普段は会社員として働く覆面作家の麻布競馬場氏は、2021年のコロナ禍、Twitter(現:X)に投稿した小説が「タワマン文学」として旋風を巻き起こした。ミレニアル世代、Z世代の悲哀を描く作家として注目を集める同氏は、「僕らは1億総『圧倒的成長時代』を生きてきた」と語る。平成生まれの麻布競馬場氏に、羅針盤なき時代の幸福論について聞く。
僕らはポスト箕輪厚介時代を生きている
大学生になった僕は、正反対ともいえる2つの方向に動いていました。まずひとつは、すぐには役に立ちそうにないことをとにかく吸収していくこと。例えば、慶応大学のメディアセンターにこもって文学作品を読んだり、DVDを片っ端から借りて映画を見たり、あるいは友人たちと毎晩のように飲み会やクラブに繰り出したり。昔ながらの怠惰で甘美な学生生活を謳歌していました。
それと同時に、すぐにでも役に立ちそうなことも徹底的にやっていました。名門ゼミに入って代表をやったり、有名企業でインターンをやったり。会社に入ってからも、平日は嫌な顔ひとつせず毎晩のように遅くまで残業してたし、土日祝日も資格を取るために勉強していました。先輩たちとの飲み会も、半ば人脈作りのような目的で参加していました。こんなふうに、私生活の半分は遊びに、もう半分は当時流行りの「意識高い系」のために使っていた。
前回の記事「 タワマン文学作家・麻布競馬場を救った、学生時代に読んだ3冊の本 」でもお話ししたように、2010年代の大きなキーワードは「何者かになる」だったと思っています。そこにもう一つ加えるなら、それは「圧倒的成長」なんじゃないかと。
箕輪厚介さんの 『死ぬこと以外かすり傷』(2018年、マガジンハウス) はそんな2010年代の空気を反映した本で、この時代を語るうえでは絶対に外せない一冊です。
「圧倒的成長」というキャッチフレーズは、ある意味では「何者かになる」の対極にあります。「何者かになりたい」という願望は「成功したいけど、その過程でカッコ悪いことをしたくない」という複雑に絡んだ自意識の隙間に生まれたものでしたが、「圧倒的成功」は極めて単純です。成功したければ、死ぬこと以外かすり傷だと思って死ぬ気で頑張れ。この単純で、だからこそ独特の強度を備えた「圧倒的成長」を説きまくっていたのが箕輪さんでした。
当時はこの手の本がものすごくはやって、本屋さんには「ピチピチのTシャツを着たおじさんが腕を組んだ写真に、景気のいいキャッチコピーが載った本」がたくさん並んでいましたよね。
僕は1991年の平成生まれですが、僕が生まれてからの30年は、まさに「失われた30年」と言われています。10歳の頃には「失われた10年」、二十歳の頃には「失われた20年」と言われ…もうずっと変わらないわけですよ。経済的な閉塞感が漂う中で幸せになるには、圧倒的成長で「経済的成功」をするしかない。だから、「何者かになる」と「圧倒的成長」という概念はセットになって、あっという間に人々の“聖書”のようになっていった。
正直、当時のビジネス界のトップランナーたち全員が、あの風潮を好意的に受け止めていたわけではないと思います。僕が通っていた慶応大学でも、みんなが意識高く頑張ることに対して「(笑)」みたいな風潮もあった。
けれど、「圧倒的成長のために努力せよ」という一気に広まった概念は、そもそも成功など目指していなかった層や、大して頑張ろうと思っていなかった層にまで行き渡りました。2010年代の「1億総圧倒的成長時代」をつくったのは、一部の人がこっそり読んでいた正攻法のビジネス書ではなく、箕輪さんのような人たちが世に送り出した多くの本だったんじゃないかと僕は思っています。
僕は「寄り添い文芸」と呼んでいるのですが、ここ数年の文芸界のトレンドは「ありのままのあなたでいいんだよ」「頑張らなくても小さな幸せがあればいいんだよ」と優しいメッセージを説くことでした。しかし、優しいメッセージを信じて頑張ることを放棄し、結果として何も得られなかったと気付いたとき、誰も責任を取ってはくれないのです。最近になって、就職先としてコンサルのような激務業界が人気になってきている背景には、「結果、頑張らないとダメだな」とみんなが気付き始めたことがある気がしています。一周回って、「圧倒的努力」の時代が帰ってきたのです。
ただ、手放しで賞賛はできません。ピュアな努力至上主義は残酷な自己責任論と表裏一体で、「成功できない人は努力しない人間だ」というメッセージに繋がりやすい。近年盛んな「親ガチャ」論とはつまり、「生まれ持った遺伝子や環境で人生が決まる」という運命論的な諦めであり、その正しさは科学的に証明されつつある。頑張れる人もいれば頑張れない人もいるし、頑張ったところで全員が成功できるわけではない。責任ある優しさ、というバランス感覚が、今後の10年間では求められるのではないでしょうか。
「成功者の奈落」をのぞき込む意味
ビジネス書の人気ジャンルのひとつに、「成功した人の自伝」があります。そういう本を僕もたくさん読んだけれど、そんな中で気づいたことがありました。僕は、経営者たちが1冊目に出しがちな「圧倒的成長」を促す本よりも、その次に出す「2冊目の本」の方が好きだということです。
1冊目は成功までのサクセスストーリーが主流ですから、だいたい「俺はこんなふうに圧倒的に努力した」みたいなことばかりが書かれている。一方で、2冊目では成功の裏にある苦しかった局面や、生々しい現実が描かれることが多い。不思議なことに、成功に向かってゆく人間のメンタリティは驚くほど似ているのですが、失敗へと転落してゆく人間のそれは非常に個性的で、むしろそこにこそ人柄や哲学が滲む気がする。サイバーエージェントを起業した藤田晋さんの2冊目の本、『渋谷ではたらく社長の告白 新装版』(2013年、幻冬舎)なんかもそうですね。
