2024・12・30(月)井上道義ラストコンサート
サントリーホール 3時
2年ほど前から「2024年の年末で引退する」と宣言、それに向けてさまざまな演奏会やオペラを指揮してカウントダウン的な活動を展開しつつ、「井上道義劇場」を盛り上げて来たマエストロ井上。とうとう、その最後の演奏会の日が訪れた。
これは第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサートを兼ねたもので、読売日本交響楽団を指揮してのプログラムは、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟(ヘブリディース)」、ベートーヴェンの「田園交響曲」、シベリウスの「第7交響曲」、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」。
前半の2曲は、オーケストラの編成も小さくした(弦8型)演奏で、特に「フィンガルの洞窟」では、まるで「悲しみのヘブリディース」とでもいうような、哀愁的な雰囲気を漂わせていた。こんな寂しい「フィンガルの洞窟」は聴いたことがない。
「田園交響曲」も、どちらかと言えば明るい田園風景ではなかった。いずれも開放的な雰囲気などあまり感じさせない演奏だったが、それはステージの照明をやや落し気味にしていた所為だけではなかったろう。
弦の編成が小さいために、管楽器群の声部が普通より浮き出し気味になっていて、これが曲に新鮮なイメージを与えていた。「田園交響曲」第2楽章最後の小鳥の囀りは殊のほか印象的で、エコーのように響くオーボエとクラリネット(素晴らしい!)の対話は絶妙なものがある。
後半は、ステージの照明も通常に戻し、オーケストラの編成も16型にしての演奏。シベリウスの「7番」は、おそらく今日の白眉であったろう。和声がクロスフェイド的に移行して行くシベリウス後期の作風の独特の美しさ、風の中を飛翔して行くようなフルートとオーボエの軽快なモティーフの爽やかさ━━。
この「7番」は、私がこれまで聴いた井上道義と読響の数多い演奏の中でも、ベストに属する演奏だったといって過言ではない。こうした演奏を彼の最後の演奏会で聴けたことは、望外の幸せだった(終演後にANAインターコンチネンタルホテルで開かれたフェアウェル・パーティで彼にこの「7番」の演奏を絶賛したところ、「あの曲、凄く難しいんだよ!」と宣うた)。
締めは賑やかなショスタコーヴィチの「祝典序曲」で、これはもう、まさに熱狂、沸騰の演奏。クライマックスでは、2階のP席、LA席、RA席の背後にずらり並んだ総計30名の金管の別動隊がいっせいに吹き鳴らすファンファーレが華麗な頂点をつくる。最後の和音では、井上自ら、どこから取り出したか突然シンバル一対を両手に持ち、頭上で一撃して曲を結び、場内はいやが上にも沸き返った。
アンコールの1曲目は「下品ですぜ」とアナウンスしてから、ショスタコーヴィチの「ボルト」からの滑稽な「馬車曳きの踊り」を演奏。そして、「もう何も言わないよ。さよなら」と言って引っ込んだものの、また出て来て、一度は退場したオーケストラをまた呼び返し、今度は武満徹の「他人の顔のワルツ」を、少人数の弦楽アンサンブルとともに演奏しはじめる。
これは私も、彼とオーケストラ・アンサンブル金沢の演奏などで、しばしば聴いた曲だった。彼の指揮でこれを聴くのもこれが最後なのかと思うと、覚えずジンとしてしまう。
数え切れぬほどのカーテンコールの中で、場内全ての、2階席の聴衆までもが未だ立ち去らずぎっしり並んだままスタンディング・オヴェーションを続けている光景は壮観極まりなかったが、それ以上に私が心を打たれたのは、「ワルツ」の演奏には参加していない大勢の楽員たちが、ステージの両袖にぎっしりと立ったままそれに耳を傾けている姿だった。こんな光景は、二度と見られないだろう。
常に踊るような仕草で聴衆の歓呼に応えていた井上道義は、最後に手を振り、派手なバレエのターンを披露して舞台袖に消えて行った。涙などなく爽やかに、あくまでもカッコよくステージから去って行った。
