2018・8・22(水)野平一郎:オペラ「亡命」世界初演
ブルーローズ(サントリーホール小ホール) 7時
恒例の「サントリーホール サマーフェスティバル」の初日。野平一郎の新作オペラ「亡命」が、作曲者自身の指揮による演奏会形式で初演された。
オペラの長さは、チラシには「90分」と書いてあったのに、実際はなんとほぼ125分。リハーサルをやってみたら判明したのだそうな。いまどきにしては随分と大らかな話である。とにかく、10分の休憩時間を挟み、終演は9時20分になった。おかげで食事の予定などは吹っ飛ぶ。
オペラは.英語上演、字幕付き。原作と台本と字幕構成は野平多美、英語台本翻訳はロナルド・カヴァイエ。
ストーリーは、1950年代の「鉄のカーテン」があった時代のハンガリーの作曲家ベルケシュ・ベーラが主人公。彼が一家とともに命を賭してオーストリアへ亡命、やがてウィーンやケルンを本拠に次第に世界的な名声を博して行くという過程が描かれる。その中に、彼に亡命時の恐怖の体験がトラウマとなって残り、精神科医たる妻の治療を受けるというモティーフが何度も現われるのがスパイスの役割を果たしているだろう。
本来のテーマは「亡命とは?」ということにあるらしいが、それは実際にはさほど浮き彫りにされていない印象だ。しかしベルケシュのそのトラウマのひとつ━━西側で大きな成功を収めつつも、故国を離れているという「亡命」の孤独感を漂わせている彼の性格が、音楽のテンポと「間」と、歌のパートの心なしか打ち沈んだ表情などで表現されていたようにも感じられたのは確かである。
このベルケシュは架空の人物だが、劇中にはバルトークやブーレーズなど実在の現代音楽作曲家の名がいくつか現われ、特にシュトックハウゼンとカーゲルは実名で登場、前者の「グルッペン」初演の話も出て来るといった具合である。このあたり、さながら20世紀音楽界の歴史の絵巻物を観るが如し。
主人公ベルケシュを歌った松平敬をはじめ、幸田浩子、鈴木准、山下浩司、小野美咲という歌手陣が━━英語の発音に関しては何となくアレだが━━素晴らしい音楽的歌唱を繰り広げた。
オーケストラは室内楽編成で、川田知子(vn)、向山佳絵子(vc)、高木綾子(fl)、山根孝司(cl)、福川伸陽(hn)、藤原亜美(pf)という、これまた錚々たる顔ぶれ。その演奏も巧いのなんの。演奏面では文句のつけようがない出来栄えであった。
音楽そのものに関しては、本当はスコアを見た上で発言すべきところなのだが、とりあえず今日たった1回聴いた結果では、各楽器が極めて緻密で雄弁で、多彩に織り成されていたという印象であった。声楽パートの方は比較的坦々としたつくりで、例えばサスペンス感に溢れた亡命シーンにおいてもさほどオペラ的な、劇的な表情の歌唱は聴かれないけれども、オーケストラの方は非常に表情豊かでスリリングな力を表わしていた。
ただこのオーケストラ・パートは、全曲にわたって終始細かく動き回り続けるので、どこかに━━複数個所でもいいのだが━━ドラマとしての「山場」が構築され、それが印象づけられるというところまでには行かなかったのではないかという気もする。
とはいえこれも、ただ1回聴いただけで判断すべきことではないだろう。
いずれにせよ、これは舞台上演しても充分面白く視覚化され得るオペラだと思われる。
もちろん、写実的な舞台としてではない。たとえば音楽の上で活用されているフラッシュバックのイメージ、あるいはモノローグ的な意味合いで挿入されているアリアの個所など、プロジェクション・マッピングなどを利用して、心理的な事象の動きを巧く描き出すことができるだろう。今日の、歌手が舞台上で位置を変えるだけの演出でも、フラッシュバックの効果を感じさせていたほどだから。