そんな「経営者の2冊目の本」で僕が一番好きなのが、連続起業家の家入一真さんが書いた 『我が逃走』(2015年、平凡社) です。この本はもう、日本の『グレート・ギャツビー』だと僕は思っていて。
1冊目 『こんな僕でも社長になれた』(2007年、ワニブックス) は、引きこもりからのサクセスストーリーを描いた自叙伝でした。でもその後に出した本書 『我が逃走』 では、成功の裏にある虚無感、成功した結果としての不幸を、包み隠さず吐露している。みんなを幸せにしようとしていたはずなのに金づるにされたり、家庭生活が壊れたりしてしまう。そんな矛盾が描かれています。
家入さんは、起業をあくまで「幸せになるための手段」と捉えていたはずなのに、成功というものに自分も周囲も飲み込まれて、結果としてみんな不幸になってしまう。そうした不条理さを描きながらも、都知事選出馬(2014年2月)をきっかけに、再生の兆しが見えてくるところで物語は終わります。
この本が伝えるのは、人生は「何者かになる」や「圧倒的努力」によって成功すれば勝ち、という単純な話ではないということ。成功と幸福は同義ではないし、成功したあとも人生は続いてゆき、時にはその先に不幸が待つこともある――という深いテーマであって、エクストリームな状況を経験した人間のみが気付ける真理だと思いました。
何かになりたいと思ったとき、今ならYouTubeでも見て、頭のいい人が言っている方法をなぞることもできるでしょう。誰かの知恵を借りることは大事だし、自分を励ます一つの手段くらいにはなる。ただ、自分の責任で人生のコマを進めていくというのは、もっと深くて、難しいことでもあります。
平成の「何者かになる」「圧倒的成長」ブームが終わった今、人から借りた言葉じゃなく、自分自身に責任を持った生き方を一人ひとりが見つけなければいけなくなりました。何者かになりたい、だなんていう願望は両立不可能なふたつの自意識の絡まり合いに過ぎなかったし、圧倒的に努力したところで「圧倒的努力本」の著者たちより成功した人はほとんどいない。
でも、失敗した理念の本を読むことで「なぜこれは失敗したのか」「では自分が向かうべき新しい理念はどこにあるのか」と考えることができる。平成の本であるこの2冊目には、令和を生きるためのヒントがたくさん詰まっていると思うんです。
「失われゆく東京」を残していく義務がある
視点を変えると、一大ブームをつくったこれらのビジネス書からは、「東京での成功」のありようが見られるのも面白いところです。そして僕は同時に、「失われゆく東京」にも以前から興味がありました。東京出身でないことに何かコンプレックスがあるとすれば、それは過去の東京を見られなかったことに対して、かもしれません。
僕が慶応大学進学のために上京したのは、2010年の4月のことです。とはいえ、最初の2年間は横浜の日吉キャンパスに通っていたので、東京の三田キャンパスに移ったのは2012年から。三田キャンパスって、東門を出るとちょうど東京タワーが見えるんですよ。その美しさに触れて初めて、「東京に来たんだ」という実感を持ちました。
自分が見逃してきた東京の美しい瞬間を知りたい。けれど、それはかなわない。はかない願いを補う最善の手段は「本」だと思って、野地秩嘉さんの 『キャンティ物語』(1997年、幻冬舎) を手に取りました。
『キャンティ物語』は、今も麻布台ヒルズの近くに店を構えるレストラン「キャンティ」が舞台です。東京タワーができた1960年に同じくオープンしたこの店は、オーナー創業者である川添浩史さん・梶子さん夫妻の下に、三島由紀夫さん、伊丹十三さん、加賀まりこさん、松任谷由実さん、黒柳徹子さんといった、当時の輝く才能たちがサロンのように集っていた。キャンティは、彼らの交流を見守る場となっていました。
キャンティには美しい瞬間もあれば悲劇的な瞬間もあり、そこに集う人たちが少しずつ大人になっていく様子が描かれています。この店のテーマは、「子供の心をもつ大人たちと、大人の心をもつ子供たち」。みんな大人でありながらも、子どものような純粋な面を持っていて、何よりオーナー夫妻が常に若々しい心を持っていたことが分かります。東京の美しいワンシーンがキャンティという空間の中で形成され、その記憶が今なお愛されて懐かしまれ続けている。
僕は社会人になってからの約8年間、麻布十番に住んでいました。けれど当然、創業者の川添夫妻がいた頃のキャンティを体験することはできていません。ただ、『キャンティ物語』という素晴らしい作品があるように、瞬間的にきらめきを放って形を変えていくものだって、本にすれば未来に残すことができる。
僕は、東京の面白くて、楽しくて、美しい瞬間を記録することは、小説家としての一つの義務だと思っているんです。「タワマン文学」2作の中でも、Nujabesとかグラニフとか、そんな固有名詞をたくさん使っているのは、今この瞬間の空気を本の中に閉じ込められる気がするから。いずれは「タワマン」というものだって、東京からなくなっているかもしれませんしね。
取材・文/金澤英恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也 本写真/スタジオキャスパー