「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回は「夫の浮気」に対する昭和的な意識について。

 人生相談や悩み相談は、その時代の世の中の価値観を映す鏡です。そして、世の中の価値観は、個人の価値観に影響を与えずにはいられません。昭和人間の根幹には、昭和の価値観が染みついていることでしょう。頭では「今は時代が違う」とわかっているつもりでも、無意識の言動や考え方のベースになっている可能性は大です。

 「夫の浮気」は、昭和も令和も人生相談の定番の悩みのひとつ。悩む妻に対して、回答者がどんな“解決策”を提案するか。そのスタンスは、昭和と令和とでは大きな違いがあります。昭和の人生相談の回答を見ることで、自分の中に巣食っているかもしれない「昭和の浮気観」と向き合ってみましょう。

 まずは、昭和48年10月1日付「読売新聞」の「人生案内」より。28歳の夫から過去の浮気を打ち明けられた22歳の妻。「普通の男ならだれでも、結婚していても女性と遊びたいのだ」と言う夫に、不信感が募っているとか。「男性はなぜ、こんな考えを持つのでしょうか」という問いかけに対して、精神科医の島崎敏樹さんはこう答えます。

 〈ご主人のことばに「家庭は絶対こわさないが、少しぐらい遊ぶのは許すべきだ」とありましたが、これは身勝手でむりです。あらかじめ「許すべき」ではなくて「ボクのまちがいだった、ユルシテクレ」と過失を悔いるしか許されぬはずです。(中略)ユルセナイ、理解デキナイ、でとおすのも妻として当然の純潔さでしょうが、これで夫をいじけさせ、はじきだしてしまうのは少々愚かかと考えます。正直のところ、いいご主人にめぐまれておいでのこと。「夜も眠れない」でなしに、ご主人と並んでよく眠るのが賢い妻の出方といえるでしょう。〉

(昭和48年10月1日付「読売新聞」の「人生案内」より引用)


 いちおう夫を非難して妻に同情を寄せてはいますが、要するに夫の浮気を許さない妻は「愚か」で、理解を示して許す妻が「賢い」と言っています。たしかに昭和の頃は、男の浮気は「仕方がないこと」で、妻は耐えるのが美徳とされていました。もし令和の今、夫の浮気を許さない妻を「愚か」だと言ったら、激しい批判を浴びそうです。

「大目に見るのが妻の甲斐性」という価値観

 続いては、昭和60年8月10日刊『泥沼流人生相談――あなたの人生に「実力」をつける本』(米長邦雄著、ネスコ)より。45歳の夫の浮気に悩む35歳の妻からの相談です。23歳の「会社の女の子」と「すっかりいい仲になっていた」とか。夫は「遊びだよ」とすぐにでも別れるそぶりを見せたものの、半年たっても別れる気配がありません。「離婚すべきなのでしょうか」と尋ねる相談者に、棋士の米長邦雄さんはこんな言葉を贈ります。

 〈失礼ながら女ということであれば、彼女の肉体の方が良いとご主人は思っているに相違ない。しかしながら、中学生の子供がいる。そして家庭がある。あなたにも落ち度がない。(中略)あなたが望まない限り、家庭の崩壊、あるいはご主人が彼女と一緒になる、といったことは思ってもみないはずである。したがって、これは一時の浮気であって、23歳の彼女とは、何らかの形で別れていきます。(中略)ご主人に対しては、ここでじっと見守ることは人生において夫に対する大きな貸しである、そのかわり、死ぬまでに返してもらいますよ、と。だから大目に見てあげましょう、という態度でいるならば、ご主人はこんな素晴らしい妻はいないと、涙を流して喜ぶに違いない(笑)。〉

(昭和60年8月10日刊『泥沼流人生相談――あなたの人生に「実力」をつける本』〈米長邦雄著、ネスコ〉より引用)


 かなり失礼であり、しかも「ご主人」にとっては、極めて都合がいいアドバイスです。相談文の中に「(主人は)日頃から米長先生を尊敬しています」という一文があったことも影響しているのか、米長さんの「ご主人擁護」はこれで終わりません。続けて「本当のことを教えてあげましょう」と前置きして、今、いちばんつらいのはあなたではなく、男としての盛りを確かめつつ、激しい罪悪感にさいなまれているご主人だと諭しています。だから、悲しいけれども見守って「優しく赦して」あげましましょう、とも。

 相談者が「たしかにそうね」と納得したかどうかはさておき、昭和60年ごろの世の中においては、「夫の多少の浮気は大目に見てあげるのが妻の甲斐性」という大胆な意見に一定の支持やニーズがあったことがうかがえます。当時の「大人たち」の会話や、テレビドラマなどのセリフを思い出してみても、たしかにそういう雰囲気はありました。女性が働いて生きていく道が狭かったことも、おそらく強く影響していたことでしょう。

