2025-01

2016・5・21(土)井上道義指揮群馬交響楽団

    群馬音楽センター  6時45分

 サントリーホールでの日本フィル定期の終演後、そのまま東京駅へ向かい、新幹線で高崎へ向かう。わずか50分ほどで着くから、群響の開演時間に楽々間に合う。このテは、以前にも使ったことがある。

 今日の群馬交響楽団(コンサートマスターは伊藤文乃)の定期は、井上道義の客演。ハイドンの「ヴァイオリン協奏曲第1番」(ソロは佐藤久成)と、井上得意のショスタコーヴィチの「交響曲第10番」というプログラム。

 群響を聴くのは、先日の東京公演での「トゥーランガリラ」以来になる。引き続き快調のようだ。弦の音色にはしっとりとした潤いがあり、管楽器群とも優しく均衡を保っている。
 このホールの音響がもっと良かったら、このオーケストラもどんなに美しい音で響くことか、といつも思わずにはいられない。今日の「10番」でのダイナミックな演奏も、今の会場では、まるで古いモノーラル録音のように拡がりも奥行きもない音になり、それが本来備えているはずの壮大な気宇を薄めてしまう。1日も早く、新ホールの建設が待たれるところである。

 とはいえ、今日の演奏で唯一残念だったのは、第3楽章で、作曲者が好きだった女性エリミーラのモノグラム(名前を音名に変換したもの)を吹くホルンが、いかにも自信無げで、終始たどたどしい演奏しかできなかったことだ。
 このモティーフは、ショスタコーヴィチのモノグラムと同様、この交響曲では非常に重要であり、考えようによってはこの二つのモティーフの組み合わせが中心概念であるとされるほどなのである。したがって、これが決まらないと、作品の私小説的テーマが損なわれてしまう結果にもなる━━。

 井上は、この「10番」を、光明に向けて構築して行ったように聴き取れた。第3楽章でのショスタコーヴィチのモノグラムがリズミカルに登場する個所では、まさに躍るように(指揮のジェスチュアと同様)演奏を弾ませていた。
 こうなると、激烈な第2楽章も、一頃解釈されたような「スターリンの暴虐」(これはもともとこじつけに過ぎる)などではさらさらなく、彼がプレトークで語っていた「スポーツカーでぶっ飛ばしたくなるような曲」という性格を帯びて来るのかもしれない。ただし私にはやはり、光明は第3楽章以降にしか見えて来ない、としか感じられないのだが━━。

 1曲目に演奏されたハイドンの協奏曲では、佐藤久成が挑戦的で攻撃的な表情のソロを展開、その一方で、小編成の弦楽合奏は柔らかい温かさを語り続けた。双方ともにそれなりの魅力を感じさせるだけに、この全く調和せざる二つの性格が自己を主張し続ける不思議な面白さが印象づけられた次第である。

 8時半終演。ホールは今日も、ほぼ満席の盛況。終演後のホワイエで、その日の演奏者がインタビューに応える「ふれあいトーク」をはじめ、オーケストラと聴衆との強い結びつきを感じさせるのも、いつもの群響定期の光景だ。
 9時過ぎの新幹線で東京へ引返す。
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