自動車研究家“山本シンヤ”が聞いた「MORIZOがニュル24時間へ挑む理由」
第4回:モリゾウの師である成瀬弘氏がニュルを走り続けた理由
2025年9月12日 00:00
成瀬弘氏が2010年6月23日、ニュルブルクリンク近郊の一般道でレクサスLFAニュルブルクリンクパッケージの開発テスト中の事故で亡くなる2か月前、4月17~18日に東京お台場のメガウェブで開催された「MEGA WEB FESTA by 6 CARMAGAZINES」にフラっと立ち寄ってくれた。
ここで3時間に渡るロングインタビューを行なったが、恐らくこれが第三者が聞いた成瀬氏の最後のインタビューだと思う。筆者のPCには録音の書き起こしのファイルが3つある。今も大事に保存しているが、今回はこの連載のテーマ「ニュルブルクリンク」についての成瀬節をお届けする。
なお、成瀬氏はニュルブルクリンクのことを「ニュルブル」と呼ぶ。
山本シンヤ:ニュルのことは一番ニュルを知っている人に聞くのが一番ですので、成瀬さんに聞きます。成瀬さんはかなり昔からニュルに行かれていますよね?
成瀬弘氏:もう40年くらい経っていますね(※2010年時点)。初めて行ったのは28歳の時です。スイスのトヨタディーラーがセリカ1600GTで6時間の耐久レースに参戦すると聞き、日本側からの技術指導として行きました。ニュルは今21km弱ですが当時は22kmありましたね。
山本シンヤ:レースはどうだったんですか?
成瀬弘氏:最初は普通のサーキットだと思っていましたが、次元が違いました。1周走っただけでデフが焼き付きました。G(荷重)でオイルが偏ってしまったのが原因でしたが、四苦八苦しながら修理したのを覚えています。結果はクラス優勝をしました。
山本シンヤ:そんなニュルの初めての印象は?
成瀬弘氏:素直に「とんでもないところだな」と。レーシングドライバーでも1週間走り込まないと厳しいくらいのコースですね。
山本シンヤ:この時はレースの仕事で行ったわけですが「開発の場として使える」と実感したのはいつごろだったのでしょうか?
成瀬弘氏:その時ですよ。当時ヨーロッパのクルマもここでテストはやっていませんでした。ただ、その時は社内ではニュルが理解されず、実際にテストを始めたのは1980年代、初代MR2で走ったのが最初ですね。
山本シンヤ:どのような評価だったのでしょうか?
成瀬弘氏:全く通用しませんでした。日本のサーキッドはほとんどフラットですが、ニュルは一般道をそのまま1周つなげた感じかな。エスケープはないし、荒れた路面でジャンピングスポットもある。ここでちゃんと走れないと、世界で通用するクルマにならないと感じました。
山本シンヤ:成瀬さんは「道がクルマをつくる」と言いますが、まさにその通りだと?
成瀬弘氏:そもそもヨーロッパのクルマは、国によってさまざまな特徴があります。それを見るとクルマは道がつくっていると感じますよ。フランス車とドイツ車って、全然違いますよね?
山本シンヤ:国によって路面が違いますからね。
成瀬弘氏:何でこんなに違うんだろうって思うくらい。国によってさまざまな文化がそうさせていると思いますね。
山本シンヤ:となると、日本のクルマは日本の道で作るべきなのでしょうか?
成瀬弘氏:確かに日本の道は100km/h(当時の高速道路の最高速度制限)なのでそうですが、トヨタのクルマは世界で販売しているので道を選んじゃダメなんです。
山本シンヤ:だから、東京の渋滞からニュルまでテストしなければダメだと言うことですね?
成瀬弘氏:その通り。昔はドイツ車はよく壊れましたが、最近はそんなことはなくなっています。なぜかと言うとニュルで開発しているから。ニュルで開発すると、自然と距離も稼げるので耐久試験にもなる。
山本シンヤ:でも、日本車はニュルでテストしていなくても、耐久・信頼で世界のユーザーに高く評価されていますよね?
成瀬弘氏:確かにそうですが、日本車はヨーロッパへ行くとよく壊れました。なぜなら、あんなにハイスピードで走らないから。昔セリカも「日本では全然壊れないのに、なぜヨーロッパで壊れるの?」と問題になったことがありますが、日本と使われ方が違うから当然。
山本シンヤ:「日本車は壊れない」と言うなら、どこでも絶対に壊れちゃいけないですよね。
成瀬弘氏:だから日本も、ヨーロッパへ行くようになってから強くなったと思いますよ。
山本シンヤ:そんな成瀬さんは、日本で一番ニュルを走っている人だと聞いています。
成瀬弘氏:そうでしょうね。
山本シンヤ:今回のインタビューのタイミングもニュルから戻ってきたばかりですが、成瀬さんは年間どれくらい行かれているんですか?