「夫を許すのが賢い妻である」という価値観はかつて一定の支持を得ていた 写真(Elchin Abilov/stock.adobe.com)
「夫を許すのが賢い妻である」という価値観はかつて一定の支持を得ていた 写真(Elchin Abilov/stock.adobe.com)
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 浮気した夫に甘いのは、回答者が男性だからとは限りません。続いては、昭和61年5月10日発行『“自分を発見したい女(ひと)へ” 満智子の人生相談』(里中満智子著、講談社)より。相談者は、結婚して5年目の29歳の妻。夫が同じ会社のOLと「一度だけ関係があった」と知りました。それ以来、帰宅が遅いと浮気を疑ってイライラし、ついつい問い詰めてしまうとか。漫画家の里中満智子さんは、疑心暗鬼の塊になっている相談者に対して「私が夫だったら、帰るのがいやになります」と告げつつ、こう諭します。

 〈原因は自分がつくったことであっても、その結果、毎日暗い顔でしつこく責められれば、こうなった原因はどちらにあったか、ということより「ここまで信じてくれないのは、愛してないからじゃないか」と思ってしまうのです。本当は1回ですんだ浮気が、妻にイヤ気がさすことによってつい本気になってしまうこともあります。そうなるのがいやなら、夫が離れたくならないようやさしく人の過ちを許す心のゆとりをもってください。(中略)自分の立場ばかり考える妻に、夫は「疲れる」とは思っても、「悪いことをした」とは、思いたくなくなるものです。〉

(昭和61年5月10日発行『“自分を発見したい女(ひと)へ” 満智子の人生相談』〈里中満智子著、講談社〉より引用)


 たしかに、相談者がこのまま疑いや怒りの気持ちを持ち続けていたら、里中さんが予想する通りの展開になるでしょう。「悪いのは夫だ」と遠慮なく責めまくるのは、もちろん自由です。ただ、関係の修復とは両立しません。自分の気持ちがスッキリするかどうかも、なかなか難しいところ。浮気の話に限らず、正しいとか正しくないとか、加害者とか被害者といった構図に当てはめてしまと、かえって窮屈な状況になりそうです。

若者へのアドバイスに潜む危険

 令和の人生相談や悩み相談では、妻からの「夫が浮気しました」という相談に対して、「少しぐらいの浮気は大目に見てあげなさい」と言う回答者はまずいません。目立つのは「もはや信頼関係は戻らないので、証拠を集めて有利な条件で離婚しましょう」といったアドバイス。彼に「一生許さない」と伝えた上で、チャンスを与えるという許しを考えてみてもいいのではないか、という回答もありました。全般的には、浮気をした夫が強く非難されていて、もし妻の側に「どうにかやり直したい」という気持ちがあったとしても、そういう道を選択しづらい雰囲気があります。

 とくに男性の昭和人間としては、自分の中に「多少の浮気は大目に見てもらえるはず」「男の浮気は甲斐性」という昭和的な感覚が刻まれていることへの警戒心を十分に持ちたいところ。自分自身の行動に気を付けるのはもちろん、危険な落とし穴にはまりがちなのが、若い世代との会話の中で「昭和のゆるい浮気観」を押し付けてしまうこと。深い溝を感じさせるぐらいならまだマシで、激しく軽蔑される可能性も大いにあります。

 こういう問題に「正解」はありません。昭和の頃も、夫に浮気されて耐えることを選んだ妻が、何十年かたってから「あのとき別れなくてよかった」と思ったこともあれば、「別れればよかった」と激しく後悔したケースもあったでしょう。「夫の浮気」だけでなく「妻の浮気」に関する相談もたくさんありました。そっちも「許しましょう」という回答が主流でしたが、同様に「別れなくてよかった」と思うケースもあれば、逆のケースもあったはず。

 令和の今は、相手に問題があったら早めに見切りをつけるのが「賢明な対応」とされています。しょせんは「はやりの価値観」というだけの話で、幸せな未来を保証してくれるわけではありません。夫婦生活に限らず、生きていればいろんなことがありますが、自分で考えたり相手と話し合ったりして、なるべくマシな道を選んでいきましょう。そしてどの道を選んでも、それなりに楽しいゴールにたどり着く方法は必ずあります。

昭和人間(自分を含む)との付き合い上の注意――今回のポイント
  • 自分の中に巣くっている「あの頃の感覚」を直視しよう
  • 昭和な感覚で「夫の浮気」について語るのは極めて危険
  • 今の「はやりの価値観」に従うのがベストとは限らない

文/石原壮一郎