2015・2・25(水)チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団
サントリーホール 7時
桂冠名誉指揮者チョン・ミョンフンが指揮するマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。
事務局の談によれば、彼が日本でこの曲を指揮するのは、これが最初だとのこと。
ステージに登場してくる時の歩き方や姿勢が妙に暗くて重々しいので(そういえば昨夜のティーレマンもずいぶんゆっくりした歩き方になっていたが・・・・)また歯でも痛いのかと心配させられたが、いざ棒を振りはじめればいつものようにきびきびした指揮ぶりなので一安心。
三浦章宏をコンサートマスターとする今夜の東京フィル、このチョンの棒に応じて、重戦車の進軍の如く大奮戦を繰り広げる。もともとこの曲の演奏は、視覚的にもスペクタクルな光景になるものだが、今夜もなかなかのものだった。
とはいえ、金管や木管の一部に、曲想が切り替わる瞬間などで粗さが目立ち、それらはかなり気になる瑕疵に感じられたのだが、これは今夜が初日だったせいか━━しかし、これは練習不足とか慣れないとかいうことから来るミスとは思えず、もっと根本的なところから来る、このオーケストラが持つ問題点であろうと思われる。
メンバーをオペラ(今は「リゴレット」)との2群に分けて活動しているというのは、このオーケストラが意図的にやっていることなのだから、それならそれを完璧にこなせる体制を確立するのが、プロとしての責任であろう。この問題は、もうずいぶん前から広く指摘されていることなのだが、依然として解決されていないのは残念なことだ。
ふだんは、ステージでの定期での演奏はまとまっているがピットでの演奏が締まらない、という傾向がある東京フィルだが、今回は「リゴレット」での演奏が良かった代わりに、定期でのステージのアンサンブルに隙間ができる、という状態に陥ってしまった。
もっとも、今日のマーラーでの演奏が、楽章が進むにつれて次第に調子を上げて行ったことには、間違いない。第3楽章(アンダンテ・モデラート)での情感、第4楽章での脇目もふらずに突進するエネルギーなど、それはそれで手応えのあるものに感じられたのである。
チョン・ミョンフンのマーラーは、少なくとも今夜の演奏を聴く範囲では、作品を大づかみに捉え、ストレートに、骨太に音楽を進めて行くタイプのものに思える。そこには標題的要素を浮き彫りにするとか、翳りを強調するとかいう感覚はあまり聞き取れない。
だがそれも、今のオーケストラの状態との問題があるから、必ずしも一概に断定はできまい。明日のオペラシティで行なわれる2回目の演奏では、また違った特徴が感じられるのではないかと思うが。
そういえば、今回は、ハンマー(2回)は、女性奏者が叩いていた。凄いものである(何が?)。だが、ハンマーが少し小型なのと、叩き台(?)のつくりとのせいか、音が随分と軽い。チョンの指定なのかどうかわからないけれども、あれではマーラーが考えていた「重々しく鈍い」運命の恐怖の打撃というイメージには遠いだろう。そして、そういう個所をも淡々と進めてしまうところに、良くも悪くも、チョンのマーラーの特徴の一つがあるように思う。
☞別稿 音楽の友4月号 演奏会評
桂冠名誉指揮者チョン・ミョンフンが指揮するマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。
事務局の談によれば、彼が日本でこの曲を指揮するのは、これが最初だとのこと。
ステージに登場してくる時の歩き方や姿勢が妙に暗くて重々しいので(そういえば昨夜のティーレマンもずいぶんゆっくりした歩き方になっていたが・・・・)また歯でも痛いのかと心配させられたが、いざ棒を振りはじめればいつものようにきびきびした指揮ぶりなので一安心。
三浦章宏をコンサートマスターとする今夜の東京フィル、このチョンの棒に応じて、重戦車の進軍の如く大奮戦を繰り広げる。もともとこの曲の演奏は、視覚的にもスペクタクルな光景になるものだが、今夜もなかなかのものだった。
とはいえ、金管や木管の一部に、曲想が切り替わる瞬間などで粗さが目立ち、それらはかなり気になる瑕疵に感じられたのだが、これは今夜が初日だったせいか━━しかし、これは練習不足とか慣れないとかいうことから来るミスとは思えず、もっと根本的なところから来る、このオーケストラが持つ問題点であろうと思われる。
メンバーをオペラ(今は「リゴレット」)との2群に分けて活動しているというのは、このオーケストラが意図的にやっていることなのだから、それならそれを完璧にこなせる体制を確立するのが、プロとしての責任であろう。この問題は、もうずいぶん前から広く指摘されていることなのだが、依然として解決されていないのは残念なことだ。
ふだんは、ステージでの定期での演奏はまとまっているがピットでの演奏が締まらない、という傾向がある東京フィルだが、今回は「リゴレット」での演奏が良かった代わりに、定期でのステージのアンサンブルに隙間ができる、という状態に陥ってしまった。
もっとも、今日のマーラーでの演奏が、楽章が進むにつれて次第に調子を上げて行ったことには、間違いない。第3楽章(アンダンテ・モデラート)での情感、第4楽章での脇目もふらずに突進するエネルギーなど、それはそれで手応えのあるものに感じられたのである。
チョン・ミョンフンのマーラーは、少なくとも今夜の演奏を聴く範囲では、作品を大づかみに捉え、ストレートに、骨太に音楽を進めて行くタイプのものに思える。そこには標題的要素を浮き彫りにするとか、翳りを強調するとかいう感覚はあまり聞き取れない。
だがそれも、今のオーケストラの状態との問題があるから、必ずしも一概に断定はできまい。明日のオペラシティで行なわれる2回目の演奏では、また違った特徴が感じられるのではないかと思うが。
そういえば、今回は、ハンマー(2回)は、女性奏者が叩いていた。凄いものである(何が?)。だが、ハンマーが少し小型なのと、叩き台(?)のつくりとのせいか、音が随分と軽い。チョンの指定なのかどうかわからないけれども、あれではマーラーが考えていた「重々しく鈍い」運命の恐怖の打撃というイメージには遠いだろう。そして、そういう個所をも淡々と進めてしまうところに、良くも悪くも、チョンのマーラーの特徴の一つがあるように思う。
☞別稿 音楽の友4月号 演奏会評
コメント
マエストロの体調
私はこの日のために仕事を休みにしていたのですが直前になって急に行くのをやめました。正解でした。そもそもハンマーを女性に叩かせてしまうこと自体が理解不能(差別や偏見ではありません)、他にいなかったのでしょうか?ハンマーが小さいというのも大きいと重くて持てないからでしょう?マーラーの指示云々以前にこの曲を取り上げる必要がないと思います。 昔、エッシェンバッハが指揮した時(PMFだったか?忘れました)もハンマーが女性でやはり小形のハンマーを無表情で軽くポカンとやってるだけだった(指揮者の激しい形相とは裏腹に軽いしょぼくれた音に拍子抜けした、台も確かしょぼかったと思う)。バーンスタインの映像にあるようなバカデカイのを思い切り振り下ろすくらいでないと(なんだか単純バカの意見みたいですが)。スヴェトラーノフ/N響の時はハンマーを真っすぐ垂直に腕をのばして上げて、そこから振り下ろしていて壮絶でした。懐かしい。
コメントの投稿
トラックバック
https://concertdiary.blog.fc2.com/tb.php/2098-d6ee1e00
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
マエストロは3/7にスカラ・フィルを率いてコンセルトヘボウに客演予定でしたが、体調不良ということでエッシェンバッハに変更になりました。かなり無理されていたのだと思います。