成瀬弘氏:今は年間6回……4月~9月までですね。それだけ会社が認めてくれています。
山本シンヤ:そんな成瀬さんはニュルを走る時、何を見て、何を感じながら走っていますか?
成瀬弘氏:僕がなぜニュルブルに通い続けるのかと言うと、1つ目は「自分がまだ走れるかどうか?」「ドライバーとしてニュルブルの中に入ってやっていけるかどうか?」を確認するため。かれこれ40年近く走っていますが、まだまだ走り足らないし、未だに1周を完璧に走ったことありません。もちろん、あるクルマで「8分フラットで走れ!!」と言われれば、±1秒以内で走ることはできますけどね。
山本シンヤ:つまり、現在も修行中だと?
成瀬弘氏:ニュルブルは自分にとってもチャレンジングなコース。「もういいや……」となった時が引退する時だと思っています。僕はまだニュルブルを征服できていないので、今でも走っています。
山本シンヤ:それほど奥が深いコースなんですね?
成瀬弘氏:深いですよ。インダストリー(メーカー占有日)は、他の自動車メーカーと一緒に走りますが、本当に僕が通用しているかどうかは一目瞭然ですからね。
山本シンヤ:では、ニュルで鍛えたクルマは何が違うのでしょう?
成瀬弘氏:ただ、勘違いしていほしくないのは、最終的な何かを決めるためにニュルに行くのではなく、今まで走った経験とニュル走ったクルマのノウハウを各モデルにフィードバックしていくことが目的です。それは何かと言うと「ドライバーの安心感」でしょう。レクサスLFAは最終的にニュルブルで作り上げましょう」と言うことで5年くらいかけました。だから、あのようなクルマに仕上りました。
山本シンヤ:スープラ(4代目:A80系)もニュルで鍛えたクルマの1台です。
成瀬弘氏:ニュルブルで鍛えたクルマは本当に強いですよ。スープラが今でも高い能力を持っているのは当たり前。だから、トヨタからなかなかスープラを超えるクルマがでなくて困っていますけどね(笑)。
山本シンヤ:ただ、スープラは当時日本のサーキットでテストをすると、ライバルのほうが速かったのを記憶しています。そのあたりは?
成瀬弘氏:そんなこと、どうでもいいこと。ヨーロッパに来るとスープラは凄い。スピード領域が高いところに行けば行くほど良さが出てきます。日本のサーキットで勝って喜んでいるレベルじゃ本当の味はでませんね。日本のサーキットではクルマの性能の10あるうちの1つが見える程度ですが、ニュルは10全てが見えてしまう。だからごまかしがきかない。
山本シンヤ:欧州の自動車メーカーは、どんなモデルでもニュルでテストを行なっていますが、トヨタとレクサスは極めて限定的ですよね?
成瀬弘氏:それはクルマのキャラクターだったり、チーフエンジニアの考え方だったり……企業の考え方の問題ですね。
山本シンヤ:成瀬さんはどう思われますか?
成瀬弘氏:もちろん全車種やるべきですよ。クルマである以上どんなカテゴリーのモデルでも、満足して走らせる能力に差をつけてはダメ。
山本シンヤ:成瀬さんが関わってきたクルマは、スープラにしてもMR2にしても飛び道具のようなアイテムは使われていません。その理由は?
成瀬弘氏:クルマは料理と一緒で“素”が大事だからです。素うどんがうまくなければ天ぷらを乗せても味は決して良くなりません。確かに4WDもさまざまな制御も使い道があると思いますが、まずはそれでごまかすのは絶対ダメです。
山本シンヤ:クルマ好きの中には、「一度でいいからニュルを走ってみたい」と思っている人はたくさんいますが、どう思いますか?
成瀬弘氏:最初は「凄かった!!」「楽しかった」かもしれませんが、走れば走るほど“怖さ”が見えてくると思いますよ。
山本シンヤ:何周走るとそんな気持ちになりますか?
成瀬弘氏:最低で馬力分かな。100馬力のクルマなら100周、LFAは500周以上走らないとね。そこからがスタートラインですね。
山本シンヤ:ニュルでは後輩のドライビングトレーニングも行なっていますが、成瀬さんを超える人は出てきそうですか?
成瀬弘氏:どうでしょう? 速さならたくさんいますが、まだ見たことはないですね。スポーツの世界と同じで「オレはあいつに負けた」となったらもうやらないでしょう。要するに満足したら終わりです。
山本シンヤ:そんな成瀬さんにとってニュルとは?
成瀬弘氏:人生の一部ですね。冒険家が山に登りたいのと一緒で、緑の地獄を征服したい!! そこにニュルブルがある限り行くでしょうね。