ コンサート」は、ディエゴ・マテウス(AとCの各一部)、秋山和慶(B)、ケンショウ・ワタナベ(Cの一部)、デリック・イノウエ(オペラ)、下野竜也(子どものための音楽界)という具合。
で、今日は、秋山和慶が指揮する「オーケストラ コンサートB」である。プログラムは、イベールの「祝典序曲」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルの「ボレロ」、サン=サーンスの「交響曲第3番」。オルガンは室住素子、コンサートマスター(1曲ずつ交代)は矢部達哉、豊嶋泰嗣ほか。
秋山和慶がこの音楽祭に登場するのは14年ぶりで、2004年にモーツァルトの「ディヴェルティメントK.136」を振って以来だそうである。1984年のサイトウ・キネン・オーケストラ創設の立役者だった彼が、このフェスティバルでメインのコンサートのプログラム全てを指揮するのは今回が初めてになる。不思議なことではある。
演奏は、予想した通り、正確で、端整で、見通しのいい構築を備えたものになっていた。サイトウ・キネン・オーケストラがこれだけ整然としたバランスのいい演奏を聴かせたことはほとんどなかっただろう。
そもそも、腕利きたちの集団たるこのオーケストラは、火のように燃え立つ演奏をした時にも、あるいはあまり気乗りのしないような演奏をした時にも、いい意味での「おれがおれが」という、名手ならではの微笑ましい意気を感じさせたものだ。だが今回は、オーケストラ・ビルダーとして並はずれた力量を持つ秋山和慶のもと、各奏者のソロが目立つ「牧神の午後」や「ボレロ」においても、常にアンサンブル優先という演奏をしていたように感じられたのだった。
それ自体は、別に悪いことではない。バトン・テクニックの超名手たる秋山と、巧いオーケストラとが共演すると、こういう見事なアンサンブルになるのか、と、ただもう感心させられるコンサートだったのである。
しかし、私の好みから言えば、こういう演奏は節度と上品さに満たされてはいるが、いわゆるスリル感には乏しい。それゆえ、立派だとは思うが、その半面、物足りなさを感じたことは告白しておかなければならない。
ただし、「牧神の午後への前奏曲」の冒頭で、あたかも遠い世界から夢のように響いて来るような美しいソロを聴かせてくれたフルートのジャック・ズーンをはじめ、木管セクションの奏者たちには賛辞を捧げたいところである。
カーテンコールでは、いつものように、オーケストラの全員に対して熱烈な拍手が贈られていた。サイトウ・キネン・オーケストラそのものへの人気は、ここ松本では幸いにも未だ不動のようだ。これはフェスティバルにとっては、好材料だろう。
☞別稿 信濃毎日新聞
☞別稿 モーストリー・クラシック11月号
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