恒例の「サントリーホール サマーフェスティバル」の初日。野平一郎の新作オペラ「亡命」が、作曲者自身の指揮による演奏会形式で初演された。
オペラの長さは、チラシには「90分」と書いてあったのに、実際はなんとほぼ125分。リハーサルをやってみたら判明したのだそうな。いまどきにしては随分と大らかな話である。とにかく、10分の休憩時間を挟み、終演は9時20分になった。おかげで食事の予定などは吹っ飛ぶ。
オペラは.英語上演、字幕付き。原作と台本と字幕構成は野平多美、英語台本翻訳はロナルド・カヴァイエ。
ストーリーは、1950年代の「鉄のカーテン」があった時代のハンガリーの作曲家ベルケシュ・ベーラが主人公。彼が一家とともに命を賭してオーストリアへ亡命、やがてウィーンやケルンを本拠に次第に世界的な名声を博して行くという過程が描かれる。その中に、彼に亡命時の恐怖の体験がトラウマとなって残り、精神科医たる妻の治療を受けるというモティーフが何度も現われるのがスパイスの役割を果たしているだろう。
本来のテーマは「亡命とは?」ということにあるらしいが、それは実際にはさほど浮き彫りにされていない印象だ。しかしベルケシュのそのトラウマのひとつ━━西側で大きな成功を収めつつも、故国を離れているという「亡命」の孤独感を漂わせている彼の性格が、音楽のテンポと「間」と、歌のパートの心なしか打ち沈んだ表情などで表現されていたようにも感じられたのは確かである。
このベルケシュは架空の人物だが、劇中にはバルトークやブーレーズなど実在の現代音楽作曲家の名がいくつか現われ、特にシュトックハウゼンとカーゲルは実名で登場、前者の「グルッペン」初演の話も出て来るといった具合である。このあたり、さながら20世紀音楽界の歴史の絵巻物を観るが如し。
主人公ベルケシュを歌った松平敬をはじめ、幸田浩子、鈴木准、山下浩司、小野美咲という歌手陣が━━英語の発音に関しては何となくアレだが━━素晴らしい音楽的歌唱を繰り広げた。
オーケストラは室内楽編成で、川田知子(vn)、向山佳絵子(vc)、高木綾子(fl)、山根孝司(cl)、福川伸陽(hn)、藤原亜美(pf)という、これまた錚々たる顔ぶれ。その演奏も巧いのなんの。演奏面では文句のつけようがない出来栄えであった。
音楽そのものに関しては、本当はスコアを見た上で発言すべきところなのだが、とりあえず今日たった1回聴いた結果では、各楽器が極めて緻密で雄弁で、多彩に織り成されていたという印象であった。声楽パートの方は比較的坦々としたつくりで、例えばサスペンス感に溢れた亡命シーンにおいてもさほどオペラ的な、劇的な表情の歌唱は聴かれないけれども、オーケストラの方は非常に表情豊かでスリリングな力を表わしていた。
ただこのオーケストラ・パートは、全曲にわたって終始細かく動き回り続けるので、どこかに━━複数個所でもいいのだが━━ドラマとしての「山場」が構築され、それが印象づけられるというところまでには行かなかったのではないかという気もする。
とはいえこれも、ただ1回聴いただけで判断すべきことではないだろう。
いずれにせよ、これは舞台上演しても充分面白く視覚化され得るオペラだと思われる。
もちろん、写実的な舞台としてではない。たとえば音楽の上で活用されているフラッシュバックのイメージ、あるいはモノローグ的な意味合いで挿入されているアリアの個所など、プロジェクション・マッピングなどを利用して、心理的な事象の動きを巧く描き出すことができるだろう。今日の、歌手が舞台上で位置を変えるだけの演出でも、フラッシュバックの効果を感じさせていたほどだから。
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ストーリーは露骨すぎるかなとは思いましたが、楽しめました。曲自体はとてもよく、声楽もおっしゃるように発音はともかくとして、よかったです。