「21世紀にはもう本格的な戦争は起きないと思われていたのに、ロシアは戦争を始めてしまいました」。東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠さんは、ロシア専門家であり、「軍事オタク」を自称する戦争研究者でもあります。その小泉さんに現代の戦争を理解するための本を挙げてもらいました。2冊目は『戦争の変遷』(マーチン・ファン・クレフェルト著)です。
<第1回「小泉悠 ウクライナの穀物が標的? 核と生物兵器の危機再び」から読む>
そもそも戦争とは何か
ロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにして、「この21世紀にこんな戦争ができるのか」と驚いた人も多いでしょう。米ソの冷戦時代以降、「核兵器が存在している以上、国家と国家が全力でぶつかり合う戦争はできないのでは」と思われていました。
ところが、今まさに我々が見ているのは、ロシアが核保有の超大国としての脅威を示しながら西側諸国を抑止し、戦争を行っている状態。もう起きることはないと思っていた戦争が、時と場合によってはできてしまうと思い知らされました。
現代の世界は複雑で、国家の利権だけではなく、経済や環境、人権などさまざまな問題がからみ合っています。それが今回の戦争では、本来複雑であるべき世界にロシアがめちゃくちゃ単純な形で暴力を行使してきた。だからロシアは世界から孤立するし、苦戦しているのだと思います。
では、そもそも戦争とは何なのか。
『戦争の変遷』 (マーチン・ファン・クレフェルト著/石津朋之監訳/原書房)は「戦争とはどういうものなのか」「誰が戦うのか」「なぜ戦うのか」といったことを詳しく論じ、「いつの時代も戦争の定義は同じだったのか」という疑問を投げかけてくる、非常に面白い本です。
クラウゼヴィッツ的戦争観を批判
多くの場合、我々がイメージする戦争とは19世紀にカール・フォン・クラウゼヴィッツが『戦争論』で論じた「近代国家間の戦争」だと思います。クラウゼヴィッツは、近代国家間の戦争とは、「政策を追求する国家」「それを実行する軍隊」「熱狂的に戦争を支持する国民」が三位一体となったものだと述べました。
しかし、クレフェルトは『戦争の変遷』で、クラウゼヴィッツの『戦争論』が普遍的なものではないと述べています。近代以前においては強固な国家は存在せず、人々の国民という意識も薄かった。軍事力は社会に広く分散し、クラウゼヴィッツの言う三位一体は成立していなかった。だからといって戦争が起きないかというと、そうではない。宗教的な使命感やスポーツの延長など「クラウゼヴィッツの定義するのとは違う形でも戦争は存在し得る」というのがクレフェルトの指摘でした。
その上で興味深いのは、クレフェルトが、「これからはクラウゼヴィッツの定義に当てはまらない、非三位一体戦争の時代が来る」と予見したことでしょう。
1989年のマルタ会談で一応は冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊するという、まさに歴史の節目において、戦争のあり方が変わる、あるいは先祖返りすると予言したのです。
旧ソ連1位と2位の軍事力が激突
ところが今回、プーチンが始めたのは非常に古典的な戦争でした。戦争の目的自体も古い。彼は2021年7月に「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文を書いていますが、そこには「ロシア人とウクライナ人は本来一緒でなければならない。もちろんその中心はロシアだ」という意識が垣間見られます。まさか21世紀において、堂々とこんな主張をするとは……という感じですが、実際に正面切って戦争を始め、約15万人のロシア軍が攻め入りました。
対するウクライナ政府は「ロシアの侵略撃退」を掲げ、ゼレンスキー大統領の支持率は91%に。相当な犠牲を出してでも、ロシアの侵攻を食い止める覚悟です。そうしなければ独立が脅かされ、あるいはブチャのような虐殺が各地で起きるかもしれないからです。
ウクライナは地域によって歴史的・文化的な背景が異なり、なかなか一致団結しにくい国だったはずですが、「ロシアの侵略撃退」という目標は分かりやすく国民を結び付けた。
軍隊も旧ソ連2位の兵力を持っています。クラウゼヴィッツの言う三位一体がそろっている状態。だから、ロシアの侵略に対して簡単に負けないのです。
国民世論をごまかすプーチン
一方、ロシアは、現状では三位一体とは言えない。
確かに軍隊は旧ソ連で最大規模ですし、政治目標は「ウクライナをロシアの強い影響下に置く」と、これ以上なく分かりやすくはあります。しかし、21世紀の世界ではこうもあからさまなことを言えないので、「東部でロシア系住民が虐殺されている」「ウクライナが大量破壊兵器を製造している」と言っています。政府のメディアコントロールでこの理屈を信じている国民も少なくはないのですが、いかなる犠牲を払っても国民が政府を支持するという形になっているようには見えません。
もっとも、クラウゼヴィッツは、戦争には2種類あると言っています。つまり、敵の完全打倒を目指す戦争と、最初から限定的な目的だけを追求しようとする戦争です。今回、プーチン大統領はこの戦争をかたくなに「特別軍事作戦」と呼んでおり、前者のような激しい大戦争を行うつもりはなかったのかもしれません。
ところが、限定戦争のつもりで始めてみたら、ウクライナは全面戦争で応えてきた。言い換えると、プーチンは国民と世論をごまかしながら戦争するしかないのに対して、ウクライナは国民の団結によって強さを発揮できた。今回、我々はその差を目の当たりにしているのだと思います。
<第3回「小泉悠 いつの時代も戦争の形態は一つだけではなかった」を読む>
取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝
『戦争論』は、軍事、国際関係を論ずる上で常に基軸となっていますが、難解さでも定評があります。本書は『戦争論』の重要部分を抜き出した縮訳版。既刊本に比べて格段に分かりやすい練りに練った訳文、厳選された訳語で、すんなり頭に入ります。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ(著)、加藤秀治郎(訳)/日本経済新聞出版/3080円(税込み)