2年ほど前から「2024年の年末で引退する」と宣言、それに向けてさまざまな演奏会やオペラを指揮してカウントダウン的な活動を展開しつつ、「井上道義劇場」を盛り上げて来たマエストロ井上。とうとう、その最後の演奏会の日が訪れた。
これは第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサートを兼ねたもので、読売日本交響楽団を指揮してのプログラムは、メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟(ヘブリディース)」、ベートーヴェンの「田園交響曲」、シベリウスの「第7交響曲」、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」。
前半の2曲は、オーケストラの編成も小さくした(弦8型)演奏で、特に「フィンガルの洞窟」では、まるで「悲しみのヘブリディース」とでもいうような、哀愁的な雰囲気を漂わせていた。こんな寂しい「フィンガルの洞窟」は聴いたことがない。
「田園交響曲」も、どちらかと言えば明るい田園風景ではなかった。いずれも開放的な雰囲気などあまり感じさせない演奏だったが、それはステージの照明をやや落し気味にしていた所為だけではなかったろう。
弦の編成が小さいために、管楽器群の声部が普通より浮き出し気味になっていて、これが曲に新鮮なイメージを与えていた。「田園交響曲」第2楽章最後の小鳥の囀りは殊のほか印象的で、エコーのように響くオーボエとクラリネット(素晴らしい!)の対話は絶妙なものがある。
後半は、ステージの照明も通常に戻し、オーケストラの編成も16型にしての演奏。シベリウスの「7番」は、おそらく今日の白眉であったろう。和声がクロスフェイド的に移行して行くシベリウス後期の作風の独特の美しさ、風の中を飛翔して行くようなフルートとオーボエの軽快なモティーフの爽やかさ━━。
この「7番」は、私がこれまで聴いた井上道義と読響の数多い演奏の中でも、ベストに属する演奏だったといって過言ではない。こうした演奏を彼の最後の演奏会で聴けたことは、望外の幸せだった(終演後にANAインターコンチネンタルホテルで開かれたフェアウェル・パーティで彼にこの「7番」の演奏を絶賛したところ、「あの曲、凄く難しいんだよ!」と宣うた)。
締めは賑やかなショスタコーヴィチの「祝典序曲」で、これはもう、まさに熱狂、沸騰の演奏。クライマックスでは、2階のP席、LA席、RA席の背後にずらり並んだ総計30名の金管の別動隊がいっせいに吹き鳴らすファンファーレが華麗な頂点をつくる。最後の和音では、井上自ら、どこから取り出したか突然シンバル一対を両手に持ち、頭上で一撃して曲を結び、場内はいやが上にも沸き返った。
アンコールの1曲目は「下品ですぜ」とアナウンスしてから、ショスタコーヴィチの「ボルト」からの滑稽な「馬車曳きの踊り」を演奏。そして、「もう何も言わないよ。さよなら」と言って引っ込んだものの、また出て来て、一度は退場したオーケストラをまた呼び返し、今度は武満徹の「他人の顔のワルツ」を、少人数の弦楽アンサンブルとともに演奏しはじめる。
これは私も、彼とオーケストラ・アンサンブル金沢の演奏などで、しばしば聴いた曲だった。彼の指揮でこれを聴くのもこれが最後なのかと思うと、覚えずジンとしてしまう。
数え切れぬほどのカーテンコールの中で、場内全ての、2階席の聴衆までもが未だ立ち去らずぎっしり並んだままスタンディング・オヴェーションを続けている光景は壮観極まりなかったが、それ以上に私が心を打たれたのは、「ワルツ」の演奏には参加していない大勢の楽員たちが、ステージの両袖にぎっしりと立ったままそれに耳を傾けている姿だった。こんな光景は、二度と見られないだろう。
常に踊るような仕草で聴衆の歓呼に応えていた井上道義は、最後に手を振り、派手なバレエのターンを披露して舞台袖に消えて行った。涙などなく爽やかに、あくまでもカッコよくステージから去って行った。